塗り潰す狂気
その日の夜。
英雄アレス・イーリオスとの戦闘に敗れたクシャトは、カモミールの街から少し離れた辺境伯が管理する牢獄の一室へと足を運んでいた。
「やあどうも、君が今回の事件の黒幕だね。」
戦傷が残る中で、それでもなお余裕を崩さない彼は、明るい声色でとある男に声を掛ける。
「…………。」
石と鉄で作られた拘束具付きの椅子に縛り付けられながら沈黙を貫く男は、ルシア、そしてユーダの二人と戦闘を繰り広げた屈強な戦士であった。
「⋯⋯黙っててもいいが、こっちはもう聞き取りも終わって裏も取れてる。勝手に進めさせてもらうよ。」
会話の成立しない男を前に、クシャトは事前に部下から受け取っていた資料に目を通しながら言葉を紡いでいく。
「レジスタンス幹部、ゴンゾ。君はどうして今回の事件を起こしたのかな?」
「⋯⋯本当に解らないか?」
余裕を崩さない問いに、ゴンゾは初めて口を開く。
「分からないけど、そういう反応をするって事はこちらの想定通りの内容ってことかな?」
その言葉に返事はない。クシャトは呆れた様に口を開く。
「本当に厄介な話だ。レジスタンスはどうしてこうも帝国を目の敵にするんだい?」
そんな問いかけに対して、分からないか、とでも言わんばかりの鋭い視線が返ってくる。
クシャトは無表情のまま視線を返す。
「帝国は我々のような存在を恐れている。」
「我々のような?」
ため息混じりに放たれる言葉に、クシャトは目を細めながら疑問をぶつける。
「魔法の才のある者だ。」
「…………。」
どこか思うところがあるのか、クシャトは男の言葉に黙って耳を傾ける。
「現体制の帝国は、かつて力によって栄華を極めた者たちの末裔によって成立している。だが今はどうだ?まるでその成り立ちすらも否定するように、力を失った貴族たちが我々のような人間を使い潰そうとしているではないか。」
「力ですべてを手に入れた人間が支配しているのであれば、力で奪われて然るべきだ。」
国家の成り立ちと、その現状の間に垣間見える矛盾、不条理に対しての怒りを吐き出すゴンゾに対してクシャトが返したのは冷ややかな視線であった。
「野蛮だねぇ、発想が。」
彼とて才能ありきの防衛体制に少しばかりの疑念があった。しかし、彼らがとったその手段に一切の共感ができなかった。
「逆らう人間は排除される。気に入らない人間は追放される。故に我々は排斥されてきた。」
「排斥なんてしているようには見えないけどね。現に僕は平民の生まれだが、騎士団には入れたし、僕の上司にも平民出身はいるよ?」
続けるゴンゾの言葉を、自らの境遇を交えながら真っ向から否定する。
「ならば我々にも国家の犬になれというか。矜持を捨てて。」
「それが国家というものだ。嫌なら他の国にでも行けばいい。」
それぞれの主張は、決して交わる事なく平行線となる。
しかし、そんなやりとりも、一つのきっかけに寄って中断される。
「――つまらない回答だな。」
背後から響くのは、穏やかでありながらも確かにクシャトを否定する中年の男の声であった。
「……見たことない色だ。誰かな?君は。」
意識外からの言葉に対し、静かに振り返るクシャトは、僅かばかりの殺気を放ちながら問いを投げる。
「レジスタンス幹部、バルタザールだ。同胞を奪い返しにきた。」
部屋の入り口、影を抜けて現れたのは、左目に傷を持つ屈強な男の姿であった。
「おかしいね、周りには見張りを付けていたんだけど。」
「眠ってもらっている。」
「…………本当に、ふざけた連中だよ。」
静かに答える男の姿に、クシャトは呆れた様にため息を吐きながら腰に掛かった剣に手を掛ける。
「手荒な真似は、してもいいが、大人しく引き渡すなら攻撃はしない。それとも、彼を守りながらこんな狭いところで戦うか?」
中年の男は牽制する様に同じく武器に手を掛けながら釘を刺す様に問いを投げる。
確かに男の言う通り、拘束されている男を奪われぬ様に、かつ、尋問用の小さな部屋で戦闘をするのは些か条件が良いとは言い難かった。
「そうか、なら。」
それを聞いたクシャトは静かになにかを呟いた後、剣を握り締める手の力を強める。
「……ッ!?」
直後、クシャトから放たれた銀色の線が、拘束されたゴンゾの首元を横切る。
「……がっ!?」
「――こうするよ。」
小さく響く呻き声、舞い上がる血飛沫の中で、クシャトは淡々と呟く。
「…………殺してしまって良かったのか?」
突然の行動にバルタザールも一瞬、目を見開いた後、静かにそんな問いを投げ掛ける。
「この男から搾り取れる情報はもうない。足手纏いになるくらいなら死んでくれて結構だ。死因は、そうだね、尋問中に先の戦闘での傷が開いたことにしよう。」
当の本人は、冷静に論理を並べつつも、その眼にはギラついた光が灯っていた。
「イかれてるな。」
殺気ではなく純粋な闘気の方が強く溢れ出る青年の姿を前に、男も思わずそんな言葉を吐き出す。
「こっちには守る相手もいない。待っていればそのうち金章の魔法師も来るだろう。さ、どうする?それでも一戦交えるかい?」
同時に、たった一手で状況を逆転させたクシャトに関心を覚えながら、男はくるりと踵を返す。
「いや、もういい。」
「⋯⋯おや。」
離れていく背中に対して、クシャトは呆気に取られた様な声を上げる。
「どうした。」
「いいや、これだけ挑発すれば来ると思ったものでね。」
そう呟く青年からは、声色とは裏腹に、絶えず強烈な殺気が放たれ続ける。
いわばこれも含めて、彼なりの挑発であったのだが、男はそれでも振り返らない。
「行かないな。俺はプロフェッショナルだ。実利のない勝負はしない。」
常人であれば冷静さを保つことすらままならないその圧に晒されながらも、男はクシャトの言葉を一蹴する。
「そっか、じゃあ次は戦場で逢おうか。」
敵にその気が無いことを理解し、剣を納めるクシャトは去り行く背中にそんな言葉を投げかける。
「……そうならない事を願おう。」
男はそんな言葉を最後に残し、薄暗い地下室から立ち去っていく。




