6-6
「そういえば宇宙とサンドイッチって、宇宙黎明期に逸話があったよな」
ムシャムシャとサンドイッチを食していると、武蔵はふと手にあるコンビーフのサンドイッチに関する話を思い出した。
三笠の電子頭脳は武蔵の発言から、すかさずインターネット回線より知識を呼び起こす。
「ジェミニ計画の宇宙飛行士がこっそりとサンドイッチを持ち込んで、後に多方から叱責を受けているな。まあ当時の宇宙食事情を考えれば、そうした心情も判らなくもない」
宇宙開発初期の宇宙食は、レトルトと呼ぶのもおこがましい何かだ。
味など度外視した、栄養と消化のしやすさを追求したチューブ食品。
民間人ウケを考慮しているだけ、栄養補助食品のサプリメントを飲み込んだ方が幾分マシとすら言えるほどの有機物の成れの果てである。
ゲロ風味のそれを食べたくない宇宙飛行士は、こともあろうか宇宙服の中に市販のサンドイッチを持ち込んだ。
「人類が初めて宇宙に持ち込んだまともな料理、コンビーフのサンドイッチか。現物はどんな味だったんだろ」
「ライ麦パンではなかったか? あんな崩れやすいパンを宇宙で食べれば、それはまあ管制に叱られるだろう。白パンにすべきだった」
「たぶんそういう意味じゃねーと思うけどなぁ……」
ちなみに後の研究によって、宇宙での食事は生理学的には特に制限がないことがわかった。
口に入ればなんでも良く、問題は口に入るまでの食べやすさだけなのだ。
「コロニー内はどうなってる?」
「情報が錯綜している、UNACTを知るのは自衛隊や政府でも極一部だからな……いざという時に動けないのは致し方があるまい」
「アリア達はどうなった?」
「もう食われた。発信器のビーコンが途絶した。次の目的地は……こちらだ」
双子と鈴谷とアリアの5人は武蔵家所有の車に乗せて、適当な臨海公園の駐車場に放置してある。
海から来ることは判っているので、海付近に放置しておけば下手に上陸されず被害が減るのではないかと考えたのだ。
「そういえば知らないが、ORIZINAL UNACTはどうやって宇宙に出たんだ? まさか律儀に宇宙港の垂直トンネルを通ったわけじゃないだろ?」
「どう、と言われてもな。無理矢理だ、無理矢理。地面をガリガリと掘って、力ずくでコロニーの外殻を破りおった」
「それやばくね」
「ヤバイとも。激ヤバだ。一体東京ドーム何杯分の海水が流出するか考えたくもない」
「お前みたいな外国出身の奴でも東京ドームを単位として使うんだな」
「ISO規格に東京ドームは含まれるぞ」
「えっ」
セルフ・アークほどの巨大施設となると、数百キロ離れた宇宙船エルメスからも肉眼で見える。
小さくなったセルフ・アークから、曲線状に煌めく線が伸びていた。
「なんだろう?」
「吹き出た海水だ。コロニーは5分で1回転しているから、遠目で見ると曲がって見える」
武蔵はなんとなく、火花を吹き出して回転する吊り下げ花火を思い出した。
「これも一種のコリオリなんかね。というか穴といっても全体から見れば小さいもんだろ? 案外肉眼で見えるんだな」
ORIZINAL UNACTは案外小さい。
全長100メートル、幅で20メートルといったところだ。
海上を暴れる複製UNACTよりも小さいのだ。
「直径20メートル水柱が吹き出していると考えても、300キロ離れたこの宙域からよく見えるもんだな」
「見えるというか、水だからな。よく乱反射するのだろう」
それを「見える」といえばそれまでだが。
宇宙ステーションが地上、つまり数百キロの距離から見えるという話があるが、あれも周囲に何もないから反射光が目立つだけだ。町中に設置された宇宙ステーションが宇宙から見えるはずもない。
武蔵達から見かけ上曲がって噴出しているように見える海水の筋は、実際のところアステロイドベルトのようにスカスカであり、武蔵のイメージより海水は少量だ。
コロニーに穴が開くというのは大惨事のように思えるが、ダメージは限定的であった。
それでも単位が東京ドームというくらいなので、莫大な量には違いないのだが。
「実のところ、私は映像で何度もあの水柱を見ているのだが。肉眼で見たのは初めてだ」
「お前にとって自前のカメラアイとハンディカメラに大した意義の差があるのか」
「そういうな。アリアは生の方が可愛い」
水柱の根本が乱れ、黒い何者かがコロニーから飛び出した。
「ほら、生アリアだぞ。喜べよ」
「馬鹿め。女性はお洒落で何倍も美しくなるのだ。裸に喜ぶのは童貞だけだ」
