幕間 怨嗟を啜る者
聖女ルシアと英雄アレスがカモミールの街を目指して旅立ったのとほぼ同時刻、帝都の城内では再び四人の聖女達が黄金の部屋に集結していた。
「揃っていますか。」
青髪、赤髪、金髪の三人の聖女達が作る沈黙の空間を切り裂いて口を開くのは、アールグレン帝国聖女筆頭と呼ばれるアグネス・シュバルブレイであった。
「はい、全員揃っています。」
慎ましい動きで頷きを返すだけの彼女らの中で、唯一青髪の聖女ミーティアが言葉を返す。
そんな会話と同時に室内の時計が定刻を告げる。
「そうですか、それでは時間通りですので始めましょう。」
秒針が頂点を指すのと同時に、彼女は話を切り出す。
「それで、今回のお話は何ですか?」
「今回は騎士団及び魔法師団、それと、聖騎士の配置についての報告です。」
自らの髪を弄り、退屈そうに尋ねるローラに対して、アグネスは複数の紙の束に目を通しながら答える。
「聖域結界の権能を制限している今現在、騎士団、魔法師団をほぼ総動員して帝都の守護をしているのは聞き及んでいると思います。」
彼女の言葉に対して聖女達は小さく首を縦に振る。しかし、同時に、少しばかりの違和感を覚える。
「はい、以前話した通りですよね?」
そう、この話は以前聞いた。この程度の事を伝えるために全員を集める必要性が感じられなかったのだ。
しかし直後のアグネスの言葉を聞いて彼女らは自分達の考えを改める。
「ええ、それに加え、今回、新たな聖女の護衛にも当然必要になります。そちらの方にも人員を割く必要があるのです。」
「そういえば確かに、必要でしたわね。聖女の護衛。」
そして彼女らは、自らが聖女となった日の事を思い出す。
故郷の街や村で、大勢の騎士たちに囲まれながら民衆に送り出されたその日の事を。
「誰に行ってもらうのです?まさか騎士、魔法師団の階級持ちを外に出すわけにはいかないですよね。」
そう尋ねるローラの発言の通り、厳戒態勢の中で、屈指の実力者達を外に出す余裕が騎士団にはなかった。
それを理解しているからこそ、彼女らは今回の話の本質を理解する。
「ここで話を出した、って事は、聖騎士の力を借りたい、と?」
それまで相槌を打つ程度に話をしていたフレデリカのそんな問い掛けに、アグネスは黙って首を縦に振る。
「――そのことでしたら、私に考えがあります。」
そんな最中、聖女だけの会話に荒々しい男の声が割り込んでくる。
「……ザイオン様。」
誰も割り込むはずのないその空間に現れた男の存在に彼女らは面食らって思考が停止する。
「今は聖女の集まりです。今は控えて頂きたい。」
そんな中で会話を回していたアグネスは淡々とした口調でザイオンへ言い放つ。
「これは失礼しました。では、報告だけさせて頂きたい。」
「……許可しましょう。」
無礼も失礼も理解していないような、いやむしろ承知の上で話しているような彼の様子を見てアグネスは呆れたようにそう返す。
「感謝します。」
ザイオンは声を張り上げながら深々と頭を下げると、その視線を他の三人の聖女に向ける。
「ルシア・カトリーナという大罪人の存在により、国内情勢が不安定化している現在、国民の怒り、凶刃は新たなる聖女様へ向かう事も十二分に考えられる。その為、まだ見ぬ我らが同志を守るため、私が陛下へ護衛の進言を行いました。」
しかし、彼が切り出した話は想定以上に勝手な物であり、ある者は呆れ、またある者は自身の仕事が減ったとほくそ笑み、またある者は興味すら示さないといった態度で話に耳を傾ける。
「護衛にはわが腹心でもある魔法師団のユーダと、騎士団のクシャト殿を推薦し、先程正式に決定した次第です。」
それを聞いた瞬間一同の表情は、苦虫を噛み潰したような険しいものに変化する。
「クシャト様……本当に大丈夫ですか?」
