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反復練習というのは、航空機にも存在する。
たとえば一度着地してそのまま離陸するタッチアンドゴーなど、まさに離着陸の反復練習用のマニューバだ。
それ以外にも、8の字に飛んで各種機動を習熟する練習はよく見受けられる。
整然と並び飛行する部員達の戦闘機、その中でふらふらと飛ぶ大型戦闘機が存在した。
「《ちょっと、逃げないでよ》」
「《逃げてない。予定通りの飛行をしているだけだ》」
「《その割に逸れてってるけど》」
「《他の選手が集中を乱すからと、部長に個人練習するように言われた》」
酷い言い分だ、と武蔵は思っていた。
武蔵に言わせれば、そんなことで集中を乱す方が悪い。
否、乱すだけならいい。
不意接近を装って武蔵の零戦を煽ってきたのが、武蔵をより苛つかせていた。
「《まあ、あれは酷いと思うけど》」
「《正常な認識を持っていてくれて何よりだ》」
「《いや、酷いのはあんたの罵倒だけど》」
「《……そうか?》」
接近してきたパイロットに対して、武蔵はありったけの罵倒をしていた。
下手くそ、間抜け、二度と空を飛ぶな、パイロットの風上にも置けない半端者、フライングうんこ、etc……
少女は思った。彼はうんこが好きなのだろうかと。
「《何にせよ、一人じゃ練習しにくいでしょ。付き合ったげる》」
「《そりゃどうも》」
単独飛行ではやりにくい訓練があることも事実なので、武蔵は少女の提案を受け入れた。
武蔵は結果的に孤立しているとはいえ、別に他者との接触を拒絶してはいないのだ。
彼とワンツーマンで練習する少女もまた、中学から始めたとは思えないほどに頭角を伸ばしていく。
「《ねえ、お尻を滑られるタイミングなんだけど……》」
「《確かに敵機を気にしすぎてワンテンポ早かった。一拍置いてからラダー蹴っても良かった。具体的なタイミングは地上に戻ってから教える》」
「《ここで減速してる気がして……》」
「《疾風は零戦より大型機だ、形状は同じでも体積あたりの空気の粘性が与える影響は違う。機体表面を流れる遅い気流の影響をモロに受けるから、それに捕まると無駄に減速するぞ》」
「《お母さんからさっきメールがあったんだけど、今晩の夕飯は青魚らしくて……》」
「《青魚は全般的に安い傾向があって家計に優しいし、不飽和脂肪酸が多く含まれているから悪玉コレステロールを減らす効果がある。好き嫌いせずに食え》」
「《うちにある3色ふりかけ、いっつもごま塩が余っちゃって……》」
《おにぎりなどで利用するか、いっそ調味料として割り切って料理に使え。他の2色と違って複雑な加工品ってわけじゃないんだ》」
如才なく少女のアドバイスに返答していく武蔵。
約半数が飛行機と関係ない気がするが気のせいである。
「……いや気のせいじゃねえよ」
「《何か言った?》」
「《…………。》」
武蔵は思った。めんどくさい。
カチカチ。
「《ねー武蔵。今週どっか遊びに行きましょう?》」
カチカチ。
「《あんたって貧乳と巨乳、どっちが好き?》」
カチカチ。
「《次その2回スイッチ入れる返事したら全財産ちょうだい?》」
カチカチ……カチ。
咄嗟に3回押すことで、『2回スイッチ入れる返事』ではないと主張する腹積もりの武蔵であった。
「さっきの適当な返事についての弁明を聞きましょう!」
「何を言う、自衛隊でも使われているれっきとした合図だぞ」
航空機は無線と共に発展してきた。
航空機と無線機の相性の良さは今更語るまでもないが、元来飛行機とは重いものを載せられず、無線機は巨大なバッテリーを必要とする為にとても重かった。
軽い飛行機に重い無線機を載せる、その矛盾は技術の発展以外に解決策はない。
航空機に標準的に無線機が載るようになったのは、結局は第二次世界大戦あたりからだ。
ならばそれ以前はどうしていたかというと、モールス信号専用の簡易無線機を載せたり、機体を振って身振り手振りで合図を送ったりしていた。
零戦の標準装備に友軍機と意思疎通する為のミニ黒板が搭載されている、というのは有名な話であろう。
