腹黒聖女の暗躍
――二日後
私たちが逃亡先に選び、辿り着いたのはアールグレンの帝都から少し離れた場所にあり、古代遺跡や古くからの歴史が残るダージランの街。帝国内でも一定の権力を持つガーデンブルグ家が納める街だ。
夜も明け、朝の喧騒に包まれる中、私達は疲労で軋む身体を引き摺る様に歩みを進めていく。
そんな最中で、無事宿屋を見つけた私は、お風呂も食事も、あらゆるものをかなぐり捨てて安物のベッドへと飛び込む。
「ふふぁあああぁぁぁぁぁぁぁ。」
一昨日ぶりのベッド、そして久しぶりの休息だ。
資金の節約のためとはいえ、この男と同部屋なのは少しばかり不服だが、それでもこの時間は大切に使っていきたい。
「……それで、これからどうする。主君。休憩で構わないか?」
「ええ、今日は休んでていいわ。明日以降は行く場所があるからいつでも出れるようにして。」
私が答えると、アレスの表情が疑問の色に染まる。
「今度はどんな用だ?」
「領主様に会いに行くわ。」
「…………?」
瞬間、彼の表情からころりと知性が抜け落ちる。
これは面白い。目に見えて混乱している。
「どういうことだ?領主が関わってこないからここに来たのではないのか?」
「あら?ここに来た目的、言ってなかったかしら?」
そういえば、ロストフォレストを出てからここに来るまでの間にこの街での目的を伝えていなかったような気がする。
「逃げるとしか聞いていないな。」
案の定彼は首を縦に振って答えた為、私はすぐに説明を始める。
「この街は周辺に古代遺跡、所謂ダンジョンが多いから。昔から冒険者気質の人間が多いから、聖女とか元聖女とか、アルテン教を中心とした帝国の権威の影響が少ないの。何なら聖女の事を知らない人だっているわ。」
「そして聖女に興味が無いのは領主もまた然り。」
故に帝国をよく思っていない人間がいる事はあっても、そこから追放された“元”聖女にまでその悪意をぶつける人間は少ないと私は踏んでいた。
「興味を持たれない故にフラットに関われるという事か。それは分かったが、何故わざわざ会いに行く必要がある?」
彼の言う通り、「悪い影響がない可能性が高い」だけでは関わるメリットがない。つまり当然リスクを負ってでも会いに行く理由はある。
「色々理由はあるけど、まあ動き話すわ。」
「相変わらず行動に無駄がないな。」
アレスはそんな言葉と共に、感心と呆れの混じったような視線を向けてくる。
「さ、とっとと行くわよ。」
そんな言葉と共に、私はふらつく身体に鞭打ってベッドから起き上がる。
その後、私はすぐさま領主へ話ができないか、お伺いの手紙を書いた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
そしてその翌日――
異例ともいえる速さで面会を許された私たちは、朝一番で領主の屋敷へと案内された。
膨大な土地の中で、色鮮やかな花々に囲まれながら庭園を抜けた先で私達をとある中年の男性が待ち構える。
「お待ちしておりました。ルシア様。」
若く丁寧ながら気品のある立ち振る舞いを見せるその男は、このガーデンブルグ家において「執事長」の肩書を持つ男であった。
「突然のお願いに応じて頂きありがとうございます。ニュオン様。」
名はニュオン、私が今回コンタクトを取った人物である。
「いいえ、話を受けるといったのは御主人様自身ですから。お気になさらず。」
「それにしてもこの街は来るたびに発展しているのですね。」
歩みを進めながら世間話でもしようと私が問いかけると青年は少しばかり誇らしげにはにかむ。
「これでも落ち着いた方です。未攻略のダンジョンも少なくなって、冒険者たちも少しずつここを離れていっていますから。」
「けどきっと、冒険者嫌いのご主人様としては都合が良いのでしょうね。」
そう呟く彼はどこか寂しげな表情をしていた。
「そうなのですか……あら?」
