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誰のため


 懐かしい匂いと静かな微睡みの中、私の意識はとある思い出を映し出す。


「ついに来てしまいましたね。」


 視線の先には、嬉しそうに笑いながらもどこか悲しげな雰囲気を纏うローザの姿。不思議な懐かしさに包まれている私の意思とは無関係に一つの声が耳に響く。


「はい、これまで本当にありがとうございました。」


 これは私の声だ。


 ああそうか、これは私の昔の記憶だ。私の中にある、一番新しい彼女との記憶。


 私が脳裏に強く焼き付けた、そんな記憶だ。


「本当に立派になりましたね。」


「貴族以外の人間が聖女になるのは五十年ぶりの出来事です。もしかしたらこの先、大変な思いをすることがあるかもしれません。けど……。」


 期待と心配の混じった言葉、そうだ、こんなことも言われてたっけ。


「はい。私は、貴方の教え子の名に恥じない、立派な聖女になります。」


「……そう。」


 私の言葉に、彼女は言葉を飲み込むように口をつぐみ、静かに目を伏せる。


「ローザ?」


 この時はその仕草の意味が分かっていなかった。けれど、今なら分かる。きっと彼女は私に言葉を選んでいたんだろう。


 私が心配しないように、私に心残りが無いように。


「ルシア…………――。」


 そこで私の記憶は途切れる。


 大切な心得だっただろうか、それとも聖女の責務についてだろうか。


 その先の言葉は今となってはもう思い出せない。けれどきっと大切な事だったのだと思う。











 見覚えのある天井、聞き覚えのある雨音。


 私の意識は、再び現実世界へと引き戻される。


「⋯⋯あ。」


 意識が明瞭になると同時に、喉の奥からそんな音が鳴る。


「⋯⋯起きましたね。」


 聞こえてくる声は、聞きたくなかった声だ。


 けれど、コレも二度目、流石にもう驚きはしない。


 ゆっくりと体を引き起こすと、ローザは静かな笑みを浮かべる。


「六年、いや、もう七年ほど経ちますね。」


「はい、顔を見せることができず、申し訳ありませんでした。」


 ローザの問いかけに私は座ったまま深く頭を下げる。


「いいのですよ。貴方が元気であるなら、と言いたいところでしたが、今はそれも言いにくいですね。」


「そう、ですね。」


 皮肉な事だ。追放されて落ちぶれた挙句、元気な姿すら見せる事ができない。


 こういうのを親不孝者というのだろうか。


「聖女の称号、剝奪されたそうですね。」


 彼女の言葉は、沈み込んでいた私の精神をさらに抉り取る。


「ご存じだったのですね。」


 取り繕う為に笑顔を返すが、私は今うまく笑えているのだろうか。


「ええ、昨日知り合いから教えていただきました。」


「⋯⋯どうやら私は国の裏切り者になってしまったみたいです。」


 開き直るように答える。声が少し震えているような気がした。


「そうでしたか、大変だったのですね。」


 返ってきたのは、叱責でも、失望でもなく、静かでとても優しい同情。それが堪らなく辛かった。


「いえ、そんな。」


 反射的に否定するが、客観的に見るとどう見ても無理のある言葉であった。


「あら、過労と魔力の使い過ぎで倒れたのに?」


 案の定あっさりと矛盾を突かれて切り返される。


「それはまあ、はい。大変でした。」


 こういう所は昔から変わらない。こっちの遠慮や言葉の裏の意図まで察して、その上で踏み越えてくる。


 ある種の無遠慮さ、それに救われる事も多かった。


「でしょうね。しばらく体を休めると良いです。目撃情報はないそうなので、しばらく滞在するとよいでしょう。」


「何があったかは、聞かないのですか?」


 淡々としていて、それでいてスムーズな流れに、私ははとそんな言葉を差し込む。


「まあ大体知っていますから。」


 返ってきたのは意外な答えだった。


 どこまで知っているのかは分からない、けれど彼女が私を受け入れているのはわかる。


 昔からそうだ。どんなに悪戯をしても、どんなに言いつけを守らなくても、叱責の後、最後には必ずあの笑顔を向けてくれた。


 だけど、だからこそ私は、自身の無実を伝えたかった。


 私はやってない。私は悪い事なんかしてない。


「シスター、私は。」


 そう口を開いた瞬間には、既に彼女は口を開いていた。


「やっていないのでしょう?わかっていますよ。」


「え?」


 割り込むように伝えられた言葉に、私は間の抜けた声を上げてしまう。


「昔からあなたは聡い子でした。自らを追い詰めるようなことをするほど、思慮が浅いとは思えません。」


「それに、目を見れば分かります。貴女はあの時から何も変わっていない。危ういくらいの真っ直ぐさですね。」


 そう言って彼女は私の頭をくしゃりと撫でる。


 あの時と変わらない、あの時と同じ優しい手、けれどよく見ると少しだけ老けたような気がする。


「シスター。私はっ⋯⋯。」


 言葉が詰まる、彼女を直視できなかった私は静かに目を伏せる。


「私は、貴女の望んだような人間にはなれなかったみたいです。」


 あれだけ祝福されたのに、あれだけ盛大に背中を押されたのに、あれだけの恩を受けたのに、こんな姿で帰って来てしまったことに、色々な感情が溢れ出してくる。


「あら、私貴女に何か言いましたっけ?」


「⋯⋯⋯⋯。」


 けれど、返ってきたのは呆気ないほどにあっさりとした問いであった。


「あの日、確かに育ての親としてそれらしいことを言ったような気がしますが、私が貴女に願ったのは、一つしかなかったんです。」


「どうか幸せに、と。」


「⋯⋯⋯⋯っ。」


 瞬間、私の中で霞みがかっていたあの日の記憶が、静かに甦ってくる。


「もしかしたら今は苦しいかもしれません。辛いのかもしれません。」


 そして言葉を続ける彼女の手が、私の頭を優しく引き寄せて、静かにトンと額と額が当たる。


「けれど、諦めるつもりはないのでしょう?」


 揺らぐ私の目を真っ直ぐに見据えながら、彼女は問い掛ける。


 揺らぎのない、真っ直ぐな視線、この人のことだ、もう答えは分かっているのだろう。


「はい。私は、私の幸せを諦めたくない。」


 だから私は、迷いもなくそう返す。


「よろしい。では、もう少し頑張らなくてはいけませんね。」


 そしてパッと手を離していつもの笑顔を浮かべる彼女の言葉に、私は静かな覚悟を決める。


「はい。」


 そうだ。これは私の物語だ。


 どんな理不尽があろうとも、どれだけ美しいものが私の道を阻もうと、もう迷わない。




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