ならば無線機が発展した現在においてその手の言語に頼らない意思疎通手段がないかと問われれば、そのようなことはない。
先の武蔵が使用した無線機の合図の他にも、翼を振るバンク、翼端灯の明滅でのモールス信号、通信筒の投下など色々と考案されてきた。
「……って、ライセンス取る時に習わなかったか?」
「えーっ。習ってないわよ、こんなの」
これは武蔵の勘違いだった。
無線機の信頼性が上がった昨今、これらの講義は存在していない。
勝手に武蔵が覚えて、基本的内容だと思っているだけだ。
「ふうん。じゃあ今度、私もやってみるわ」
その後の練習において、黒髪少女は部長に怒られた。
面白がって、練習中にカチカチカチカチカチカチしまくったのである。
なぜか武蔵も怒られた。
世はかくも理不尽である。
「お前らが仲がいいのは知ってるし、個人個人の交友関係に口出しはしない。だが、周囲の迷惑も考えろ」
「億千万の言葉で反論したいところですが、まずはご迷惑をかけたことを謝罪します」
あんまり反省した様子もないままに、武蔵は部長に頭を下げた。
続いて頭を下げる少女。さすがにこちらは顔色に反省の意思を滲ませている。
「ごめんなさい」
「ああ、うん。君はいいんだ。コイツが悪い。監督不行届だ」
部長は困ったように手を振った。
武蔵は気付いた。この男、かわいい女の子相手に追求の手を緩めやがった。
「とにかく、練習中にいちゃつきたいのならバンクとかで我慢しなさい」
「意義あり!」
武蔵は億千万の言葉で反論することにした。
「《というわけで、翼端灯を1度光らせたら『注目』って意味》」
「《内容の割に主張小さくないか》」
「《2回点滅させたら『バカ』って意味。わかりやすいでしょ?》」
「《使いどころが最高に判りにくいがな》」
「《3回点滅は『なんでもない』って意味ね》」
「《なら使うなよ。黙ってろよ》」
「《4回点滅させれば、『ア・イ・シ・テ……』のサインね。きゃっー!》」
「《5文字はなんだよ。ブレーキランプのリスペクトなら確定させろよ。なんで4文字で終わらせたんだよ。断末魔かよ》」
「《うへへ》」
「《はい撃墜》」
「《ぎゃーっ!》」
模擬戦中だというのに翼端灯をピカピカ点滅させる疾風を、武蔵の零戦は容赦なく撃墜判定した。
「《ずるい! 今不意打ちだった!》」
「《お前はこの1年なにを学んできたんだ。というか死体が喋るな。速やかに空域を離脱しろ》」
疾風は何度も翼端灯の2回点滅を繰り返しながら、空域から撤退する。
当初は翼を振るなどして合図を送ってきた彼女だが、あまりに頻繁にやるものだから「弁当でも食ってるのか」とクレームが武蔵に届いた為に禁止となった。
ならばと、彼女は独自の合図を考案したらしい。
翼端灯の点滅回数でメッセージを伝えたいらしいが、基本武蔵は無視した。
だいたいバカバカ言ってるだけなのだ。
その癖、武蔵が注目しろという意図で1度点滅させても気付かないまま飛行する。
「《さて、どうなるかねえ》」
武蔵は一人ごちて、操縦桿を握り直す。
この1週間、武蔵は自己鍛錬に励みたかった。
少女がやたら絡んでくるので零戦の調整が万全とはいえないが、それでもおおよそ完了したと言っていい。
40対1の、圧倒的不利な空戦。
明日に差し迫ったこの試合において、武蔵は負ける気はそうそうない。
そも、多くのエースパイロットは口にしてきた。
『乱戦の方が闘いやすい』、と。
それは1つの真実だと武蔵も考える。格闘技がそうであるように、戦闘機もまた一度に1機に対して攻撃を仕掛けられる機数は上限がある。
ならば、複数機に対応出来るエースならば、例え敵が100機であろうと翻弄出来るのだ。
無論、それが可能なのは本物のエースだけ。
並大抵のパイロットならば、数に押され完封されるだけだ。
だが、武蔵はそれでもなりたいのだ。
本物のエースに。
―――そして、翌日。
40機以上の大編隊が、ただ1機を落とす為に空に飛び立った。
試合開始のサイレンが、戦闘空域に、そしてオープンチャンネルとなった無線機に鳴り響いた。
