3-3
月曜日の朝は憂鬱。
そんな文句があるも、実のところ目覚まし時計で叩き起こされるだけマシなのかもしれない。
えも言われぬ、泥沼の底からの現実回帰。
向かう方向すら判らない当人にとって、それは暗闇のような不快感を感じさせるものだった。
―――それでも、そんな世界でもやはり光はある。
微かに見えた天望に、武蔵は無意識に手を伸ばしていた。
「……おはよーございますみなさん。やまとむさしです」
底なし沼から浮き上がるかのような、深淵よりの帰還。
意識の覚醒とはなぜかくも不愉快なのか。血圧の問題か、性根の問題か。
信濃あたりがペロペロしながら起こしてくれたら爽快なんだけどなー、なんて思考がいよいよ俗物下世話になってきた頃、武蔵はようやく身体を起こすことに成功した。
無重力の宇宙空間。ぎこちなく軋む四肢に困惑し、コールドスリープのポッドから飛び出す。
「システムキドウ。ガーガーガー、ナンダコレハ、マサカ頭脳ガ機械ニサレテシマッタノカ?」
寝ている間に脳みそを改造されたごっこをしつつ、いつもの室内探索と洒落込む。
しかし慣れたもの。ゲームのタイムアタックのように必要なアイテムを入手し、最低限の安全を確認してブリッジへ向かう。
「今回は過去で色々と布石を残せたはずだ。夜中に書いた未来情報がどれだけ100年に影響を与えているか、情報収集しないと」
完全ではない。武蔵が有する最大のチートも未回収だ。
だが武蔵が過去に残した情報を活用すれば、あるいはUNACTの殲滅も不可能ではない。
衰退した前回、前々回のループ世界の技術ですらUNACTに最低限対抗は出来たのだ。過去の充分に発達した技術文明ならば、正しい対抗策を知っていれば人類は勝てる。
見込みは、十二分にある、はずなのだ。
「でも現に大型クルーザーはこうして漂流してる」
事前にこの船を花純に抑えさせ、誰が武蔵をコールドスリープさせているのかを調査させるのも考えた。
だが人の気配を感じれば犯人は他の船に武蔵を放置するかもしれないし、そもそもラグランジュポイントに大量に浮かんでいる宇宙ゴミから武蔵の目覚めたこのクルーザーを特定するのは困難。
彼に出来たのは、目覚めて以降の漂流座標を書き残すことだけだった。
「前回はバタフライエフェクトや歴史の修正力について考察出来るほど過去に介入していなかったが、今回はその辺をはっきりさせないと」
しかし判明したことを列挙すれば、それ以上に不明瞭な事柄が続出するのも事実。
特に今回など、時雨に刺されるという意味不明な事態が生じてしまった。
双子がループしていたことから鋼輪工業空部の面子もループしていると武蔵は仮定したが、そう考えると時雨の行動が前回と被らないこと自体に不可思議な点はない。
彼女もまた、違う結果を出そうとして行動を起こしたのかもしれない。
「痛―――」
幻痛であった。
まったく違和感も何もないので忘れていたが、確かに鋭い刃が武蔵の腹を裂いた。
腹部を確認すれば、そこには確かに裂傷が塞がった痕が残っている。
ループのたびにUNACTに飲み込まれているのだ。常識的に考えれば複雑骨折どころではないダメージを毎回受けているはずであり、なにかしらの治療が毎度施されていると予想していた。
やはり、何者かの意図がある気がした。
何者か―――仮に黒幕と呼称するとして、黒幕はわざわざ意図的に武蔵を未来に送っているのか。
確かにUNACTの力を利用しているのかもしれない。だが、武蔵をここに連れ込んでる何者かが、確かにいる。
「あーだめだ、また推測に推測重ねてる。ドツボだ……」
とはいえ、それは今はどうでも良かった。
思い出すのは100年前。時雨は起こすべき行動として、『武蔵の刺殺』を選んだ。
「殺意は―――あった」
面白くはない。
ないが、認めねば判断を誤ってしまう。
