刹那のような永遠
あれからどれほどの時が経っただろうか。
向かってくる敵の全ての攻撃を捌きながら、彼等の首元に光る宝石だけを破壊して回り続けた俺達は、大通りから少し外れた所で静かにその仕事を終えようとしていた。
「⋯⋯これで最後でしょうか。」
路地裏の陰で隠れていた男の首輪を破壊し、顔を見合わせるのは、騎士団所属のクシャト。
成り行きで協力関係を結んだ彼と共に行動していたが、それもどうやら此処までのようだ。
「⋯⋯そのようだ。」
俺が短く答えると、クシャトは大通りへと出て周囲を見渡し始める。
「首輪を着けた人間を見なくなった。ということは恐らく、着けて回る元凶が消えたか、純粋に首輪の在庫が無くなったか⋯⋯。」
「俺達が見ただけで首輪の数は百を超えていた。どちらも可能性があるな。」
「僕は前者だと思いますが。」
何か核心を持ったような口ぶりの彼に対し、俺は僅かな疑問を持つ。
「⋯⋯何か見えたか?」
「⋯⋯どうやらあちらの方も沈静化しているみたいです。⋯⋯魔力の流れが完全に止まった。」
想像通り、どうやら彼の眼には俺には分からない何かが見えているようだ。
「⋯⋯っ、誰だか分かるか?」
「さあ?此処まで離れていては、どうなっているなんて分かりません。」
しかしながら、魔眼もそこまで万能なものではなく、俺の求めている情報はそう簡単には手に入らない。
「⋯⋯しかし、彼女は生きていそうですね。」
そう呟く彼の視線を追って大通りへと出ると、俺の視界の奥に何やら騒々しい男達の集団が映る。
「⋯⋯行くぞ!聖女様の為に!!」
「⋯⋯おお!」
エルグ族では無い、ユーマン族の奴隷のような身なりをした者達は、その見た目とは随分とかけ離れた存在を口にして大通りを進んでいた。
「⋯⋯なるほど、主君が何かしているな。」
聖女を名乗る者の手引き、そんな事を考えれば、彼等が何に突き動かされているのかは明白であった。
「⋯⋯そういう事です。つまり、これ以上は僕達がしなくても、ああいう連中や、他の騎士団がどうとでもしてくれる訳です。」
彼のその発言に、俺は僅かばかりの疑問を抱く。
「⋯⋯突然消極的になったな。」
そう、事態を一秒でも早く収束させたいであろう騎士団としては、全くもって納得のいかないセリフだ。
「⋯⋯消極的では無い。ただ、やるべき事が終わった。そう言ってるんです。」
「何より今なら、怪我をしようが死のうが、彼らの所為にできる。」
その瞬間、彼が纏っていた雰囲気が変化する。
これまでの、エルグ族との戦闘とは違う、それよりも遥かに濃度の高い純粋な闘気が俺の身体に牙を向く。
「⋯⋯何が言いたい。」
俺のそんな問いに、帰ってきたのは眼を見開きながらの笑み。
「本当に、分かりませんか?」
当然分かっている。分からないはずがない。
これ程までの殺気を叩き付けられて、その意味を理解出来ない人間は、戦闘に縁の無い人間か、度を超えた馬鹿くらいならものだろう。
「⋯⋯⋯⋯。」
「⋯⋯君と争う理由が無い。」
少しの沈黙の後、俺は答え合わせをするように口を開く。
「僕にはある。」
「⋯⋯何故だ。」
即答で戻ってきた言葉に、さらに眉を顰める。
「何故?簡単です。目の前に英雄と呼ばれた男が居る。それだけで、その事実だけでこの昂りを抑えられない。」
男の表情は、まるでに血肉に飢えた獣のようであった。
「⋯⋯主君から聞いていたが、まさか本当だったか。」
「⋯⋯高い能力と忠誠心を持つ優秀な騎士でありながら、強者との斬り合いを望む性分故に銀章に上がれずにいる外れ値の強者、狂血のクシャト、で合っていたか?」
血に狂う、などと言う大層な渾名の通り、彼は根っからの戦闘狂。
これ程までに物腰が柔らかで頭の回る人間を主君が警戒していたのは、コレがあったからに他ならない。
「そこまで聞いているのなら話は早い。⋯⋯英雄アレス・イーリオス、僕と戦って下さい。」
