4-19
武蔵は騎乗を前に、飛行前点検に取り掛かった。
初めて乗る機体、周囲は実質敵側であろう整備員。
伊勢は道理より利を取る男だ。おかしな小細工をされていたとしても、武蔵は意外とは思わない。
妙な小細工で武蔵の機が墜落すれば、伊勢はそれを間抜けと笑うだろう。
人の健康を外見で判断するのが難しいように、飛行機が万全かを外見で判断するのは困難だ。
それでも、知識さえあれば見えてくるものはある。
細かなクラックや動翼の違和感、外装の強化プラスチックから見え隠れする機体内部の様子を感じ取る。
スコーピオンの整備は、存外丁寧に行われている様子だった。
「虎の子のジェット機、手は抜かないか」
元より粗野な扱いを前提としたコイン機だ。劣化しやすいジェラルミンの大戦機より、よほど保存状態は良かった。
動翼は古き良きワイヤー式。動きも滑らかで、機器の状態もいい。
ついで補給品についてのチェックを進める。
燃料やオイルについての確認だが、今回は模擬戦なので機銃の確認もせねばならない。
スコーピオンに固定式の機銃はない。ハードポイントに直付けするガンポッドだ。
ブローニングM2重機関銃をベースとして制作されたガンポッド、その内部に収められた12,7ミリ機銃弾。
それを内蔵のように引きずり出すと、武蔵はあることに気が付いた。
「実弾だ」
見慣れた玩具のように青く塗装された弾頭ではない。
鈍く光る、鉛玉。
実包弾だった。
当然ながら、当たれば死ぬ弾だ。
なるほど、伊勢は正しく殺し合いを求めているらしい。
「武蔵、武蔵」
「はいはい、武蔵くんですよ」
アリアに話しかけられ、彼はおざなりに答えた。
「いいのですか? スコーピオンなんて乗ったことないでしょう。扱い慣れた零戦で戦うことも、交渉次第では不可能ではないと思います。なにせ零戦ですし」
「零戦の方が劣るって言い草が気に食わない」
「実際、零戦で立ち向かって一撃離脱されたら勝ち目はないでしょ。普通の空中勤務者であれば、ですが」
「まあな。俺に限れば、零戦に乗っておいた方が勝ち得はある」
カタログ上のスペックはスコーピオンの方が遥かに高いのだ。劣る零戦への機乗を望んでも、受け入れられる可能性はあった。
だが、そうではないと武蔵は首を横に振る。
「たぶんこれはパフォーマンスだ」
「誰に対してなのです?」
「第三者を決め込む自衛隊員に対する、だ。突然の試合だから観客は少ないが、後々に組織内での注目はかなり集まるだろう。そして、その結果を見て隊員達は判断する。どちらに義があるかと」
「そんなの、問答無用でこちらが正道では?」
「俺だって色々と汚い手は使ってるし、そもそも正道と義侠は別だよ。とにかく、俺は対等の機体で真っ向から伊勢を撃破しなくちゃならない。そうして初めて、彼等は戦う理由を得る」
アリアは深々と溜息を吐いた。
「面倒な人達なのです」
「アリアは職業軍人だな」
「馬鹿にしてます?」
「賛辞だ」
「《Wind 150 degrees at 4 knots, runway 03. cleared for take off.》」
「《This is zero second Roger, cleared for take off》」
「《May goddess be with you.》」
「《―――Thanks.》」
莫大な燃料を浪費しながら、航空機はタキシングを徐行する。
滑走路に出るまでに燃料ポンプが吸い上げる灯油量は、それだけでこの世界の一般家庭の年間消費量を軽く超える。
いかに効率のいい航空機であろうと、地面を走っているうちは世界最悪の燃費を誇る羽つきのバスだ。
地に落ちた冶金技術で再生されたジェットエンジンの金切り声を背に、武蔵は操縦桿を握り直した。
操縦桿のレイアウトが股を挟む古い位置であるのは、彼にとって幸いだった。
人体工学に則ったサイドスティックも悪くない。単純に腕が疲れないのは素晴らしいと武蔵も思う。
だが、やはり武蔵は旧来のセンターポジションにこそ馴染んでいた。
なんともセンチメンタルな非合理っぷりだと考えて、武蔵は苦笑した。
そもそも、この決闘そのものが非合理的であった。
そのまま押し潰せばいいものを、武蔵はわざわざ相手の土俵に立ったのだ。
あまりに愚かしい。そこに至るまでの、人々の嘆きを踏みにじっている。
「うるせえ、殺すぞ」
武蔵は、自身の中に囁く正論を黙らせた。
戦いたいのだ。
