因縁
「――ここでいいか?」
間一髪のところで身を隠すことに成功した私達は、侵入してきた者たちへ姿を晒さぬように先程開けたばかりの大穴を見下ろせる場所へ位置取る。
「ええ充分よ。あとは頭を低くして。」
後は見つからないように、そして、いつでも撤退できるように逃走経路も確認する。
「ああ。あれは?」
そうこうしていると、頭を下げたアレスが侵入者たちの姿を見つける。
そんな彼の言葉に反応して私も視線を向けると、その正体に私は言葉を失う。
「……っ、な、んで?」
意味が分からない、なんで彼らがこんな所にいる?
思考が停止しかける私の頭を、アレスの声が覚醒へと導く。
「主君。」
突如現れた屈強な男たち、彼らの事はよく知っている。というよりも、身に纏っている真っ赤な装飾をされた鎧を見れば、誰だって彼らが何者なのか分かる。
「あれは帝国の騎士団か?」
「ええ、その通りよ。何話してるか聞こえる?」
「僅かだが。」
結構な無茶ぶりをしたつもりであったが、まさか魔力量や呪術耐性だけでなく、聴力まで良いとは思わなかった。この男は本当に底が知れない。
「じゃあしっかり聞いておいて。」
なにはともあれ、私自身混乱している現状、一つでも多く情報が欲しい。
「分かった。」
私の指示にそう答えた後、アレスは目を瞑って彼らの会話に耳を傾ける。
森を吹き抜ける微風が物音を包み込む中、アレスはしっかりと彼らの会話を捉えていた。
彼の視界の先、大穴の中では先程ルシア達によってロープで拘束されていた研究者の男に向かい合うのは、一人の若い騎士であった。
「――どういうことだ。説明しろ。」
若い騎士は研究者の男に対して、低く響く声でそんな問いを投げる。
「数刻前に金髪のレンジャーと思われる女が周囲をうろついていたため捕縛しました。しかしその後、仲間と思われるアルフ族の男が侵入し、試運転前のメイジウルフを開放し対処に当たっていたところ、赤い髪の剣士が侵入し、魔物共々捕まってしまった次第です。」
研究者の男は、この研究所で起きた一部始終を事細かに伝える。
「くそ、役立たずめ。」
「あれだけ資金の援助を行い、隠れ家の提供まで行ったというのに、このざまとは。」
それを聞いた騎士の男は、苛立ちを露にしながら腰に掛けられた刀剣へと手をかける。
「申し訳ございません、どうか、命だけは。」
「ダメだ。お前たちは失敗した。」
研究者始め、拘束された男たちが命乞いをするが、騎士の男はその一切を無視して剣を抜く。
「た、助け…………ッ!」
震えて声で呟く男の言葉は、横薙ぎに振り払われた斬撃によって阻まれる。
「さらばだ。帝国の未来のため、散るとよい。」
そんな言葉の直後、研究者の男の喉元が引き裂かれて噴水のような鮮血が周囲に飛び散る。
「ガフッ!?」
最後に力なく倒れた男の横を素通りし、騎士たちは次々と粛清を始める。
その一連の場面のやり取りは私の耳には届かなかった。それでも、その様子は良く見えていた。
研究者の男が命乞いのような事をしていた所も、騎士の男がそれを気にする素振りもなく斬り捨てた所も、私の眼ははっきりと捉えていた。
「――噓でしょ?」
あまりにも容赦がなさすぎる。意味が分からない。普通こういう犯罪者は捕まえて連行するものではないのか?
