3-4
「タバコ、吸ってもいいですか?」
「換気扇の側で吸う分には文句は言わないが」
無重力に上も下もないが、宇宙船には便宜上の上下はある。
月や地球の影響、船そのものの加減速による慣性、巨大な質力を持つコロニーの作用。
様々な要因から微重力は存在するので、重力に対する船の向き―――『下』は、宇宙船にも定められているのだ。
当然ながら船内に満ちた空気中の微粒子も重力の影響は受けるので、傾向として空気の汚れは下に落ちる。
ようするに、宇宙船の換気扇は足元にある。
これは長期滞在を前提とした宇宙船であれば、国際宇宙ステーションの時代から変わらぬ伝統だ。
というわけで、見かけ上は上下逆さまとなるアリア。
別に武蔵が便宜上の上下に従う理由もないので、話しやすいように彼も上下反転した。
完全にオフモードなのか、アリアはリラックスした様子で軍用タバコを取り出す。
武蔵はふと思い出し、懐から箱を取り出す。
「俺がいたクルーザーに、良品のブランドタバコあったぞ」
「おおっ! くださいっ、分けてください! なんでもしますから! 部下が!」
「お前が身銭切れよ」
前回も行った、小遣い稼ぎ用の古いタバコ。
とはいえ花純が味方に着いている以上、金策に苦労する予定もない。
気前良くアリアに分けて、機嫌を取った方が良策と判断し、武蔵はカートンを幾つか手渡した。
「ああっ、素晴らしいのです! これがあれば10年は保つのです」
「いや10年分はないだろ。カートン1つで200本だから、1日1本と考えてもカートン18本以上必要……あれ、全部渡せばいけなくもないのか」
「いえいえ。ブランドタバコと安物の軍用タバコを交互に吸って、高級品の美味しさを脳内で持続させるのです」
「お前はうなぎの匂いだけで白飯食える隣人か」
実に美味しそうに、タバコの味を知らない武蔵ですら興味を唆られそうなほど至福の表情でタバコを嗜むアリア。
100年前でこんな幸せそうな顔を見たことがあったかな、と武蔵は少し悔しい気がした。
かつての思い出が、タバコに負けた気がしたのだ。
「―――んっ、なんなのです?」
「いや、そんなに美味いものなのかなって」
「試してみます?」
武蔵は首を横に振る。
「誰が好き好んで肺活量損なうか」
「みんな吸ってますけどね」
赤信号理論だろうか、と武蔵は胡乱な目をアリアに向ける。
リスキーシフト現象。赤信号、皆で渡れば怖くない。
「俺は酒とタバコとピアスだけはやらないって決めてるんだ」
「ピアス、ですか?」
「だって怖いじゃん。身体に穴開けるんだぞ、正気の沙汰じゃない。ある種の自傷行為だ。カッコ良さなんて感じない」
「じゃあ、女の子のピアス穴ってどう思うのです?」
アリアが髪をかきあげると、耳たぶに穴があった。
高校生の頃にはなかった、と武蔵の記憶にはある。
武蔵はケッと吐き捨てた。
「色気付きやがって。ビッチめ」
「うっわピアス程度で売女呼ばわりとか、武蔵って童貞くさいです」
「冗談だよ。ある種の儀式だろう、お前がどんな意味を込めたかは知らないが」
タトゥーほど致命的な不可逆ではないが、明確に身体に傷を残す措置だ。
そこには、何かの覚悟が伴わないはずがない。
アリアのことなので、それはきっと何か美しい有り様だったのだろうな、と武蔵は想像した。
「そういえば」
「ん?」
「私がタバコを吸ってることに特にリアクションありませんでしたね」
「しまった」
武蔵が失策を自覚すべきは、アリアが喫煙者となったことを知っていたことではなく、ここで油断し過ぎて「しまった」とか言っちゃったことに尽きるであろう。
久々のアリアとの会話に楽しくなっていた武蔵は、少し過剰に気を抜いてしまっていた。
