フェードアウト
翌日の日曜日、いつもの様に朝5時半に目覚めた俺は、洗濯カゴを片手にヨットを出るとクラブハウス前の広場で最近の日課となっているストレッチの後、軽く拳法の型を繰り返して身体をほぐすと、まるで機械の様に正確なフォームで腕立て伏せ1000回を20分で済ませた。
俺が腕たせ伏せ1000回を軽くこなせるコツはリズムに乗る事ともう一つ、呼吸法によって内筋や普段使わない全身の筋肉を動かす事で運動負荷を肩代わりさせるのだが、同様に俺が拳法の型をやるのもまた我が家の家伝である身体操作法の一環として行っており、筋力アップや武術の上達そのものが目的ではない。
冬とはいえ流石に汗だくとなった俺はクラブハウスに入ると温水と冷水のシャワーとを交互に浴び、洗濯機に洗濯物を放り込むと待ち時間で再びストレッチとトイレと歯磨きを済ませ俺がヨットに戻ると後部デッキでは母が朝食の用意をして待っていた。
ヨットで朝食とは随分と優雅なご身分だなと思われるかも知れないが、俺と両親とは昨年の3月に起きた震災による原発事故により、現在この都営ヨットハーバーでの避難生活を送っていた。
とはいうものの、バブル期に青春時代を過ごし、フェラーリに乗りヨットに住んでいるというマイアミの潜入捜査官を描いたドラマに憧れて海上保安庁入りした親父としては長年の念願が叶ったようだが。
因みにこの親父、少々子供っぽい性格は別にして、長身でバランスの良い体型のうえ、日本人離れしたその渋い容貌が指揮者のフォン・カラヤンに酷似しており、また英語以外にもロシア語や中国語が堪能な上、レディファーストを心得ている事から「日本のジェームズ・ボンド」などといわれ、ロシアンパブのお姉さん達にモテモテの中年ダンディでもある。
これはうちの親父の飲み仲間でもあるバイト先の社長から、お父さんは白系ロシアの血を引く混血なんだってねと言われた事から発覚した話なのだが、実はその縁で俺は先週からその社長の所でCADオペレーターのバイトを始めていた。
一昨年末、親父は国会でも大きく取り上げられた内部告発事件の当事者として海上保安庁を去ると東京と地元の福島を行き来しながら手記の執筆に勤しんでいたが、偶々出物のモーターセイラーと言われるヨットを見る為に東京を訪れていた際、東北震災が起きた事で帰宅出来なくなり、そのままこのヨットハーバーで、この一見優雅にも見える避難生活あれこれ1年以上送っているという訳だ。
実際クラブには著名人や富裕層が多く在籍しているようで、週末の会員駐車場には高級車が並び、また様々な形の船が並ぶ眺めは正に壮観だった。
また我々がここに留まっている理由は二つある。
実は両親が所有するマンションが都内に2カ所あるのだが俺が不在だったためどちらも賃貸に出しているためだ。
一つ目は目黒区の都立大駅の近くに元々持っていた物件。
もう一つは震災の補償金で買った代官山に近い、渋谷区南平台のマンションだ。
実はこれらからの家賃が年間で1000万円程あり、諸経費を差し引いてもかなり残る。
そしてもう一つの理由はこのヨットクラブのコスパの良さだ。
と言うのは我が家のモーターヨット(全長14m、幅4.6m)の場合だと年間の係留費は150万円程なのだが、その中には光熱費以外にも24時間使用できる会員施設(駐車場やシャワールーム、休憩室など)の使用料が含まれる他、セキュリティーの質も高く、都内で2LDK程のマンションを借りるよりもはるかにリーズナブルかつ快適に生活出来る。
と言っても難点もある。ヨットハーバーから新木場駅に至る最短ルートが夜になるとゲイ達の狩場と重なる事や近くの清掃工場からの悪臭が風に乗って漂って来ることだが、夢の島公園内にはその清掃工場からの排熱を利用した巨大な温室を持つ植物園や温水プールや大浴場を備えた体育館などがあり、これらが格安で利用出来る事などを考えれば、充分お釣りが来るのだが。
とはいうものの、流石に俺の帰国に合わせて、3つ目の不動産を取得していた様で、どうやらクリスマスには入居出来るようだ。
昨晩は安価に仕入れたという生産調整分の高級牛が飲食店経営の後援者より大量に届いた為、久しぶりに家族でバーベキューを堪能した事もあり、今朝は軽くオレンジジュースとゆで卵、パンの簡単な朝食を済ませる。俺はデザート代わりのクルミの殻を指で摘むと指に軽く力を入れる。小気味良い音を響かせクルミの殻が割れると中身を取り出し、口に放り込む。
コーヒーを飲む頃には体内時計が7時を指し、全身の筋肉の火照りもとうに収まっていた。
また昨日の高級牛肉はまだ半分程残っており、今夜もBBQだよと明るく言う母に頷くと、俺はグレゴリーのデイパックを背負うとコンバースを履くと軽い足取りで桟橋を進み、夢の島公園をショートカットすると新木場駅から電車に乗った。
ヨットを出てから30分後、TOEICの試験会場である私立高校の校門を潜ると、懐かしい顔が目に入って来る。約1半年振りになるか、福島時代にしばらくの間付き合っていた要杏子だ。