同一高度からの試合開始。やはり最初に動いたのは、武蔵の零戦だ。
到達限界高度において、武蔵の零戦を上回る機体などこの場にない。
悠々と15000メートルまで登れば、既にそこは彼の領域だ。
なんならここで試合終了時刻を待てばそれだけで、武蔵は40機相手に引き分けに持ち込んだこととなる。
だが、武蔵は攻撃チャンスがあるなら逃す気はなかった。
部員達も、それは把握している。
よって彼等がとった戦術は、囮戦法だった。
味方の誰かを餌にして、敵機に優位なポジションを狙う。
それは世界大戦の頃から使用され続けた、空戦における基本にして王道。
幾つかのフォーメーションを組んだ中、1機のみふらふらと飛ぶルアー。
そんな露骨な誘いに食い付く武蔵ではない。
彼はフォーメーションの中で、集中を切らし僅かにふらついた機体に向けて急降下した。
途中、自らが狙われていると気付いた敵機は回避を試みるも、既に遅い。
一撃離脱にて存分に模擬弾を撃ち込まれ、標的は撃墜判定を受けた。
反転、再び急上昇する零戦。
それを狙うべく、殺到する部員達。
だが間に合わない。後一歩、照準器に収まるのに十字光像まで届かない。
やがて速度エネルギーを失い、落下する有象無象。
そこに再び、零戦が襲い掛かる。
部員達は悔しさに歯ぎしりした。
まるでシャチだ。雑魚を食い荒らし翻弄する、海の覇者だ。
また1機、また1機と撃墜判定されていく戦闘機。
ならばと慎重を期して大きく回り込み攻撃の機会を伺えば、零戦はだからどうしたと言わんばかりに空から降りてこない。
部員達は痛感する。武蔵は戦闘機の性能に頼っただけのパイロットではない。
機械のように正確で冷徹な判断で動く、1流のゼロファイターなのだ。
誰もが歯噛みする。
届かない。至らない。辿り着けない。
たった1機が、遥か高みに居る。
そんな現実が、彼等を打ちのめす。
「《――――――っ》」
ただ、1機。
巨大な翼を持つ日の丸の翼だけが、折れていなかった。
レストアされたばかりの、未だ調整不足な翼でありながら。
零戦を超越した4500馬力エンジンを有し、12,7ミリ機銃8門を備えた大型戦闘機が。
零戦を、武蔵を狙っていた。
「《……誰だ》」
高度8000メートルあたりを飛ぶ零戦、そこに降り注ぐ銃弾。
メクラ撃ちだ。かなり広い範囲に散布界は広がり、零戦に致命傷とはならない。
武蔵は上空を見上げた。
戦術で戦う以上は、武蔵は相当に周囲の敵機配置に気を遣っていた。
ならば、その更に外から撃ってきたのだ。
重力の影響を受けにくい、ほぼ垂直の角度から。
数千メートル上空からの、おおよその目算を付けての面制圧。
「《読まれていた。誰だ、お前は》」
このような射撃、よほど武蔵の行動を正しく先読みしなければなし得ない。
武蔵はそれが起こらないと思っていた。武蔵の戦術を否定する彼等には、それは出来ないと考えていた。
だが、一人だけ。
無知だからこそ、武蔵の戦術を読み切った選手がいた。
遥か頭上、敵機の翼端が煌めく。
「《お前か、サバイバー》」
突っ込んでくる、剥げた緑色の塗装の戦闘機。
黒髪の少女が駆る翼が、武蔵に宣戦布告を掛けたのだ。
武蔵は毛頭、相手にする気はなかった。
これまでのように、上に逃げてしまえばいい。
そう考えた武蔵だったが―――
1度、2度、3度……
つい、翼端灯の点滅回数を数えてしまう。
それだけなら対した意味はない。また馬鹿なことをやっている、程度の感慨を抱くだけだ。
だが―――
4度……5度。
「《はっ》」
そのメッセージの意味を考え―――そしてそれは、僅かな、だが否定しようのない明確な隙となった。
「《―――くそ、やってくれる!》」
その瞬間、4式戦闘機、疾風は武蔵の後ろに食らい付いた。
思い切り引かれる操縦桿。零戦は軽量な機体に相応しい軽業師のような機動でステップを踏む。
急降下から水平飛行に移行したばかりの疾風にはついて行けないはずの動き。
だというのに―――。
……間違いなく、操縦は拙い。反応は遅い。
だというのに。だというのに―――疾風は武蔵の零戦に追随する!