「武蔵? 何がしまった、なのです?」
「いや、しました、って言ったんだ。薄かったけど、リアクションしました。ってな」
「はあ」
訝しむアリアであったが、喫煙のリアクション程度で食い下がることはなかった。
スパスパと煙をふかすアリア。
「あれやってくれ、あれ。煙が輪っかになるやつ」
「私はイルカではないのですよ」
作業着の胸元を開け、大きく伸びをして猫のようにくねくねするアリア。
完全にリラックスしていた。
「ねえ、武蔵」
「なんだ?」
「武蔵は私達が、どうして未来に来てしまったのだと思いますか?」
「さあ、検討もつかん。お前の主観ではどんな感じだったんだ? 21世紀の大会当日にはお前は昏睡状態になってたが」
「その前日に普通に就寝したのが最後の記憶です。その後、目が醒めたら東京で、95年後でした。……武蔵の方はどうなのです?」
「……俺も似たようなもんだな。大会当日にウトウトしてしまったと思ったら、95年後に目が覚めた」
つい数時間前に目覚めました、では色々と現状認識出来ているのが不自然なので、武蔵は目覚めのタイミングをアリアに合わせて捏造した。
「どうなるんでしょうね、私達」
それは、これほど特異な状況にありながら、まるで学校の教室で漠然と呟くような普遍的な未来への不安であった。
「私だって、ふと将来についてどうしようもなく不安を覚えることがあるのです。私にはもう、帰る場所がないので」
「お前の実家について、何か情報はあったのか?」
「実家というかベスの生家ですが……花純が言うには、行方不明となってしまったそうです。あんな時代です、そんなこともあるんでしょう」
アリアは日本人とヨーロッパ人のハーフだ。
黒髪黒目以外の人種は、国際国家を目指していたセルフ・アークでは少数派ながら珍しいというほどではない。
だが、それでもマイノリティに寄る辺が乏しいのは現実であった。
「いつまでも、1人で生きられるほどこの世界は優しくないのです」
「……誰かと一緒になるのか? アテでもあるのか?」
「武蔵、ちょっと声高くなってます」
微妙に声色が焦っているのがなかなかキモかった。
「まあ、自衛隊にいれば悪くないと思える男性も多少なりいますよ。消去法ですが」
アリアをどうにも異性と見きれない武蔵としても、なんともモヤモヤさせられる話だった。
武蔵にアリアの婚活を妨害する正当性など微塵もないのだが、それでも面白くはないのである。
「今だったら武蔵のハーレムに加わってもいいのですよ、資金力次第では」
「消去法で?」
「夜の相手の頻度も少なそうなので。月一くらいで、天井のシミと世界地図の国境との類似点を探しているうちに終わるでしょう」
武蔵は思わず天井を見上げた。
さすがに古い船とはいえ、宇宙船の天井板にシミはない。
少し色褪せているだけだ。
「残念ながら地球上の国境は現状消滅中だ」
「白地図ですね。地理の勉強が楽そうです」
「はあ。それにしてもアリアちゃんがシモネタとは、自衛隊に毒されたな……」
「大人になるって悲しいことなのです……」
どうしても男世帯になりがちなので、下世話な話題には事欠かないのだ。
いつまでも初心な女の子ではいらなれなかった。
「まあこれはこれで国境っぽいのです」
「普通の正方形をつなぎ合わせた天井板に見えるが、国境線?」
「ほら、天井板の繋ぎ目の直線、アフリカ大陸にありがちな直線国境に似ていません?」
「直線国境ってだいたい碌でもない地域だけど」
「不自然な直線は血で引かれた赫道なのです。土に塗れた魂の数だけ、我が祖国の偉大さを感じるのです」
「お前ほんと三笠とそっくりだよ、そういうところ」
「ミカサ? 誰なのです?」