それまで様々な疑問を呈していたミーティアですら、絶句して何も言えなくなっている中で、ローラだけが辛うじてそんな問いを投げ掛けることが出来た。
「性格はともかく、能力は護衛役として申し分ない適性がある。実力もあの若さで副団長たちに準ずる、いいえ凌駕するレベルです。」
予めその問いを想定していたのか、ザイオンはすらすらと言葉を吐き出して反論するが、それもあまり効果があるわけではなかった。
「その性格の方に問題があるのでは?」
「あら、私は良いと思いますよ。そう言ってところも含めて、抑止力となるのでは?」
不満や異議を言葉や態度で示される中で、フレデリカは唯一好意的にその事実を受け入れる。
「まあ、そうかもしれませんが……。」
「それにしても、護衛一つに随分と力が入っていますね?何か個人的な事情でもおありですか?」
突然の決定とその人選への動揺が広がる中で、アグネスは鋭い視線を向けながらザイオンへと問い詰める。
「いいえ、私はただ祝いたいのです。皆様の同志が、新たなる聖女が誕生するその瞬間を!誰にも邪魔をされることが無きよう力添えしたいだけなのです!」
しかしザイオンは彼女の視線を受け流しながら妙に高いテンションで宣言する。
「分かって頂けますね?」
最後にそう問いを投げる彼の顔には、明確な悪意が張り付けられていた。
「…………。」
「なんにせよ、陛下が承認為されたのであれば、我々はその決定に従うのみです。」
ミーティアがあからさまに眉を顰めて黙り込む中、アグネスは一切の感情を表に出すことなくそう言い放つ。
「ザイオン様、報告は確かに聞き届けました。我々はこのまま会議を継続いたします。」
「はい、それでは失礼いたします!」
そして自らの思惑通りに話が進んだザイオンは満足だと言わんばかりに黄金の部屋を後にする。
「…………。」
そして彼は悠々とした足取りで誰もいない通路を進んでいくと、とある変化に気が付いて表情を張り付けたようね笑顔から真顔に変化させる。
「――ザイオン様。」
突如聞こえてきたそんな声に、彼は立ち止まる。
「……ユーダか。」
低く響くような声で彼が呟くと、その背後から長い深紅の髪で片目の隠れた青年が現れる。
「出発の準備が整いました。」
ユーダと呼ばれた青年は、片膝をついてザイオンへと傅くとニヤリと歯を見せながら呟く。
「作戦は理解しているな?」
「ええ、問題ありません。」
青年の答えを聞いたザイオンはくるりと踵を返して彼の顔を見下ろす。
「人員の配置は?」
「命令の通り、派遣地の周辺には私兵団を配置しております。」
「情報網の配備は?」
「万事整っております。」
矢継ぎ早に繰り返される彼の問い掛けに、青年は淡々と答えていく。
「しかし、本当に大丈夫なのですか?」
問答の後に絞り出されたその言葉は、彼の作戦に対するわずかな不安と疑念によるものであった。
「問題ない。わざわざ新たな聖女の護衛などというカムフラージュまでしてるんだ。やるならば騎士団が手を離せない今しかない。」
しかしザイオンはその疑問の一切を無視して頑なにそう宣言する。
「探せ、あの女を見つけ出すんだ。」
ギラギラと開かれたその目をさらに大きく見開きながらはっきりとそんな指示を出した彼は大きく破顔して
声を張り上げる。
「ルシア・カトリーナを、見つけ次第殺せ。」
最後にそんな言葉が響き渡ると、ユーダと呼ばれた青年は小さく目を閉じて口を開く。
「…………承知致しました。」
その言葉を最後に彼がその場から立ち去ると、一人残されたザイオンはくすくすとこもった声で笑いを押し殺す。
「覚悟しろ聖女崩れ。私の手でお前を破滅に導いてやろう。」
長く続く城内の廊下には、狂ったような彼の笑い声だけが響き渡る。




