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2-17


『2144年3月22日』







「たぶん、1周目でも天空の橋立(あまのはしだて)は落ちてたんだろう。あの世界が継続していたのならば、だが」


 テラスにて、リラックスチェアに身を預けてマグカップを啜る武蔵。

 夏ならばトロピカルなドリンクを飲みたいところだが、律儀に地球の環境を再現する人工知能美少女様は3月には3月に相応しく寒冷な風を宇宙コロニー内に吹かせていた。

 というわけで、武蔵の手にする飲み物は白湯である。


「せめて紅茶やほうじ茶を飲みたいところだが、もうそんな嗜好品は栽培出来ないだろうし」


 いつか、如月姉妹とお茶について語ったことを思い出す。

 どうやら彼女達が欲した甘いパンケーキも紅茶も、当分楽しめそうになかった。


「小麦粉がないからなー。いや、スフレなら作れるかも。スフレの材料ってなんだっけ」


 武蔵は今、浮遊島にいた。

 もし墜落した場合に被害を最小限にする為に、基本的に海上を浮上する浮遊島。

 テラスからも夜となれば、遠くに海岸の街の明かりが見えたものだった。


「卵と砂糖とバターです。あとは色々加えますが、なんなら卵だけでも作れます」


「おおうっ、独り言に反応が返ってきた」


 そんな浮遊島の所有者たる花純が、ふらりと現れた。


「隣、いいですか?」


「どうぞどうぞ」


 地主なので、武蔵の中では花純がここで一番偉い。

 というわけで断りはしないのである。

 くつろいでいた武蔵の隣のチェアに、件の元総理大臣閣下が腰を下ろす。


「で、スフレ作れるのか?」


「養鶏や畜産は効率を求めなければ何とかなりそうです。昔は個人でやっていたのですから、量は期待出来ませんが卵やバターは得られるでしょう」


 鶏はペットとして飼う者もいたほどなので、育てるのは難しくない。

 毎日卵を得られる上に、老いれば良質の鶏肉も得られるコスパのいい家畜である。

 乳を得られる家畜も確保しているのだが、こちらは難儀していた。

 さすがに大型哺乳類の飼育は専門業務なので、まだまだ試行錯誤の段階だ。


「砂糖は難しいか。歴史的に見ても、砂糖を大量に使えるようになったのは近代だしな」


「はい、そもそもサトウキビもビートもありません。いっそ、養蜂に挑戦すべきかとも考えています」


「蜂? 生き物相手は難しくないか?」


「サトウキビを育てるには温度が足りず、ビートを育てるには暑すぎます。もっとも原始的な甘味料であるハチミツが一番現実的かと」


 近代においてはハチミツは砂糖より高いが、それは砂糖をえげつないほどの大量栽培と工場加工で供給しているからだ。

 個人で作る分には、ハチミツの方がよほど効率がいい。


「改めて考えると、パンケーキというのはとんでもない嗜好品だな」


「単品ではそう高いものでもないのですが、飲食業界においては高級志向の強いデザートでした。飾りに生クリームや果物を盛るとなると、現在の値段は考えたくはありません」


 2人はそっと溜息を吐いた。

 武蔵もそうだが、花純も女の子(?)なので甘いものは好きなのである。


「にしても、お前がこの島を自給自足出来るように整備していたとは。用意周到だな」


 朝雲家が保有していた浮遊島。

 いわば最低限の移動能力しか持たない巨大な飛空艇だが、上には土が盛られ、地上と同様の植生が維持されている。