「あの時、時雨は俺が生きているのを確認してから錯乱した。時雨の思惑は失敗したんだ」
時間はない。効率的に、早急に行動していかねばならない。
そう考えるも、武蔵の身体は虚脱していた。
「―――時雨が、俺を殺そうとしたのか」
自分が存外ショックを受けていることが、武蔵にとってショックだった。
人を殺しても誰かの命運を捩じ曲げても鼻で嘲笑っていられた大和武蔵という人間も、やはり人間だったという点において武蔵自身が意外性を感じていた。
「ええい、知るか。感傷に浸るにしても今じゃないだろっ」
この時間軸においても、時雨は宇宙のどこかにいる。
そして、次回に備えて武蔵への殺意を漲らせているのかもしれない。
とにかく、やはり結局は情報収集なのだ。
ブリッジへ辿り着く。
見栄え重視の開放型ブリッジは、暗く深い宇宙をただ透かせてる―――わけではなかった。
「なるほど、過去はやっぱり未来に影響するんだな」
当たり前といえば当たり前。
だが、その光景は武蔵にある種の感動を覚えさせた。
白い巡視船―――『いなさ』が、大型クルーザーに最初から横付けされていたのだ。
「あー、アリア?」
武蔵はドッキング機構を通り抜け、その先で待ち構えていた小柄な人物に話しかける。
やはりフルフェイスのヘルメットを被っていたアリアだが、自衛官として異例なほど小さな躯体は顔が見えずとも彼女だとおおよそ察せられた。
「武蔵? どうして……!?」
困惑した声を、くぐもった色でヘルメット越しに呟くアリア。
ただ、今回は銃を向けられることはなかった。
ヘルメットを外せば、そこにあるのは武蔵のよく知る、最近となっては既に見慣れた少しだけ大人びたアリアの顔。
幼さの抜けた美しい容貌、しかし血が通い感情のままに動く様子に武蔵はこみ上げるものがあった。
衝動に駆られるままに、彼女を抱きしめる武蔵。
「わ、ちょっ、武蔵!?」
アリアとの最後の会話は、彼女が沈みゆく秋津洲に取り残され死ぬ瞬間だった。
目の前のアリアと前回のアリアが同一人物か、未だ武蔵には判らない。
しかし、彼女が生きているのは武蔵にとって救いに思えた。
「俺、お前のことを大切に思ってるんだな普通に」
「普通にってなんですか。離しなさい訴えますよっ……?」
抵抗する口調ながらも、武蔵の強い抱擁は嘘偽りない安堵からの行動であることは彼女に伝わっていた。
故に、アリアは振り払うのを躊躇った。
やがて、落ち着いた武蔵は自らアリアから離れる。
「すまん、取り乱した。でもお迎えがお前とはな。なんて聞いて、ここに来たんだ?」
「……私は命令に従っただけなのです。ここに現れる漂流船の乗員を救助しろ、と」
「ま、そんなところか」
訳知り顔な武蔵に、アリアはやきもきした様子で訊ねる。
「色々と、伺ってもいいのです?」
「だめ」
武蔵はアリアの願いをばっさり切り捨てた。
「むぐぐ」
「むぐぐ。むぐぐって。お前、むぐぐって」
悔しそうに唇を噛むアリア。
自衛隊の正式な任務としてここに派遣された以上、武蔵もまた何かしらの任務でここにいる。
そう考えたアリアは、軍事組織の一員としてそれ以上を訊ねることが出来なかった。
「あーいや、俺としても判らんことばっかりなんだ。お前が置かれた状況もおおよそ察しているが、俺はその更に斜め上を突き進んでる。何にせよ、ここであけすけに話していい内容じゃないのは解るだろ?」
「それは……自衛隊の利益の為の判断なのですか?」
「俺達のこれからの為だ。国だの組織だの、そんな大げさな話じゃない」
煙に巻いたような内容に、釈然としないのは武蔵も同じだ。
まさかアリアの死のタイミングすら場合によっては意図的に決めなければならないなど、本人には言えなかった。
過去を、人類を救う。
そんな途方もない口約束をしてしまったのだから、アリア個人のわだかまりは後回しにせざるを得ない。
