星を駆ける一陣
魔物に追われ、独房から続く狭い通路を抜けた私は、閉じ込められる前に見た研究室のような広い空間へと飛び出し、手錠を付けたままの逃走劇を繰り広げていた。
「ありえない、ありえない、ありえないっ……!!」
完全に想定外だ。
多少の殴る蹴るの暴行を受けるのは想定内だった。しかし、これは聞いてない。こんなやばそうなやつの相手をするのは勘弁だ。
「もう!!何でこうも上手くいかないの!?」
思ったよりも集まらない情報、アルフ族の男によるトラブル、そして魔物による暴走。昨日はあんなに思い通りに事が運んだのに、今日は全然うまくいかない。
それに何より納得いかないのは――
「グルルルルアアアア!!」
「なんでこっちに来るのよ!」
――暴走した魔物が私の事しか狙ってこない事。
思考の猶予すら与えられず、私はただ逃げ惑う事しか出来なかった。しかし、その緊張状態は思わぬタイミングで抜け出すことに成功した。
「アアアアアア!」
「…………っ!」
魔物が大きく腕を振り回すのに合わせて私は研究機材と思われる鉄の塊の隙間へと飛び込むと、舞い上がった煙と瓦礫となった鉄くずが私の身を覆い隠してくれる。
「はぁ、はぁ……やっと休める。」
これを好機と見定めると私は物陰に隠れながら息を潜めて魔物の動きを観察し始める。
大丈夫、おそらく今の騒動でかなりの音、そして揺れが起こった。アレスがこの場に来るのも時間の問題だ。
となると私がすべきことは決まっている。
「めんっどくさ……。」
一つはこの施設の人間を誰一人死なさずに守り切る事。彼らは貴重な情報源だ。勝手に死なれては困る。
二つ目は可能な限りこの研究施設を守る事。ある程度悪事の証拠が残っていた方が私の正当性を示しやすい。
三つ目はこの部屋の奥にあの魔物を絶対に通さない事。あの狼に加えて、村を襲撃したボス格の魔物まで活動し始めれば、人も施設も守り切れる気がしない。
「うわああああ!?」
そんな思考を斬り裂くように、周囲から研究員たちと思われる悲鳴や断末魔が聞こえてくる。
どうやら私を探すのを諦めて、他の人間を襲い始めたようだ。
「はぁ……行くしかないか。」
気が乗らない。なんで私が、私をぞんざいに扱った人間を助けなければいけないのか。自分で蒔いた種とはいえ、なんで私だけがこんな面倒なことをしなければいけないのか。
誰でもいいから変わってほしい。
「疲れるから、あんまりやりたくないんだけど、ね!」
そんな思考を振り切って、私は全身に魔力を流し込んでいく。
その瞬間、肉体は私の魔力に反応して黄金色に光り輝く。
これが魔力による肉体強化、貧弱な私の肉体は、魔力による後押しを受けて本来不可能な動きを可能とする。
「まずは……、こっちよ!」
漲る力を確かめながら私は両足に思い切り力を籠めて地面を蹴る。
魔物がそれに反応して向かってくるのを確認した後、私は魔物に背を向ける。
そして、先程連れて来られた入口の方まで魔物を誘導する。
「アアアアアア!!」
「うわっと。」
そして案の定こちらに向かって突進してきた魔物の攻撃を先程と同様紙一重で回避して魔物を近くの壁と激突させると、その衝撃で扉はぐにゃりと変形し、周囲の壁が崩れて退路は完全に断たれる。
「さあ次よ。」
狙い通り、これでいい。私はすぐに視線を切り替えて周囲を見渡す。
「…………ッ!!」
そして私の視線は、目的のものであった銀色に光るそれを見つけて再び駆け出す。
「よし、見つけた。」
魔物からの攻撃を掻い潜るため、私は配管や鉄くずの隙間を駆け抜け、滑り込むようにそれに近づき手にする。
私の手に収められた銀色のそれは、捕まった際に男たちが持っていた手錠のカギであった。
「で、これを、こうして……。よし次!」
私は若干手間取りながらも、そのカギを手錠に差し込み、両手の拘束を外す。
そしてそのままの勢いで再び走り出すと、その近くで伸びていた、比較的軽症そうな研究員の男の胸ぐらを掴みあげる。
「起きなさい!」
「お、お前は……。」
私の声に反応した男は、ゆっくりと瞼を開けると、私の顔を見ながらうめき声をあげる。