結局はそれが本質。武蔵という人間は政治屋でも正義の味方でもない。
エアレーサーなのだ。
だから戦いたい。戦いの中で雌雄を決したい。
ああ、あまりに愚かだ。自己嫌悪が捗って堪らない。
何より馬鹿げているのは、そんな武蔵を見送る花純が笑っていることだ。
「《ご武運を》」
凄惨な笑みではない。醜悪な狂喜ではない。
ただ、蕩けるように自然に頬が緩んでいるのだ。
甘味を前にした女子のように。獲物を前にした獣のように。
ああ、そうだったと武蔵は思い出す。
朝雲花純という女性は、騎士道に憧れるちょっとアレな女の子だった。
やがて飛び立った2匹の怪鳥は、つがいのように寄り添って、殺し合う為に空を登っていく。
「《ルールは?》」
「《Angel10から左右にブレイク。書類上は俺がLeadだ、ついてこい》」
当然のように武蔵機に先行する伊勢機。
憎たらしいほどに無防備に尻を晒すスコーピオンに、いっそ本当に撃ってしまおうかと武蔵は思った。
煤けた尻を端目に捉えつつ、武蔵はそれとなく操縦桿を揺らして感覚を掴もうと試みる。
あるいは零戦以上かと思えるほどに操縦性は素直で、能動的な操縦補正はない。
横転速度は思ったより早くはない。
「フラッペロンじゃなくてエルロンだからな。主翼も長いしエンジンも離れている、横転は苦手か」
スコーピオンという汎用機は、左右エンジンの間に専用のモジュールコンテナを搭載出来るようになっている。
作戦目的によってこの空間に、電子装備や誘導爆弾、観測機器などを別途取り付けることが可能なのだ。
こうして見るとあまり運動性能に固執した設計思想には見えない。
むしろ、事実としてスコーピオンの優れた運動性能は結果論としての要素も強いのだ。
アス比の高い細長い主翼、なんだかんだで重量の割に協力な2発のジェットエンジン。
高度6000メートル以上で滞空することを念頭に置いた飛行能力は、結果的にドッグファイトでもそれなりの性能を示すこととなった。
少なくとも、第二次世界大戦の戦闘機に空戦で劣るということは、基本ありえない。
大戦機は航空機としてのある種の到達点であり、21世紀においてもそれを超えるドッグファイターは正規の軍用機を除いてほとんど存在しなかった。
だからこそ、スコーピオンは警察機として広く使用されたのだ。
「上手く使えばドッグファイトでも優秀、ってあたり零戦の21型っぽいぜ」
武蔵の愛機たる零戦21型は、実はドッグファイトに強い機体ではない。
長い主翼、薄い防弾、貧弱な火力。
どれも、空戦性能において不利な要素だ。
だがそれでも零戦は伝説の戦闘機となった。その特性を理解して正しく運用出来るのならば、充分に格上の戦闘機と戦えた。
そんな尖った性格が、どうにもスコーピオンと零戦に似た雰囲気を感じさせるのだ。
「まあ、ジョーカーはこっちが握ってるんだけど」
問答無用で勝ちたければ、ここで花純がアリアに銃口を付きつければいいのだ。
アリアが死ねば世界が再構成される。
実質的な、伊勢陣営の破滅である。
だが武蔵はそうしない。
そんな方法を取るくらいなら、今回は諦めて次回に挑む。
人々の100年間を尊重する為の、人々の100年間を踏みにじるような決闘。
「《人類の未来を決闘で左右しようなんて、傲慢なことだと思わないか?》」
つい、武蔵の口調から自嘲が漏れた。
「《俗を捨てたいのなら、寺にでも入るんだな》」
返答した伊勢機は、武蔵を起き去るように加速した。
さすがの軽量機、高度計がやけっぱちのように何周も回転する。
伊勢機は武蔵機を待ったりなどしない。ただ効率的に、最適解で空を突き破る。
まるでスクランブル発進。伊勢に、武蔵を律儀に待つ理由などないのだ。
遅れるようなら、ただ黙って1000フィート到達と同時に粉砕する気だった。
「《ふん、現役を退いて何年だか。ウイングマーク持ってるのかよ》」
「《とっくに返上したに決まっているだろう》」
だがこの手の急上昇は、武蔵も得意とするところだ。
それに悠々と先行する伊勢に驚くべきか、それとも初めての機体で正規パイロットであった伊勢に食らいつく武蔵を評価すべきか。
何にせよ、2機は天空のコロッセオに到達し―――左右へ、銀翼を翻した。
初手は、互いに同様であった。
ひたすらな上昇。10000フィートからの交戦と定めたものの、10000フィートでバカ正直に戦う者はいない。
メートル表記するならば高度3000m。スコーピオンの上昇限界は13000以上なので、まだまだ昇る余地はある。
