昼下がり、屋根の上で
そして翌朝。
「…………ん、ん。」
私が逃がした少年、クリスは小さな家の古びた机の上で目を覚ます。
「……朝?」
ぼろきれのようなカーテンから差し込まれる光で意識を覚醒させる少年は一点を見つめながら思考を働かせる。
「……っ!お姉さん、どうなっ……ん?」
しばらくした後にようやく昨晩の出来事を思い出したクリスはハッとしたように瞼を大きく開く。
そして、体を起こしたと同時に、少年の視界に一枚の紙切れが映る。
「手紙?」
飛んでいかないようにブレスレットを乗せられたその紙は、私が書いた彼への伝言であった。
“黒幕はちゃんと倒しておきました。下っ端ももう追ってこないから安心しなさい。そのブレスレットはあげるからもう盗みはしないように。”
「お姉さん、良かった……。」
私からの手紙を読んだクリスは崩れ落ちるように力が抜けて安堵のため息を吐き出す。
「――クリス。」
するとその背後から彼の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。
声に反応して少年が振り返ると、そこには病床に伏していた姉の姿があった。
「……っ、姉ちゃん。身体大丈夫なの?」
昨日までとは違い、血色の戻った彼女の顔を見て、少年は恐る恐るそんな問いを投げ掛ける。
「うん、昨日の女性が治してくれた。」
すると女性は俯きながら答える。
「そっか、よか――」
「――良くないっ!」
少年は「よかった」とそう伝えようとした瞬間、彼女はそれを遮って声を張り上げる。
「姉ちゃん?」
少年は小さく肩を震わせた後、姉の顔を覗き込む。
「聞いたよ、あの人から、人の物盗んでたんだってね。」
対する彼女は険しい表情で少年を見つめ、震えた声で問い掛ける。
「それは……。」
罪悪感と、後ろめたい気持ちもあるのであろう。少年はなにも返すことが出来ず俯いて姉から視線を外してしまう。
「私の為にやったのは分かってる、けどね、それが悪い事なのは理解してるよね。」
そんな問いを投げ掛ける彼女の眼は悲しげでありどこか躊躇っている様子も見られた。
「してる。けど、おれにはそれしか――」
言い訳をしようとする少年の声は徐々に小さくなっていく。
「――クリス。」
そして、姉の方はそれを断ち切るように、強い口調で再び彼の名を呼ぶ。
「……っ、ごめ。」
少年は動揺した様子で、咄嗟に謝罪の言葉を吐き出そうとする。
「……っ。」
しかし彼女は、そんな少年は優しく抱き寄せる。
「ごめんね。私のために頑張ってくれたんだよね。」
「……。」
一瞬、少年の動きが止まる。
「お父さんと、お母さんの代わりになるために必死だったんだよね。私のために悪いことしたんだよね。」
「その気持ちはすごくうれしい。けど、それはすごく心が痛いの。」
女性は少年の小さな体を強く抱きしめながら、震えた声で自らの思いを吐露する。
「……っ、ねえちゃ……おれっ……!」
心配させてしまった。傷付けてしまった。そんな後悔が溢れてしまったのか、少年は自身を包み込むその腕を掴みながら顔を歪める。
「だからそんなことやめて、今度は二人でちゃんと生きよう?」
「……っ、うんっ、ごめっ、ごめんなさい。」
愛する家族の言葉に、少年は涙でぐしゃぐしゃの顔で答える。
そんな家族の様子を、私達は少し離れた建物の屋根の上から眺めていた。
「よし、一件落着ね。」
屋根の端に腰掛けながら、私は小さく息を吐き出す。
どうなるか分からなかった故に近くで様子を見る事にしていたが、私の心配は杞憂であったようだ。
「呪いはどうなったんだ?」
安堵する私の背後から、アレスは心配そうに尋ねる。
「完全に祓い切ったわ。あの程度の使い手なら五分もあれば余裕よ!」
私は指先をくるくると回しながら答える。
あの赤髪の女も相当の使い手ではあったが、魔王のそれ程ではない、故に解呪はさほど難しいものではなかった。
「あの少年はどうなる?」
その疑問も理解できるが、当然それも考えている。
「これでどうにかするわ。」
私は胸元のポケットから一枚の紙切れを取り出してアレスへ手渡す。
「これは、嘆願書か。」
そう、昨日の事件の後、現場に現れた守衛の男たちに渡した領主への嘆願書、の書き損じたものだ。
「ええ、その通り。実行犯は子供である上に、脅迫によって強制的にさせられていた実態がある。生活が困窮していた原因でもある家族に対する呪いについてはルシア・カトリーナの名のもとにその全てを解呪することを約束する。これをもって実行犯の子供たちの窃盗罪については不問にして頂きたく思います。」
アレスの言葉に答えながら私はそれに書かれた内容を暗唱する。
要は私がアフターケアまでするから子供たちの事は許してあげて欲しい、といった内容だ。
「主犯が子供たちの住居をリスト化してたとはいえ、流石に一晩中解呪して回るのは骨が折れたわ。」
そして、記載した内容の通り、昨日の夜から今の今まで、私は街中を奔走して解呪に回っていたのだ。
「もののついでにやる作業量じゃなかったわ。あーしんど。」
私は一仕事を終えた安堵から、身体の力を抜いて屋根に背を付ける。
走っては魔法を使い、また走る。そんな事を夜通し繰り返した私の身体はもはや限界と言っても差し支えなかった。