返事をしようと口を開いた私は、ふと窓の外に視線を送った瞬間、その景色に意識を惹かれる。
「あそこだけ随分高い塀ですね。」
その様子に違和感を抱きながら呟くと、彼は苦々しくはにかむ。
「あそこはご主人様の部屋から外が良く見えます。きっと冒険者の姿を見たくないんだと思います。」
親交を深めようとした矢先、私は触れてはいけないものに触れてしまったような気がした。
「昔は私も冒険者として彼と共に大地を駆けたものですが……。」
「冒険者、だったんですね。」
そんな彼の言葉に私は問いを投げ掛ける。
「私は剣を握れない身体になり、彼もまた冒険者を諦め、家を継ぐ選択をした。」
よく見ると彼の左腕にはわずかな震えが見られた。
「あの時、私が怪我などしなければ彼は今でも冒険者をしていたのでしょうね。」
話をする彼の表情に少しばかりの影が落ちる。
「……っ、と、失礼しました。関係のない話でしたね。」
私が首を傾げると、彼は取り繕うような笑顔を浮かべて首を横に振る。
「お待たせしました。こちらが執務室となります。」
雰囲気を切り替えるようにそう言うと、彼は目の前にある扉をコンコンとノックする。
「……誰だ。」
「ニュオンです。御客人をお連れしました。」
返ってきたのは低く渋い声、聴いているだけの私の背筋が一気に緊張する。
「……入れ。」
声に導かれて青年が扉を開けると、その先には精悍な表情の中年の男が待ち構える。
「――何をしに来た。アルテン教の犬が。」
部屋に通されて開口一番に私が浴びせかけられたのは冷たい雰囲気を纏ったそんな言葉であった。
「お久しぶりでございます。ゴウダック様。」
私は動揺を隠しつつ張り付けたような笑顔で答える。
この男こそ、今回私がリスクを冒してでも会いたかった人物。ガーデンブルグ領、領主、ゴウダック・ガーデンブルグ殿だ。
この人は昔から独自の領地運営で自らの街を繁栄させてきた。いわゆる切れ者というやつだ。
しかしどうにも気が短いきらいがある。
それを理解していた私は、間髪入れずに本題へと入る。
「本日はとあるお願いがございまして参りました。」
「お願い、だと?」
「ええ、こちらです。」
そう言って私は胸元から二本の瓶を取り出して見せつける。
「それはなんだ?」
領主様はそれを見て僅かに目を細める。
「とある村を襲撃した魔物達を先導するための薬品、だと私は思っています。」
「ヴィルパーチ村の襲撃事件か。その噂は聞いている。それが元凶という事か。」
「はい、この中身を解析するため、研究所を紹介して頂きたいのです。」
そう、私がこの街に来て、リスクを冒してでもこの男と会った目的はこれについての話であった。
ロストフォレストで得た二本の瓶を解析するためには、どこかしらの研究所の力を借りる必要がある。しかし、今の私からの依頼を受ける研究所などこの国にはない。故に私はこの男の後ろ盾を得る為にここに来たのだ。
「私に何のメリットがある。」
私の要求に対して、彼の反応はひどく冷たいものであった。
だがこの反応は予想出来ていた。
与えられた一日の猶予の間に、私は彼の興味を誘う手口を考えてきた。
「競合勢力の失墜、といったところでしょうか。」
そんな言葉を口にした瞬間、私の思惑どおり男の表情が僅かに綻んで変化する。
「ほう?」
「この街は地理的に帝国の中心と隣国間の関所との中間地点にございます。言い換えれば商人や旅人にとって休息を取るのに最も都合の良い場所となります。」
彼の変化を見逃さず、私は、この領地についての自身の見解を口にする。
「そんなことは百も承知だ。故に私はこの街を憩いの場として――」
「――しかしそれはこの街一つではない。違いますか?」
私の言葉を遮る彼の言葉を、さらに遮って、私は今回の話の核心に触れる。
「……続けよ。」
男は苛立ち交じりに続きを促す。
「今現在、アールグレンは、帝都を中心とした巨大な経済圏を構築し、周辺の村や町は、それぞれ独自の役割を持つことでその恩恵を強く受けている。この街はその中でも諸外国との中継地点としての要素を強く持っている。違いませんね?」
