ロストフォレスト
それから数時間後。
宿屋にて作戦会議と食事を済ませた私たちは、日が落ち始める頃に街を出発していた。
今回の目的は北側のグランツ領にある森林地帯、ロストフォレスト。初めて村以外の場所を目指して馬を走らせていた。
「それで、なぜこんな夜遅い時間に?」
馬上で激しく揺れ動く中で、アレスは少し大きめの声でそう問いかけてくる。
「さっきまでいたクローフ、帝都からかなり近い。追放の知らせが届くのもそう遅くない事も予想されるし、一秒でも早くあそこから離れたかったのが一つ。」
昨日はかなり自由に行動した上で事件を解決することができたが、それはあくまで私が置かれでいる状況が伝わっていなかったが故である。
たとえ帝国側からの監視、追跡が無かったとしても、その地に暮らす民の日常は変わらない。
二日もすれば街全体が敵になっていてもおかしくない。
それを踏まえると、これ以上あの街に居続けることは出来なかった。
だからこそ、事件の有無にかかわらず長居をするつもりはなかったのだ。
「もう一つは?」
「これからする作戦的に夜の方が都合がよかったからよ。」
「詳しく頼む。」
そういえば事件を解決したのち、すぐに出発したため、作戦の内容どころか、私の計画すら話していなかった。
そんなことを思い出した私は自らの考えを、順を追って話していく事にする。
「一昨日の魔物の襲撃、貴方はどう思った?」
身体を大きく縦に揺られながら、私が問いかけると、アレスは少し考えた後に答えを口にする。
「……魔物の群れにしては種類が多いとは思った。」
彼の出した答えは、私が初めに感じた違和感と同じものであった。
魔物といえど所詮は自然動物。群れを成すにしても、同じ種類の魔物が集まって効率的に狩りをするための物や、外敵から身を守るための物であることが多い。しかしながら、先の襲撃では私が確認できただけでも六種類の魔物が同時に集まっていた。
まさに異常事態、そんな違和感に対して私は一つの推測を立て、それを前提とした情報収集を行っていた。
「そう。だから私はあの襲撃は人為的に引き起こされたものだと思ってるわ。」
つまりはあの魔物達を集め、村へと仕向けた者がいる。
「人為的、どうやってだ?」
「そんなの私に分かる訳ないでしょ。」
特殊な薬物の散布、そういったことの出来る魔法、いくつか想像は出来るが、残念ながら私は魔物の生態や薬学に造詣が深いわけではない。専門的な事など想像で話すしか出来ない。
「ではこれからそれを聞きに行く、という事か?」
「ええ、この先の密林地帯に居ればだけどね。」
詳しいことも難しいことも分からない。故に犯人を捕まえて直接聞き出そうという事だ。
「犯人の居場所にはもう目星をつけていたか、心当たりがあったのか?」
感心したようにアレスは呟くが、私は彼の言葉を否定する。
「貴方が居なければそこそこ絞れてたんだけど、“誰がやったか”は正直今は分かんない。」
聖女の地位から引き摺り下ろされた私を狙う人間など、以前から私のことを嫌っていたような人間に限られる。つまり、私を狙った襲撃の場合、かつての同僚である聖女達や貴族様に候補を絞れる。
が、しかし面倒なことに今、私の隣にいるのは魔王殺しの英雄である。どんな相手にどんな恨まれ方をしているかなど、私が想像するには余りある。
「ではなぜ居場所を絞り込めた?」
「魔物の襲撃があった方向から逆算したのと、後は調べた限り地理的にアウトローが住み着きやすい場所がそこしかなかったの。」
犯人も分からない。手段も分からない。だからこそ私はそんな不確定要素の大きなものではなく、その犯人が隠れるに適した場所を探し、地理的な情報を集めていたのだ。
「ていうのが一つ目の理由。」
そう、これはあくまで客観的な分析をした結果によるもの、もう一つの理由はもっと単純であった。
「そしてもう一つ、これは理由というより、私の願望ありきの希望的観測ね。」
「どういう意味だ?」
私の言葉にアレクは眉を顰めて問い掛ける。
