6-3
三笠への格付けチェックは、「貴様、意外と器用なのだな」という同点宣言により彼女の名誉が守られる結果となった。
「落ち着いたか」
「黙れ、私がホストだ」
「お前毎度そこ気にするよな」
自身の性格が把握されていることにやりにくさを感じる三笠。
彼女にしては歯切れ悪く、おずおずと訊ねる。
「未来の私は、お前達の関係をなんと言っていたのだ?」
「よろしく頼まれたよ」
「そうか」
「むしろお前以外にアリアを預けられる者はいない、私はお役御免だな、とまで言われた」
「そう、なのか」
あまりちょっかい出されても面倒なので、アリア離れしろと牽制しておく武蔵。
将来関係を進めることがあったとして、アリアのオマケにこのロリまでくっついて来られても困るというものである。
「ぷはーっ。2週間ぶりのシャワーは堪んないねーっ」
おっさんのような声と共に、タオルで髪を拭きつつ、鈴谷が部屋に入ってきた。
「姿が見えないと思ったら朝シャンかよ。実家か」
「一人暮らしのクラスメイトなんて、ダチの遊び場になるもんさね。勝手知ったる三笠ハウスよ」
冷蔵庫から調達したキンキンのレモネード瓶を一気飲みする鈴谷。
武蔵は思わずごくりと唾を飲んだ。未来では決して味わえない、完全嗜好品の清涼飲料水である。
「やめろと言っているのだがな……む、どうした?」
「いや、なんでもない」
「ふっふっふ。いいだろ、ジュースなんて何年ぶりさね」
ここ数週間の心労もあり、レモンの酸味と爽やかさに疲れが吹き飛んだような爽快感を覚える鈴谷。
21世紀の平時ならば子供であっても自動販売機で買えるそれが、今では下手な麻薬より甘露に思えた。
「酒もタバコもやらない奴だと思ってたが、まさかレモネードジャンキーとは……」
「いや別にレモネード専門じゃないけど。代用コーヒー以外ならなんでも飲むけど」
ちなみに鈴谷は代用コーヒーが嫌いである、とは武蔵も本人から聞いていた。
体への負担はむしろ本来のコーヒーより小さい物が多いのだが、どうにも相性が良くないとのこと。
「それ、まだ冷蔵庫にあったか?」
「これ最後の一本だよ」
まさかのお前の分ねーから発言。
こうなると無性に飲みたくなるものである。
「三笠、100年後に目覚めたら俺の分も冷えたレモネード頼む」
「うわ図々しい……」
武蔵の厚かましい要望に戦慄しつつ、三笠は脳内スキャンの準備を進める。
「しかし、最上の話し方の変化は凄まじいな。違和感しかない」
三笠としては、一晩で性格が大きく変貌した鈴谷は違和感の塊であった。
そんな戸惑いを気にもせず、鈴谷はどかりとソファーに座る。
「アンタもシャワー借りたらどうだい。使い放題の水は最高だよ」
「この身体は清潔だけどな」
「いや水道代はタダじゃないし、女の一人暮らしとしてはあまり男に風呂場を貸したくはないのだが……未来の私は、こいつに風呂を気軽に貸すような気の置けない仲だったのか?」
それに答えたのは如月姉妹であった。
彼女達は顔を見合わることもせず、一字一句同じ発音で即答した。
「「割と仲良し」」
「……そうかぁ?」
異論を投じるのは、武蔵本人であった。
しかし双子は食い下がる。
「なんて言いますかぁ。互いに扱いがマイナスから始まったからこそ、色眼鏡なしに認め合うようになったっていうかぁ?」
「悪友っぽい仲良しオーラ出てますよ二人ってぇ」
溜め息を吐く武蔵。
人同士のコミニュケーションについて武蔵よりレベルの高い二人だからこそ、その意見は傾聴の価値があった。
どうにも客観的に見た場合、武蔵と三笠は仲良しらしい。
「ふん、誰がこいつと慣れあうものか。勘違いして、私めに迷惑苦労をかけたりなどしてくれるなよ」
「安心しろ、お前が今後100年間苦労することは確定事項だ。逆説的な予言だ」
「嫌な予言だな……では、私も預言者になるとするか」
双子に目を向け、アイコンタクトで了承を取り付ける。
「それでは、おやすみだ」
「「はぁーい。百年後までヨロでぇーす」」