「ああ、間違いないな。」
そして今度は、私の問い掛けに対して短い言葉で肯定する。
「しかしその役割は必ずしもこの街だけのものではない。周辺の町や村も同様にその恩恵を得るために発展してきた。」
事実、私が帝都を出て始めに向かった村も、同じような存在意義をもって存在していた。
「くっくっくっ。ランベか、ソーテあたりか?」
彼自身も自覚があるのか、私が想定していた通りの村や町の名を口にする。
「申し訳ありませんがそこは分かりません。しかし、それを突き止めるための協力要請です。」
「…………。」
一瞬、領主様の表情が曇る。
「……ですがしかし、既に黒幕は捕まえています。これはその黒幕が持っていたものです。」
そこに間髪入れずに言葉を挟み込んで話を繋げる。
「なるほど……。しかし、成分が分かった程度では直接的な打撃にはなるまい。」
そこまで話を聞いて私の思惑を理解した彼の言葉に対し、私は小さく首を横に振る。
「ええ、だからこそ、その情報を帝国ではなく新聞社にでも売り込むのです。」
「それが事実であれば、たとえ権力で揉み消そうとしても、民意を抑えることは出来ない。」
「そうなればそれがどれほどの権力を持っていたとしても関係なく断罪ができる。ランペだろうと、ソーテだろうと、……グランツだろうと。」
これが私の提示できる協力に対するメリット。グレーどころか限りなく黒に近いやり方であることは理解していたが、今交渉に使える手札は全て使い切った。
あとはすべてこの人の反応次第だ。
「クックックッ……グランツ家の没落か。」
「面白い、よく考えているじゃあないか。」
この感じ、かなりの好感触だ。
そう感じて私の表情が綻びかけた瞬間、空気が冷たく張り詰める。
「……が、一つ失念しているのではないか?」
その言葉を聞いて私は心臓が締め付けられるような感覚に襲われる。
「それに関与しているのが、私の可能性もある、ということを。」
もしこの人の発言が本当だとしたら、私はとんでもないミスを犯した事となる。
しかし私はそれがブラフであることを理解していた。
故に動揺を見せることなく小さく笑って見せる。
「失念はしていませんわ。その時はその時で証拠の隠滅を手土産に協力関係を提案するつもりです。」
そして片手に持った二本の瓶に人差し指を押し当てて答える。
「私が悪人だとしてもか?」
悪人に与する。領主様はその是非を問いかけてくるが、それでも私は迷いや動揺を見せることなく彼の目を真っ直ぐに見据える。
「承知の上で言っております。」
これはきっと、ただの戯れだ。
こちらの反応を見て品定めされているのだろう。
だったら私は彼の望む答えを返す必要がある。
「貴方の立場に関わらず、私は貴方の味方になる」というスタンスを示すのだ。
「……お嫌いですか?」
そして最後に小さく笑ってそう尋ねる。
「いいや、帝国の犬をしていた時よりも話しやすい。」
どうやら私の回答は合格点を貰えたようであり、彼の表情もかなり柔らかくなる。
そして言葉に少し遅れて彼はその場から立ち上がって私たちに背を向ける。
「……何処へ?」
「研究機関への紹介状を書いておこう。」
彼はこちらに背を向けたままそう答える。
「では……。」
「しかし、まだメリットとデメリットの釣り合いが取れていない。一つ条件がある。」
私が小さく胸をなでおろした瞬間、彼の声が一段と低くなる。
「条件?」
「腕の立ちそうな護衛がいるのだ。是非とも利用させてもらおうじゃないか。」
少しばかり黒い笑みを張り付けて振り返る彼の視線は、それまで黙って座っていただけのアレスを捉えていた。
「荒事、ですか?」
私は嫌な予感を胸にしまい込みながら尋ねる。
「いいや?何という事はない。ただの遺跡の調査だ。」
瞬間、私の中で嫌な予感が大きく膨れ上がる。