「ザイオン・グランツ。この土地の領主様よ。」
そう、グランツと言えば、当然彼の姿が脳裏を過る。
「何か関係があるのか?」
アレスは不思議そうにそう尋ねてくるが、その反応も仕方あるまい。
ザイオン・グランツ。追放されたその日に私に声を掛けてきた男。
私を最も嫌っていた貴族様、そして、恐らくだが私を追放した人間の一人だ。
まあ、面識のない彼が知っているわけもないが。
「あるわよ。権威主義の筆頭なんだから。私が倒すべき敵の一人といっても過言じゃないわ。」
「敵、か。」
私の言葉を聞いてアレスはようやくその意図にまでたどり着く。
「魔物襲撃の事件はもう帝都に伝わってるはず。そんな中で事件との関係性がこの領地で出てくれば……。」
「他の貴族たちからの追及は避けられない。」
そう、これが今回の私の狙い。
もしこの地で事件の証拠が出れば領主であるザイオンの立場は事実の有無にかかわらず悪化する。
私から彼に対するちょっとした嫌がらせも兼ねているのだ。
「その通りよ。後は今日中にすべてを終わらせてここから立ち去れば任務完了って事。」
「今日中?」
「私は既に自らの存在を大々的に誇示している。私の存在を認識したザイオンは間違いなく警戒して自分の領地に帰ってくるわ。」
例え警戒はしてなくとも、私を殺すために戻ってくる事すら考えられる。
「領主様が返ってくる前に決着をつける、という事だな。」
「そういう事。」
故に今回は最速最短で行動をする必要があったのだ。
「で、作戦だけど、まずは私が適当に犯人に捕まったふりをして引き出せるだけ情報を引き出すわ。」
そして私が大雑把に作戦の内容を話すと、アレスの表情が苦々しいものに変化する。
「……大丈夫なのか?」
「問題ないわ。それで、私が満足したら、適当に合図を出すわ。音か光か、分かりやすいのを出すから、貴方はそれに合わせて突入、私の祝福を受け取りに来て、後は大暴れ、壊滅って流れよ。」
今回欲しいのは情報だ。何も分からない上に時間も殆どない今、作戦の多くをアドリブでこなさなければならないのは仕方のないことだ。
「で、その後は適当に帝国の人間をおびき寄せて、親書の一つでも添えておけば、魔物の襲撃事件の解決とその元凶の排除の功績が手に入るってわけ。」
「分かった?」
やはりというべきか、案の定彼は、簡単に首を縦に振ってはくれなかった。
「それでは貴女が危険すぎる。全員倒してから聞き出すのではダメなのか?それに、そういった作戦を立てるならば、相談の一つぐらいあってもいいのではないか?」
うまくいけば情報収集も出来て帝国に恩を売ることができる。狙いが私だったとしても、敵の正体がはっきりする。たとえ危険であってもやるメリットは大きい。
それに、捕獲後の尋問も当然するつもりだが、その情報のすり合わせもしたい。故に敢えて捕まった状態で、そして油断を誘った状態で話を聞きたいのだ。
「一昨日のあの魔法をかけ続けるのは無理なのか?あれならより確実に助けに行ける。」
よほど私の事が心配なのか、アレスはそんな問いを投げ掛けて来るが、私はそれを一蹴する。
「あれはそんな便利なものじゃないわ。魔力の消費がとんでもないんだから。」
「聖女の祝福ってのは、魂の転写の応用で、相手の魂の在り方そのものを聖女と同質のものに変化させるものなの。だから呪いは弾くし力の形質も私寄りになる。」
まあそうはいっても目に見えて変わるのはせいぜい闇属性、毒、呪いに対する耐性の獲得と、私との魔力の繋がりが出来る事による魔力量の上昇くらいなもので、後者の方に関しては対象であるアレス自身の魔力量が多すぎて微々たる変化しか見込めない程度のモノだ。
「だからあの時、いつもとは違う力が流れ込んできたのか。」
私の説明を聞いて、アレスはようやくあの魔法の理屈、真髄を理解したようだ。
「魂の形を変える、それはつまり、魂に張り付いて悪さをする呪いなんかとは段違いに効率が悪いってこと。」
