5-15
本来ならば、秋津島が地球に降下するまで要する時間は150時間以上だ。
だが慌ただしい出港により時期が前倒しとなった上に、そもそもの降下タイミングが限定する作戦ということもあり、最終的に余裕を持って倍―――2週間の船旅となった。
その間、武蔵達は気密室となっているこの個室から出られない。
ポリタンクや乾燥食料を大量に持ち込んでいるものの、狭い部屋ではそれだけで不健康になってしまいそうであった。
「物資はまあ足りるだろう。慌てての出港だから不安だったが、早めに積み込まれてて助かった」
「体が鈍るのはどうするんだい?」
宇宙開拓時代ともなれば、宇宙での生活も充分ノウハウが蓄積されている。
疑似重力のないタイプの宇宙船で生活する上では、筋トレが必須であることは鈴谷もよく知っていた。
「作戦決行で衰えていたら事だ。ここで運動するしかない」
武蔵の回答に、女性陣二人は露骨に嫌そうな顔をした。
ただでさえ身体を清潔に保つのもむずかしい場所。トイレもないので排泄物も溜め込む以外にない。
ようするに既に臭いというのに―――更に狭い室内で3人での運動など、不快に他ならない。
「まあ宇宙船の宿命だ、諦めよう」
宇宙船の中、低重力下では効率的なトレーニングなど出来ない。
専用のルームランナーなども存在するが、この部屋にそんな便利なものはない。
武蔵達に出来るのは、なるべく全身の負担が均一になるように注意しながらのストレッチ程度だ。
「やらないよりはマシだ」
えっちらおっちらと身体を動かす武蔵。
3人同時に運動するほどのスペースなどないので、アリアと鈴谷はベッドに入っていた。
いい加減自分の体臭が染み込んで嫌になってきたシーツだが、換えなどあるはずもない。
鈴谷は早々に黙り込み、アリアは武蔵を難しい顔で見つめていた。
「武蔵、汗臭いのです」
「惚れた男の汗の匂いだぞ、喜べよ」
「500年の恋も冷めるのですよ」
突然船が大きく揺さぶられ、固定されていなかった武蔵は吹き飛ばされた。
しかし咄嗟に受け身を取り、平然と身を持ち直す。
「……吹っ飛ぶのも慣れたな」
「ですね」
曳船による、段階的な宇宙船の加速。
この時代で宇宙船を運用する為の、苦肉の策ともいうべき粗末な固形ロケット。
中に住む人間の負担など考慮しないそれは、重大事故を招きかけない無茶な航法だ。
だがさすがに何度も経験してきた武蔵は、固定具なしでもなんとか体勢を立て直すことが出来るようになっていた。
「これも、記憶がなくとも経験はある、っていうやつか?」
「なのです。私は未来世界でこういうロートル船に乗ったことはありません、少なくとも覚えている限りは。ですが、今の衝撃が何なのかは判るのです」
アリアがかつて乗船していた巡視船や、この艦隊の旗艦たる護衛艦やまとは「ロートル」のうちに含まない。
どれも艦齢100年を超えるまさしく骨董品であるが、それでも宇宙船として建造され宇宙用のリニアエンジンを搭載したこれらの船は真っ当な航行が可能である。
曳船の助けを借りて衝撃と共に航行するのは、秋津島を初めとした200年前の船達。
本来宇宙空間に対応していないだけあって、気密区画も少なく放射線対策もしていない。
船というよりは、宇宙を漂うコンテナといったほうが正しい。
なお、アリアと鈴谷は身体をベルトで固定しての休憩中。
突然の衝撃も、身体を揺さぶられただけで終わった。
鈴谷も衝撃と微かな音に目を醒ましたものの、すぐに二度寝である。
彼女は彼女で、大概タフであった。
そんな鈴谷の様子を見て、ふとアリアは思い出したかのように武蔵に意見を求めた。
「武蔵武蔵、鈴谷の嫌ってる葛城という指揮官なのですが」
「なんだ? 俺もそいつについては詳しくないぞ」
