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人の感覚とは不思議なもので、到底記憶に残っていないような些細な出来事であっても、ヒントさえあれば手繰り寄せられる。
教室の匂い、席順、日差しの方向。
武蔵は夕日に包まれたその教室が、自身が通っていた中学校のものであることを即座に理解した。
ならば、教室でつまらなさげにたそがれる黒髪の少女が誰かも判るというものだ。
「時雨」
呼びかけると、彼女は武蔵に向き直す。
そして、困ったように苦笑した。
「さ、始めよっか」
「始める? 何をだ?」
「うふふっ。私達の黎明世界を、よ」
立ち上がり、武蔵に歩み寄って―――
「おいこの馬鹿男。何人様の身体に卑猥な文字書き込んでくれてくれてるんだクソが」
青筋を額に浮かべた三笠の声に、武蔵の意識は焦点が合った。
三笠はといえば、着物の裾を大きく捲って太ももを指差している。
武蔵が使った万年マジックは見事その能力を証明し、そこに文字をくっきりと刻んでいた。
「なにがMだ。私がドMだとでも思ったか、残念Sだよ貴様の身体で証明してみせようかああーん?」
「落ち着け。それはムサシのMだ。マゾヒストのMじゃない」
「なんて奴だ! 変態! 鬼畜! 畜生!」
「別に実害なんてないだろ。肌を見せる相手もいないだろうし」
「ついうっかりプールに入る時見られたわ!」
太ももにMと書かれた少女は、さぞや注目を集めたであろう。
武蔵は土下座をするべきか判断に迫られた。
「あああ! なんでよりによってMなんだ! 私にそんな性癖はない!」
「いやフルネームは面倒だったんでイニシャルだけにしたんだが」
「Yにしろ! 馬鹿か! 大馬鹿か貴様!」
ぷんぷんと怒る三笠。
だが武蔵としても言い分はある。
「お前、スカートを捲られてたことまでは気付いてただろあの時?」
身じろぎや気配で、武蔵は三笠が少し動揺したのを感じ取っていた。
そして三笠の腕力なら成人男性くらい放り投げられることを、武蔵はよく知っているのである。
三笠は急に黙ってしまった。
「それに本当に嫌なら、身体を交換して生活すれば良かっただろ」
100年間律儀にこの身体を維持したのだから、むしろある種の決意すら感じられた。
ぷるぷると怒りに震え始めた三笠に、武蔵はマズイと思った。
100年間の約束を守った結果がこれでは、彼女も浮かばれないというものである。
よって、武蔵は何か気の利いたことを言わんと焦った。
だがそれは難題であった。気の利いた女性の太ももにMの字を書く理由とは何か。
そんなことは武蔵とて知らない。
「じ、実は、本当はあるメッセージを書こうとしていたんだ。だがいざとなると躊躇ってしまって……最初のMだけ書いたというわけだ」
口にして、これどうやって収拾つけるんだと頭を内心抱える武蔵。
しかし、三笠としては興味が涌いたらしく目を丸くする。
「ほう? ……では、なんと伝えたかったのだ?」
「それは、その、M、M……」
「えむ?」
「MEGAMI!」
「まさかのローマ字」
とりあえずビンタされる武蔵であった。
「どうせ失敗したのだろうし別に期待などしていないだろうが、時雨の記憶にアクセスは出来たか?」
「予想通りガッツリ失敗したから聞かないでくれ」
武蔵の認識はこれまでと何も変わらない。
21世紀の三笠から、22世紀の三笠の住まう武家屋敷へとワープしただけだ。
その間に何かあったとしても、覚えていないのならばないのと同じである。
「現状はどうなってる? 今までと大差ないのか?」
「いいや、だいぶ変わっている」
そういって三笠は立ち上がり、襖を左右に跳ね開いた。
隣の部屋では、よく似た顔立ちの少女達がスタンバイしていた。
「「どうもですーっ。毎度人体実験されてたまるかと自力で脱出してきた神無ちゃんでーっす!」」
手を翳して日傘にするような、謎のアイドルポーズをした双子であった。
「遂に正規部隊の助けなしに、独力で脱出してきやがった……」
ツーサイドアップによって見分けのつかなくなった如月姉妹が、鏡の前で練習したかのような左右対称のあざといポーズで自己主張してくる。
どちらが霜月でどちらが秋月なのかいよいよ判らないとか、そのポーズでしばらく待っていたのかと問うてみたい武蔵であったが、その前にもっと根本的な疑問点を訊いてみることにした。
「かんな?」
聞き慣れない自己紹介に、眉を顰める武蔵。
その意図を正しく理解した双子は、人差し指を立てて説明する。
「「神など無い、と書いてかんなです」」
「割とネガティブな名前だな」
「「いよいよどっちがどっちか判らなくなっちゃったので、新しい名前が必要かなって思ってぇ?」」
「秋月と霜月でどうして神無なんだ? 巫女さんに憧れでもあったのか?」
「「は? ちょっと何言ってるか判んないです」」
急に真顔のマジ顔でキョトン顔をする如月姉妹。
女の子が急に真顔になるのは法律違反にすべきだと武蔵は思った。
「「まあ神無月から取ったのは事実ですけどぉ。この場合の無は何々「の」って意味らしいですよぉ?」」
「ほう。じゃあお前らは神の娘を自称してるわけか」
「「というかほら、二人が集まった感あるじゃないですかぁ」」
よくよく見れば、双子は手を恋人繋ぎしていた。
思い出すのは、二人が彼女達の実家で紡ぎ合う光景。
「「実は私達、お互いを結構嫌ってたっていうかぁ。殺し合い一歩手前みたいなところがあったんですよぉ」」
「いきなり凄いカミングアウトだな」
「「むさしんだって考えて見てくださぁい。自分がもう一人現れたら、殺したくなりませんかぁ?」」
ちょっと解らなくもない気もした武蔵であった。
「「近いけど別の存在ってぇ、色々と厄介なんですよぉ。水面みたいに自分の嫌なところは鮮やかに映すくせに、水底みたいに自分のいいところは濁って見えないんですー」」
「そりゃお前らの人を見る目の問題だろう。お前らが人を穿った目で見るから、それが自分に跳ね返ってるんだ。俺みたいに心の澄んだ奴は摩周湖のように人の善なる部分を見透かせるものだ」
「「「はっ」」」
3人揃って鼻で笑った。
双子に加え三笠までである。
「まあともかく、お前らの捻くれっぷりが自分に跳ね返って自爆してるのはなんとなく知ってた」
秋月と霜月のベクトルがどこか逆方向を向いているのは、実は武蔵も感じ取っていた。
二人の言動が近いのは結果論であり、性格は割と違うのだ。
「「いつだったかアリアっちのことを言ったのは、今思えば自爆だったなぁ」」
「……なんのことだ?」
「「あ、いえいえオキニナラサズ」」
双子タレントのようにハモる声。
これまでも同じようなことがあったが、神無月状態ではこれがデフォルトであった。
左右で同時に声が聞こえても、テレビを2つ点けているような違和感が凄いだけである。
「「とにかく、よろしくお願いしまぁす」」
「まあいい。今後ともよろしく頼む、如月姉妹」
「「いや名前」」
「ああ、忘れていた。ほら、これをもってけ」
三笠に木箱をもらう。
何かと中を覗けば、そこには瓶が詰まっていた。
「一応冷やしてある」
それは、なんとも美味そうに水滴を滴らせたレモネードであった。