「本当に殺すとはな。」
しかし、隣にいたアレスはそのやり取りをはっきりと聞いていたようで、私とは少し違う反応を示していた。
「話の内容はどうだったの?」
「我々の外見の特徴が割れた。それと、奴らは帝国の人間から資金と隠れ家の提供を受けていたようだ。あとはあの魔物はアルフ族の男?とやらが解放したらしい。」
私が尋ねると、アレスは所々簡潔にしながら会話の内容を話す。
なるほど、聞きたい事と欲しい情報をあらかた手に入れられたから殺したのか。
そんなことより、許せない事が一つある。
「……っはは、やってくれたわね。あの白ヒモ男。」
協力者面しておきながら、こんな面倒ごとの種を作っていたとは、あの男、やってくれたな。
このケジメは絶対に取らせる。
「な、中でもいろいろあったようだな。」
アレスのそんな言葉で冷静さを取り戻すと、私はすぐに彼に指示を出す。
「その辺の事も後で話すわ。とりあえず退く。見つからないように馬車まで戻って。」
こうなればきっと彼らはすぐに周辺を捜索し始めるだろう、気になる事はあるがここに居ればすぐに見つかってしまう。
「分かった。」
そう言うと、アレスは私の身体を抱え上げて進み始める。
それから数分して、私たちは停めていた馬車を回収して出発の準備をしながら、互いに得た情報を共有していた。
「なるほどな。アルフ族の男が仲間を探しに、か。」
「そう、で、私はこれを受け取ったって事。」
私は内部であったことを話した後、そう呟きながら私は胸元のポケットから二本の瓶を取り出してアレスへ見せつける。
一つは囚われていた際にアルフ族の男から受け取った緑色の瓶。そしてもう一つは脱出の際に拝借した瓶でそちらの方には赤い液体がわずかに残っていた。
「なんなんだそれは?」
アレスが問いかけてくると、私は脱出直前に見た一つの資料の内容を思い出しながら言葉を紡ぐ。
「知らないわよ。と言ってもいいけど、多分活性薬と鎮静剤ね。」
「定期的に少量ずつ投与して強化を図って、都度暴走を抑えてたんでしょうけど、彼はそれをあろうことか盗み出してきちゃったって事。今度会ったらボコボコにしてやるわ。」
瓶の中身の説明をしながら、私はアレスから聞いた情報をもとに事の顛末を想像して自らの考えを口にする。
そして、改めて口にして説明すると、怒りが再燃してくる。
「ほどほどにな。」
「分かってるわ。けど、まあ無駄足ではなかったことは素直に喜べそうね。」
「ああ、どうやら魔物をけしかけたのは、俺の知り合いではないらしい。」
「そうね。黒幕かどうかは置いといて、ほぼ間違いなくザイオン・グランツが関わってるわ。それと他四人の聖女の誰か、ね。」
会話を通して私が出した推測に対し、アレスは何かが引っかかったように眉をひそめる。
「先ほども思ったのだが、本当に候補は聖女だけなのか?ほかに候補はないのか?」
「言いたいことは分かるけど、今ある証拠的には聖女である可能性が高いわ。」
「騎士団や他の貴族はどうなんだ?」
彼の考えもごもっともであるが、それは違う。
「さっきのやり取りを見るに、騎士団も研究者たちも、同一の人物から指示を受けている、ってのはほぼ確定よ。」
「研究分野と騎士を同時に動かせる、となると、騎士団長や伯爵以下の貴族だけじゃ少し権力が足りないわ。」
この男もある程度頭が回るようだが、帝国内の権力のパワーバランスについては、流石に私の方が詳しい。
「ではそれ以上の、辺境伯や公爵家の人間ではないのか?」
辺境伯というのは、皇帝、公爵に次ぐ権力を有している。この辺の基礎的な知識は持っているようで助かった。
「公爵家は基本的に皇帝様の親戚にあたる方々だから、跡目争いだの権力争いだので、相互監視してる状態にある。そんな状況下で、他の大陸の魔物まで引っ張り出して凶暴な魔物の育成培養なんてしてたらどうなると思う?」
「他の家に妨害される、いや、それどころかクーデターの疑いをかけられてもおかしくない。」
私の出したヒントを受けて、アレスが少し間を置いて答える。
「正解よ。だから公爵家の人間ってのもあり得ないわ。で、それらを除いた実質的な最高位となる辺境伯の方々は基本、その名の通り首都から離れた辺境を統治してるわ。」