「《今まで4回点滅でからかってきたのは、今日の為の布石か―――!》」
彼女は温存していたのだ。
男子生徒ならば動揺せざるをえない、5文字のメッセージを。
今日この日の為に、あのくだらないやり取りをしていたのだ。
「《くっ、何故、どうやって着いてきてる!? 実力を隠していた、いや、まさかっ》」
そうではない。彼女はやはり素人だ。
武蔵ほどとなれば、一挙手一投足で相手の技量を読み取れる。
素人でしかない。
そう確信が持てるというのに、結果として武蔵は疾風を振り切れない。
武蔵は不可思議な感覚を覚える。まるで、零戦が疾風を牽引しているような引き離せないという確信。
冗談じゃない、と武蔵は震えた。
素人相手に何故、|犬の散歩《Side by side》されねばならないのだ。
焦る感情を堪え、シザース機動を繰り返す―――と見せかけて、4式戦闘機からの死角に入った瞬間、急上昇による離脱を試みる。
背後の敵から逃げるのに上昇する、というのは空戦においてはあまりない。
上昇力でいくら勝っていようと、どうしても上昇すると速度が落ちる。
零戦は優れた上昇力を持つが、それでも上昇中は絶好の獲物だ。
だが武蔵は敢行した。それだけ、シザースからのフェイントに自信があった。
経験不足の少女には、絶対に追えない。
だというのに、4式戦闘機は武蔵機を追い縋った。
「《まずっ》」
今の離脱は、一か八かの賭けだった。
武蔵が大嫌いなギャンブルだ。
彼は勝てる勝負しかしたくなかった。
元より一撃離脱戦法を止められた時点で、絶対的有利は破綻している。
ドッグファイトはどちらにも勝ち目がある。
機敏に動く機体は、なるほど戦っているという自己満足には浸れるだろう。
旧日本軍のパイロットがそうであったように、旋回戦こそが戦場の華だ。
だがそれだけだ。華がいつだって、いつまでも咲き誇れるわけではない。
一撃離脱だ。常緑葉のような面白みのない戦法こそ、戦場の最優だ。
だが、それは打ち破られてしまった。
零戦が安全確実に空に昇る距離感は詰められてしまい、最早離脱は困難。
だからこそ、武蔵はドッグファイトに応じる。
華のある、部員達が評価する戦いを演じる。
本人の意にそぐわない、派手でスタイリッシュな戦いを。
2機は天球を巡るように、何度もループを繰り返す。
―――やはり、こうなっては武蔵の身体は不利だった。
男子としては好ましい、年齢の割に高い身長。
だがそれは、エアレーサーとしては弱点となる。
脳の血が落ちて、意識に甘い誘惑を語りかける。
意識を手放してしまえ。限界を認めてしまえ。
「《くそくらえだ》」
武蔵は囁く悪魔に悪態を吐き、空戦機動を続けた。
だが、それも僅かな時間。
迫る4式戦。キャノピー越しに少女の黒髪まで見えそうな距離。
無数の12,7ミリ模擬弾の雨が、武蔵の零戦を貫いた。
その信頼性の高さと、人体は元より装甲車であろうと貫く破壊力を内包した12,7ミリ機銃弾。
まして近距離、それも8門一斉射撃とあって充分な投射量が零戦に供給される。
機内のディスプレイ、零戦の上面図が描かれた表示が途端に赤く染まった。
センサーが模擬弾を感知して、これが実弾であれば零戦が空中分解したと分析したのだ。
こうなっては、武蔵は潔く敗北を認めるしかなかった。
最強の戦闘機など、未だに幻想でしかなかったのである。




