新たな聖女
アールグレン帝国の騎士爵は他の国家と比較しても、とても個性的な構造をしている。
騎士団、魔法師団はそれぞれ、魔力による肉体の強化と、純粋な魔法の行使、それぞれの得意分野を極めた人間たちが適性に合わせて所属し、貴族様たちに次ぐ爵位を賜る。
ここまでは他の国家とそう違いはない。アールグレン帝国の騎士爵が独特なのは、その中身、階級分けが細分化されているところにある。
白銀騎士、あるいは白銀魔法師、から下は鉄章騎士まで、五つの階級に分かれているその序列は純粋に彼らの実力そのものを示している。
鉄章はいわゆる一般兵、一般人に毛が生えた程度の実力であり、銅章は小さな作戦の際に小隊長を任される程度、銀章は上位の戦士たちが集うエリートの到達点、そして金章は例外枠とされる白銀を除いた実質的な最上位と言えるほどの実力を持つ強者にのみ許された階級なのである。
「なるほど、そんな実力者がこの街に……。」
そんな私の説明を聞いたアレスは、納得したように呟く。
――ただ今ここはカモミールの街の宿屋。
夜も更けて情報収集も出来なくなった私達は、一度拠点となる宿屋へと戻り、一晩ほど休憩を取った。
ぶっちゃけこんな真っ暗ではまともに調査などできないし、そもそも貴重な睡眠時間を削るほどクシャトに恩義も感じてない、ということで昨夜はぐっすりと眠らせてもらった。
朝食を済ませ朝の支度をしながら、私達は今後の方針について話をしていた。
話は戻り、私はアレスの問いに答える。
「そ、だから彼との交戦、というか顔を合わせるのは絶対に避けるわよ。」
金章云々以前にそもそもあの男の息がかかった人間と接触なんて何をされるか分かったものではない。
「調査はどうする?」
「正午までは中止よ。激しい動きは無し、新しい聖女様が消えるまで待つわ。」
関わらない、顔を合わせない為には、きっとそれが最善だろう。
「そうか、ではそれまで待機だな。」
「…………そうね。」
そう、それが一番良い、だがしかし私の心には一つ引っかかるものがあった。
「…………。」
それが何か、私自身も理解できていなかった。
けど、その答えは他でもないアレスの口から得る事になる。
「……見に行ってみるか?新しい聖女とやらを。」
「…………。」
そうだ。心の奥底では気付いていた。
そして、気付かないふりをしようとしていた。
私の代わりに聖女となる女の存在の、私が追放される原因となった一端の、その在り方。
私は見てみたかったのだ。
「いずれ同僚となるのだ、顔は見ておくべきではないか?」
「……そうね、行ってみようかしら。」
その日の私は珍しく、彼の言葉に背中を押されて、素直に行動する事にした。
そして、私はその選択を激しく後悔することになる。
空の太陽が完全に頂点に昇り切るその少し前。
私達は町の中心にある広場に足を運んでいた。
そんな私たちの視界に飛び込んできたのは、人、人、人。
もはや視界に人しか映ってないレベルの人だかりであった。
「……こ、れは。」
もはやどこに何があるかすら把握できない状況に、アレスも圧倒される。
「やっぱりすごい混んでるわね。」
「まさかここまでとは……。」
あまりのごった返す人の波を前に、私達は、此処に足を踏み入れたことを後悔する。
「まあ聖女なんてある意味、崇拝と羨望の対象だから、自分の街でそれが生まれるってなったらこうもなるでしょう。」
加えてここは帝都に次ぐ大都市だ。聖女効果と合わせれば理論上この国でもっとも人が集まる瞬間に立ち会っていると言っても差し支えない。
「ちょっと、うわっ!?」
すると私の背中を人の波が軽く押し込む。
辛うじて立つことは出来ているが、もはや死人が出かねない。というか私が圧死しかねない。
「大丈夫か、主君。」