「誰って……ベスだよ。エリザベスちゃん」
アリアは怯んだ。
「……武蔵、ベスと出会ったのですか? どんな関係なのです?」
「おやおや嫉妬か? うい奴め」
「真剣に聞いているのです」
言いつつも、アリアの声色は弱々しかった。
それを問うと、彼女はこう言う。
「今更合わせる顔がないのです」
アリアは黙考して深呼吸して、ため息をついた。
「ベスは私の友達なのです。変な影響が出るので関わらないで下さい」
「子供の友人関係に口出しする親みたいな言い草やめろ」
少し思案する武蔵。
「彼女との関係は、友達……ではないな。知り合い。運命共同知り合い体」
「それただの連帯責任じゃないですか」
あるいは腐れ縁。
縁という鎖は腐ってもなかなか千切れないから厄介なのだ。
「親しくなったわけではないのですね」
「それでも最近は弱点を見つけたぞ。アイツは議論が通じないアホに弱い」
アリアは首肯する。
「そうなのです。政治家は子供に弱いものなのです」
ある意味至言かもしれない、と武蔵は関心した。
政治家は泣く子には勝てない。
議論の場で泣く大人など嘲笑の対象でしかないが、口喧嘩で泣く子供は精神年齢の未成熟さを加味される。
世間様の目を気にせねばならない政治家はどうしても対応が甘くなるのだ。
みっともなく泣き喚く子供じみた未開な国家が跳梁跋扈していたのも納得である。
「……あれ? 私達、何の話をしていたのでしたっけ?」
「三笠の弱いところ談義だろ」
「あの子はへそが性感帯なのです」
「え、なんで知ってるの? 探り合った仲なの? ジャングル探検隊なの?」
「違うのです。今のはオフレコなのです。忘れなさい。あとベスはステップ植生なのです」
忘却を命じられたはずなのに、余計な情報まで追加されてしまった。
次に三笠に会ったらへそあたりを凝視してしまう確信のある武蔵であった。
「その前の会話ですよ。ああそうだ、養ってくれるならハーレムに入ってもいいという話でしたね」
「悪いが俺、愛がないとダメなタイプなんだ。おい笑うな。愛を笑うな」
「ぷぷっ。はいはい、大切ですよね愛。ラブとピースはエターナルなのです」
ツボに嵌ったアリアがゲラゲラ笑いを終えるまで、1分ほどかかった。
「傷付いた。あー傷付いた。俺のラブハートがブロークンだ」
「そんな繊細ではないでしょうに。ですが、愛ですか。武蔵の愛の基準ってなんですか?」
アリアが何気なく、しかし真摯な瞳で問う。
「えらく無粋な質問だな」
「前々、100年前から思ってたことなのです。武蔵はいろんな女の子を口説いてましたが、そこに愛はあるのかなって」
他の女性を引き合いに出したが、これはアリア自身についての質問だ。
武蔵はふと、そう直感した。
「武蔵のハーレムに入った子って、みんなかわいいですよね」
「厳選したからな」
「じゃあ、もし彼女達が火傷とかしてかわいくなくなったら愛は消えるのですか?」
「嫌らしい質問をする」
武蔵としても、この問いには閉口せざるを得ない。
だがそれでも、真剣に問われた以上はちゃんと答えようと心の中から言葉を探した。
「……そうだな、愛おしいという感情は冷めるかもしれない」
「うわぁ」
ドン引きした、というよりはどこか寂しそうな声を漏らすアリア。
「けど、それって特別なことじゃないだろう。少なくとも、21世紀以前では」
「どういう意味なのです?」
「容姿が劣化していくのは、別に病気や怪我だけが理由じゃない。歳を取れば、どんな美少女だっておばさんになる。美少女とピースはエターナルじゃない」
冷静に、客観的に見れば容姿に惹かれた恋はいつか終わる。
「だが、その反証もある」