そんな大掛かりな魔法だ。当然魔力の消費は七大属性を始めとした他の魔法とは段違いに大きい。最高効率で魔力を回しても一時間もしたら私が干乾びるだろう。
「それに正直な話、私の魔力もあんまり残ってないわ。今使おうとしたら三分くらいしか保たないわ。」
そんな私の発言に、アレスの表情が強く引き攣る。
「本当か?」
「ええ、もともと他の聖女に比べて魔力も多い方じゃないし、昨日、一昨日の連戦でかなり魔力を使っちゃったから。」
私は、魔法の適正にこそ恵まれていたとはいえ、血統や生まれはあくまで最底辺。魔法の発動に必須の魔力の量はお世辞にも高いとは言えない。
「なるほど、故に効率を重視した魔法の打ち方に長けていたのか。」
「あら、慧眼ね。」
この男の観察眼の鋭さは既に知っていたが、まさか私の“ラスティネイル”の詳細まで見抜けているとは思っていなかった。
「通常の魔法は“詠唱”、“構え”、そして最後に魔法を形作るために流し込む“魔力”が必要になる。」
「そして魔法というのは前者二つの儀式が複雑になればなるほど、魔力量が大きければ大きいほど規模が大きくなる。」
ここまでは普通の魔法の説明だ、が私の魔法のカラクリを説明するには必要不可欠な説明でもある。
「主君の魔法はそのうちの“詠唱”を魔法名のみの一節に限定し、敢えて魔法の規模を落としている。目的は恐らく消費する魔力の節約だろう。」
「そうね。間違いないわ。続けて。」
ここまでは間違っていない、反応を窺うアレスへ私は短く言葉を返す。
「魔法の規模はそのままイコールで破壊力にも直結する。規模が縮小すれば威力も下がる。故に貴女は魔法の打ち方を工夫した。」
「放たれる魔法のその全てを指先一点に集中させることで、射程と有効範囲を犠牲に強力な貫通力を手に入れた。」
アレスの話す魔法の詳細はほぼ完璧であった。観察眼も、そこから逆算する思考力も英雄にふさわしいものと言って差し支えない。しかし、重要なところが抜けている。
「正解、だけど、残念。それだけだとまだ九十点ってところよ。」
「残りの十点は何だ?」
彼の問い掛けに私は短く言葉を返す。
「私はその魔法の撃ち方を何万回と練習してこの威力まで引き上げた。」
打ち方の工夫、などとこの男は簡単に言ってくれるが、いきなり行ったところで細長い光の線が出て終わるのが関の山だ。
私はそれを何年も、何回も繰り返すことでその打ち方を肉体に染み付かせた。体が魔法に最適化するまで繰り返し、人体を貫通するまでの威力に昇華させたのだ。
「どこまで行っても、凡人に必要なのは血の滲むような努力って事ね。」
私は胸を張ってそう話を締めくくると、アレスは何やら納得のいかなそうな表情をこちらに向ける。
「貴女の魔法の特徴は分かった。しかし、結局の所、魔力が足りない事には変わりないのだろう。だとしたら素直に首を縦に振ることは出来ない。急ぐ理由は分かるが、天秤に掛けるのが命では釣り合いが取れていない。」
「随分と弱気ね。昨日も私の実力見たでしょ?」
万が一の時に私を守り切れる自信がないのか、アレスの顔は不安で支配されていた。
随分と舐められたものだ。
「大丈夫よ。貴方がいなくったって、自分でどうにかするわ。」
もとより彼が居ないならば一人で全てこなすつもりだったのだ。言われたところで止めるつもりはない。
それに“長時間の継続発動”ができないだけであって、魔力が空になったわけではない。
「それよりほら、着いたわよ。」
その合図と共に馬車を止め、馬ごと木陰に隠れる。視線の先には少し急になった坂道があり、私たちが見下ろす先には、都合よく二つの人影があった。
「…………まさか本当にいるとは。」
大柄な影と細身の影、二人の男は質の悪いぼろきれと、長身の剣を身に着け、肩で風を切るように林の道を歩いていた。
「……ビンゴね。」
誰がどう見ても悪い事をしそうな風貌だ。
つまり、たとえ間違ってボコボコにしても責められることはおそらくない。
「さあ、悪党をぶっ潰すわよ。」
人の笑顔を見て引いてる失礼な英雄を尻目に、私は作戦の準備を始める。