「助かりたかったら正直に話しなさい。この施設で一番広いのはどこ!?」
今は何とか姿を隠せているが、いつ見つかって襲い掛かられるか分からない。一瞬の時間も惜しい私は、近くにあったガラス片を素手で掴み上げて男の喉元に突き出す。
「お、奥のあいつがいた部屋だ。」
掌から滴る私の血に恐怖を覚えたのか、男は私の問いかけにすぐに答えてくれた。
「なるほど、てことはまたあの狭い廊下を通るのね。」
欲しい情報を得られたのは良いものの、私はまたあの道を通るのかと辟易する。
「まあやるしかないか。追いかけっこ、付き合ってあげるわ。」
「さあ、こっちにきなさい!」
そして私は覚悟を決めると、三度身体を魔物の前に晒し、瓦礫の一つを投げつける。
「ッ、アアアアアア!」
瓦礫を頭に受け、視線をこちらに向けた魔物は私の姿を見て激高し雄叫びを上げる。
「ったく、そんなキレることないでしょ。」
文句もほどほどに魔物から背を向けると、先程通ってきた道に向かって駆け出す。
「なっんで、この道こんな長いのよ。」
妙に長いその道を、私は魔物に捕まらないよう全力で駆け抜ける。
それにしても早い、いくら狼型の魔物とはいえ、ここまで早いとすぐにつかまってしまう。故に私は、廊下にある木箱や鉄格子など様々なものを背後に投げつけながら進んでいく。
もちろんそれだけでない、今現在も私は全身に魔力による身体強化を施している。
そうでなければ私のような華奢な人間が鉄格子の檻を蹴り破れるわけがない。
「ついた……これが。」
咄嗟の悪あがきが功を奏したのか、息を切らしながらも、その細い廊下を抜けることに成功すると、前情報通り私の目の前にはかなりの広さのある研究室のようなものが現れる。
「グルルルル……。」
「ちゃんとついてきてるわね。」
そして一瞬遅れて魔物も廊下からゆったりとした足取りで研究室へ現れる。その様はまるで追いつめた獲物を逃すまいと警戒する様子。いいや、まさに今がその瞬間なのだろう。
「さあ、来なさい。」
「…………ッ。」
私の声とほぼ同時に魔物は大口を開いて突進してくるが、私は咄嗟に大きく横に跳びながらそれを回避し、再び距離を取る。
魔物の身体が壁に埋まるほどの突進は強烈な衝撃を生み出し、地下全体が激しく揺れ動く。
「元気なワンちゃんね。」
「グルルルルアアアアア!!」
皮肉交じりにそう呟くと、もう一度魔物は口を開けて突進してくる。
するべき事は先程と変わらない。ギリギリで回避して距離を取る。つもりであったが、魔物は先程の攻撃に加え、前足を大きく横薙ぎに振り回す。
「……きゃ!?」
紙一重で回避する予定であった私は、魔物の攻撃を腹部に受けてしまい、そのままの勢いで側方に吹き飛ばされてしまう。
「……ごほっ、やってくれるじゃない。」
呼吸をするたびに脇腹に激痛が走る。恐らく今ので肋骨が何本か持ってかれた。魔力による身体強化が無ければ死んでいた可能性すらある。
幸いなことに折れた骨が臓器に刺さってはいないようで、吐血も呼吸の苦しさもないが、回復が済むまでは激しく動くのは不可能だ。
「…………。」
痛みと衝撃で立ち上がれずにいる私へと魔物が迫る。
先ほどまでの警戒した様子はない。恐らくもう私が動けずにいると思っているのであろう。
私はゆっくりと立ち上がると、魔物の顔を見据えて小さく笑って見せる。
「ハッ、何追い詰めたみたいな顔してるの?」
「こんなのピンチの内にも入らないっての。」
「…………っ!!」
その瞬間、地下全体に広がるほどの強烈な轟音と共に、私たちのいた研究室の天井が円形に崩れ去って落ちてくる。
「――はあ!!」
そして一瞬遅れて剣を振り下ろした姿の状態で下僕が落ちてくる。
「……っ、完璧。」
計算通りのタイミングで、狙い通りの場所に味方が到着したことを確認すると、私は思わず笑みをこぼしてしまう。
「主君、無事か?」
私の声に真っ先に反応して振り返ってきたアレスは、こちらに駆け寄ってきて開口一番に私の心配をし始める。
「ええ、早かったじゃない。」
なかなか優秀な下僕だ。などと考えていると、アレスは私の無事を確認してすぐに振り返って魔物へと向き直る。