 物理的に遮断されているからこそ、この島においては治安は確保され、地上の騒乱とは無縁の時間が流れていた。


「いえ、自給自足といっても土地面積は足りていません。今後花壇などを潰して菜園に作り変えたとしても、この島の住人全てに継続可能な食料供給は不可能です」


「すまない、俺達が押しかけたせいで」


「ここに来ないかと誘ったのは私です。それに、プラントさえあれば飢える可能性は低いですから」


 浮遊島の生活において、必需品となる浄水設備や微生物プラント装置を持ち込んで維持しているのは由良だった。

 これらの設備に電力を供給すれば、安全な飲料水と、藻やミドリムシを焼き固めたビスケットが調達出来る。

 美味しくはない。

 ないが、現在試行錯誤している野菜の栽培が軌道に乗るのはかなり先と予想される以上物資は節約せねばならない。

 いつかコーヒーやお茶を作れる時が来るのかもしれない。しかし、今は嗜好品に白湯を飲むのが精一杯だった。


「世界が崩壊した際に宇宙に逃げた人々の死因の大半は、発電機や微生物プラントのトラブルに起因する凍死や餓死だそうです。高度な技術を有するメカニックを招けたのは私としても合理的な判断です」


 これらは長期航行する宇宙船由来の技術であり、維持している限り住人の生存は保証される。

 逆にいえば、由良の死、あるいは機械技術の継承が途絶えた時こそが浮遊島の試練の時だった。


「ミドリムシって、植物としての性質を持ってるんだよな」


「そう聞きますね」


「ミドリムシのお茶って作れないのかな」


「作れたとしても、それは青汁のようなものでは?」


「砂糖入れれば多少マシになるタイプの飲み物かも」


「甘味を得られるなら、もうちょっとマシな飲料を作れますよ」


 ごもっともであった。


「でも花壇を潰していいのか? いや美観的な問題じゃなくて、はちみつ取れなくなるだろ」


「ご主人様、別に花畑でなくとも、ほぼ全ての植物には花が咲きますよ」


「あ、いや、そりゃそうか。畑からもはちみつ取れるのか」


「とはいえ蜜量が少ないそうなので、傾斜地や小さな土地に園芸植物を移植しようと考えています。詳しくは庭師さんにお尋ねください」


 武蔵は頷いた。いつまで続く未来世界か判らないが、気晴らしに園芸も悪くないという気分だった。

 白湯を一口。

 ただの沸かした水だが、愛飲する者もいるくらいなので飲めないものではない。

 だが、やはり武蔵には物足りない。甘さがほしい。


「そういえば、100年前では第7期タピオカドリンクブームが起こってたな。そのうち飲んでみようと思ってたけど、チャンスを逃しちまった」


「はい」


 首肯しつつ、花純は芋団子でタピオカの代用が可能かについて、猛烈に考察していた。


「平和だな」


「平和の定義によるかと」


「世界のどこかで悲劇が起きているのはどうしようもない。でも、見える範囲では犯罪は起きてないし、それが俺達に及ぶリスクも低い。ここらが妥協点だろう」


「そうですね。平和です」


 武蔵は小型無線機を適当に入れてみる。


「《―――番地で銃撃戦! 応援頼むっ、もう抑えきれない!》」


「《自衛隊の一部が離反しているぞ! くそっ、どうしてこんなことに!》」


「《ダメだ、敵は重機関銃を持ってる! 制圧される!》」


「よくもまあ、ちょっと前までは真っ当な経済活動を出来ていたもんだ」


「近年の政治は延命措置が主な活動でした。国民に対する詐欺、欺瞞。モルヒネでなんとか体制を維持していたに過ぎません。それが常態化していた時点で、崖っぷちだったんです」