双子の頭を、存外に優しい手付きで抱きしめる三笠
途端、二人の意識は喪失し―――対し、三笠の瞼はゆっくりと持ち上がった。
武蔵も鈴谷も、明確に感じ取る。
一瞬の間に、三笠という少女は老練な怪物に変貌したのだと。
「―――ひとつ、確認したい」
ゆっくりと目を見開いた三笠は、ぞっとするほどに冷たい瞳を武蔵に向ける。
「確かに私は前回、アリアを頼むと貴様に言った。だが、私がアリアから手を引くなどと言った覚えはないぞ」
「あっれー? 聞き間違いだったかなー? めんごめんご」
視線をそらし、つい窓の外に目を向ける武蔵。
そして、ふと気付く。
「そういえば、この世界で日の光を見るのって久々だ」
体感時間でいえば、既に1年以上未来の世界でループする生活を送っている。
過去に戻っても夜中のうちに未来に飛んでいたので、過去世界の太陽を見るのもやはり久々なのだ。
もっとも、当然ながらこの太陽はコロニー内で再現された映像なのだが。
「まあいい……とりあえず、未来からの情報を解析するぞ」
「まだしてなかったのか?」
「あちらでは、あまりに時間がなかったからな。今の私なら地上のスパコンも使えるはずだから、解析が捗る」
地上、というのが地球を指しているのはすぐに解った。
「通信して下手に情報が漏れる可能性はないのか? というか、向こうのセキュリティは信用出来るのか?」
「心配無用だ。地上にいるのは私の姉妹機だからな」
武蔵は驚愕した。
姉妹機、同型機ということは、それもまた三笠と同じ人間をベースにした人工知能ということになる。
彼女はかつて、電脳化の適正は極めて珍しい、といった。
そうだ。唯一無二の才能だ、とは言っていないのだ。
「それは未来で何をしているんだ?」
「あれはあらゆるデータを収集し、演算することに執着している。本来のデザインを乖離して暴走しているシステムだ」
「なんでそんなの放置してるんだよ」
「本来の趣旨に反して行動しているのは私も同じだろう。そのアルゴリズムそのものが研究対象なのだろうさ」
姉妹機といっても直接会ったこともないしな、と三笠は肩を竦める。
「だがそれでも同型機だ、演算リソースの貸し借りは出来る……と話している間に終わったぞ」
「早い」
単純に未来の三笠の2倍、どころではないスピードである。
もしそうであるのなら、未来の三笠とて情報の解析が倍程度の時間で出来たはずだ
「それほど未来の私は弱体化していたということだ。コロニーの維持が出来るなら人間の生活にも余力を回せなど言っていたが、こちらとて爪に火を灯すようなやりくりをしているのだ」
「俺はそんなこと言っていないがな」
「……言っていないな。お前はもう少し人間味を持つべきだ」
「人工知能に言われたらお終いだ」
ちなみに今、目を醒ましているのは武蔵と三笠、そして鈴谷の3人だ。
如月姉妹と時雨はそれぞれ別の理由で昏倒しているわけであるが。
「私にも情報の書き込みをしたはずだけど、読み込まなくていいのかい?」
鈴谷の問いに、三笠は頷いた。
「圧縮率が上がっているのでな、本来は双子だけで良かったのだ。お前に書き込んだのは予備だ」
「……そういえば」
武蔵はふと疑問を思い出す。
「双子は前回は、作戦開始前に二人とも死んでただろう。なのに作戦で得たデータをどうやって過去に送ったんだ?」
「あー……」
珍しくいい渋る三笠。
しかし、すぐに観念したように答えた。
「双子の死体を回収して、無理矢理に再起動した」
「いや機械じゃないんだから」
「心停止していたし原形など失われていたが、細胞がまったく失われたわけではない。残った臓器を繋ぎ合わせて、心肺を無理矢理ペースメーカーで始動させ、頭蓋に培養した脳細胞を詰め込んで、脳のデータをコピーした」
「そ、そんなの、もう死者蘇生じゃないかい!」
狼狽の声を上げたのは鈴谷だ。
狂人の類である武蔵達と違い、鈴谷は人の生き死にに等しく過敏だ。
