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菩提樹の下で  作者: マーク・ランシット
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 気が付くと、淳はベッドに横たわっていた。


 レースのカーテンを通して月明かりが漏れている。あれは夢だったのかと思った。全身に激しい疲労感があった。闇に目が慣れると、窓辺の椅子に、マリーが座っているのが分かった。


 右手を動かすと、衣擦れの音に、窓際の影がこちらに向き直おる。彼女の小さな顔が、窓枠の中でシルエットをつくった。それは、夢の続きの様に思えた。


 マリーは、立ち上がるとベッドの横に膝まづいた。細い腕が伸びてきて、淳の額にそっと手のひらが押し当てられた。


「大丈夫?」


 マリーの甘い吐息が、頬の辺りをくすぐった。淳は何も言わずに、視線の先でシルエットの中の唇を探った。


「何があったの?」


 突然、淳は、右手でマリーの手のひらを掴んだ。その手の力の強さに、黒い影の中で、マリーの瞳が見開かれるのを感じた。


 淳は、強引にその手を引っ張って、彼女の首に手を回した。


 あっ。


 彼女の濡れた唇が、淳のそれに触れた。


 だめ。


 唇に触れたままそう言うと、彼女は唇をそっと離した。そして、ベッドの側からゆっくりと立ち上がると、ドアを開けて出て行った。


 淳は、窓の外一面の星たちを見つめながら、あれは一体なんだったんだろうと思った。



 次の朝、マリーは何事も無かったかの様に、淳の隣で朝食を取った。ただ、何かが大きく変わっていた。それは、あの菩提樹に認められたという事実によって、マリーだけではなく、ラシンゲ家の全員が、淳という人間に対して尊敬の様なものを持っていた。


 昨日までの単なるゲストから、家族の一員と呼べる様な、しっとりとした自然な関係が生まれていたのだ。その朝食の席で、父が今日の便で帰国する事を聞かされた。大学の友人に不幸があったらしかった。


 玄関の前に止まっている白のベンツに荷物を積み込むと、父はラシンゲ博士や妻や娘たちと別れの言葉を交わした。そして最後に、息子の方に歩み寄った。


 竹井竜一は、いつになく優しげな瞳でじっと息子の顔を見つめた。


「私の方から呼んでおいて、済まない事になってしまったな。ラシンゲ博士は、好きなだけいても良いと言ってくれている。後はお前の判断に任せるよ」


 淳は父親と目を合わせた瞬間、言葉を失って、その場に立ち尽くした。


「それじゃ、元気でな」とだけ言うと、彼は背を向けて車に乗り込んだ。


「あれは父の目だった・・・」


 昨夜、あの菩提樹の下で体験した異常な世界。限りない暗黒の無へと落ち続けていた彼。その彼の前に広がった1点の光、その光の中から彼の方に向かって来た何か。それは、まさに光速と思えるスピードだった。彼の傍をものすごいスピードですれ違って行った何か。


 勿論、それを目に捕らえることは出来ない。しかし、彼はそれを心で感じ取っていた。それは暖かで、厳しい視線の感覚だった。それが、たった今、彼の目の前にあった。彼は何の根拠もなく、しかし、絶対の確信と共にそれを感じた。


 あの時、感じなかった事を、彼は今、一瞬にして感じ取っていた。彼と彼の父は、あの時、無限の空間を旅していた。父は遥かなる宇宙空間を、そして息子は、同じく無限の極小へと続く空間を・・・。


 そして、空間だけでなく、無限の時間をも旅していた様に思えた。広大な宇宙空間に存在する、無数の地球と同じ条件を持つ惑星たち。その惑星の一つ一つで、父と彼は無限の遠い過去から、深い縁を保ち続けて来たのだ。


 小さくなってゆく白いベンツと共に、彼の確信は少しずつ強くなった。いつの日か、父と昨夜の出来事を話すことが出来るだろうか?


 いつのまにか、マリーがとなりに立っていた。彼女は、淳の腕を取った。


「優しい顔になってる」


 彼女の言葉に、淳は黙って微笑んだ。


「明日スリランカを案内してあげる。スリー・マハー菩提樹にも行って見ましょうよ」


 淳が頷くと、マリーは彼の手を取って裏手の方に連れて行った。そして、あの菩提樹の方へと彼を誘った。


「この菩提樹で悟りを開いた人間しか、この家の主になる事は許されないの」


 マリーは、そう言って意味ありげな視線を後方に向けた。マリーの視線をたどって振り返ると、リビングの椅子に座って、ラシンゲ博士とその妻のエリザベスが暖かな眼差しを向けていた。


 ラシンゲ夫妻の着ている服装、そして建物の情況こそ違っているけれど、二人の寄り添う姿やその優しげな表情、これとそっくりな場面を、淳はどこかで見たことが有るような気がした。


 遥か遥か遠い昔、地球以外の惑星・・・。そう、この菩提樹の下で。



                                         了


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