痛み止め(劇薬)が切れた以上、患者は自分の惨状を自覚して痛みに悶えるしかなくなった、ってことか」


「《あっ、あああっ! なんで、俺の娘がぁ!》」


「《皆殺しだ! 民間人じゃない、あいつ等は犯罪者だ! 皆殺しにしてやるっ!》」


「《加減する必要はない! どうせ収容する余裕もないんだ、一息に殺せ! 正義はこちらにある!》」


 武蔵は苦笑した。


「正義とか気軽に口にしだしたら終わりだな」


「終わりですね」


「平和だな」


「平和です」


 のほほんと白湯を啜る男女。

 天空の橋立(あまのはしだて)崩壊より、はや2ヶ月。

 人類最期の文明は、今日も順調に崩壊し続けていた。







 時は遡り、天空の橋立(あまのはしだて)崩落直後。

 その急報は、軍民問わず様々なチャンネルで通報された。

 それは意図的なものというより、地上海上に住む者達の叫びであった。

 38000キロメートルにも及ぶカーボンケーブル。常に上下に張られた太いワイヤーは、そう簡単には千切れることはない。

 破壊されたのは、その基部たるアースポートだ。

 海上建築物として充分な強度を持っていた人工の島は、しかしUNACTの襲撃に晒されて瓦解してしまった。

 無論、この100年間でアースポート、沖ノ鳥島が襲撃されるのは初めてではない。

 ただ単に、襲撃を迎撃しきれなかったのが初めてだっただけだ。

 起きてしまったものはどうしようもない。ただ結果として人類は宇宙に出る術を失い、地上にいる人々は怪物の跳梁跋扈する世界に取り残されてしまった。

 そんな彼等の救援要請こそが、セルフ・アークに届いた数々の無線通信の正体なのだ。


「アリアは生きている。この世界が続いてることが、その証明だ」


 なんの証明にもなっていないのだが、とりあえず武蔵はそう仮定した。

 ならばこれからどうするか。そう考えるも、花純は武蔵の考えそのものに苦言を呈した。


「ご主人様。今はアリアさんの心配より、自分達のこれからを心配した方が宜しいかと」


「それは、まあ、そうなんだが。アリアの生死を観測出来ないと、俺としては意味がない」


「少なくとも沖ノ鳥島への襲撃は生き延びたのです。今すぐどうこうなる状況ではないでしょう。地球に降りるにしても、今は自分のことに集中すべきです」


 警告は強く、そして彼女の身分からすればあまりに説得力があった。

 何故彼女がそこを強く推すのか、それを察せない武蔵ではない。


「……今後、セルフ・アークはどうなる?」


「真珠湾作戦は、我々にとって起死回生の一手でした」


 それは武蔵とて理解している。

 巨額の予算を投じ、合計10万トンを超える船舶を動かしての遠征。

 だが、よりにもよって物資調達のボトルネック、宇宙に物資を届ける唯一の手段である軌道エレベーターが破壊されてしまったのだ。

 あまりにも致命的に、自衛隊の保有するほぼすべての戦力、財産は無力化されてしまった。

 人々がこの事態を想定していなかったかと言えば、実はその通り―――想定していなかった。

 100年間に渡ってほぼ無整備で宇宙と地上を繋いでいた、長大なカーボンワイヤーの橋。

 それは既に絶大な信頼を勝ち取っており、実質的に破壊不可能なオブジェクトだと考えられてきたのだ。

 決して慢心とは謗れない。テロや他国の攻撃を耐えることも考慮された軌道エレベーターという建造物は、そもそも人類には壊せないように作られている。

 人に破壊出来ないものを、UNACTに破壊出来るはずがない。

 例え相手が人類を滅亡の縁にまで追い込んだ怪物だとしても、一点集中の火力は人類に分がある。

 その人類が、壊せない塔。

 で、あるはずだった。


「作戦が破綻した今、この国の崩壊は決定済みです。治安は急激に悪化し、文明は後退します」


 武蔵の顔色が、さっと青くなった。

 今この世界で何が起きているのか、今更ながら理解した心持ちであった。


「じゃあなんだ、今この国はかつての大恐慌の木曜日みたいに、投資家が飛び降り自殺したり暴動が起きたりしてるのか?」


「世界恐慌のことでしょうか? あれは世界最大の強国の国民が投資熱に浮かされ、借金をして投資信託をするという綱渡りの金策が一般化してしまった結果の末路です」


 借金をして投資する。

 資金運用としてはよくある話だが、それを一般人が気軽に際限なく行っていたのはまさしく狂気であった。


「仮染めの好景気にのぼせ上がっていたところに、制御されていない大暴落が生じたことで起きた惨劇です。今の状況とは違いますよ」


「どう違うんだ?」


「あの頃、1920年代は最初の世界大戦後ということで復興好景気を甘受していました。色々な歪みはあれど、景気は良かったんです。対して我々は、100年に渡ってずっと不景気です」