「それについてはお疲れ様と言う他ないな。しかし、わざわざ領主に嘆願書まで書いたのであれば、姉君に盗みの事は伝えなくてもよかったのではないか?」
「そうかもしれないけど、そうね……。」
アレスの言葉に対して私は身体を起こしながら昨晩の彼女との会話を思い出す。
アレスの言う通り、私は彼女に弟の事を全て話した。
お金を稼ぐために盗みをしている事、それを彼女自身の為にしている事を私は伝えた。
「……クリスがそんなことを。」
彼女はやはりショックを受けていた。当然だ、愛する弟が自分のために悪事に手を染めたなど聞けば冷静でいられるはずもない。
「ええ、半ば恐怖でやらされていた所もありますが、それでもやった事は紛れもない犯罪です。」
私の言葉に女性の表情が凍り付く。
「そんな、一体どうすれば。」
「領主様に対しては嘆願書も出しました。彼が裁かれることはないようにします。だから、貴女には彼をしっかり叱ってあげて欲しいんです。」
それを聞いた瞬間一瞬女性の表情は穏やかなものに戻るが、即座に今度は困惑の表情に染められてしまう。
「けど、私あの子に怒ったことなくて……。」
なるほど、あの少年、姉の前ではよほどいい子ちゃんだったのだろう。
心配を掛けないようにするためか、あるいは両親がいなくなったことで必死だったのか、それは私にはわからなかった。
「それでも、厳しくしなきゃいけない時もある、愛してるからこそ怒ってあげなきゃいけない時もあるの。」
「……っ。」
私の言葉に、女性の表情が変化する。
「彼にとって、貴女が唯一の“家族”なんですから。」
「……家族、そうですよね。私がちゃんとしなきゃ。」
そして彼女は顔を上げて私の目を真っ直ぐに見据える。
「そう、その調子よ。」
困惑が表情に出ているものの、その中には確かに小さな覚悟も見て取れる。きっとこれならば問題ないだろう。
「頑張って、お姉さん。」
「……っ、はい。」
私は最後に彼女へ激励の言葉を送り、部屋を出た。
そして私は頭の中でそんな風景を思い浮かべながらアレスの問いに答えを返す。
「……今回は子供だから尻拭いしてあげたけど、やったことは立派な犯罪よ。繰り返さないためにも、しっかり反省して背負う必要があるの。」
「駄目な事を駄目って言ってくれる人がいるってのは幸せな事なんだから。」
如何に悪い事をしたとしても、相手は子供、私も少し対応が甘くなってしまうのは自覚していた。
その上で、大切なものを失ってほしくないと願ってしまった。
「どう受け取るかは本人次第だけどね。」
そして最後に付け加えるように言い放つ。
「……そういう優しさもあるんだな。」
「なんか言った?」
思わず感傷に浸っていた私は、アレスの言葉を聞き逃す。咄嗟に聞き返すが彼はすぐに首を左右に振る。
「いいや、なんでもない。」
あからさまにはぐらかしているが、私にはそんな事よりも重要な事があった。
「それよりも、こっちも聞かなきゃいけないことがあるんだけど。」
「…………ああ、言わなくてはいけない事があるな。」
いっそう真剣な声で尋ねる私の言葉に、アレスはゆっくりと目を閉じながら答える。
「貴方、女を斬れないの?」
こちらの意図を察している様子であったため、私はあえて単刀直入に問いを投げる。
「そういうわけではない。大した理由はない。ただ、彼女が少し、昔の知り合いに似ていただけだ。」
この言い方からして、赤髪の女性が苦手なのだろう。しかし、この男の性格からして、それが完全に正解であるとも思えない。素直に「女性は斬れない」と認識しておく方がベターだろう。
「だから女性が、ではないし、斬れないわけでもない。」
案の定私の言葉を完全に肯定しないあたり、放っておけばこの男はどこまでも無理をするだろう。
「でも嫌なんでしょ?」
「…………。」
アレスは黙り込んでその場に固まる。この男はつくづく分かりやすい。
「だったら先に言いなさい。出来ないことをさせようとするほど、無茶な作戦を立てるつもりはないんだから。」
「分かった、気を付ける。」
そう答える彼の表情がほんの少しだけ和らいだような気がした。
「それに今回だって見たでしょ?私の完璧な作戦!」
「ああ、流石の手腕だ主君。」
おだてているのが見え透いたその態度には少し釈然としないところもあるが、まあいい。
「当然でしょ!これが私の実力よ!」
この男もようやく私の偉大さを理解してきたようだ。
「ああ、後は修道服さえ戻っていれば文句無しだった、の……だが……。」
アレスは最後にそんな言葉を呟くが、私に視線を向けると共にその言葉が尻すぼみに小さくなる。
「はああぁぁぁ…………。もう、思い出させないで。」
アレスの言う通り、夜通し行った昨晩の捜索でも私の修道服を見つけることは出来なかった。
彼女らのアジトだけでなく、子供たちの家に回り、家族の治療までしたというのに、それでも見つけることが出来なかった。
「何というか、災難だったな。」
そう言い放つアレスの表情は、言葉とは裏腹に安堵の感情が混じった複雑なものになっていた。
「もう!なんで見つからないのよ!」
そんな苛立ちと共に、私の叫びが昼下がりの街に響いて消えていく。