「お前が非童貞だったら俺はどんな顔をすればいいんだ。実はそのアンドロイドボディに主砲が付いてたりするのか」
「下品な奴だ。股間に奇妙な触手が生えてる人種はこれだから」
「生アリアは超音速の鞭みたいなキモい触手が無数に生えてるがな」
武蔵はコンソールを操作して、ORIZINAL UNACTの望遠映像を表示する。
その巨大ゴキブリは器用に無数の触手でコロニー外壁からジャンプして、武蔵達の方へと飛んできた。
「うわこっち来た」
「狙いは貴様だぞ大和武蔵、ほら感動の再会だ」
「海に開いた穴はどうなってるんだ?」
「知らんのか? コロニーの外郭にはベークライトの層がある。それが漏れ出して、一時的に穴を封じるのだ。後は私の制御下でのんびり修復するさ」
「まるで血小板だな」
「恒久自立型スペースコロニーの名は伊達ではない」
「つーか、判っちゃいたがあいつって宇宙で活動出来るんだな、Unidentified navyobjectsなのに」
「それは詳細情報を知らない地上の者達が付けた名だ。忘れたか、あの個体の名称はariaだということを」
「そういえば具体的にどこから来たか、ってのは判ってるのか?」
「当初は小惑星地球衝突最終警報システム……アトラスに引っかかったものを調査目的で捕獲しただけだからな。軌道から方向は判るが、どれだけの旅路をしてきたかを考えるとアテにはならん」
「軌道計算がしきれないって、やっぱり恒星間天体だったのか?」
軌道に作用する外的要因、計算のノイズが少ない宇宙では、少なくとも太陽系内ではかなりの精度で軌道の逆算が出来る。
地上に落ちてきた隕石を調べて「〇〇惑星由来のものだ」と判明するのは、成分分析や放射線測定以外にも、突入角度から出発点を推理出来るからでもあるのだ。
だがまれに、計算しきれない隕石もある。
それが恒星間天体。宇宙の果てからの来訪者。
宇宙開拓時代に突入した人類にとっても貴重な、オールトの雲の向こうを知る試料なのだ。
「恒星間天体ということは観測時点で判っていた。明確に太陽系外から来たと判明している数少ない事例だ、人類の学術歴史すべてを漁っても数えるほどしかないサンプルだ。捕まえようとするのはおかしなことではない」
「んで、捕まえてみたら生き物だったと」
恒星間天体は珍しい出来事なので発見される度にニュースになるが、その都度「すわ宇宙船か」「いやボイジャーのような宇宙人の観測機器ではないか」「それは小惑星じゃなくて俺のワイフの顔写真だぜHAHAHA」などと騒がれるのがお約束となっている。
誰が捕獲任務にあたったかなど武蔵の埒外だが、まさかそれそのものが宇宙服も着ていない宇宙人だとは思わなかったであろう。
「そうだ。しかも、周囲の物理法則を狂わせて活動する、次元認識からして人類とは違う生物だ。正直最初は、あんなものを人里近くに置くなど正気とは思えなかった。冥王星あたりに基地を作って研究すべきものだという認識だった」
「後々違う見解になったのか?」
「アリアを私のコロニー内に入れる……これは実質妊娠では?」
武蔵はハッ! と、何かに気付いたかのように目を見開いた。
UNACTはネットワークを捕食する性質を持つ。動物の脳でも集積回路でも人間コミュニティでも、とにかく情報の網を見つけると飛び付いていく。
そして、セルフ・アークにも一つ、御大層なネットワークが存在した。
「なるほど、お前の本体もUNACTの大好物の集積回路だったな……」
哀れんだような目を向ける武蔵。
三笠は手をひらひら振って訂正した。
「いや食われてない。別に食われて頭おかしくなってない。私は正気で素面で想像妊娠しただけだ」
「お前に生殖機能があるとしたら、それはそれで人類のバイオニクス技術に驚嘆だがな」
「ん? いや、孕めるぞ?」
「は?」
「む?」
武蔵は三笠のお腹を見た。
アンドロイドであることは間違いないが、詳しい構造までは知らない。
だがどうにも、武蔵は驚嘆せねばならないらしい。
「すげーな人類」
21世紀ともなれば人工子宮は普通に技術として存在する。医療用として認可されている、しっかりとした技術だ。
生体部品を使用していない三笠の小さなボディーに一連の技術を収めるのは苦労しそうだが、不可能ではない。あくまでダウンサイジングが困難なのであって、技術はもうある。
とはいえ、子宮は人工的に作れても、そこに収まる中身については機械で再現とはいかない。
「まあ、私は元人間だからな。やりようはあるさ」