 なんとも残念な対比であった。


「好景気からの大恐慌ならば、まだ経済的な体力は保ちます。事実、彼の大国はニューディール政策など四苦八苦しながらも耐えきりました。ですが、我々は不況な行き詰まった経済の中、起死回生の一手を打とうとしたらいきなり王手を指され致命傷を負っただけです」


「チェックメイトされちゃったかー」


「正しくは投了ですね。私としても最期まで付き合うくらいならご主人様と共にありたいので、王の肩書を捨てて逃げてきちゃいました」


 てへへ、と笑いながらとんでもないことを言う花純。

 そういえばこいつ、それこそ王手で追い詰められる王様ポジションじゃないか、と武蔵はふと思い出した。


「破滅は予想されてたが、想定よりずっと早かったな」


 武蔵はもっと緩やかな崩壊を予想していた。だが、そうではなかった。

 地上からの物資の供給がなければ、この世界がままならないと武蔵は知識として知っていた。

 だが実際に実務に当たっていた人々は、物資の調達が世界の命綱だとよりリアルに理解していた。

 銀行株価の崩落から始まり、人々はなけなしの資金を回収し、連鎖的に企業は倒産していった。

 食料価格は高騰し、やがて制御不可能な域に達する。

 貧弱な基盤しか持たない100年後の日本は、あまりにもあっさりとデフォルト(経済破綻)した。

 生活が苦しい、という段階を超えて飢えという言葉が現実味を増した時、人は正気ではいられなかった。

 暴動が起き、商店が襲われ。

 日本という名の人類の残滓は、黄昏の時を迎えようとしていた。


「総理! この事態、どのように収集するおつもりですか!」


 国会にて、1人の男が叫ぶ。


「これまでの政策に不備がなかったと言い切れますか!? これは一重に、全て貴女の責任ですよ!」


「はい、その通りです」


「その通りって―――えっ?」


 議長を介さぬ返答に、野党議員は困惑する。

 彼の知る朝雲花純は、そのようなことをする人物ではなかったはずなのだ。


「内閣総理大臣代理である朝雲花純は、この非常時に対し国民へ指針を問いたいと考えます。よって、可及的速やかに解散総選挙を実施します。そちらの主張通りです、異論はありませんね?」


 野党は与党の責任を強く糾弾し、総理大臣代理はその言葉を受け入れた。

 この混沌とした状況下で、政府は制御を放棄したのだ。

 衆議院解散。一度全てを仕切り直す解散総選挙という儀式は、決してこのような有事の最中に行っていいことではない。

 だが、総理はそれを強行した。

 これは責任問題を問うた野党すらも恐怖した。粘り強い交渉を武器としてきた総理代理がまさか、一言で折れるとは思っていなかったのだ。

 否、それは折れたというより口車に乗ったというべきか。

 むしろ能動的に野党の言い分を受け入れ、彼女は早々に立場を捨てた。

 翌日には姿を消した彼女に、議員達ははたと気付く。

 朝雲花純は国を見切ったのだ、と。

 若き頃から国政に関わり続け、積極的に活動してきた彼女の政治家人生の幕切れとしてはあまりに唐突であった。

 この混乱した状況下において、事実上の機能不全に陥った政府。

 突然責任を取って責任放棄した総理大臣の代役として名乗りを上げる者はいたが、ただ政争を招くだけだった。

 基軸通貨というより統一通貨であった日本円は価値を失い、資本主義は崩壊し。

 世界は、当初の予定より早く中世へとシフトしていったのだ。




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