「つまりこんな帝国のすぐ近くではなく、自らの領地で行うという事か。」
その方が隠れて悪事を働くには都合がよいだろう。
「その通り、さあ、それでは、これまで出した条件を思い出しなさい。」
私がそう言い放つと、アレスは少し呆れたようにため息を吐きながら指折りで私の言葉を思い返す。
「一つ目、騎士団と研究機関を動かせる権力。二つ目、主君を狙う明確な理由があるもの。」
「そして三つ目、皇帝陛下、及びその周囲の人間の目を搔い潜れるものか。」
よく理解してるし十分と言える分析だが、私はあえてそこに一言付け加える。
「……だけじゃないわ。」
「というと?」
「別に搔い潜らなくても自由に動ける方法はあるって事よ。」
私の付け加えた言葉の意味が理解できていない様子のアレスは、不思議そうに眼を見開いて動きを止めている。
「直接許可を得る。そうすれば問題なく動けるわ。」
少しばかり間抜けな彼の表情を楽しんだ後、私は短くそう答える。
「そんなこと。」
「出来るのよ。一代限りの特権階級を持つ聖女ならね。」
私はアレスの言葉を遮りながらそう断言する。
「加えて、聖女は就任と同時に一個中隊分の騎士を“聖騎士”として護衛に着けることができる。ちょうどさっき来たくらいの人数ね。」
つまり、先ほど見た騎士たちも恐らくは誰かの指示を受けた聖騎士であることが予想できた。
「仮にそうだとするのならば、彼らの顔に見覚えはないのか?」
「ある、んだけど、どこで見たのか思い出せないのよね。」
証拠は少ないが確信できた。しかし、あと一つ、あと一歩、犯人を特定するための情報が足りない事に私は苛立ちを覚える。
さっきの騎士の男、確かにどこかで見たことはあるはずだ。しかし、遠目からでは顔の細かな特徴が分からないこともあり、それを思い出せない。
「分かった。取り敢えずそこまで根拠が揃っているのであれば貴女を信じよう。」
私の迷いを察したのか、アレスは少しばかり強引に話を遮って話を進めようとする。
「分かればよろしいわ。それじゃ一旦南西に向かうわ。」
それに答えながら私が指示を出すと、アレスは不思議そうに首を傾げる。
「もと来た道を引き返すのか?」
彼の言う通り、ここから南西に向かえば、先程まで滞在していた村に戻る形になる。しかし、当然私はあの村に戻るつもりはない。
「途中まではね。そして昨日の村は通り過ぎてそのままさらに先、ガーデンブルク領にまで向かう。」
ガーデンブルグ領、それは帝国内でも強い権力を有する公爵家が統治する帝都周辺から、少しばかり離れた地にある土地であり、その名の通り男爵位を有するガーデンブルグ家が納める領土だ。
「帝都から離れるのだな。」
「あそこの領主は皇帝様にも、アルテン教にも良い感情持ってない、というか興味ないでしょうから。私たちに構ってこないはずよ。」
少し古い記憶ではあるものの、聖女時代に風の噂でそんな話を聞いたことがある、
「アルテン……?」
するとアレスは不思議そうな顔でこちらを眺めながら首を傾げる。
「……まさか貴方、アルテン教を知らないわけじゃないでしょうね?」
私は引き攣った表情で問いを投げ掛ける。
すると彼は私の恐れていた答えを返してくる。
「……済まない、勉強不足で……。」
「…………。」
私は眩暈のような感覚を覚えながら深い深いため息を吐き出す。
「自分の主人が所属してる宗派くらい知っておきなさい。」
色々言いたいところはあるが、今は時間がない。今度しっかりと教えておこう。
「要は私たちに興味がない人がトップに居る街って事。」
「……いったん身を隠すには最適、という事か。」
そこまで説明して彼は私の考えと意図を理解した。
「後はコレね。」
ある程度方針が決まると、私は手に持った二本の瓶を見つめてそう呟く。
今はこれが唯一の生命線。上手く使っていく。
正当性も、権力も、今の私には弱すぎる。それでも、復讐を目的とするのであれば、利用できるものは全て、とことん利用するしかない。
リスクを冒して手に入れたこの証拠、何としてもモノにして見せる。
「だから今は逃げるわよ。」
そんな合図を皮切りに私達は何もない荒野へと馬車を走らせる。