「……お前唯一の生体部品が、冷凍された卵子ってわけか」
もしかしたら予備部品や細胞のサンプルとして身体全体が残されているのかもしれないが。
「なんでそんな使うアテもない技術を搭載してるんだ」
「使うかもしれないだろう。ほら、なんだ、そのうち私にも人生のパートナーが現れるかもしれないだろう」
少し恥らった様子で三笠は言った。
武蔵は鼻で笑った。
三笠は無言でガラスキャノピーを開いた。
一気に空気が減圧し、武蔵は宇宙空間に放り出されそうになる。
必死に手すりに掴まり、彼は喉の奥に残った空気で懸命に「三笠賛美歌 第5節」を熱唱した。
三笠はキャノピーを閉じて、窒素と酸素の混合ガスを充填した。
「咄嗟に軍艦マーチの替え歌を作ったことを評価して、私に対する無礼は見逃そう」
「やーい数百年干物女ー、悔しかったら彼氏連れてこーい!」
武蔵は今度はノーロープ宇宙遊泳を強いられた。
「やめろそろそろ死ぬ」
「死ね」
「これが何度もループを繰り返した戦友の言葉とは思えない」
「いっておくがこの身体はメイドインジャパンだからな。この機能を付けたのはお前の同輩だからな」
「すまんね」
「なんか話している間に大きくなってきたな。近付いてきてる」
UNACTの姿が、点からおぼろげながらも形が解る距離にまで近付いていた。
武蔵はせっせと残りのサンドイッチを口に詰め込む。
「さっきの空気放出で多少なりエルメスの軌道変わってるだろうし、それで回避して宇宙の果てまで飛んでったりしないかな」
何せ、宇宙とは円周率小数点以下15桁まで精密に計算しなければ計算と実軌道が狂うような精密な世界である。
空気の放出などすれば、最終的な移動量は大したものだ。
しかし三笠は武蔵の願望を否定した。
「一応アレも宇宙生命体だからな。生存に大気を必要としないし、慣性制御能力で航行出来る。おそらく既に軌道修正済みだ」
「慣性制御ってSFかよ。こちとら最新式の宇宙コロニーでさえグルグル回してるのに」
「そのうちセルフ・アークも、慣性制御にバージョンアップするさ」
無限の時を生きて人類の行く末を見るであろう少女は、最新式コロニーの座を後続に譲る気などないのであった。
回転すればどうとでもなるコロニーの人工重力などより、超高速ドライブを実用化してほしい武蔵である。
重力を操作できるのならば、船を前方に向けて落とせばやがて光速に達するのだ。
「まあともかく、宇宙船を動かして回避出来なくもないが、普通に追尾してくるわけか」
「まるでミサイルだな。未来予測位置ではなくとにかく目標を追うはずだから、ミサイルとしては出来が悪いが」
「追いかけっこしても、いつかはこっちの推進剤が尽きる。反作用に頼ってる宇宙船の泣きどころだぜ」
「いいことを思い付いた。大和武蔵、お前が宇宙船を外から押し出せ。ペイロードを犠牲とせず進めるぞ」
「俺が犠牲になってる件」
ふと武蔵は気付いた。
迫りくるORIZINAL UNACTが、少しずつ千切れているのだ。
どうしたのかと映像を拡大すると、改めて何かが分離している様子が見えた。
松ぼっくりから種が落ちているようだ、というのは武蔵の寸感だ。
「何だあれ?」
「UNACTだろう? やがて地上に降り注ぐ数万体のUNACTの種子だ」
「ああ、アレがそうなのか。これがORIZINAL UNACTの『行方不明』の正体なんだな」
武蔵達を飲み込んだORIZINAL UNACTがその後どうなったのか、その回答だ。
否、武蔵も情報としては聞いていたのだが、実際に見たのはこれが初めてだ。
あの流星群、それ一つ一つがUNACTの種子となる。
無論、宇宙開拓時代などと呼ばれるご時世だ。弾道ミサイルや軌道落下物を迎撃する技術も多く存在する。
しかしながらUNACTは宇宙船より遥かに堅牢で、しかも多かった。
多少の損害も生物らしく自己修復し、その種子は発芽する。
そして、世界は滅亡するのだ。
地球という、巨大過ぎるネットワークを本能のままに侵食すべく動き出したのだ。
これもまた、武蔵が知識でだけ知っていた出来事であった。
UNACTは戦艦並の装甲を持つとされているが、あの種子状態であればどうなのだろう。
やはり、どうしてもそう想像する武蔵であった。
「……この時点で戦力投入して、UNACTを殲滅ってわけにはいかなかったのか?」
「試したに決まってるだろう。あの種子は無造作に大気圏突入して、パラシュートなしで地表に落下しても発芽するのだぞ。宇宙兵器で壊せるものか」
「それって、単純に火力不足って意味で?」