「どう?そっちは見える?」
強靭な肉体と高い身長を持つアレスは、人混みに弄ばれる私を心配そうに眺める。
「ああ、辛うじてな。」
するとアレスは私から見て左方向に視線を飛ばして答える。
なるほど、どうやらそちらの方に新しい聖女がいるようだ。
「あ、っそ。」
私は彼の言葉に答えながら全身に魔力を流して肉体強化を施す。
「見てみるか、俺が抱えれば多少は……。」
「ほんとにやめて。」
そんな事になど気付かず、身体ごと抱え上げようと無作法に手を伸ばす男の手を私は軽く叩き落とす。
「失礼した。」
アレスは、苦笑いを浮かべながらその手を引いて弱々しい謝罪の言葉を述べる。
「別に見えないなら見えないでいいわよ。」
ここに来たのだって所詮はただの暇つぶし、無理をして、恥を忍んでまで目に焼き付けたい訳ではない。
そんなことを考えていると、周囲の様子が忙しなくなり、ざわざわと黄色い声が聞こえ始める。
「どうやら今から演説?のようなものが始まるようだ。」
その変化に気付いたアレスが周囲を見渡すと、彼の視線は先程向けていた私から見て左手にあたる方に吸い寄せられる。
「宣誓と別れの挨拶でしょう。私もやったわ。まあこんなに規模は大きくなかったけど。」
私の居た街は此処ほど大きくもなかったし、アルテン教の信仰も強くはなかった。
だから今この瞬間よりも、挨拶は粛々と行われていたが、それでも何故か私の脳内にはその時の記憶が明滅してしまう。
「……始まるぞ。」
「…………。」
瞬間、広場全体に低い地鳴りのような音が響く。
これはきっと音を増幅させるための魔道具、音響魔道具が起動した音だろう。
すなわちこれから聖女の声が聞こえる。
それを理解した民衆たちの喧騒が一気に静まり返る。
『この街に生れ落ちて十八年、私は様々なものを目にして生きてまいりました。』
街中に響き渡る声、ぎこちなさを感じながらも真っ直ぐで強さを感じられる声だ。
そうか、これが新しい聖女の声か。
『恵まれた資源を分かち合う民の姿、更なる豊かさと進化を求める研究者たちの姿、それを必死に守ろうとする兵士たちの姿、それらは皆、自分以外の誰かと共に生きていく為の努力を惜しまない人々でした。』
『他者の豊かさを、隣人の幸福を求めるために日々を営む民に囲まれて、私は生きて育ちました。』
『そして今日、私はこの街を発ちます。』
『私がこの街で知った、誰が為の情熱は聖女としての使命と共にこの心に宝物として残ります。』
『魔王が討たれ、平和を取り戻した世界の中で、聖女の存在意義に疑問を持つ方も居るかもしれません。』
『けれど、私がかつて見た聖女様は、世界が平和であろうとなかろうと、相手が誰であろうとも、困っている人間には手を差し伸べていました。』
『私はその姿に己の理想を見たような気がしたのです。』
『だからこそ私は、平和な時代の聖女として他者に手を差し伸べ続けることを誓います。』
『……最後に、此処に集まった全ての、この街で生きた全ての皆様に、最上の感謝を伝えます。』
『ありがとうございました。務めを果たしてまいります。』
『皆様に、女神アルテイナの加護があらんことを。』
最後に彼女がそう言うと、周囲の民衆から声援が飛ぶ。
彼女との別れを惜しむ声、彼女の言葉に涙を流すものもいた。
きっと、とても愛されていたのだろう。
「良い宣誓だったな。」
聖女の宣誓が終わり、音響魔道具の停止音が響くと、アレスは視線を私から切らしたままそう呟く。
まったく、いつまで見ているのやら。
「そう?私も似たようなこと言ってたわよ?」
彼の様子に軽い苛立ちを覚えながら、私はその内容に言及する。
よく考えられた演説だ。スムーズに話せていたし、私のように必死で覚えたのか、それとも紙かなんかにメモして読み上げたのか分からないが、緊張した様子も察せられないほど堂々としていた。