「⋯⋯断る。俺にはやる事がある。」
そんな男の提案を、俺ははっきりと断る。
この男にとっては既にするべき事を終えたのかもしれないが、俺にはまだ、主君を助けに行くという仕事が残っている。
「僕らはそもそも敵だ。それを待ってやる義理はない。」
「⋯⋯⋯⋯。」
しかしどうやら、戦闘を回避する道はないようだ。
しばしの間の沈黙を破り、彼は小さくため息をついて放っていた殺気を解く。
「⋯⋯しかし、このまま逃げられそうだ。⋯⋯よし、ならばこうしましょう。」
「⋯⋯ここで戦って頂ければ、僕は帝国に虚偽の報告をします。」
そしてわざとらしい口調でそんな提案をする。
「誰を助けたのか、どこに向かって行ったのか、貴方達の都合の良いように証言します。」
「それを信じろと?」
「嫌なら逆に全部話すだけです。」
眉を顰める俺の言葉に重ねるように、目の前の戦闘狂は淡々とした口調で断ずる。
その眼は言葉や態度とは裏腹に、まるで獲物を前にした獣のように、鋭く見開かれていた。
「⋯⋯⋯⋯。」
「この機会を逃せば、次はいつになるか分からない。僕はただ、貴方と戦いたいだけなんだ。」
逃げ道はない。メリットはある。何より、この男の衝動にも理解はできる。
俺は小さく息を吐き出して、覚悟を決める。
「⋯⋯分かった。相手をしよう。」
「⋯⋯ただし、全力で相手をしてやれるのは三十秒だ。」
瞬間、萎みかけていた男の殺気が、爆発的に膨れ上がる。
「⋯⋯構いません。」
「⋯⋯⋯⋯。」
歯を見せながらギラギラとした笑みを浮かべる彼の言葉と共に、俺は黙って剣を正中に構える。
静寂が戦場を包み込む。
その中心で俺は思考を回す。
俺に許された時間は三十秒、その中でこの男を倒し切れなければ俺の負け、そして、この先の事を考えれば、殺すのもタブーだ。
限られた時間の中で、殺さずに戦闘不能まで追い込むには、圧倒的に情報量が足りていない。
俺はまだこの男の力を完全にを把握し切れていない。
「⋯⋯では、人が来る前に始めましょう。」
思考がまだ定まっていない、しかしそれを待ってくれるほど奴にも余裕はない。
しかし、やることは決まった。
魔法を使うタイミングは二回。
一撃目は小手調べ、そして二撃目で決め切る。
負けてしまったら、素直に主君に謝るとしよう。
「⋯⋯行くぞ、英雄!!」
「⋯⋯来い!」
大地が爆ぜるほどの強烈な踏み込みと共に、間合いが詰まる。
腰の横から剣を後ろに流す低い構え。斬り上げるような逆袈裟狙いなのが容易に予想出来る。
しかしながら、隙が見当たらない良い構えだ。
「「⋯⋯っ!!」」
刹那の瞬きの直後に互いの剣が衝突する。同時に、周囲に僅かな衝撃が広がる。
周囲の建物が悲鳴を上げるようにミシミシと音を立てるが、戦場と化した街に人の気配は無い。
これならば多少暴れても誰かを巻き込む事は無さそうだ。
思考を切り替えて、俺は鍔迫り合うクシャトの腕を掴み上げる。
「⋯⋯なっ!?」
「⋯⋯はぁ!!」
そして掴んだ腕に力を込めて、掴み上げた腕をその身体ごと強引に振り回して上空へと投げ上げる。
「⋯⋯ちぃ!」
空高く投げ出されたクシャトの身体を目掛け、俺は一度目の魔法を構える。
「⋯⋯行くぞ⋯⋯っ!?」
そして宙を舞う敵に魔法の照準を定めた瞬間、全身から無視できない痛みと不快感が込み上げてくる。
「⋯⋯っ、アストラル・ゼファー」
俺はそれを強引に押し殺して魔力を込めた剣を空高く振り上げる。
「⋯⋯っ、ダイヤモンドシャフト!!」
彼方は咄嗟に、手元に白色で小さな障壁を展開し、その中に収まるように身体を丸めて対応する。
白い霧のような障壁は、おそらく氷属性の力を持った盾なのだろう。
「⋯⋯ッ!」
直後に俺の魔法はクシャトの展開した障壁に衝突し、激しい衝撃波を作り出すが、その中で俺の目は、砕けた障壁の奥で発生した衝撃波に乗って攻撃を回避せんとする敵の姿を捉える。