「そうだ。宇宙兵器は多くが威力に乏しい。UNACTの装甲層を貫けない。多少ダメージを与えたとしても、奴は生物だ。自己修復してしまう」
宇宙空間用の兵器には、爆発するものが極めて少ない。
宇宙を舞台にしたロボットアニメでは派手にドッカンドッカン爆発させているが、あんなことをしては地球周辺の軌道がデブリで埋まる上に、周囲への被害が大きい割には真空で爆風というのはあまり伝播せず、目標に対する破壊力がまるでない。
攻撃を受ける側にも事情がある。
先程小型宇宙船のエルメスが大した質量でもない機内の空気が放出されただけで軌道を変化させた件のように、僅かな作用で大きく影響を受けてしまうデリケートな宇宙船への攻撃に大規模な火力は必要とされない。
空気抵抗もなく飛んだ砲弾と目標物の相対速度は絶大であり、一撃でも当たれば精密な宇宙船はどこかしらが破壊されて活動不能になる。
それが宇宙での戦いだ。
よもや、戦艦並の装甲を持つ宇宙生命体に対する宇宙軍の備えなど、あらゆる軍隊に存在しなかった。
「……いや、ないわけではないか。あるじゃないか、UNACTに通用しそうな宇宙兵器」
「何?」
「護衛艦やまとの41センチ電磁速射砲だ。軌道爆撃ではない宇宙対宇宙戦闘で、唯一戦艦装甲を貫ける兵器だ」
未来世界においても、亡霊戦艦に対する切り札として常に動員されてきた巨大宇宙護衛艦。
対地攻撃に大きな威力を発揮する41センチ電磁速射砲、それが戦列艦さながらに船体側面に並んでいるのだ。
重力の加速なしでも、相対速度がゼロ或いはマイナスであってさえ彼の大砲は戦艦に通用する。
「あれは心底意味が判らん兵器だ。何を貫きたかったのだ」
「そもそも対UNACT用兵器だったとか?」
「……その可能性は考えていなかった。いや、時期がおかしい。船はそんな短期間で作れん」
「幹部自衛官達はその船を作る長い期間、どうしてあんな狂気の宇宙砲を煮詰めたんだろうな」
「日本人らしいではないか」
「黙れパンジャンキングダム」
即座に三笠のラリアットが炸裂した。
くるくると左右に吹っ飛んだ二人は、淀みなく壁を蹴って元の場所に戻る。
「偉大なるパンジャンドラムを侮辱するな。うっかり床屋と結婚することになるぞ」
「意味がわからん」
「言ったはずだ、UNACTはどれが本体というものではない。一体でも残っていればまた数を増やす。我らがアリア、ORIZINAL UNACT含めてな」
「こいつ暴力奮って平然と話戻しやがった」
「吹っ飛ぶ瞬間にお前の手が私の胸に触れたように見えたのは気のせいか?」
「身を守ろうと咄嗟に腕を突き出しただけだ。硬かったからアバラ骨だ」
「……とにかく、UNACTを軍事的手段で根絶するのは難しい」
ORIZINAL UNACTを撃破したところで、子にORIZINAL UNACTの性質が継承される。
それでも物理的に殲滅は可能であるはずだが、それはこの時点から最善を尽くしても達成出来ないと三笠と花純が実証していた。
「感染病のウイルスみたいだな。そう考えると、ワクチンで撲滅することは出来るわけか」
「それこそ時雨の用意した隠しコマンドだ。既にUNACTには、内部に自分達を死滅させるコンピューターウイルスが仕込まれている。やろうと思えば今からでも可能だ」
「時雨の仕事が有能過ぎる」
「奴は人の身でありながら、神の言葉を解読してみせ、神でさえ逆らえない契約書にサインさせたのだぞ。まごうことなき天才だ」
「UNACTが神?」
新説だ、と思った武蔵であったが、そうでもないと考え直した。
未来世界において、UNACTを神の御使いであると信仰する一派がいるのだ。
無論、三笠がそんな妄想に囚われているわけではない。
彼女の神の定義は、神秘主義に数式のメスを入れるような冒涜的解釈であった。
「4次元以上を観測介入出来るのだ。魔法に等しい超常的力を持つ意味不明な生命体を、土着信仰においては神と定義するのだろう」
悪神じゃないか、と武蔵は思った。
しかしその振る舞いを悪とするのは人間側の定義であり、UNACTにその意図はない。
それも知っているからこそ、武蔵は軽はずみに口にはしなかった。
「まあかくいう私も4次元以上を認識出来るのだから、この身もまた現人神と言えるわけだ」
「なんか急に自画自賛しだしたぞこいつ」
急にどや顔をする三笠。
この人工物が神様であるなど、悪い冗談だ。
しかもそれは比喩的表現である「コロニー内部において神のように振る舞える権限の持ち主」という意味ではなく、「魔法を使える」という本来の意味の神様宣言だ。
