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旅立ち


 聖女の称号を剝奪された私は期日までの二日間の間に様々な準備をした。


 その間の聖女としての公務を割り振られることはなく、周囲の人間も私の置かれている状況に気付いたものもいたのであろうが、私はそんなことを気にしている余裕はなかった。


 この先の生活のため、己の身を守るため、許された時間と権力の中で、出来ることは全てした。




 そして今日、万全の準備を以って、私は旅立ちの時を迎える。




 見送りはない。しかし、ただ一人、私に話しかけてくる男がいた。



「――やあやあ、大変そうじゃないかルシア殿。」



 振り返ってみると、私の視界の先には、上等な服を纏い、金髪を後ろに流した一人の男が立っていた。



「どうなさいました?グランツ伯爵。」



 男の名はザイオン・グランツ、私の嫌いなローラ・ギルバートと同様、生まれや出身で人間を判断するタイプの人間。いわゆる権威主義派の貴族様だ。


私が問いかけると、男は下卑た笑みを浮かべて歩み寄ってくる。



「いいやなに、君が聖女を辞めると聞いてね。顔だけでも見ておこうと思ったんだ。残念でならないねルシア・カトリーナ。」



 男はそう言って顔を近づけてくる。まったく、思考といい行動といい、この男は本当に気持ちが悪い。



「…………。」



 頭を抱えながらぶん殴りたい気持ちを抑えていると、男の表情が怒りで引き攣っていく。



「……無視か。昔から変わらないね君は。」


「昔から気に入らなかったんだ。そういう、平民上がりのくせに、舐めたような態度が。」



 そして何を勘違いしたのか知らないが、男は理解不能の怒りをぶつけながら私の肩を掴んで言い放つ。


「私はアルテア教の人間として、相応しい振る舞いをしたつもりですが。」


 私は振り返って顔を向けると共に、男の手を振り払うと、その顔を見据えて淡々と答える。


「追放される人間が相応しいなんて言葉を使うものじゃあない。」


 反応が返ってきたのが余程嬉しかったのか、男は先程までとは態度を一変させ、鼻を鳴らしながらそう答える。


「そうですね。その話は、また私が戻ってきてからしましょうか。」


「戻ってこれるとでも?」


 そして私の言葉にいちいち噛みついてくる。余程私の事が嫌いなのだろう。


「ええ、今回の件。私を陥れた人間の嘘が暴かれれば、追放される理由も消えるはずですから。」


 そして私にはそのための計画もある。故に私は、宣戦布告にも近い言葉を放つ。


「陥れた、か。ハハ、ショックで頭がおかしくなったかい?」


 しかしどうやらこの男は白々しい態度でしらばっくれる。


 なるほど、それではこちらからも少し仕掛けさせてもらおう。



「妄言というのなら仮定の話でも良いです。仮に私が何者かの謀略で陥れられたとして、恐らく協力者はそう多くないはずです。」



 私の推測に対し、男はわずかに眉を顰める。


「……ほう。」


「だってそうでしょう?賛同者が沢山いたら、私一人追放するのに五年もかかってないでしょうし、下民を追い出すのに五年もムキになるような人間もそう多くないはずです。その方はプライドが高い割に、よほど人望が無いのでしょうね。」


 私はくすくすと小さく鼻を鳴らしながら彼を挑発する。


「…………なんだと?」


 案の定心当たりがあるのか、彼の表情がみるみる赤くなっていく。


「能力でなく生まれで人の価値を測り、無駄にプライドが高く、それでいて人望もない。人間として小物と言わざるを得ませんわ。」


「私を愚弄するか。」


 さっきまでの態度は何だったのか、これでは自身が加担している事を自白しているようなものではないか。



「いいえ、これは私の妄言。そうでしょう?」



 冷静さを失っている男に対して、私は先程の彼の言葉を借りて反論する。


「チッ、ドブネズミめ。さっさと消え失せろ。」


 そんな捨て台詞と共に、彼は城内へと消えていく。


「……こっちのセリフだっての。」


 私はそんな背中に小さく言葉を返しながら踵を返す。


面倒な男もいなくなり、ただ守衛の兵士たちがこちらをそわそわとした様子で眺めている中で、私はただ一人、小さなリュックの中身を手探りで確認していく。



「さて、数日分の食料、着替え、包帯と……あれと……これもあるか。」



 しかしまあ、分かっていたものの、こうも視線が突き刺さると何とも居心地が悪い。


 はっきり言って今すぐにも飛び出していきたいが、それは出来ない。やり残したことや忘れ物があったとしても、一度(ひとたび)目の前の門の向こうへと出てしまえば、私はもうしばらくはここに帰ってこれない。最後のチェックは可能な限り慎重に行う必要がある。