「シンプルな疑問に面倒くさい返事をするのは武蔵の悪癖なのです」
「だまらっしゃい。……子供が巣立てば雌雄が別行動に戻る動物なんていくらでもいる。メスだけが子育てをする、オスはヤリ捨て専門の動物だっている。育児放棄する動物だって、産めば死ぬ動物だっている」
「愛という概念は人間の特権と?」
「少なくとも、人間はパートナーとずっと共にあることを選んだ。そういう在り方を選んだ生物だ」
一夫一婦制の動物自体は珍しくはない。
近年において離婚率が増えていたとはいえ、人間は基本的に離婚する前提でつがいにならない動物だ。
「テロメア伸長措置なんて技術で、美少女はいつまでも美少女のままだ。けど、それ以前の人類はどんな絶世の美女も美男子も加齢と共に老いていった。老いた夫婦が一緒にいるのは子供を育てる為のただの手段か? それとも、見た目が劣化しても尚一緒に居たいと思えるほどの絆があるのか? そんなの、わからん」
かつての人々は相手が老いて美しくなくなると承知しながらも、一生一緒にいることを覚悟して婚儀を結んだのだ。
それは一時の気の迷いか、社会通念という強迫観念が強いた幻想か。
「わからないよ。俺みたいなガキンチョには、愛が普遍かなんて、やっぱり解らない。悟ったように綺麗な言葉を言いたくはないし、愛ってものに諦観したくもない。けど、やっぱり愛って感情そのものは否定出来ないと思う」
「なぜ、です?」
散々否定的なことを言っておきながら、それでも愛を否定しない武蔵。
その意図を問えば、武蔵はこう答えた。
「愛、って言葉があるからだ」
何言ってんだこいつ、とアリアは武蔵をアホを見る目で見た。
「じゃあなんです、超能力って言葉があるから超能力はあるのですか? 宇宙人って言葉があるから宇宙人はいるのですか?」
「宇宙人は居たんだよなぁ……」
人型ではないが、UNACTはれっきとした宇宙由来の生物である。
かなり後々となって考えてみればアリアの今の発言はとんだ皮肉であったが、今は関係ない話。
「愛がなければ男女は愛し合わないだろう。男女が愛し合わなければ子供が生まれない。愛がなかったら、人類はとうの昔に絶滅してる」
「気持ちいいからセックスしてただけでは?」
「十万年だ」
すっぱりと言い捨てる武蔵。
「人が動物から人類になって、もう十万年だ。世代でいえば、ええっと、平均出産年齢が25歳とすれば4000世代だ。4000回も連続で『気持ちいいから』って衝動だけで命を繋いできた、とは思いたくないだろう」
「願望ではありませんか」
「それが悪魔の証明であっても、それだけの反証があれば実質的な否定はできる。数学的証明では論外だが、確率的証明としては充分な統計だ」
100匹の黒いカラスがいれば、101匹目は白いカラスである可能性があるとして「カラス=黒」を否定するのが数学的証明だ。
対して100万匹の黒いカラスを集め、これだけいて白いカラスがいないのだから「カラス=黒」を肯定するのが確率的証明となる。
「論理的には確率的証明は確実ではない。ないが、標本数が2000を超えると標本誤差は平均化されて母集団の実用に耐えうる解が割り出せる。2000世代を繰り返すのに必要な年月は5万年だ。はい証明完了」
武蔵は手をパンと叩いてみせた。
「どうだ見たか。人は、5万年かけて愛を証明してみせたんだ」
「……武蔵は、変な哲学を持っているのですね」
これにはアリアも苦笑をせざるを得なかった。
ただの詭弁、詐欺である。
だというのに、アリアは武蔵の弁になぜか納得してしまったのだった。
作中の愛の証明に使用した確率的証明云々はあまり深く考えないでください。
適当にぐぐってそれっぽいことを書いてるだけです。