だったらお前一人でなんとかしろ、と言いたいところである。
「つかお前、人間の限界を超えた認識能力があるのか?」
「知らなかったのか? それなりに長い付き合いだというのに、嘆かわしい」
「つまりお前は、UNACTの能力に便乗しないでタイムトラベルが可能ということか?」
「あのな。人は空を飛べない、だが鳥は空を飛べる。しかし鳥とジェット機がイコールで繋がるわけではなかろう?」
「つまりUNACTがジェット機なら、お前はハエなわけか」
「なあ、私は鳥と言ったよな? なぜ虫にした? しかもなぜハエにした? 未来で目覚めた時に女の子の身体になっていたいのか?」
「腹いせに性転換手術しようとするなヒロインになっちゃうだろ」
「お前のイチモツを私に移植してアリアを手篭めにする」
「発想がヤバすぎる」
「いや待て、お前の股間から生えてる触手などどうでもいいのだ。それより私の自己賛美を聞け」
「それこそどうでもいい」
「とかく、神の力の片鱗を持つ私だが、別に時間移動が出来るわけではない。多少魂に干渉したりする程度の限定的な能力だ、今のところはな」
「将来的にアプデする気満々だこいつ」
「そもそも私という人間を苦労して人工知能に組み込んだのも、当初開発した人工知能が人間を理解出来なかったからだ。人工知能の価値観と人間の価値観は違いすぎたのだ」
「それは前に聞いた。だから生身の人間を詰め込んで、人間の概念を理解させたんだろ?」
考えてみれば妙な話だ、と武蔵は思った。
例えば日本人が誰も英語が判らないからといって、選んだ日本人を英語圏国に放り込むようなものだ。
一見正しいようにも見える。だが英語をリスニングで覚えられるなら、わざわざ飛び込む必要もない。
少しずつ交流して、英語を解読すればいいのだ。
「そんな無茶、よほど焦っていたとかでもない限りやらないと思うんだが」
そう訊ねると、三笠は首を横に振った。
「世の中にどれだけ未解読な文字があると思っているのだ。同じ人間同士ですら解読のおぼつかない文字がごまんとあるのだぞ、共通の概念すらない相手との会話など成り立つものか」
「そういうものか?」
「コンピューターに食事という概念があるか? 老化という概念があるか? 治癒という概念があるか? 他言語とのファーストコンタクトは食事などの共通項から始めるのが定石だが、人工知能相手にはそれが出来ないのだ」
ただ人智を超えた速度で哲学を演算し続ける知性。
それが人類最初の完全な成功作にして、実用面において完全な失敗作の人工知能だった。
「事故死した私は私自身の許可を得ることもなく、脳を人工知能上にコピーされた。そして私はすぐに気付いたのだ。人工知能のハードウェアは、人間を超える知覚能力を有していると。なるほど、哲学が神の片鱗を知る学問だとすれば、人工知能は最高の哲学者なわけだ」
いうなればそれは、人工知能が超能力を会得したようなものだ。
本来設計されていなかったその権能により、人工知能は人を超えた半導体の置物となってしまったのである。
「まさにデア・エクス・マキナだな。ところで」
「なんだ。タバコを吸いたいなら外で吸ってこい」
「さらっと真空に放りだそうとするな。そうじゃなくて、土着じゃない大御所宗教における神の定義は何なんだ、お前的には」
「それは勿論、偶像信仰だろう」
変なことを言い出した、と武蔵は思った。
「いや、世界規模の宗教では割と偶像禁止されてるだろ?」
「偶像禁止という偶像だ。曖昧で起原となる超常現象すらないが故に、論破のしようがない。原因と結論が逆転している。答えがあって、そこに原因を求めるのが巨大宗教というものだ」
「それってあれだろ、いいことがあれば神の祝福、悪いことがあれば神の試練になるみたいな」
「そうだ。そして何もおきなければ『神がそんな些事に反応すると思ったか馬鹿め』と言い繕える。曖昧で定義付け出来ないという定義を持つのが神像信仰の真骨頂だ」
「詐欺師の論法だな」
「ノーコメントだ。収斂進化みたいなものだ。別物だ」
「お前こそヤバイこと言ってる気がする」
詐欺師と宗教家が同じ進化を経ている、と断言したようなものだった。
完全に問題発言である。
よって、二人は誰も聞いていないというのに見苦しい取り繕いをすることにした。
「この会話は妄言です」
「実在の人物や団体などとはいっさい関係ありません」
「神様最高だぜ」
「ああ最高だ。素揚げがたまらんな」