「なら貴女の宣誓も良いものだったのだろう。」
すると余程今のご高説が気に入ったのか、アレスは聞いてもいない私の宣誓まで褒め始める。
「どうかしら。」
「……気に入らないか?」
私のそっけない返答に、アレスは、機嫌を窺うような態度でこちらを覗き込む。
「いいえ、すごく素直で、純粋で良い言葉だったと思うわ。」
きっとこれを話した聖女も、とても立派な人間なのだろう。
或いは私のように人を欺くのが得意な人間なのだろう。
願わくば後者であった方が巻き込んだ時に罪悪感が少なくて済む、などと考えている時点で、その純粋さはもう私にはないのだろう。
「そうか。」
「……ま、何も聞かないよりはよかったわ。用も済んだし帰りましょ。」
「ああ……っ!?」
少しの苛立ちと達成感を胸に、私が踵を返した瞬間、アレスの表情が険しく変化する。
「……アレス?…………っ!?」
私が首を傾げたその瞬間、周囲に地鳴りのような音と揺れが拡がって響き渡る。
音響魔道具の誤作動?いいや違う、先程とは明らかに別の衝撃音だ。
「うわあああああ!?」
直後に響く悲鳴のような声を前に私も事の異常性に気が付く。
「……何!?」
「魔法だ、伏せろ!!」
アレスの言葉に従ってしゃがみ込むと、私の頭上を人の頭ほどの大きさの火球が通り過ぎる。
「……っ!?」
「噓でしょ……?」
遠くの方で炸裂する魔法、遅れて聞こえてくる悲鳴が私の耳をつんざく。
何が起きている?
私は狭まった視界を必死に動かしてそのヒントを得ようと視線を動かしていると、再びこちらの方に魔法が飛来してくるのが見える。
「……っ、アンバーレイ!」
ほぼほぼ反射神経だけを頼りに魔法の障壁展開を行うと、半透明なその壁に複数の魔法が突き刺さっては消えていく。
「……っはぁ!!」
そしてアレスの方も狭い空間の中で器用に剣を振り回して飛来する魔法を切り落としていく。
そしてアレスが作った空間の隙間から、私の視線がとあるものを捉える。
「人、首輪?」
魔法が飛んできた方向に立つ、首輪をつけた人間の姿であった。
「クシャト、出ます。」
「迎え撃て!!聖女様には指一つ触れさせるな!!」
私の耳に二つの声が響くと同時、先程とは反対の方向からも魔法が飛来し始める。
「……クシャト、ユーダもいるわ。」
さすがは帝国軍のエリート、対応が速い。
しかし、その一方で市民の避難や防衛が間に合っていないように見えた。
「主君、俺も出ても良いか?」
同じくそれに気付いたアレスも臨戦態勢に入る。
「…………っ、ちょっと待って!考える。」
しかし突然の出来事を前に私は決断をすることが出来ずにいた。
このまま守りに入っていては状況は変わらない。
けれど、此処で私たちが出しゃばって事態を悪化させてしまったら、いいや、たとえ改善させたとしても、帝国軍に存在を知られてしまう事になる。
研究所に出した依頼の期日は明日。
ここで目立ってしまえば、積み重ねた計画も水泡に帰す可能性がある。
「きゃああああ!?」
そんな思考を斬り裂くように私達の耳に周囲の人間たちの悲鳴が飛び込んでくる。
瞬く間に周辺に血飛沫が舞い始める。
「……っ、主君!俺は出るぞ!」
我慢の限界を迎えたアレスが額に青筋を立て、剣を抜く。
「待って、聞いて!」
私は絶叫するような声でそれを引き留める。
「……っ?」
振り返る彼の表情は怒りで険しく歪んでおり、私の身体は瞬間的に呼吸を忘れる。
「この騒動を起こしたのが誰なのか、分かってる?」
咄嗟に視線を外してしまったが、恐怖している場合ではない。
私は息を切らしながら問いを投げる。
すると彼自身も自らの殺気が漏れ出している事に気が付いたのか、大きく息を吐き出して冷静になろうと努めて言葉を返す。