「清廉潔白な人物だと聞きましたけど、それがなぜ日本体勢が崩壊した後に民間人の虐殺を行ったのでしょう?」
「潔白過ぎて潔癖症なんだろ」
一言で返した武蔵に、アリアはちゃんと答えろと秘孔を突いた。
「クーデターを起こすのは判るのです。武蔵みたいな人間が台頭すれば、なんとかしなきゃって誰だって思いますよね」
「ひでぇ」
「でも、清廉潔白な人間が指揮する軍事組織が民間人を虐げるのですか? 単純に、実権を握ってみたものの統制を取る能力がなかった……というわけではないですよね?」
武蔵が直接見たわけではないが、葛城という人物は能動的に民間人への攻撃を行っていたらしい。
部下の統制を取れなかったとか、レジスタンス活動に対抗する為などではなく。
明確な意思の元、人間刈りをしていたと。
「清廉潔白だからこそ、暴走した人間なんて幾らでもいるだろう。十字軍とか、大東亜とか、明白なる天命とか、北の赤い革命家とか」
「そんなの、表向きの大義名分では? 教会の指導者やメガネの総理大臣が、理想なんて悪酒に酔っていたとは思えませんが」
前提からしてアリアは間違っている、と武蔵は思った。
なるほど、こうして見るとやはりアリアには技能はあれど経験がない。
何度もループしている武蔵と比して、何十年も未来に取り残された鈴谷と比べて子供らしさが残っているのだ。
3年間自衛隊にいた経験はあれど、それは対UNACT戦を意識した組織。
先の騒動にて対人戦闘の行動が取れたあたり、それはそれでちぐはぐである。
「アリア。世の中、アニメの中に出てくるような悪人なんていないんだよ。悪人にだって良心はあるし、聖人君子にだって気の迷いはある。黒一色の人間も、白一辺倒な人間もいないんだ」
真摯な信仰により聖地奪還に臨んだ騎士もいただろう。
支配からの開放を願い献身に捧げた兵士がいただろう。
文明を齎すべく対等な商売を試みた商人がいただろう。
「完全な悪人も、完全な善人もいないさ。歴史上にも、目の前の現実にも」
だというのに、後世の歴史家は彼等を枠組みに当てはめたがる。解りやすい英雄に、解りやすい大罪人に。
そんな調子では、なるほど人類史から学び戦争がなくなるわけがない。
「葛城って奴にも理想があって、私欲があった。それだけだ」
「まるで、元々あった配役に適当な人材を当てはめたような不気味さがあります」
人が運命を決めるのではなく、運命という穴に人が転がり落ちるような逆説的感覚。
それに、アリアは身震いした。
「そうだな。例えばタイムマシンで過去に戻ってヒトラーを殺しても、きっと別の指導者が現れて大戦は始まったんだろう。時計という発明が成されて人が時間に支配されるようになったように、支配者というのは逆説的に群衆に支配されているのかもしれない」
「歴史を変えられないというのなら、人類が滅んでしまうのも規定事項なのでは?」
「いや、これはSFによく出てくるような、超常的な力による歴史の修正力の話ではない。もっとミクロな事情が積み重なっての、マクロな集合意識による方向決定の話だ。マクロレベルの影響を与えれば充分修正が効く」
「なら、第二次世界大戦前にタイムスリップしたとして、どうすれば戦争が止められるのですか?」
「原子爆弾を持ち込んで、ヨーロッパを消し飛ばすとか」
「そりゃ戦争勃発は阻止出来るかもしれませんが、雑過ぎませんか?」
しかもそれはそれで、戦争になりそうな解決法である。
「あと消し飛ばすなら極東か新大陸か国内核実験慣れしてる北熊にしてください」
「こいつ、独立戦争とマレー沖のこと未だに根に持ってやがる……」
武蔵はちゃんと気付いてた。
先程の倒錯した理想について、彼女が半数の話をそれとなく除外していたことを。
「新大陸開拓はお前らの汚名だからスルーするのは判るが……赤旗フィスティバルもノーカンか?」