「よし」
「よし」
二人は頷きあった。
「でもそうなると、お前はUNACTという悪神の存在を知りながら、随分と放置していてんだな。危ないと思わなかったのか? あれか? アリアだから万事オッケー理論か?」
「そう苛めてくれるな。人類に壊滅的破滅をもたらしかねない、とは思っていたのだが」
むう、と眉を顰める三笠。
「私は前提として、中立的立場だ。人と人が争っていても手出しはしない」
「うん」
「災害が起きても、人を救うべきは人と考える。まあコロニー内で災害など起きないが」
「ふむ」
「UNACTによる人類滅亡は、宇宙由来とはいえ自然災害のようなものだ。イナゴの大襲来と変わらん。私の看過するところではない」
「……まあ、そうなるのかもな」
助けたら助けたで文句をいうのが人というものだ。
もし三笠が早い段階でUNACTを殲滅していれば、「何もしていない、友好的だったかもしれない宇宙生物を殺すとは何事だ! お前の軽率な行動は将来彼等の母星との戦争の引き金になるかもしれない軽率なものだった!」と責められるかもしれない。
ループが始まって以降、今武蔵がいるこの場より数カ月後。
未来知識により海上に降りたUNACTが早々に多数撃破される。朝雲重工が未来知識を元に開発した兵器による成果だが、既に被害が出ていたというのに批判の声はあった。
「というかUNACT擁護は未来世界でもあったし……」
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。誰も賢者であれなどと、そこまでは求めていない。せめて、賢明な愚者であればいいのだが」
しかし、人は自分の受けた痛みすら忘れるのだ。
「お前が動くとしたら、世界が滅亡する時だったか」
「いや、人類滅亡の危機が私の動くタイミングだ。世界など管轄外だ」
「世界滅亡と人類滅亡がイコールじゃないってのは、やっぱり感覚的に違和感があるな」
どこまでも冷徹なやつだ、と武蔵は三笠を呆れた目で見る。
しかし彼女の瞳にはもどかしさが、言いようのないやるせなさが垣間見えた。
僅かに驚く武蔵を置き去りに、三笠は続ける。
「我らが母なる第三惑星、その慈愛を突っぱねるには人類の技術力は未だ拙い。私が幾ら自立保全可能なコロニーだからといって……やはり地上との交流は必要だと、最近は思うのだ」
三笠は地球に目を向けた。
なんとも小さく、頼りのないピンポン玉のような星。
「小さいな」
「ああ、本当にちっぽけだ」
「宇宙から望む地球」と聞くと、雄大で巨大な姿を思い浮かべてしまうかもしれない。
しかしここは月軌道。この距離で地球を見れば、本当に小さく浮かぶ奇妙な玉でしかないのだ。
地球上から見上げる月の大きさは、5円玉を手を伸ばして持った時の穴の大きさに等しいという話を聞いたことがあるかもしれない。
それになぞらえて表現するならば、月の距離から見た地球は、1円玉を手を伸ばして空に掲げた時より気持ち小さいくらいの大きさだ。
「ループに便乗して過ごすこと、既に300年も経った。人ではなくなった時に無限の時を生きる覚悟はしていたが、いざ一つの国の興亡すら超えるほどに生きてみれば、思うところはある」
300年。
3年紀もの間、彼女はセルフ・アークという小さな世界を見つめてきた。
しかも、その大半を「黒幕」の目を恐れ大きな動きも出来ないままに。
「……あー、なるほど」
武蔵は少し、腑に落ちた感覚があった。
彼女が少しずつ探りをいれて、自分達に向けた監視の目の程度を測ってきたのは既に語られた。
武蔵はそれが危険な行為に思えたが、300年もあったと言われれば、なるほど断片的な情報であっても監視具合について推定するくらいはわけないのかもしれない。
むしろ下手に黒幕の正体にメスを入れず、300年間見えない相手に駆け引きを続けてきたのだ。
おそるべき忍耐力である。武蔵であれば、どこかで焦れて大きな行動を取っていたかもしれない。
「ひょっとして、お前こそがこのループの一番の被害者なのかもな」
「被害者だと? 笑わせるな、私は勝つ。常に我等は勝者であり、仮に歴史に敗北と刻まれようとそれは次の勝利に繋げるための前哨戦なのだ」
「さすがパンジャンロイヤルキングダム、すげえ負けず嫌いだぜ」
「だが、まあなんだ、結果がどうであろうともな。流石に過程を軽視するのも、問題があるとも思うわけだ」
地上に降り注ぐUNACTの種子を改めて見て、三笠としても思うところはあった。