「状況と持ち合わせた情報的に、昨日のレジスタンスの男だろう。首輪を着けた人間も居る。」
「分かってるならいいわ。じゃあ、それ以外の状況を思い出して。」
私は視線を周囲の状況に向けながら答える。
「状況?」
そう、ただレジスタンスが暴れて、それを私たちが納めるだけならば難しい話ではない。
けれど、今はそれよりも少しばかり厄介な状況であるのだ。
「帝国がクシャトとユーダをわざわざ派遣して来た理由、まだ分からない。けど、ザイオンの息がかかっている方。ユーダはこの局面でも私を見つければ攻撃する可能性があるわ。」
「……そんな……。」
ありえないと言わんばかりに表情を歪める彼の言葉を食い気味に否定して私は首を横に振る。
「あるのよ、そんなことが。だから私は貴方と一緒に行動できない。ここで帝国と揉めて被害が拡がったら、どんな言い掛かりを付けられるか分からないんですもの。」
「だから貴方は一人で行って。」
これが私がこの短時間で導き出した最善の動きであった。
私とアレスの関係性は一度新聞で大きく取り上げられた、故にアレスを狙われる可能性も十二分にある、けれどそれはあくまでも私を追い詰めるためだ。
私自身が姿を現し、存在を示し続ければ当然狙いはこちらになる。
そうすればアレスは何も気にすることなく事態の収束に動ける。
「この混乱の中で、単独で動く私と、市民を救うために戦う貴方がいたら、帝国の人間はきっと私を優先するはずだから。」
「しかしそれでは貴女が……。」
アレスの言う通り、その間私は完全に身一つで逃げ切る必要がある。
事態を収拾した後の事も、強敵と相対したときの事もまだ何も考えてはいない。
だからこれは賭けだ。
「それでも救いたいんでしょ?なら行くべきよ、貴方が英雄であるためにも。」
英雄アレスの完全復活と、カモミールの街を救った私の存在があれば、「新しい聖女」という特大の話題すら喰いかねない。
カモミールの街と共に心中するか、この状況全てをひっくり返して大逆転を決めれるかの賭けなのだ。
「どうしても勝てない敵がいるなら、魔法でも何でも使って、勝って、救ってみせなさい。」
だから、この男が介入するというのであれば、“聖女の祝福”無しで特大の活躍をしてもらう必要がある。
「魔法を……、祝福なしで使えるのか?」
不思議そうに問いかける彼の言葉に対して、私は三本指を突き立てて答える。
「…………三十秒。私の見立てでは、今の呪いの規模的に、三十秒だけなら魔法を交えた全力戦闘が出来る。」
「もちろん、それ以降は反動も返ってくる。この三十秒、どう使うかはあなたに任せるわ。」
出会ったときから欠かさず解呪の魔法を施し続けてきた影響で、彼の身体に張り付いた呪いは限りなく小さく出来た。
その結果が“三十秒の全力戦闘”というのは何とも情けない話ではあるが、それでもこれが今、私が彼にもたらすことが出来る全てだった。
「分かった。済まない。」
アレスはそう言って頭を下げると、私に背を向けて魔法の飛来した方向へと足を進めていく。
人ごみを抜けて消えていくアレスの背を見送りながら、私は思考を巡らせる。
「さて、どうしようかしら……。」
唐突に与えられたたった一人の時間。
すべての人間が混乱しているこの状況で私は何ができる?
街には騎士団とレジスタンス、私を狙う二つの敵が闊歩してる。
それらを返り討ちにするだけの力は私にはない。
このまま走り回って逃げる事も出来る、けどそれではあまりにも時間の無駄だ。
するべき事は死なないように逃げる事、なら、私のしたい事はなんだろうか。
「仕方ない、助けてやろうかしら。」
私は小さく息を吐き出すと、新たな聖女様が消えていった方向へと駆け出す。




