夢を見る少女
俺とローザ殿は、眠りについた主君を後にして、教会の中心に位置する礼拝堂へと移動していた。
早朝の礼拝堂は、誰一人として人影がない。
高い天井、整然と並んだ木製の椅子、そして祭壇に向かって伸びるまっすぐな道。
静かで、どこか神聖なこの空気が、落ち着いて言葉を交わすにはふさわしく思えた。
彼女は祭壇近くの長椅子に腰掛け、俺もそれに倣う。
互いに正面から視線を交わすことなく、けれど会話を交わすには十分な距離だった。
「なんとなく理解しているとは思いますが……あの子は、昔から頑張り屋さんで、素直になれない子なんです。」
礼拝堂に小さく響く、柔らかな声。
「……はい。思い知らされました。」
自然と苦笑が漏れる。
「お勉強も、魔法の鍛錬も、人一倍やって、私がこのお香を使わないと、寝る事すら惜しむほどで……そして、そんな努力を他人に見られるのを、何より嫌がるんです。」
「⋯⋯そのようですね。」
思わず頷きながら、目を伏せる。
彼女は自分の弱さを他者に見せることを極端に嫌う。
倒れる直前まで限界を隠して、あまつさえ助けを求めることすらできなかった。
それでも、その小さな身体で前へ進もうとする。
この人は、そんな彼女をよく知っているのだと痛感する。
「良くも悪くも、普通の女の子なんです。だから、きっと貴方に対する理想も、夢見がちなほど高いと思いますよ」
この人の声音には、どこか遠くを見つめるような、そんな優しさがあった。
俺に対する理想、か。
確かに少しばかり思い当たる節はある。
けれどそれよりも意外だったのは、そこではなかった。
「……俺のことも、知っていたのですね。」
特に隠してきたつもりはなかったが、彼女に自分の過去を話した覚えもない。
それでも、どこかで気づいていた。
この人は、俺を見抜いていたのだと。
「ええ、もちろん。」
彼女は、当然のように頷いて笑みを浮かべる。
その笑みに、なぜか心の奥がわずかにざわついた。
――この感覚は、何だろう。
目の前の彼女と向き合いながらも、俺の意識は、その既視感に包まれる。
「⋯⋯悪い子ではないんです。本当に。恵まれない環境の中で生きて、虐げられながらも、それでも⋯⋯そんな人間が増えないようにと、願えるような子なんです。」
「だから主君は、彼女は聖女を?」
無意識のうちに俺の口はそんな問いを投げていた。
「そうです。魔力の少ない体質でも、孤児出身であってもそれを目指した。聖女になんてならなくても幸せに生きる選択は出来たのに、それでもなってみせたのです。自身の力で何かを変える為に。」
「⋯⋯誰かの為に、ですか。」
その言葉に、俺はかつての自分の姿を思い出す。絵本の中の英雄譚を読んで、純粋にそれを目指していた頃の少年の頃の記憶を。
「⋯⋯信じられませんか?」
少し間を置いて飛んできたその問い掛けに、俺は首を横に振って答える。
「いいえ、ただ⋯⋯納得できました。」
少しだけ意外だった。
成り上がる事を目標に、返り咲く事を目標にと口にしてきた彼女の原点。それがこれほどまでに清らかなものであったとは、思いもしなかった。
けれどそれと同時に、思い返す。
彼女は盗みを働く少年を捕まえるのではなく、止めるように導いていた。
恵まれない人間の為に戦う人間を否定せず、「嫌いじゃない」と言い切ってみせた。
脅されて、暴れることしかできなかった人間達を、自身の目的よりも優先して助けようとした。
そういう時、誰かを救ってみせた時の彼女の表情はいつも、晴々としているように見えた。
だからきっと、それらの行動も、言動も、きっと、全てが彼女の本質なのだろう。
「⋯⋯そうですか。あの子は良い出会いをしたのですね。」
「⋯⋯良い出会い方だったとは言えませんが。」
俺と彼女の出会いに関しては、おそらく目を瞑っていたほうが良い。なんとなくそう思った。
「あの子はこれからも、沢山のことで悩むかもしれません。沢山の葛藤をし、沢山の後悔をしていくのでしょう。」
「⋯⋯俺は、彼女を止めるべきなのでしょうか?」
その問い掛けに返ってきたのは、眉の下がった静かな微笑みひとつであった。
「⋯⋯止めるのは無理でしょう。彼女は昔から強情ですから。」
間違いない、おそらく言葉では止められない。
彼女はそんなものでは止まらない事を、俺はよく知っている。
「⋯⋯だから私が、少し説得をしてみましょう。」
「なにかお考えが?」
「当然、あるに決まっているでしょう?」
少しばかり控え目に、それでいて悪戯っぽく笑うその顔を見て、俺はようやく気づいた。
この人の笑顔は、主君のそれによく似ている。
どこかで感じた既視感の正体が、ようやく形になった気がした。