やがて、コロニーの天井に2機は上り詰める。
高度15000メートル。15キロ程度、彼らにとって登れなくはない高さであった。
何度も大きく旋回を繰り返し、牽制を繰り返す。
定石に忠実だからこそ、2人は不用意に仕掛けられない。
限界まで登りつけた以上、位置エネルギーは同等。
両者共に確信がある。
先に動けば、後の先を取られ一方的に食われると。
機体が内包するエネルギーに差が生まれた時、敵は容赦なくその間隙を貫くと。
だが、それでお互い無視して遊覧飛行するわけにはいかない。
僅かな挙動から牽制し、相手に意図を誤認させようと試み、隙を付いて背後を取るべく緩慢に旋回する。
あたかも2匹のコンドルが遊回するような、優美な空。
だがその実、彼らが互いに喉元に切っ先を滑らせるような殺陣を舞っていた。
最適解だからこそ、その軌道は時に左右対称に、時に同心円状に2機は駆ける。
それは、分厚い大気と機動兵器の装甲越しであっても、結局のところは人間同士の殺し合いであった。
「《――――――っ》」
武蔵は静かに歯を食いしばる。
途方もない精神力の消耗。一つミスをすれば肉を食い散らかされる、猛獣と猛獣の果たし合い。
何度いっそ突っ込んでしまおうかと考えたか。どれだけ高度を降ろせれば気が楽か。
だが、それをすればドミノ倒しのように戦局は崩れ、敗北が武蔵に笑いかける。
誰よりも自由であるはずの空で、彼は全ての自由を奪われていた。
不用意に操縦桿を1センチ動かせば、敵に殺される前に失速する。
15000メートルとは、そういう高度だ。
人どころか、飛行機にさえ優しくない世界だ。
無論、この高さを悠々と飛べる飛行機も存在する。
おおよその本格的ジェット戦闘機であれば、この世界であっても戦闘マニューバをこなせる。
だが、スコーピオンはジェット機とはいえ所詮はコイン機。
22世紀としては破格の空戦性能である。この1機でB―29の大編隊を壊滅させられる。
だが、ここがこの翼の限界なのだ。
だというのに。
そのような道理を無視して、伊勢機は武蔵機より更に上にいる。
「《天井―――?》」
伊勢機の奥に、武蔵は壁を見た。
「《ここらは屋根が低い、上に墜落なんて間抜けはしてくれるなよ》」
セルフ・アークはトーラス型の亜種のような形式のコロニーだ。
星型エンジンのように、複数の皿をワイヤーで吊るして回しているというべきか。
多少の重力偏差は許容しているので、結果的に傾斜地となった場所もあるし、標高にも違いがある。
場所によっては、航空機が天井に手が届いてしまうのだ。
既に、コロニーの天井を這うように飛んでいる伊勢機。
あそこまで高く飛べば、かえって行動が制限されるはずだ。
武蔵が訝しむのは当然。
あえてリスクを背負ってまで、なぜその数十メートルを武蔵機より優越したがっているのか。
いくら位置エネルギーというものが馬鹿に出来ないとはいえ、数十メートルでどこまで変わるのか。
「《うん―――?》」
武蔵は違和感を感じた。
離陸時から掴もうとしていたスコーピオンの癖が、僅かに彼の認識とズレたのだ。
さてどうしたものかと武蔵はデジタルディスプレイに表示された計器に視線を走らせ、背に冷たい汗を感じた。
「《ビンゴ、だと!?》」
なんたる無様か。なんというミスか。
武蔵ほどのパイロットにはあるまじき、初歩的な失態だった。
だがそれでも、ばかな、と目を疑う。
武蔵が燃料計に目を向けていなかったのには、それなりに根拠があったのだ。
スコーピオンは機内燃料だけでも航続距離2000キロを超える、優れたフェリー能力があるはずなのだ。
しかし実際は、まだ500キロも飛んでいないのに燃料が尽きかけている。
まるで近所で戦争していたが故に、航続距離を軽視していた欧州機のようだ。
コロニー内部での運用に合わせて燃料タンクを小型に改造していたのかと疑うも、そうではないと切り捨てる。
重心が変わるほどに燃料が減っているのだ。燃料自体は、本来の設計と同じだけ詰め込まれていたはず。
だというのにこの燃費の悪さ。
「《ああ、違う、そうだ、このジェットエンジンは安かろう悪かろうなメイドインジャパンだった》」
武蔵は歯噛みした。
21世紀製の電動コンプレッサーを降ろして、22世紀に新造されたジェットエンジンを搭載したのだ。
この世界の技術力で、武蔵の知る旅客機などに使用されていた高効率なターボファンエンジンなど作れるはずがない。
