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悪意を感じる文章。それは書き手の問題なのか、それとも読み手の問題なのか。

作者: 佐々木 龍

 私はかれこれ五年くらい前から、小説投稿サイト等で文章を公開しています。なぜネットでの表現活動をするのかといえば、何となく始めて、何となく続けている感じです。投稿し始めた頃の「賞に応募して、あわよくば賞金をゲットしたい」という即物的な意欲はかなり薄れ、今では気が向いた時に、気が向いた場所で言いたい事を言ったり言わなかったりしています。


 ところで今日のお題は「悪意を感じる文章」について考えてみよう、という事なんですが、読んでくださっている方には、「悪意のある文章」では無いところに注目していただきたいかと思っています。というのは、作者にはそのつもりが無くても、読者が悪意を感じたら、その文章には悪意があると「誤解」される事もあるために、なんだろなあ。具体例を出した方が早いので、さっそく始めようと思います。よろしくお願いします。


 まず「悪意のある文章」として、こちらを例として挙げます。(私が今考えたもので、誰かの文章では無いです)


『○○さんは、人を人とも思わない悪人であり、絶対に付き合ってはいけない、人間とも呼べない、いわば悪鬼である』


 ○○のところには、ご自身の名前を当てはめて読んでいただければと思います。あるいは、仲の良い友達の名前でもいいです。いかがでしょうか。単なる例文にもかかわらず、気分が悪くなりませんか。

 こういった文章に対し補足で「これはフィクションであり、実在の人物とは一切関係がありません」と書かれていても、よけいに腹が立つだけではないでしょうか。(人によってその辺は受け止め方が違うかもしれない)


 では、上記の例文を書いた本人から、こんなメッセージが届いたらどうでしょうか。


『私はあなたのファンです。つい構われたくて、過激な事を書いてしまいました。申し訳ございません』


 実際にこういう事があるのかどうかはさておき、単なる悪口を書いた本人が謝罪した事により、目にした悪口に対する不快さは減るかもしれません。悪口を書いた人がさらにその悪口を撤回して、謝罪文を掲載したならば。


 では次に、この文章はいかがでしょうか。こちらは、文章自体には悪意が無い(と思われる)けれど、読む人によっては、悪意を感じる事も出来る文章として挙げます。


『ちかごろ早朝の空が明るくて、春だな、と実感する。朝日に向かって歩いていると、今日も一日がんばるぞ、と思えた。人気のない歩道、梅の香り。……しあわせだなあ』


 この文章を見て、あなたはどう感じましたか。「そうだよね、日の出の時間が早いよね、春が来ると」と共感した人はおられますか。あるいは、こういった気楽そうな文章をみると虫唾が走る、という人も、もしかしたらおられるかもしれません。または、作者名を見て反射的に「こんな奴がしあわせ感じやがって!」と怒る場合もあるかもしれない。


 という感じで例を挙げて考えてみるに、ある文章を見て悪意、または嫌悪感を覚える時、読み手の都合というのが大いに関係しているといえるのではないか、という事をたまに、考えるのであります。


***


 何でこんな事を誰かに話してみたくなったのかといえば、以前どこかで、こんな説を唱えている人が居るのを見たからです。それは、こんな話です。


『物語に、悪意を感じることがある。悪意とまではいかなくても、ある一つの思想に読者を誘導するような文章を見ると、許せないと思う』


 その意見を読んだ私は当時、この読者さんは怖いなあ、と思いました。もうかれこれ四年くらい前の事ですから、今では少し、考えが変わっていますが。

 なぜ私が「この読者さんは怖いなあ」と思ったのかといえば、無意識のうちに作中に表現してしまった感情のようなものが、鋭い読者にはお見通しであるかのように思えたからでした。


 思うに、創作物を公の場に晒すという行為は、自分の弱い部分を人前に放り出す事に近いのかもしれない。そんな事を考えて、文章などをネットに投稿しない方がいいのかもしれないと思う事もあるのです。


***


 さて、我々が文章を書く時、その文章には個性が出ます。個性というのは、癖とも言えるかもしれない。そしてその癖は、意識していてもしていなくても、勝手に表現されてしまうようなところがあると、私は思っています。また、癖が強いというのは、個性的である、という事でもあると思います。

 

 癖が強めの書き手の場合、無意識のうちに個性的な作品を作るので、本人は自分が個性的であると、気がついていない事があるように思います。中には「自分はおかしい」と、誤解している人がいたり。そういう人には「あなたは個性的なんです。または癖が強いだけです。変ではありません」と言いたいです。(それはそれで怒られそうだ)


***


 話を元に戻すと、こう言っては作者の怠慢や無責任とも言えるかもしれないんですが、「悪意を感じる文章は、その文章自体には悪意はなく、読み手と書き手の間にある何かが、そういう読み方をさせている」という結論で、とりあえず締めくくろうかとおもいます。その「何か」を明らかにせよと思う人もいるかもしれないんですが、何でも明らかにしたところで、あんまりいい事は無い気がしますから。


 ここまで読んでくださった方、まことにありがとうございました。それではごきげんよう、さようなら。

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― 新着の感想 ―
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