身体を作り直し、控えておいた人格をコピーする。
なるほど、それはほとんど死者蘇生といっていい。
「いや、だがそれで元の人間に戻るとも思えないが」
否定するのは、三笠ではなく武蔵。
医学知識のない彼であっても、その処置が無茶であることは解った。
21世紀の医学であれば、完全なクローン体を作り、その脳にオリジナルの人格を書き込むことも不可能ではない。
そして、それを死者蘇生或いは不老不死であると強弁出来なくもないであろう。
だが22世紀では不可能だ。未来世界に、生存可能なクローンを作る技術などない。
まして、三笠はORIZINAL UNACTの子機である双子の身体だけを使っての組み立て直しを行ったのだ。
そんなツギハギの美少女フランケンシュタインが長生き出来るはずもなく、出来上がるのは有機物の人形でしかない。
まともに連動して働かない細胞の集まりなど、結局のところ所謂死体だ。
「いや死体でいいのだ。死ねばループするからな。出来なかったとしても、ループするのは2週間前に死んだ双子達であって、魂の方に不都合はない」
つまり三笠はこう言いたいのだ。
それが当人であるというラベルが貼られた器でさえあれば、それがどんな状態であっても役割は果たす、と。
「私は事前に記録していた双子の人格データと私の人格データ、そしてお前が作戦で入手した亡霊戦艦の情報を細胞粘土の人形に書き込んだ。結果は見ての通り、私は全てを過去に持ち越すことに成功している」
自慢げに薄い胸を張る三笠。
「過去に戻って以来の双子がちょっと様子がおかしいんだが……お前の無茶のせいだろやっぱり」
「そ、そんなことは、ないと思う気がするかもしれない」
めっちゃ目が泳ぐ三笠である。
「どゆことだい? 過去にループする時に、情報が欠損してたってことか?」
鈴谷が訊ねるも、三笠は視線を更に逸らすばかり。
逸らしすぎて、既に後ろを向いているほどだ。
「い、いやぁ。死体を作るにも材料が足りなくて、困っていたのだが……ちょうど同じ遺伝子情報の死体が2つあることに気付いてなぁ」
「お前、まさか……」
「どうせ記憶は魂に刻まれているし、脳細胞は書き換える。問題あるまい。……と思っていたのだが……」
武蔵は愕然とした。
つまり未来の三笠は、双子の身体をニコイチしたのだ。
「じゃあなんだ、如月姉妹の様子がおかしいのは、二人とも同じ人格を持っているからか」
「う、うむ。お前が寝ている間に、色々と確認した」
瓜二つの姉妹の顔を見る。
一卵性双生児は天然のクローンであり肉体的には同一といっていい。
だが、精神は別物だ。
別物であるはずだが―――こともあろうか、二人には同じ人格が宿っている。
「どういう理屈で、どうするんだよこれ」
双子の身体を仰向けに重ね、上の娘だけ上半身を上げるという古いギャグをさせつつ武蔵は問う。
「結論からいえば、どうしようもない」
三笠、まさかの諦めである。
「まあ元より二人で行動することの多い姉妹だ、人格が混ざってもさして問題はなかろう」
「お前……」
三笠は友人に対しては人並みに情を持つ人物であるが、そもそも倫理観の緩い女でもあることを再認識する武蔵であった。
「い、いや、手段がないわけではないのだが」
武蔵は閉口した。
手段があるのに提示しない。
禄な手段でないことは明らかである。
「時雨が提供してきた情報は多岐に渡る。その中には、ORIGINAL UNACTへの隠しコマンドもあった」
「隠しコマンドって、イースターエッグみたいなものか?」
「イースターエッグというと性能に影響しない小技という印象があるな、どちらかというとデバックモードという方が正しいかもしれん。かなり強力な影響力を持つコマンドだ」
「イースターエッグって? たまご?」
首を傾げる鈴谷に、三笠が説明する
「上上下下左右左右BAみたいなものだ」
「はあ?」
三笠の古臭い例えが通じなかったので、武蔵が簡単に答えた。
「ようするに裏技だ。携帯端末のバージョンを連打したら変な画面が出るだろ」
