堕ちる
――さらに数時間後
カモミールの街を飛び出した私達は、目的としていた次の街に到着、することは出来ず、周囲には何もない大岩の下で立ち往生することとなった。
洞窟のようなせり出した大岩が屋根のような役割を果たしているだけのほぼ野宿と言って差し支えない状況で夜を明かす羽目になったのはいくつか理由がある。
一つは最速最短で目的地までたどり着くため多少無茶なスケジュールで移動を試みた為。
そしてもう一つは日が傾き始め、空が橙色に染まりかけた頃に降り始めた、大粒の雨の影響であった。
「かなり小降りにはなってきたが、今日はここまでだな。」
日が完全に落ち、分厚い雲が空を包み込んだ影響で、世界は完全な暗闇に包まれる中で、アレスは小さくそう呟く。
「そうね。不本意だけど今日は此処で休みましょう。」
野宿は嫌だが、この暗闇の中を進むのはリスクが高すぎる。それに疲労で身体も思うように動かない。
「こうなるのであれば、途中の街に立ち寄るべきだったかもな。」
「……そうね。」
彼の言う通りだ。これ以上ない好機とはいえ、少しばかり急ぎ過ぎたかもしれない。
「それで、そろそろ聞いてもいいか?」
するとアレスはふと視線を雨空からこちらに切り替えて問いを投げ掛ける。
「これからの方針よね。いいわ、時間もできたし、丁度良いでしょう。」
私はそう言って近くの小さな岩に体重を預けるように腰掛ける。
「まずは目的地だが、先ほど話に出たギルバード領であっているか?」
「正解、目的地はギルバード領で間違いないわ。ただ一日じゃ辿り着かないから中継地点に別の街を経由しつつ、帝国の監視から外れるように少し遠回りしてるわ。」
ただし後者の理由はあくまでも物のついでだ。正直多少の遠回りで彼らを撒けるとは思っていない。
「そうか、では次の質問だが、最後の方にエイーラ殿に依頼していたアレにはどんな意図があったんだ?」
「ああ、聞いてたの?…………これよ。」
続いて投げかけられた問いに対して、私はロストフォレストで手に入れた瓶を見せる。
「元の状態よりかなり減ったな。」
彼の言う通り、元々瓶一杯に入っていた薬品は半分どころか四分の一程度まで減っていた。
「内容量を三分割にして、ローラ・ギルバードとザイオン・グランツ、それぞれに送り付けたから、もうほとんど残ってないわね。」
それに加えて成分分析の際に検体として使用された事もあり、辛うじてそれが何なのかを認識できる程度にまで減ってしまったという事だ。
などと説明をしてはみたが、もうすでに彼の興味はそちらにはなかった。
「ずいぶん大きく動いたな。」
「新しい聖女が帝都に辿り着くまで多分後三日、それ以降は聖域結界も復活して他の聖女や騎士団が本気になって私を追ってくるわ。そうなる前に手を打っておこうと思ってね。」
「具体的には?」
「液体と一緒に匿名で手紙を付けたわ。素材の成分とその出処、薬を使った魔物の大量発生事件と彼女らの領地の関連性まで、こっちが把握できる情報全部ね。」
「そして、文末にこれらの情報を公開されたくなければ、二日後に指定の場所に来るようにって指示を出したわ。」
早い話が悪事の証拠を突き付けての脅迫というやつだ。
「何をする気だ?」
「決まってるじゃない。一掃するのよ、ザイオンも、ローラも一か所に集めて貴方の力で消してしまうの。」
現状、彼らの息が掛かった騎士、魔法師の中で最高戦力と思われるユーダ・ケイリスは手負いな上にスフィア・ルクローズの護衛で手が離せない。つまり彼以下の戦力しかいない状況でこちらは最強の英雄をぶつけられる。どう厳しく見積もっても負けることはありえないだろう。
そもそも頭数を揃えられないよう、二十人以上で来た場合は無条件で情報を後悔するように釘は刺してあるし、彼らを消した後に手紙が見つかっても問題ないよう私と特定できるような情報は入れていない。
こちらには英雄がいる、脅迫するだけの情報は揃っている。証拠隠滅の手筈も整えている。多少強引な作戦だが、失敗する可能性はない。……のだが、彼は素直に首を縦に振る事はなかった。
「……本当にそれでいいのか?」
「何が言いたいわけ?」
眉を顰めながら投げ掛けられる問いに、私は短く質問を返す。
「口に出さなければ分からないか?」
「察してほしいって?めんどくさい女の子みたい。」
分かるだろと言わんばかりの言葉に、鼻を鳴らしながら挑発して見せる。
「…………そのやり方では万一こちらの所業を知られた際、帝国と大きな軋轢を生む可能性が高い。自滅狙いのこれまでのやり方とは大きく乖離しているように感じる。」
自分で煽ったとはいえ、随分と素直に話すものだ。
そして、裏表なく思ったことを話しているが故か、その言葉はしっかりと核心をついていた。
「……そうね。そうよ。けどさ、よく考えたら聖女に復習する時点で帝国に喧嘩を売っている事には変わらないのよ?だったらもうやり方にこだわる必要なくない?」
ああ、我ながらひどい開き直りだ。けど、これもまた本心だ。
こちらだけ正々堂々ルールの上で戦ったとして、相手がその舞台に上がらなければ、きっと永遠に私の目的は果たされない。ならば、こちらもルールという舞台から降りて戦う方がいいはずだ。
「それは確かに一理ある。しかし何より、このやり方は貴女の信条に反するように見える。」
随分と分かったような口を利く。見透かしたような発言が鼻につく。
私は苛立ちを抑える為に、ため息のように小さく息を吐き出す。
「どうした?一体何があったんだ?」
そして、問い詰めるような雰囲気から一変して、今度は諭すような声色と、心配そうな表情で私の顔を覗き込んでくる。
「何もないわよ。べつに。」
本当にやめて欲しい。そんな風に話されると、まるで私が悪いように思えてしまう。
「だとしたら何故そんな強引な手段に出るんだ?らしくないぞ。」
らしくない?
出会ってから十日も経っていないこの男に、何故そんな事を言われなければいけないの?
私らしさなど知りもしないような男に。
瞬間、私は自分でも自覚できるほどに冷静さを失う。
「…………っ、何もないって言ってるでしょ!?あったとして、貴方に何がっ…………。」
呼吸が速くなり、脳に血液はせり上がってくるような感覚が肉体を包んだその瞬間、私の視界が激しく揺れ動く。
「…………あ、れ?」
「――主君?」
なんだか、身体に、力が。
「主君!大丈夫か主君!?」
ああ、もう、うるさいな。
あれ、なんで私、寝てるんだろう。
身体も動かないし。
ああ、そういえば、最近全然、休んで、な…………。
「主君!!」
私の意識はそこで途切れて深い暗闇へと落ちていく。