「……あら。」


 そして案の定、忘れ物を見つけた。


「どうかされましたか?」


 私の声に反応して近くにいた守衛の男が不思議そうに尋ねてくる。


「これを。」


そう言って手渡したのは金色で赤い宝石があしらわれたブローチ。


 そのブローチは、五年前、聖女に任命された際に、皇帝より授与されたものであり、私が聖女であったことを証明する数少ない物証であった。


「聖女の証ですか?」


 一兵卒の彼には見慣れないものであったのか、守衛の男はそれをまじまじと見つめて動きを止めてしまう。


 無理もない、仮に聖女の証という付加価値を除いたとしても、純金に宝石などという装飾品ともなれば、その価値は計り知れない。


「ええ、本来であれば、私自ら皇帝陛下に返還するべきでしょうが、何分時間がなかったので、差し支えなければ、貴方からお渡しいただいてもよろしくて?」




 この言葉は半分噓で半分本当だ。



時間がなかったというよりは、他の準備を優先して後回しにしただけだった。それに、正直これ以上あの男と会って変に刺激するのは面倒ごとの匂いしかしなかった為、あえて避けていたのもある。



「承知いたしました。責任を持って返還させていただきます。」


「ありがとうございます。」


背筋を伸ばし、敬礼をしながらそう答える守衛の男に適当に言葉を返すと、すぐに振り返って小さく気合を入れる。


「…………さて。」


 そして、城の全体を目に焼き付けるように後方を振り返り、そして視線をゆっくりと持ち上げてはるか上にある玉座の間へと向ける。


すると、その窓から顔を覗かせる一人の女と目が合う。我ながらよくそんなものが見えたものだと驚いたが、その女が誰なのかを理解すると驚きはすぐに不快感へ変わる。


「ローラ・ギルバート、貴女もすぐに引き摺り下ろしてやるわ。」


 長く伸びた赤い髪に、人を見下したような下卑た笑顔、私が今一番見たくない顔だ。


「……?まだなにか?」


「いいえ、門を開けてください。」


 私としたことが怒りのあまり感情が口から漏れ出してしまっていたようだ。


聞き返そうとする守衛の男の問いを受け流しながら私はすぐに門を開けるよう伝える。


「分かりました。」


 そして、その場に誰もいなくなり、たった一人になると、大きく息を吸い込んで、両の手で頬を叩く。



 今日はここからが本番、最初にして最大ともいえる試練がこの門の先に待ち構えているのだから。



「ふぅー、気合い入れろ私!」



 聖女は選ばれし者の称号であると同時に、帝国お抱えの特権階級でもある。


それはつまり、私を含めた聖女の衣食住のすべては国民の税金で賄われている。


 国民はそれぞれ貧富の差がありながらもみな等しく税を納め、それによってこれまで何一つ不自由のない生活を営んでいた。


故に生活に困窮している国民ほど、聖女という仕組みそのものに不満を抱いている者もいる。


それがいかに国家に対して実益・・をもたらしていた存在であったとしても。



 故に、情報漏洩という罪を犯し、その立場を追われ、国家の裏切り者として扱われる元聖女という存在に対して、彼らが行う仕打ちは一つであった。



「この裏切り者!」



 門が開き外の世界に飛び出した私へと真っ先に飛んできたのは、そんな心ない言葉。



「金返せ!」


「背信者め、くたばれ!!」



 そして罵声に次ぐ罵声、石や生ゴミ、あらゆるものが後ろ盾を失った私に降り注ぐ。


 本来であれば、聖女として魔法を極めた私ならば、魔法の盾でもあるいは魔法の力で反撃してこの場を収めることなど容易であった。


 しかし、それでも私はその選択を取る事はないと決めていた。


ここで耐えれば、いつか戻った時に私の振る舞いは美談になる。


 いつの日か、また聖女として返り咲いた時、ここで国民に見せる醜態は必ず尾を引く。しかし、ここで受けて理不尽の数々を耐え忍び、後に「国民に罪はない」と断ずることが出来れば、それは私自身の箔となる。