「開拓時代については、当方としてはノーコメントなのです」
「賢い選択だ」
「宗教を否定して宗教のように大きな霊廟に祀られてる川の人については、悪酒に酔っていたとしか思えません」
「賢い分析だ」
彼女もやはり、朝飯だけが美味い国の人間なのである。
「―――じゃあなんだい。あの男を殺しても、結局セルフ・アークは内戦になるっていうのかい」
狭い部屋でこうも話していれば、鈴谷は当然眠れていなかった。
狸寝入りしていた鈴谷の突然の声に、しかし武蔵は驚くこともなく答える。
「根本的に重工業が破綻して、食料生産量が不足するからな。他国からの支援も難民としての流出もなければ、残されたリソースの奪い合いしかない」
なぜ突然そのようなことになるのか、という話ではない。
延命に延命を重ねた100年間が、いよいよ終わるという話なのだ。
「多少強引でも、これを回避するにはどうすりゃいい?」
先程のタイムスリップ核爆作戦のように、大きな流れを変えるにはどうすればいいかを訊ねる。
武蔵はあっけからんと答えた。
「コロニーごと地球に落とそうぜ」
「死なば諸共やめい」
アリアがツッコんだ。
「コロニー落としは冗談半分としても、とんでもない事態を引き起こして争ってる場合じゃなくすのはアリだ。宇宙人が攻めてきたー、なんてことになれば食料不足も問題としては棚上げになる」
問題が議題に上がらなくなるだけで、依然として問題は残るのであるが。
「人間同士の友愛とか、平和の心なんて信じるだけ無駄だ。そんな方法論で世界が平和になった試しなんてない」
人が平和を願い達成してきた過去のパターンは、その全てが実益に通じる場合のみである。
そしてそれが可能であるならば最初からやっているのであり、つまるところ世界の改革―――パラダイムシフトが生じない限り、根本的解決はない。
例えば、人類が奴隷制を廃止出来たのはなぜか。
人道に反すると多くの人間が廃止に賛同したから?
否、廃止した方が儲かるからだ。
「だが問題の棚上げは所詮棚上げだ。時間稼ぎでしかない。まして、問題を先送りにした分の利子が後から付いてくる」
「利子?」
首を傾げる鈴谷。
「本来敵に回す必要のなかった敵を仕立て上げるんだ。それを打倒する労力は、本来払う必要のない経費だろう」
いつだって仲違いを収めるのは共通の敵。
人間とは実に愚かな生物であり、おそるべきことに例外はないといっていい。
だが共通の敵を用意するにしても、それは解りやすい悪であり妥当可能な塩梅でなくてはならない。
なまじ打倒不可能な強敵を作り上げてしまった場合、その負債は永遠と残り続けるのである。
そも、共通の敵を拵えての解決など歴史上、大概ロクな結末に至っていないのである。
「だから共通の敵はなるべく確実に打倒可能な、後腐れのない奴がいい。害獣とかウイルスとか、そもそも敵自体が虚構であったりだとか」
「それは……」
鈴谷は物申したげに、しかし言葉にならない歯切れの悪さの末に。
「まるで、悪酒だね」
武蔵の詭弁を、一刀両断した。
意外と適切かもしれない例えに、武蔵はケラケラ笑う。
「違いない。喧嘩してる馬鹿を酒で仲直りさせるなんて、よくある手段だな」
「それでアルコール依存症になったらざまあないのです」
鈴谷は深々と溜め息を吐く。
「悪酔いしてるのはウチだけじゃないさ。アイツだって、悪い酒に酔っている」
「どいつもこいつもアル中だぜ」
しかもそれは、互いの命を奪い合う酒乱騒ぎだ。
散々過ぎて、武蔵の笑いは乾いたものになっていた。
「酔わなきゃ、やってられないんだよ」
不貞腐れたように、毛布を被る鈴谷。
それ以上話しかけるな、という言外の意思に、武蔵達も言葉なく身体を横にすることにするのであった。