「俺としても、花純、朝雲総理と協力して色々と調べている。今回俺を助けに来たのだって、永田町からの指示だろう?」
「ナガタ庁?」
「あーいや、なんでもない。とにかくちょいと世話になる」
勝手知ったる他所の船、ということで武蔵は巡視船内を進む。
「あっ、こら武蔵! どこに行くのですっ?」
「いや部屋に引きこもってようかと。動き回られても迷惑だろ?」
「そっちは独房なのです」
はた、と動きを止める武蔵。
動きを止めても無重力で進んでいくので、近くの手すりに足の甲を引っ掛けて全身の慣性も止める。
「士官室とか使っていいのか?」
「余ってたはずですし、お客さんなので構わないでしょう。船長に掛け合ってみるのです」
まさかの高待遇であった。
巡視船は客船ではない。
だがもしもの時の為に、ちょっと作りの良い客室は準備されている。
武蔵が案内されたのは、そんな少しだけ大きな部屋であった。
「とはいえ身内贔屓という側面が強いので、もしもっと解りやすい上司が乗り込んできたら遠慮なく独房に移動なのです」
武蔵にあてがわれた部屋になぜか居座り、ふわふわと浮かぶアリア。
「その時は総理大臣の名前を出してでも、この部屋を死守してみせる」
「虎の威を借る狐かっこわるい……しかも命を賭けるっていう」
ドン引きするアリア。
「ああ、この小物感。まさに武蔵なのです」
「そんなことよりここは俺の領域だぞ。出てけ出てけ」
「さ、3年ぶりに再会したお隣さんに冷たくないですか……?」
こうも変わるものなのだな、と武蔵は驚かされた。
ループ1回目2回目では、武蔵は警戒されていたこともあってアリアの態度はかなり慎重であった。
だが今回は、いうなれば国家が武蔵の身柄を保証している。
しかしアリアにとって、少なからず頼りになりそうな人物との再会は見逃せなかった。
「れ、連絡先交換しませんか?」
頬を紅潮させ、動揺を押し隠し提案するアリア。
「やだっ。俺って今、逆ナンされてる……?」
「いえ違うのです。いざという時に便利です。それ以上の意図はないのでホント止めて下さい」
「ガチ否定やめてくんない?」
武蔵は傷心した。
「つーか俺に連絡したければ信濃に電話しろよ、こっちでも顔見知りだろ?」
武蔵がこの時代で目覚めていたと想定するなら、信濃とコンタクトを図っていないはずがない。
あたかも妹と接点があるように立ち振る舞うも、アリアは訝しむ。
「信濃は武蔵の話を避けているようでした。なので、てっきり仲違いをしたのかと」
「いや仲良し兄妹だって。むしろ兄妹の枠組みに収まらないくらい仲良しだって」
「はあ。そう、なのですか」
未だ納得していない様子のアリアに、武蔵としても首を傾げる。
今までのループでは未来信濃と武蔵は仲良くやれていた。信濃が実は武蔵を嫌っていた、とは考えたくはない。
変に矛盾が出ないように具体的な発言を控えた……現時点では、そう考えるのが一番自然であった。
「まあお二人のいかがわしい兄妹愛についてはどうでもいいのです」
「子供にはちょっと早い話だったか」
「むっ。いえいえ、この3年間色々あったのです。私はもう大人の女、なのですよ? うっふん」
「いやお前が処女だってことは調査済みだから」
「おい待て私の男性遍歴について何故調査した」
ふひーっ、と溜め息を吐いて、のっそりと手すりに小さなお尻を乗せるアリア。
「いやなぜ落ち着く体勢になってる。出てけよ」
「あの、本当に私に対して塩対応過ぎません? ほら、私武蔵の性奴隷ですよ? もう少しアレじゃないですか?」
「どんだけ構ってちゃんなんだよ。仕方がない、ほら脱げ」
「違います。別に欲求不満という話じゃないのです。話し相手になってほしいのです。指導だケツ出せやコラ」
素直になれず、つい精神注入棒を振りかぶってしまうシャイガールなアリアであった。