「お褒めに預かり光栄だ。あとは変わろう。」
「あら、いい心がけじゃない。それじゃ、早速やるわよ。」
そして私を守るように目の前に立つ男に向かって、両掌を伸ばして彼の背にそっと触れる。
「ああ、頼む。」
「今回は短縮版でいくわ。」
目を瞑り、魔力を練る。急がなければいけない状況だからか、走り回って精神が高揚しているからか、魔法の展開は前回よりもスムーズに行えた。
『女神アルテイナの名のもとに、祝福を捧げます。』
二人を包む黄金の光の中で、詠唱の最後の一節を唱えると、私は両の手を重ね合わせ力を凝縮して、その大きな背中へと、力を送り出す。
「…………満たせ。」
私の送り出した光と、彼の心臓が重なると、正常に動き出した彼の魔力が溢れ出して周囲に広がっていく。
相変わらずとてつもない魔力量だ。その場で踏ん張っていないと吹き飛ばされそうになる。
「……よし。」
剣を抜いて構えるアレスに対して、私は今回も戦い方の指示を出す。
「今回の指示は一つよ。なるべく周囲に被害を出さないよう、あれを倒しなさい。」
前回と違って必要以上に目立つ必要はない。そして何より、この後じっくりと調査と情報収集もしたい。故に今回は必要以上の被害を出さないように倒してもらう。
「分かった。ならばこの技が相応しいだろう。」
「アアアアアア!!」
アレスは戦い方を決めると、背後から襲い来る魔物の攻撃を視線すら向けずに回避し、そのまま魔物の真下へと潜り込む。
「アストラル・ゼファー」
瞬間、彼の剣に纏われた風の力は、振り上げた切っ先の動きに合わせて円柱状の真空の衝撃波が天を貫くほどに突き上がる。
「……カッ!?」
「こ……れは……?」
以前見た“ブレイジングアルマ”と比較すると、こちら側までその余波が来ることはなかった。しかし、目の前で撃ち放たれた衝撃波はあれに勝るとも劣らない破壊力を生み出しており、私を散々苦しめたあの魔物も、塵のように消えていく。
つまりこの技は、力を圧縮し、範囲を絞ることで強大な破壊力を生み出しているのであろう事が予想できた。
「先程破壊した天井に向けて放った。これならば被害は出来ないだろう。」
そして撃ち放った方向もまた、すでに破壊された天井であった。
「ま、まあ及第点ね。」
周囲への被害は出さずあの魔物を無力化しろ、などという指示は、無茶ぶりであることは理解していたが、それをこうも呆気なく簡単にこなされると、私の感覚もおかしくなってくる。
「ば、化け物が。」
魔物は消し飛ばされ、一際広くなった研究室でそんな会話をしていると、私たちの耳にそんな言葉が聞こえてくる。
「さて、次はどうする。」
「まずは彼らをサクッと無力化しなさい。情報を搾り取るわ。私は回復してるからやっといて。」
本来なら私の手でボコボコにしてやりたいが、先程から折れた肋骨が尋常じゃないくらい痛い。気持ちが落ち着いてきてしまったせいで余計に痛みが増してきているようで、じんわりと冷たい汗が額から落ちてくるのを感じる。
「や、やめろ、来るなっ!」
私たちの視線を受けて研究所に居た男たちは次々と背を向けて逃げていくが、その動きは廊下を抜けた奥、研究所の入り口付近で止まってしまう。
「と、扉が!?」
そう、扉が瓦礫の山によって塞がってしまっている。
魔物の対処をしている途中に逃げられれば私の働きは無駄になる。それに何よりこんな外道を逃がすために私が頑張るのはとっても不愉快だ。なので、逃げ回っている途中にあえて魔物に衝突させて扉を破壊しておいたのだ。
「出入口は先に壊しといたから、逃げ場はないわよ。」
「さっきのはそういう事か!?クソッ!」
私の言葉を聞いて男たちはようやく私が先程まで魔物と戯れていた理由に気が付く。そして同時に退路を失った男たちの顔はみるみる青白く血の気が引いていく。
そう、私はその表情が見たかったの。
「さあ、せいぜい綺麗な声で鳴きなさい。」
全身を駆け巡る嗜虐心を抑えながら、私は最後通告のようにそう言い放つ。
「聖女というより悪魔だな。」
そんな私の顔を見て真横に立つ下僕は呆れたように何かを呟く。