「⋯⋯なるほど⋯⋯ぐあっ!?」
そして同時に、俺は全身に広がりながら強くなっていく痛みに片膝を突く。
思ったよりも呪いの進行が早い。何が三十秒か。これでは半分も保たない。
「⋯⋯っ。」
見上げた先、視線の奥では眩い光が瞬く。
「テンペスタ・フル・ゴウル!!」
体制を崩していたはずのクシャトは全身に雷の力を纏いながら、まるで落雷のようにこちらへと迫る。
「⋯⋯っ。」
咄嗟に反応して一太刀目を回避する。強烈な衝撃音が響き、足場の石畳が激しく砕ける。
「⋯⋯っ!?」
しかし即座に跳ね上がってきた二太刀目が、俺の頬を深く切り上げる。
痛みで気が散っていた事もあり、かなり大きいのを貰ってしまった。けれど、あちらはそうは考えない。
「⋯⋯このっ!」
苛立つ声色とは裏腹に、彼の攻撃は徐々に鋭さを増していく。
「⋯⋯っ!」
降り注ぐ乱撃を掻い潜り、後方に大きく飛び退きながら構えを取る。
「⋯⋯っ!!」
本当は使いたく無かった。だが、呪いの影響で思考も魔力も定まらない俺が、この強者を倒すには、これしか思いつかなかった。
可能な限り距離は取った。
周囲に人間はいない。
確認を終えて、剣に魔力を込める。
剣から溢れ出る魔力が、黄金色の光となって周囲に広がる。
「⋯⋯にが、すか⋯⋯っ!!」
「ホワイト・バーン!」
直後、クシャトは空いた距離を埋める様に、巨大な氷塊を召喚する。
「⋯⋯っ。」
視界を覆い尽くし、世界が塗り替えられる、そんな錯覚を覚える程の巨大な氷塊。
余りにも大きい、コレが騎士団の本気か。
しかし、今はむしろ都合がいい。
「⋯⋯死ぬなよ。」
「⋯⋯っ!」
「——暹光」
瞬間、俺が振り下ろした剣から、一筋の光が斬撃の形で放出される。
「「⋯⋯ッ!!」」
氷塊と閃光が交わる。
氷に包まれた世界を塗り潰すように、周囲に強烈な光が四散する。
「⋯⋯なっ!?」
炸裂した光が周囲に爆ぜると、その爆風がクシャトの身体を飲み込み、一瞬遅れて彼の身体を吹き飛ばす。
「⋯⋯かっ⋯⋯はぁ!?」
そして彼の身体が、遠く離れた場所に立つ建物へと衝突すると、建物は呆気なく崩れてその肉体を飲み込んでいく。
「⋯⋯⋯⋯。」
放った魔法を途中で爆ぜさせるなど、初めてやる芸当ではあったが、上手くいって良かった。
後は彼が生きている事を願うだけだ。
「⋯⋯っ、はっ、はっ⋯⋯これで、満足か?」
ふらつく身体を支えるように、地面に剣を突き立てる。
呪いが全身に周り、浅くなった呼吸の中、土煙の方へと問いを投げる。
「⋯⋯ゴフッ⋯⋯参ったな、まさかこんなに差があるとは⋯⋯。少し、自信、無くなっちゃうな。」
するとしばらくして煙の奥から、苦しそうな声で軽口を叩く敵の姿を確認する。
全身に裂傷を負い、かなりの量の血を吐き出しながら、それでもなおこちらに歩み寄ってくる姿に、俺は思わず頬が引き攣る。
死なないだろうとは思っていたが、思いの外余裕のありそうな様子を見て俺は安堵する。
案外あれなら直撃させても生存していたのではないか、などと考えながら、俺は口を開く。
「⋯⋯君は強い、加減が出来なかった。」
惜しむらくは、呪いさえなければ、もう少し満足のいく戦いをさせてやれた事くらいだろうか。
たかが三十秒、しかし、俺にとってはそれは永遠にも感じられた。
それほどまでに、この男は強かった。
「⋯⋯その言葉で、今回は納得しましょう。」
厄介な強敵は最後にそんな言葉を残し、ようやくその意識を手放す。
土煙が舞い上がる戦場に、男が一人倒れる音だけが周囲に響き渡る。
「⋯⋯はぁ、はぁ⋯⋯。」
同時に警戒と魔力を切ると、全身に広がっていた痛みが和らいでいくのを感じる。
「⋯⋯今、行くぞ主君。」
数秒の沈黙の後、俺は戦場から踵を返し、重たい足を引き摺りながら主人の方へと歩みを進めていく。




