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憧れの痛み


 真っ黒な視界の中で、ぐにゃりと世界が歪むような感覚だけが私を包み込む。


一体どれほどの時間眠っていただろうか、そんなことも分からない私の意識を引き戻したのは、ずきずきと脈打ちながら全身に広がっていく激痛であった。



「……ん、ん。」



 遠くの方から聞こえてくる喧騒に眉を顰めながら重い瞼を開ける。


 ああ、どうやら私は意識を失っていたらしい。


 周囲を見渡す。…………ここは路地裏だろうか?見覚えのない景色だ。


目の前にいる男たちは心配そうにこちらをのぞき込んでいるが、こちらもよく知らない。



「こ、こは?」



「起きた、大丈夫ですか!」



 私の声に反応した男たちは心配そうにしながら声を張り上げる。


 ああ、うるさい。これだから素人は嫌だ。



「…………っ。」



 そんな思考の中で、ずきずきと痛む腹部の傷に手を添えると、私はその手に僅かな違和感を覚える。


 傷が塞がっている?いや、正しくは包帯で処置されている。



「傷、ありがと。…………それと、魔法も。」



 お世辞にも上手とは言い難い治療ではあるが、おかげで出血が少ない。


 それに、ユーダとの最後の一合、あそこで横やりが入っていなければ、恐らく私が負けていた。


複雑だが、彼らのおかげで私は命を拾ったのだろう。


 命は拾った、意識はある。あとは治療しながらであれば動ける。


「それじゃ、貴方達は逃げていいわよ。」


「……お、お嬢さん、その傷……。」


 私は心配そうにする男たちの言葉を背に、ゆっくりと歩み始める。


「大丈夫よ、自分で治療できるから。」


 私は血が滴る口でそう返しながら、壁伝いに進んでいく。


 彼らの下手くそな治療の甲斐もあってか、私の傷も多少はマシになった。


 あとは一人でどうにかなる。


 しばらくの間、大通りを進んでいると、次第に街を包み込んでいた悲鳴は消え、少しずつ周囲に慌ただしい足音や救護の声が聞こえてくる。


 どうやらアレスは上手くやってくれたようだ。


 そして、上手くいったのは私も一緒だ。


「……ふふっ、やってやったわ。」


 踏み出す一歩と、手を突く壁に、べっとりと血液を残しながら、私は見晴らしの良い道路を進んでいく。


 身体が痛い、このまま半端な治療を続けていても、いずれ血が足りなくなって死ぬだろう。


 そんな体に鞭打ちながら私は必死に歩みを進めていく。




 そして永遠にも思えた時間が過ぎ去った後、私はとある屋敷の壁際に背を預けて座り込む。



「…………っ、はっはっ……。」



 傷口に走る激痛がさっきよりも強くなっている。


 やはりあの怪我で動き回るのには無理があった。我ながら頑張り過ぎだと思う。



「…………そろそろかしら。」



 私の意識が途切れかけた頃、遠くの方から忙しない足音が聞こえてくる。



「スフィア様、駄目です!外に出てはいけません!」



 遅れて聞こえてきたのは、慌てた様子の老人の声。


 どたどたと迫る足音に対して、私はほとんど動かなくなった身体を引き摺りながら顔を覗かせる。



「止めないでセバスチャン!私を狙って賊が現れたのに、大人しくなんてしてられません!」



 老人に止められて声を張り上げるのは、スフィア・ルクローズ。新しい聖女様であり、私の今回の目的の人物だ。



「スフィア様!」


「聞いてセバスチャン。」



 必死に声を張り上げる老人に対して、新しい聖女様はその足を止めて振り返る。



「……っ。」



「聖女とは、己が生涯を賭して、民の為に奉仕する者。にもかかわらず、こんな所で隠れてなどいられません。」


「まして私を狙っての狼藉というのならば、私が矢面に立つべきです、いや、立たねばならないのです。」



 なるほど、立派な心意気だ。しかし、今彼女に出ていかれるわけにはいかない。



 怪我をされるのも、大活躍されるのも私にとっては都合が悪い。それに、私はこの女と話をするためにここまで来たんだ。



「……すぅ。」


「敵ならもういないわよ。」



 私は物陰に腰掛けたまま、大きく息を吸い込んで彼女へそう言い放つ。



「……っ、あなたは?」



 振り返り、僅かに私の影を目にした聖女様は、不思議そうに問いを投げてくる。



「ただの冒険者よ。」


「街に現れた賊は、騎士団と英雄アレス・イーリオスの活躍で鎮圧されたわ。……残念だけど、貴女の出番はないわ。」



 私は自身の存在を隠しつつ、アレスの存在をしっかりと付け加えて事態の収束を伝える。



「英雄が……?……そうですか、では負傷者の治療に向かいます。」



 あまりにあっさりと納得した彼女の様子に驚きつつ、気にすることなくこちらに歩み寄ってくる彼女の足を止めるため、私は再び口を開く。



「それももう終わりかけ。それより少し私とお話ししない?」


「手短にお願いします。」