「ああ、なるほどね」
「馬鹿な―――!?」
膝から崩れ落ちる三笠。
別段彼女がのじゃロリというわけでもない。人工知能だが、年齢はアリアと同い年だ。
ただ趣味嗜好が懐古主義なだけである。
「それで、その隠しコマンドがなんだって?」
「あ、ああ。時雨が用意したであろう、ORIZINAL UNACTへの隠しコマンドだが、幾つかある」
「複数あるのか」
意外と気の利く時雨であった。
「うち一つは『ループからの脱出』、つまりORIZINAL UNACTの捕縛対象からの除外だ」
いきなり確信を突くものが提示されてしまった。
武蔵は目を見開き、唸り、しかし首を横に振る。
「駄目だ。ただ脱出しただけでは、世界の滅亡を見るだけだ」
「その通りだ。だから、これはまだ使えない。他にも注目すべきは『全UNACTの活動停止』などだが」
「それでいいじゃないかい!」
声を上げた鈴谷だが、それも仕方がない。
まさにそれは、全ての問題を解決するであろう魔法のコマンドであった。
しかし武蔵と三笠は拒否する。
「駄目だ。全てのUNACTということは、おそらくアリアも含む。それは絶対に許容しないぞ私は」
「それに黒幕の正体も掴んでいないんだ、下手に手札を切ったら対抗策を打たれて行き詰まるかもしれない」
「うぐぅ……アリアのことはともかく、上手くいかないもんだね」
「アリアのことをともかく扱いするのは遺憾だが、黒幕を軽視していいわけではなかろうさ。彼等も、我々のことを本格的に察知したはずだ」
どういうことだと武蔵が三笠を睨む。
三笠は手をひらひらと降って誤魔化した。
「まあそれは後だ。今は双子の分離方法だろう?」
「……判った。後で話せよ」
三笠はたまに話を誤魔化すので、武蔵はそろりと釘を指した。
「私の提案する双子の分離方法というのは、本来は時雨を元に戻す手段として考えていたものだ」
三笠は紅茶をちろりと舐めるように飲んだ。
「私の手持ちの技術でも、脳への読み取りと書き込みは出来る。だが、これまでは部分的な書き換えに限定していた」
「脳の情報まるごとコピーとかしてただろう」
「多少の改変はしてたさ。だが、完全に全体を改変したことはない。技術的には可能だが、私の操作した情報が人体というハードウェアに適合する確信がなかった」
「というと、お前の案では脳の情報全てを書き換えるつもりなのか? 何に?」
「時雨の脳を完全にスキャンし、シミュレートで以前の状態を再現する」
武蔵は唸った。
結果から問いを導き出す。1+1=○ではなく、1+○=2を演算していく。
2という結果から、その以前の姿である1+1を導き出す。
そう言えば簡単な気もしてくるが、問題は1×2かもしれない。3−1かもしれない。
脳細胞はカオス理論の吹き荒れる緻密過ぎる演算装置だ。とても、正しい結論に辿り着くとは思えなかった。
「一つの方程式ではxの値は変動する。だが、記憶は多方面から連なる連立方程式だ。根気強く演算していけば、近似値には辿り着ける」
「気の長い話だ」
「その通りだ。しかもこれは、どこで近似値が許容範囲に収まるかが判らん。高校1年生まで遡ったタイミングで、ちょうど許容範囲を満たすとも思えないのだ」
「許容範囲を満たさない状態だとどうなるの?」
「単純に、人格に違和感が出る。一般にもっともメジャーな近似値といえば円周率だが、まさか円周率3で妥協して同一人物だと言い張ることも出来まい」
「だから人格の復元が最大公約数に達するタイミングまで遡り、そこから仮想世界を構築して人生をやり直させる。これは印象の強い記憶を再生していけばいいのだから、ある程度本来の人生をなぞれるはずだ」
「それを廃人となった時雨の脳に書き込めば、一応彼女の人格として蘇るはずだ」
「それは……時雨というか、別の可能性を生きた平行世界の時雨、みたいなものにならないか?」
「なる。本来の人格が復帰する保証はない。だが、現状において既に精神崩壊してしまっているのだ。やむを得まい」
