暗躍
カモミールの街の中心近くに堂々と鎮座する古めかしくも清潔に保たれた建物、アールグレン帝国における防衛の核ともいえる騎士団、魔法師団が身を寄せる詰め所と呼ばれるそれは、レジスタンスによる暴動から二日立った現在でも、慌ただしい喧騒に包まれていた。
怪我人の救護に被害規模の確認、復興支援のみならず、聖女の護送の任務の日程も近づいている中で、彼らは寝る間も惜しんで働き詰めていた。
そんな中で一人、息が詰まるような空気を受け流すように飄々とした表情で廊下を抜けていく青年の姿があった。
余裕がありながらもどこか威圧するような、近寄りがたい雰囲気を纏う青年はすれ違う同僚たちに挨拶を返しながら、迷いのない足取りで廊下を抜けていく。
そして、とある扉の前までたどり着くと、その部屋を守る様に立つ魔法師の男に軽く会釈をして扉を叩く。
「おや、どうやら目が覚めたみたいですね。」
返事がない事に違和感を覚えながら扉を開くと青年は部屋の中心にあるベッドに横たわる男へ、軽い口調で問いを投げる。
「……ああ、迷惑をかけてすまない。」
それに答える男、金章魔法師のユーダは、僅かに表情を歪ませながら短くそんな言葉を返す。
静かな答えだった。元よりこの男は冷静な判断を下し動揺している場面はほとんど見せない人間であったが、それを考慮したとしてもなお、元気がない。
青年が視線を向けると、男性の頭部には厳重に包帯が巻き付けられている様子が映り、それが今の彼の状況を作った原因であると推測で来た。
「いえいえ、うちの連中は優秀なんで、無事事件は終息しましたよ。」
青年はそんな思考を真横に置いて、張り付けたような笑顔で答える。
「…………戦いはどうなった?」
「ええ、我々騎士団、魔法師団連合部隊と、かの英雄アレス・イーリオスの活躍により、市民への被害を最小限に抑えることができました。」
「聖女はどうなった?」
わざとらしく自分たちの存在を主張しながら報告をするクシャトの言葉を受け流し、ユーダは一気に核心に迫った問いを投げ掛ける。
「初動で屋敷に避難させましたので、当然無傷です。危ないのでやめて欲しいのですが、今現在、市民の救護、治療にあたっています。危険を呼び込んだのは自分の存在のせいでもあると言ってきかないんです。」
呆れたように呟くクシャトの表情は、言葉とは裏腹に、さほど興味もないと言わんばかりに冷め切ったものになっていた。
「違うそっちではない、ルシア・カトリーナの方だ。」
「ルシア……?ああ、例の元聖女様ですか。それがどうかしたのですか?」
知っているだろと言わんばかりの問い掛けに対して、クシャトはそれまでとは違う、穏やかで静かな笑顔を顔面に張り付けて問いを返す。
「しらばっくれるな!どういうつもりだ?」
「しらばっくれるも何も、今回の件で彼女を見たなんて言う報告は市民からも、騎士団からも上がっていません。ただ、聖女の為にと奮闘する被害者達は居たようですが。」
食って掛からんばかりに身を乗り出す男に対し、青年が張り付けた笑顔のまま返したのは、客観的な事実という名の偏った情報であった。
「本気で言っているのか?」
あまりにも情報が偏っている。そして、立場が上である自身の見聞きしたもの全てを否定するような筋書きに、男は怒りよりも先に戦慄を覚える。
「私は事実を述べているだけです。今回の事件は、反帝国組織による聖女の殺害を目的に行われたものです。それに対し僕は首輪をつけられて操り人形となった被害者たちの救出、貴方は首領であるゴンゾの討伐を果たした。」
「救出したエルグ族の方々は事情聴取と祖国への返還の為、一時帝都へと護送。ユーマン族の方も聞き取り後、身元を調査し問題が無ければそのまま順次故郷へと帰していく予定です。」