 私の言葉に懐疑的なのか、彼女は冷たい口調で答える。


 この反応は当然だ。何なら私だったら無視しているところだ。




「…………貴女はさ、何で聖女になろうと思ったの?」


 私は口内に溜まった血を吐き出した後、そんな疑問を投げかける。



「……力ある者は、それに見合った役目がある。私は生まれ持ったこの力を誰かのために使いたい。」



 なるほど、いかにも模範的でつまらない答えだ。


「そんな建前はいいのよ。私はあなたの本音が聞きたい。」


 私の言葉を聞いた聖女様は首を傾げて不思議そうな表情を浮かべる。



「これも本音のつもりです。ただ、それ以上に……。」



 一瞬、沈黙が流れる。そして彼女は再び口を開く。



「……それ以上に、憧れた人がいました。」



「憧れ、か。」



 彼女の言葉を私は小さく反芻する。



「私と入れ替わるような形で辞めてしまわれたと聞きましたが、私も彼女のような聖女になりたいと思いました。」


「聖女?」



 彼女と入れ替わりで消えた聖女、どこか覚えのある情報だ。



「ええ、ルシア・カトリーナ様。私がお慕いする聖女様です。」



 突然会話の中に飛び出してきた自身の名前に、私の思考が一瞬停止する。



「……ハッ!何が聖女よ。お貴族様に嵌められて追放された無力で愚かな女なんて、憧れるだけ無駄よ。」



 そして私はふと我に返り、ふつふつと湧き上がってきた苛立ちを彼女へとぶつける。



 いったいこの女に私の何が分かるというのか。



 何が憧れだ、何がお慕いだ。馬鹿にするのも大概にしろ。



「何を語ろうがあなたの勝手ですが、私は彼女に会った事があります。」



「……は?」



 そんな言葉を聞いて再び私の思考は後れを取る。


 確かに私はこの街に来たことはある。けれど、彼女との出会いに覚えがない。



「ぶっきらぼうだけど優しくて、聖女という重責に応えながらも、我を通すために努力を続ける。そんな強い女性でした。」



 随分と私を高く買ってくれている、そして真っ当に憧れてくれているのが分かった。


 けれど、それが余計に腹立たしかった。



「それは彼女の本当の姿じゃない。強くあろうとする外面の仮面に過ぎないわ。あなたは何も分かっていない。」



 私の否定の言葉に対して、彼女は落ち着いた態度で首を横に振る。



「分かっていないです。けど、あの日から私の憧れも、進みたい道も、何一つ曲がってはいない。たとえこの目で見た彼女の姿が偽物だったとしても、私の理想が変わる理由にはならない。」



 呆れるほどに真っ直ぐな言葉、私は思わず小さく鼻を鳴らす。



「それに、貴女も今、貴族に嵌められたと言った。それはつまり、彼女に非は無いと信じているのでしょう。」



「……っ。」



 そしてあろうことか、私の言葉の粗探しをする始末だ。



「だから私は、自分の憧れを恥じない。自分の理想が間違ってるなんて思わない。」


「私は、自分の信じる正義と、理想のために生きていきたい。」



「あっ、そ……。」



 今分かった。この女の芯の強さを、説き伏せた所で絶対に折れない事を、論破した所で絶対に納得しない事を、私は理解した。


 だからもう、会話の意味はない。


 私は吐き捨てた言葉と共にその場から立ち去る。



「………………?」



 少し遅れて彼女は返事がない事を不思議がって歩みを進める。



「……血だまり?」



 そして、背後から聞こえてくる彼女の言葉から逃げるように、息を潜めながら元来た道を戻る。



「…………結局、収穫はなし、か。」



 もしも彼女が他の聖女のように頭が悪くて差別的で傲慢な人間であったなら、真正面から拒絶し否定することができた。



「……ああ、もう。」



 もしも彼女が私のように、最底辺の環境で育ち、大した魔力も持たず、自身の事しか頭にないような自己中心的な悪女であったのなら、躊躇いなく蹴落としてその椅子を奪い取ることもできた。




 しかし、そんな事は無かった。


育ちも性格も悪い無力な悪女の代わりとして現れたのは、誰もが認めざるを得ないような、理想の家柄と力と精神性を持った、理想の聖女であった。


きっと彼女はたくさんの人から愛されて育ったのだろう。


 恵まれた環境の中で正しく育ってきたのだろう。


そして、きっと彼女はこれからもたくさんの人間に愛されて生きていくのだろう。


 私の帰るべき居場所など、もうどこにも無いと言われたような気がした。


 貴族に陥れられ、民に恨まれ、居場所を奪われた。


そしてその先で見た彼女を前に、私は世界にまで拒絶されたような気がした。


「ああ……もう。なんなのよ。」


苦しくなる事だって分かっていた。


傷つく事だって分かっていたのに、知りたいと思ってしまった。


 そして、私の敵は正義の聖女様であることを知ってしまった。


 私は強い徒労感に包まれながら、帰路へと着くことになった。



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