理屈の上ですら危うい技術だ。気軽に実施出来るものではない。
しかし鈴谷は、そのリスクは結局どこかで背負わねばならないものだと思った。
よって、技術的困難さとは別に、実施しない理由がどこかにあると推測した。
「それしかないのなら、なんでやらないのさ?」
「時雨の脳にアクセス出来ないからだ。意識があるのなら脳波測定で座標をある程度特定出来るのだが……」
「意識なんて曖昧なものを、機械で測定するのかい?」
「割と昔からある技法だ。音楽を演奏しながら脳の手術をするなど、数十年前には近いことが出来ていた。だが植物状態となると、そうもいかん。時雨の脳波はほとんど沈黙している」
「だからこそ、時雨からのアプローチ待ちだったのだ。てっきり亡霊戦艦から奪取した情報にそのあたりのデータもあると思ったのだが……」
焦らしてくれるものだ、と三笠はニヤつく。
焦らしプレイが大嫌いな女、三笠である。
「―――なあ」
鈴谷が思い詰めたような声を漏らした。
「その過去に精神を戻す方法、安全確実ってわけじゃないんだろ?」
「何が言いたい、鈴谷」
なんとか捻り出した方策を素人にダメ出しされ、三笠の口調に刺が混ざる。
それも気にせず、鈴谷は提案した。
「事前に、時雨以外の人間で実験しておくべきじゃないかい?」
「それは、当然だ。100年の間に適当な悪党を捕まえて、実験をして―――」
三笠の言葉に、鈴谷は首を横に振る。
「人体実験に使っても良心の傷まない、どうしようもない人間なら―――ここにいるよ」
そう言って、鈴谷は自分を指差すのであった。
思わず割って入る武蔵。
「どういうつもりだ? 独創的な自殺願望のつもりか」
「そうさ。こんな妄執に囚われた老婆は、さっさとくたばった方がいい。違うかい?」
「気に食わない」
憮然と、武蔵は鈴谷の提案を拒否する。
「妄執の果てに破滅しろ。そうでなければ、お前が報われない。何お行儀のいい結末で茶を濁そうとしているんだ、らしくねえぞババア」
「あんたには年寄り説教が長いことを教えるいい機会さね」
「遠慮しよう。ジャネーの法則を参照すれば1時間のつもりで50時間説教されかねない」
「あんだとこら」
言葉だけで怒ってみせる鈴谷。
なおジャネーの法則を厳密に当てはめれば、せいぜい両者の体感時間の差は2倍程度である。
精神年齢が成人である武蔵に、極端な体感時間の遅延はもう起こってない。
「いいさね。それじゃあアンタの流儀に則って、リアリストな説得を試みるとしよう」
「ほう」
「学生だった頃の私と今の私、飛行機の腕はどっちが上だい?」
それを言われると、武蔵としても反論が難しい。
基本的に、飛行技術は飛行時間と比例する。
比例定数に個人差はあれど、飛べば飛ぶほどに経験が蓄積されるのは万人共通だ。
武蔵はこれまでの蓄積が大きく、飛行時間は減ったが技能は維持されている。
アリアは自衛隊の訓練があるので、練度の維持、そして向上を微々たるペースだが図れている。
双子は若干技能の低下が見られたが、そもそも彼女達は緻密なロッテ戦術を武器としているのでカバー可能だ。
しかし、鈴谷だけは大きく飛行技能を低下させていた。
何十年もまともな空中戦をしてこなかったのだ。それで練度を維持出来るはずがない。
それでも大型機に関しては操縦感覚を有する者自体が少数派なので、YS−11爆弾のパイロットを任せたのだが。
女子高生の鈴谷と未来で過ごした鈴谷、どちらが強いかといえば、やはり前者なのだ。
「ここは一つ、パワーアップのつもりで試してみようじゃないか」
「失敗したらループもへったくれもなく、精神がぶっ壊れるかもしれないんだぞ」
「命懸けなのは誰もが同じさ。安全策ばっかり打てやしないよ」
鈴谷は苦笑する。
いつもの老獪なそれとは違う、どこか子供っぽい笑顔で。
「私はちょっと、生き過ぎたからさ。憎しみと一緒に、そろそろ舞台を降りるとするよ」