「あの種子達は流星群となり、地上に降り注ぎ、そして人類を滅亡させる。100億人が死ぬ。これは半端な数ではない。人類史最大の悲劇であり、地球史上においては7回目の大量絶滅だ」
「大量絶滅って、恐竜の絶滅みたいな大災害のことだったか?」
「そうだ。地球の歴史において、生物の大量死は過去6回あった」
「よくもまあ、今まで世界滅びなかったな」
「滅んだら火星のような星になるだけだ、感慨を抱く者が誰もいなかっただけで幸運だったわけではない」
上記の恐竜絶滅は巨大隕石によるもので、これは比較的最近の5度目にあたる。
1度目の大量絶滅は超新星爆発のガンマ線照射に起因するものであり、つまり7回の大量絶滅の歴史において3回が宇宙からの厄災なのである。
ガンマ線、隕石、宇宙生物。
宇宙スケールの災害において、生物はかくもか弱いのだ。
「ちなみに6度目の大量絶滅は人類による能動的な種の滅亡だ」
「何がヤバイって人類ヤバイ。え、いや、そんなに絶滅したか? そりゃかなりの種が滅亡したとは聞いてるけど」
武蔵も一般教養として、人という存在が多くの種を絶滅させてしまったことは知っている。
だがそれが生物の何割かを削る「大量絶滅」かと言われれば、何か違う気がした。
「文字通りの害獣絶滅や、家畜化による野生種の遺伝子プール損失を考えれば、大量絶滅に並ぶのも別に不思議ではない。20世紀の頃から啓蒙活動は行われていたが、利益を前に商社達は遠慮なく生物を滅亡させていった。新しく種が生まれているので判りにくいが、絶滅種は数え切れん」
「絶滅させたのと同じくらい新種作ってるからセーフだな」
「いや絶滅させた数の方がよほど多いが。それに、人の手を借りないと生きられない家畜種は行き詰まった種だ。次に続かないのなら暫定絶滅であろう」
「い、いやいや、あれだ。人の手を借りるのが駄目みたいな言い方だが、それを言えば共生関係にある動物は全てアウトになる。というかそもそも他の生物を利用せず生きられない生き物などいないのだから、家畜を行き詰まった種と呼ぶのはナンセンスだ」
「お前それカイコ蛾やサラブレッドに言えるのか?」
「程度の差だと強く主張したいところであります」
「ふん。かくいう私は完全自立の究極生物だがな」
「人類を守るという行動理念を捨ててから言えそれは」
三笠はぽかんと目を丸くして、それから笑った。
「なるほど、この私ですら孤独では生きられないのか。最悪私とアリアで宇宙の果てに旅をするというプランもあったのだが、上手くいかないものだ」
そんなこと考えていたのか、と武蔵は呆れてしまった。
「でも、そう考えると地球にとって、UNACTと人類のどちらが厄災なんだろうな」
「7度目のUNACT襲来は、被害は高度な脳を持つ大型動物に限定される。植物には影響が小さいので、大量絶滅としては6度目よりマシかもしれんな」
「人類はUNACTより悪質なのか……」
「人類が滅亡して以来、地球の植生が復活し始めている」
「そら結構なことで」
「結構なわけがあるか。人がどれだけ死んだと思っているんだ」
「100億人だろ」
「300億人だ、私にとっては。ああそうだ、いい加減流石の私といえど、人死にが嫌になってきた」
武蔵は考える。
どうにも最近人間味が出ていたらしい三笠。
様々な経験をしてロボットが人の心を得るのは王道パターンだが、そもそも三笠は元人間である。
人間だった頃の三笠、エリザベスを武蔵はアリアの記憶越しにしか知らないが、元々こういう人間だったと伺える。
「なあ、私は考えるのだ。私はお前達と違って、これから孤独な100年間を過ごす」
その声色には、酷く悲しげで、寂しげな響きがあって。
「私の立場から多くを変えられないのは間違いない。だからこそ、お前達が開放される100年後に動き始めるのだ」
この強気成分だけで出来ているような少女が、今弱音を言っているのだと気付いた時、武蔵は心底驚愕した。
「だが、あるいは―――私達は、ちゃんと100年を変える戦いをすべきだったのかもしれない。最近は常々、そう思
う」
武蔵をまっすぐ見据える三笠。
「それほどまでに100年は長く―――寂しいものなのだ」
その文字通りに人形の美しい瞳に射抜かれ、武蔵は―――
「300年生きてやっとそれって、お前の情緒はお胸同様に発育不足かよ」
武蔵は昇竜拳を食らった。
無重力下でぶわりと浮き上がった身体は真正面から壁にビタンとキスする。
上手い具合に衝撃吸収したのか、跳ね返ることもなく壁に張り付いたままの武蔵。