「首領のゴンゾは貴方から受けた傷が深かったようで、尋問中に死んでしまいましたが、貴方が本気を出さざるを得ないほどの強敵だったのです。仕方ありません。必要な情報を抜き取れたのが不幸中の幸いでした。」
彼の言葉に矛盾はない。
しかしあまりにも事実とかけ離れている。少なくとも、ユーダ・ケイリスが体験したあらゆる事実がなかったことにされている。
あの日、カモミールの街にルシア・カトリーナはいなかった。
その誤った情報を補完するような情報が幾重にも重なり、それが事実であるかのように振る舞っている。
「何が目的だ?」
何故そこまでして、事実を歪曲させたいのか、理解に苦しむユーダは、強い圧を掛けながら問いを投げる。
「別に大した思惑はありません。ユーダ様。僕はね、貴方の身を案じて言っているんです。」
流石に自身の言動に無理があると感じたのか、クシャトはため息交じりに振り返りながら男へと歩み寄っていく。
そして、互いに手が届く距離にまで歩みを進めると、立ち止まって腰を小さく曲げる。
「どういう……っ?」
そして、動揺するユーダの目を、燦々と輝く眼光で覗き込む。
「どのような命令を受けたかは存じ上げませんが、金章魔法師ともあろう貴方が、新たな聖女を狙われ、大勢の市民が危機に晒される中で、混乱に乗じて一人の聖女崩れの命を狙い、あろうことか返り討ちに遭うなど、ある訳がないでしょう?」
そして、射殺すような視線と共に、青年は決してあってはならない現実を、一言一言、強調しながら言葉にする。
「……貴っ様ぁ!」
瞬間、男は湧き上がる怒りのままに声を張り上げる。
「おっと、気を付けて下さい、傷に障りますよ?」
「……っ!」
直後、青年の言葉の通り、先の戦闘で激しく打ち付けられた頭部が激しく痛み出す。
傷口を抑え、激痛の中で飛び出しそうになった呻き声を飲み込みながら、男は震えた手で青年の胸倉を掴む。
「互いに聖女様の護衛の為にこの街に来て、貴方は敵の首領を、僕は有象無象の敵をそれぞれ討ち果たした。ただその道中で、僕はアレス・イーリオスの助力を得た。それでよいではないですか。」
「それともどうします?僕の報告を撤回させて、自身が聖女に敗れた事実を報告しますか?国やアルテン教に背いた事実と共に。」
青年は見下すような冷たい視線と共に、どこかの元聖女を思わせるようなどす黒い笑みを浮かべて答えなど分かり切った問いを重ねる。
そう、この問いの答えなど既に分かり切っている。
「……それはっ。」
その問いに男は口を閉ざす事しか出来ない。
この魅力的な“提案”を断れば、そうなれば男の命はただでは済まないのだから。
「僕たちは聖女を守った。ルシア・カトリーナなんていなかった。そうですね?」
「…………。」
男は静かにつかみ上げた手を放す。
無言の肯定を受け取ると、どす黒かった笑顔は静かになりを潜め、いつもの彼のそれに戻る。
「では、僕は報告書をまとめますね。」
青年は爽やかな表情のまま再び踵を返す。
「よく考えて行動しろよ。」
そして部屋の扉に手を掛けた瞬間に背後からそんな言葉が届く。
「…………。」
青年は小さく振り返り、呆れたようなため息を一つ溢す。
「私は協力はしない、バレた時はお前ひとりで責任を取れ。」
静かで在りながらも強い苛立ちの込められた言葉が飛ぶ。
「ええ、それがいいと思います。互いに、賢く生きましょう?」
青年はそんな言葉など意に介することもなく最後に小さな笑顔を見せて部屋を後にする。
「…………っ、くっ、そが。」
残された男はただ一人、絞り出すような声で苛立ちを吐き出す事しか出来なかった。