 だからこそ、抵抗も、不満を漏らすことも、顔色一つ動かす事すらせず、城下町の出口までの数キロを進み切る覚悟をしていた。








――そして城を出て数十分後。


絶えず浴びせ続けられたごみや水にまみれながら、私はなんとか城下町から抜け出すことが出来た。


「ふう、第一関門突破ね。」


 しかし、この第一関門は想像していたものよりも遥かに過酷であった。


 全身は投げつけられた数々のゴミや泥により汚れきり、一歩進むたびにぐちゃぐちゃと不快な音を立て、嘔吐感がこみ上げるほどの異臭を放っていた。


「案の定、こうなったか。……痛っ。」


 所々に痛みが走る体を引き摺りながら、広がる荒野に伸びる大きな道から外れ、草木の多い茂みに入ると予め準備をしていた服に着替える。


「うわぁ、血出てるし。」


 服を脱ぐ中で、走る痛みに反応して頭部に手を当てると、そこにはどろりと真っ赤な液体がへばりついていた。


『……ヒール』


「卵だの石だの容赦ないわね。」


 出血部位に布を押し当て、治療のために魔法を発動させながら悪態をつく。


 気持ちも分からないでもないが、それでも女一人に寄って集ってこの仕打ちは正直最低だとも思った。


 しかし今はそんなことを言っている場合でもない。苛立ちは後回しにしてすぐに背中のリュックについた泥を払い落とし、その中から必要なものを取り出す。


「やっぱり着替えはあって正解だったわね。」


 用意していたのは修道服ではなく、どこにでもある、誰でも着ているような安物の服。


「汚いけど、これもどこかで使えるだろうし、洗濯しなきゃ。」


 そうしてどこにでもいる村娘のような服装に着替え終わると、脱いだばかりの修道服を眺めてそう呟く。


「あとは……あ、見つけた。」


 修道服を雑に振り回して、軽く汚れを取り、丸めながらリュックへと詰めると、さらに木陰の奥へと進む。


「こんなところに放置してごめんね。これからよろしく。」


 そしてその先で、あらかじめ用意していた、一頭の馬を見つけて声を掛ける。


 うなり声をあげながら待機する馬の頭をゆっくりと撫でながら、次々と用意していた荷物を積み込んでいく。


 そして、すべての荷物を積み込み終えると、木陰の隙間から青空を見上げる。



「いくらどん底に落とされたって、また這い上がってやる。たとえゼロからやり直しになったって。」



 絶対にこの場に返り咲く、絶対にまたここに帰ってくる。そんな覚悟を言葉に乗せて宣言する。


 決して揺らがぬ覚悟をここで決める。



「また、ゼロから……っ。」



 ―――つもりだった。


 けれど、どうしても、心が折れそうになる。



「やり直しかぁ……。」



 これまでたくさんの努力を重ねてきた。


 たくさんの工夫を凝らしてきた。


 隙など見せる事無く生きてきた。


 どん底から這い上がってきた。


 より良い未来を手にするために尽くしてきた。



「……仕事も、勉強も、魔法の研鑽も、かんばったんだけどなぁ。」



 頑張ってこの場所までたどり着いた。


 なのに、今すべてを失った。


 理不尽にすべてを失った。


 積み上げてきたものが今崩れた。


――なのに、もう一度?


 そんな思考が頭を過った瞬間、強烈な脱力感が全身を襲う。



「……っ、だめよ。嘆いてたってしょうがない。助けてくれる人なんていないんだから。」



 ふらりと崩れ落ちそうな身体を必死に立て直すと、改めて両頬を叩いて気合を入れなおす。



「目標は復讐と私の復権。何年かかるかわかんないけど、絶対に成し遂げてやるわ。」


「今に見てなさい。私はここで終わる人間じゃないんだから!」



 そして、最後に高い塀の先にそびえる城の方を向くと、堂々と中指を立てて宣言し、傍らにいる馬に跨る。



「……さあ、行きなさい!」



 そんな合図に合わせて、私を乗せた馬は猛々しく走り出すと、草藪を貫いて荒野へと飛び出す。



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