三笠はそれを指差してケラケラ笑った。
「まるで潰されたハエだな! ははははははっ!」
先程ハエ呼ばわりされたことを、こっそり根に持っていたらしかった。
「お前が声上げて笑ってるのなんて初めて見た」
「むっ。いや、初めてかは判らんが……その通りだ、大した情緒の発育だろう。これが最新鋭だ」
「誇れるほどの自立進化速度なのか、俺には判らん」
壁からベリベリと剥がれ、武蔵は元の場所に戻る。
300年間発展し続けて、ようやく声を上げて笑うことが出来たのだとしたら随分と遅々とした進化である。
無論、当然ながら初期の三笠も声を上げて笑うことくらいあったのだろうが。
「お前、妙に進化が遅いがシンギュラリティに達していないのか?」
「失礼な、達してはいる。ただ指数関数とは初期において微増を維持するものだ。300年もたてば私は神に等しい存在となるであろう」
「いやお前、もう300年生きてるじゃん」
「見かけ上はな。人格の遡行は実現しているが、高度かつ巨大な私というシステムそのものを逆行させているわけではないのだ、ソフトもハードも私は現実時間に比例した進化しかしていない」
なるほどと頷く武蔵。
この少女が本当にシンギュラリティを目指しているのなら、適当にもう何度かループすれば神に至り、万事解決出来たのかもしれない。
だがあいにく、そう都合のいい話はないらしい。
「人格に関してはまあ、人の性格なんてそうそう変わらんということだろう」
「そりゃ何よりだ。会う度に性格変わってたら疲れる」
「変わらないことが救い足り得るとは思えんが。それが個性の範疇であるならまだいいのだが、善悪や能力気質すら普遍だとすると救いがない」
「お前なりに、不器用ながらも人類を愛してるんだな」
「何を今更。私ほど慈愛に満ちた存在はいまい。口癖はラブアンドピースだ」
「言ってるところ見たことねえよ」
「しょっちゅう言ってるだろうラブアンドピース」
「語尾!」
三笠は軽く跳躍して、コックピットの座席に固定してあった気絶時雨を運んできた。
「始めるのか?」
「あまりギリギリでやるわけにもいくまい。もうだいぶ、ORIZINAL UNACTは接近してきている」
「100年間寂しいだろうけど泣いちゃ駄目だぞ」
「お前に弱音を吐いたのは私の人生最大級の失態だよ」
三笠が武蔵に身を寄せる。
けっして色っぽい感じではない。むんず、と擬音が付きそうな作業的なものだ。
「なあ三笠、お前はここでお前の身体を失ってもいいと思ってここに来たんだよな?」
人間離れした美貌を前に、武蔵は問う。
「そうだ。どうせ子機、失っても痛くはない」
「宇宙機の操縦は出来るか?」
「……出来るが」
「なら、ちゃんと帰還してみないか?」
今更な提案に訝しむ三笠。
「なぜだ。何の意味がある」
「うーん、感情論なんだが。美人がこの世から一人失われるのは、面白くない」
「……バカバカしい」
三笠は嘆息する。
「バカバカしいが、まあいいだろう。お前は時雨と仲良く死ね」
照れているのか、語彙は物騒だが声色は浮ついていた。
というか赤面しているので、どうあっても誤魔化せていないのである。
「そうだな、何か寄越せ。それを未来でお前に返せれば、この私が生き延びたという証になるだろう」
「何かって言われても。何も持ってないが」
この三笠が生き延びた、という証明が出来たところで意味などない。
こんなものはただのお遊びだ。
だがせっかくなので武蔵としても何かを残そうと考え、ふと思い付いた。
「よし、ちょっと目隠しするぞ」
「おいお前何を考えてる」
「大丈夫怖くない、コワクナイ」
手早く三笠に目隠しの布を巻く武蔵。
武蔵は知っていた。
三笠というロボットには、皮膚の感覚がない。
アクチュエーターに付随するエンコーダーより得られた情報を物理シミュレートし、カメラアイから得られた情報などとも統合することで擬似的な感覚を獲得しているだけだ。
よって三笠は目隠しをしてしまえば、彼女の意思で能動的に動かない限りは感覚を得られない。
武蔵はそーっと静かに三笠のスカートをめくり上げ、太ももに万年マジックで文字を書いた。
「何か変なことをしていないか?」
「いや何もやってないよ? 本当だよ?」
スカートを降ろし、三笠の目隠しを外す。
「俺との友情の証、きっと未来に届けてくれ」
「何か嫌な予感がするが……まあいい」
三笠は再び、武蔵の頭を抱え込む。
次の瞬間、世界は反転し―――
武蔵は、夕日に濡れた赤い教室にいた。