「なんか言った?」
「いいや、仰せのままに。」
聞き捨てならない言葉を聞いたような気がしたが、アレスは私から視線を逸らしてそう呟くと、そのまま命令を実行しようと前に行ってしまう。
そして数分後。
「――ふう、これで全部だ。」
肋骨の治療を終えて研究資料を漁っていた私の目の前に、拘束された研究者たちが横一列に並ばされる。
巨大な魔物を一撃で消し飛ばすほどの力を持つ元英雄に逆らおうとするものなど居るはずもなく、研究所の人間は抵抗をやめ大人しく捕まることを選択したのだ。
「抵抗してくれなくてつまらないわ。」
少しばかり無駄なあがきをして絶望する人間を見たかった私は、多少ではあるが落胆する。
「本当に貴女は良い性格をしているな。」
「それほどでもなくってよ。」
アレスの小言を受け流しながら、捕まえた人間の頭数を数えていると、私たちの視線はとある一点に向く。
「それで、あれはどうする?」
アレスが指し示すその先には、昨日村を襲撃した魔物とほぼ同一の個体が怪しい色の液体に漬けられて鎮座していた。
「無視よ無視、ほっときなさい。」
ここで余計なトラブルを招きたくはない。あれに触るデメリットこそあれど、メリットは一つもない。スルーしておくのが吉だろう。
「しかし、あんなのを二体も用意できるとは、大した技術力だ。」
「なに?知ってる魔物?」
感心している様子のアレスの口ぶりに私は違和感を持つ。
「ああ、おそらくだが西の大陸にいるミノタウロスだろう。該当する特徴が多い。」
「へえ、魔族の国のモンスターだったのね。通りで見たことなかった訳だ。」
元とはいえやはり歴戦の戦士。魔物や戦闘の知識は経験に裏付けられたものがある分、私よりも広くて深いものを持っているようだ。
そんなことを考えていると、目の前に立つアレスの表情が渋いものに変化する。
「イビル族だ。その呼び方は差別主義者と呼ばれるぞ?」
「そのトップを殺したくせによくそんなこと言えるわね。」
案の定アレスは私の言動に注意をしてくるが、はっきり言ってどの口が行っているのだと言いたくなる。
「俺は悪い人間を斃しただけだ。善良なイビル族には手を出していない。」
倒すべきは悪であって人ではない、とでも言いたいのだろうか。随分と英雄然としていて癇に障る男だ。
「そんな話は今どうでもいいのよ。問題は何でそんな魔物を作り出せるほどの技術力があるかって事。」
「ねえ、これ貴方達だけの力じゃ無理よね?バックには誰が付いてるわけ?」
気持ちを切り替えて私は先程まで偉そうにしていた研究者の男に近づき、その顔を覗き込む。
「…………。」
「……だんまり、か。仕方ないわね。」
何一つ答えない男の様子を見て、私はため息交じりに数歩下がって頭を搔くと、近くに落ちていた鉄の棒を拾い上げる。
「じゃあ、少し痛い目に遭ってもらおうかしら。」
私は分かりやすく掌に鉄の棒を持って威嚇をする。
「…………ん。」
そしてそれを構えた瞬間、背後でアレスの声が聞こえてくる。そしてそれとほぼ同時に彼の放つ威圧感のようなものが膨れ上がる。
「……うわっ!?」
それを自覚したのとほぼ同時に、私の身体は背後から抱えあげられて宙を舞う。
「主君、済まない一旦離れる。」
混乱する私に、アレスはただ一言そう言ってその場から瞬く間に離れていく。
「ちょ、なんでよぉ!?」
鉄棒を構えたままの姿勢で抱えあげられた私はバタバタと滑稽な動きで抵抗する。
「誰か近づいてきている。それもかなりの数だ。」
その一言で私の思考の速度が一気に早まる。
「……なにそれ援軍?」
「分からない。だから隠れる。」
さすがの英雄様でも気配の正体まで探れるわけもなく、私は為されるがままに運ばれて、天井に空いた大穴から脱出する。
「じゃあそこの木の上にしなさい。」
とりあえず様子を見たい私は、鉄棒を投げ捨て、アレスへと指示を出す。
地下から飛び出てすぐの大きな木の上。あそこならば真上から様子を見れるだろう。
「分かった。」
アレスは一際真剣な表情で答えると、目的の高さまでひと飛びで駆け上がっていく。