このスコーピオンに搭載されたジェットエンジンは、必要な性能を得るために燃費を犠牲にしているのだ。
「《いや、だがそれなら伊勢も条件は同じはず―――》」
見上げて、武蔵は見た。
伊勢機の翼端から渦が生じ、それがコロニー天井に吸い込まれるように消えるのを。
天井の存在が、航空機に空力的な影響を及ぼしている。
それを、武蔵は知っていた。
「《地面効果……!》」
この場合は天井効果というべきか。
飛行機は翼が揚力を生み出している。
ベルヌーイの定理に則り、下面の気圧が大きくなり、上面の気圧が低くなる。
気圧の低い上面、その上に更に蓋があればどうなるか。
翼を引き上げる気圧は更に低くなり、飛行機は低燃費で飛べるのだ。
「《くそったれ! さっきの天井に気をつけろって発言も、これに気付かせない為のブラフかよ!》」
「《はん》」
伊勢が鼻で笑い、武蔵は確信を深めた。
伊勢機には、武蔵機よりはるかに燃料が残っている。
事前にこのクソ燃費を知っていたのか、飛行中に気付いたのかは判らない。
だが、武蔵に隙を見せないように心がけ、更に低燃費での飛行に注力した伊勢が一枚上手であったと言わざるを得ない。
武蔵は操縦桿を、思い切り横に倒した。
こうなっては持久戦は不利だ。なんとか事態を変革して、ギリギリの勝利を狙うしかない。
武蔵が嫌いな、賭けの要素が強い戦い方だ。
長い主翼が揚力を喪失し、スコーピオンは一気に落ちる。
それはまさに落下だ。蜘蛛の糸一本で高度15000メートルに留まることを許されていた強化プラスチックのサソリは、糸を切られるだけで地獄の底へ真っ逆さまだった。
軽量な機体は、木の葉のように拡散されながら高度を落としていく。
パイロットにかかる重圧も半端ではない。常人なら、それで意識を手放すほどだ。
だがそれでも武蔵の目は計器を、そして伊勢機を睨んでいた。
ある程度距離が開いたところで、機首を上げて緩降下へと切り替える。
奇しくもそこは、Angel10。
富士山より若干低い高さから、武蔵機は凧のように降りていく。
対して伊勢機はといえば。
当然のように、当初より緩やかな降下を一貫していた。
武蔵が一気に降下したからといって、伊勢がそれに付き合う義理などないのだ。
それこそ、悠々と上をとったまま燃料切れを待てばいい。
武蔵はもう、基地への帰投など諦めている。
不時着か着水か、どこか適当に降りる気満々だ。
さすがに武蔵も、市街地の上を飛んで人の盾で身を守ろうという気はない。
海上にそっと降り立ち、船のように進む武蔵機。
気圧の高い地面すれすれまで降りれば、随分と燃費も改善する。
武蔵は伊勢機の現在位置を確認した。
およそ高度500メートル。充分に低空だが、武蔵が予想したほどではない。
もしそれこそ数千メートルで滞空するつもりなら、適当に身を隠して一時着地してしまうつもりだった。
だがここまで降りてきたということは、伊勢は武蔵を直接殺すつもりなのだ。
なるほど、時間切れなどという幕切れは彼としても面白くないらしい。
だが仮に今、無理に上昇に転じて機銃を上に向けたとしても高度500メートルの伊勢機には届かない。
絶妙に一方的な攻撃が可能な位置を陣取る当たり、さすがに熟練だった。
「《急くな、まだだ》」
見れば、燃料計は既に0を示していた。
0と同時にエンジンが止まるわけではないが、警告音声がしきりに着陸を求めてくるのは鬱陶しい。
光がコックピットの脇を駆ける。
機銃弾だ。伊勢機が後部上方という、実に古典的な角度から武蔵機を狙っている。
回避運動をしようにも、既に速度は時速100キロを切っている。
広大な空と比すれば、まるで止まっているかのような速度。
武蔵は自分に言い聞かせる。
諦めるな。
どこかにチャンスがないか探れ。
1対1で敵わないのなら、外的要素で差を作れ。
次の瞬間、武蔵機は急上昇していた。
アップバーストだった。
周囲の雲や気圧からは想定出来ない、本当に突発的な強い上昇気流だった。
吹き飛ばされるように空を昇った武蔵機は、伊勢機にありったけの12,7ミリ弾を撃ち込む。
コックピットは見えた。きっと、伊勢からも武蔵が見えた。
だが、フルフェイスヘルメット越しとあっては、彼がどのような目をしていたかなど判らなかった。
武蔵としても、とても実力で勝ったなどと旨を張れる結果ではなかった。
勝負は時の運とはいえ、あまりに情けない勝利だった。