軽度のアルビノから来る色白な肌に朱い唇、明るい茶色の髪と鳶色の瞳を持ち、スラリとした長身の綺麗なシルエットを持つ杏子は当時、腰回りの太い同級達の中で異質の存在だった。
当時の俺と彼女は同じ剣道部に所属していており、帰宅方向が近かったため一緒に帰るうちに、それがいつしか付き合っているらしいというカップル認定に変わり、その噂に後押される様に3年生の冬からしばらく付き合っていたことがある。
当時を振り返るとまさしく「学園天国」だったのだが、俺が福島で高専に進学して、また親父の騒ぎなどがあって次第とフェードアウトしていった。
今となっては結果オーライなのだが、俺が「高専」に通っているのは、親父の仕事の関係で、受験を控えた中学3年時に海外より帰国した俺は内申が1年分しかない為に公立高校よりも高専には行く方が有利だったからだ。
因みに俺の成績は「ある理由」から中学でも高専でも学年で不動の1番だったのだが。
久しぶりに見かけた杏子はグレーのシャツにピッタリとしたジャージ姿で、当たり前だが1年半前よりもかななり大人っぽくなっていたが、未だに俺がプレゼントしたマムートの革のデイパックを背負っていた。
ウェリントン型の伊達メガネを外した俺は「杏子!」と彼女に声を掛けた。
向こうも俺を見て、かなり驚いたようだ。「ガイ君。」と感極まった様に泣き出した杏子は中々泣き止まず、彼女の手を引き自販機の前のベンチまで誘導した。
彼女の話では中学時代の同級生のうちの数人が震災後に行方不明になっているようで、その中には俺との間に些か因縁のあった金指光一らの名前もあった。
どうやら杏子は俺のいるヨットハーバーとも近い江東区のタワー官舎に家族と共に避難して来て居るらしく、そこから都内の高校に通って居るらしい。
実は俺達家族もこのタワー官舎に避難する事も出来たのだが、一昨年、世間を騒がせる形で海上保安庁を退職した親父がタワー官舎に入れば、マスコミに恰好のネタを提供する事になると思われ、入居しなかったのだ。
だが杏子が無事だった事は素直に喜ばしく、試験後に俺と杏子は積もる話に花を咲かせると同時に俺は杏子を我が家での夕食に誘った。
週明け、俺はいつものように運動と軽い朝食とを済ませると、オリーブ色のGジャン着てグレゴリーのデイパックを背負う。そしてK -Swissのスニーカーを履くとヨットを出てクラブハウス脇に止めてあったミリタリー風のサイドカーに近づく。
俺のサイドカーは車検の必要ない小型のもので、幅130センチ以内に収まる側車付軽2輪というタイプになるが、クラッシックなスタイルで人気の高いロシアウラル社のサイドカーが162センチ幅なのと比べて駐車スペースも確保し易く、また一応3人まで乗車可能だった。
本体のバイクは太いブロックタイアを履かせたスクランブラーと言われるタイプで、オンロード用バイクをダート走行が出来るようにカスタムしたものだ。ベース車両はホンダGB250クラブマンだが、エンジンを競技用オフローダーのモノと取り替えてあり、その440ccの単気筒エンジンは7500回転で40馬力を絞り出すが、単気筒エンジン独特の突き上げる様な振動はバランサー及びフレームに後付けした振動吸収ダンパーよってそれ程気にならない。
また前後ディスクブレーキ、インジェクター、ABSなどを装備し、そのクラッシックな見た目とは違い、最新のバイク同様の装備が付いていた。
因みに俺の通う高専では4年生以上になると、大学生と同じ扱いになり、バイクや車で通学する者も出てくるが、3年生の俺はまだバイク通学を許可されていないが週に2度のバイトがある時はバイト先までサイドカーに乗って行き、そこから電車に乗り換えるのだ。
俺は太田区の大森海岸にあるバイト先に向けてサイドカーをスタートさせた。
20分後、平和島競艇場のプールの裏に位置する石匠設計の資材置き場にホンダGB改サイドカーを止めた俺は朝からどんよりと曇った京浜国道を横断して大森海岸駅まで歩く。
俺の現在通う「バウハウス」=「都立工科芸術高等専門学校」は戦前のドイツにあった美術造形学校である「Bauhaus」を手本とした5年制の「単科高専」だ。
知らない人がいるかも知れないので少し説明すると「高専」と言うのは「高等工業専門学校」もしくは「高専専門学校」の略で、5年間の修期間を経て社会に出た際には即戦力となりうる現場技術者の育成を目指すというある意味《トラの穴》的な高等教育機関で東京に4校、全国では60校弱がある。
その中でも「バウハウス」は「工業」「工芸」「建築」「視覚」「環境」の5つのデザインコースからなる全国でも珍しい芸術系の単科高専という独特のスタンスから1学年辺りの定員も100名程という狭き門だ。また「男の園」と言われる高専において、男女比率が異例の3対7と逆に女子の比率の方が多いのも特徴だ。
その5年間の修業期間の内、3年間は合同クラスで一般教養と共に共通の専門教科とを学び、4年からは各コースに分かれ専門の研究室に入るカリキュラムだ。
教室に入ると、猫を思わせる目つきのエロい女子と目が合い、俺はパッとヒマワリの様に微笑むと向こうも微笑み返して来る。
この高専はそのカリキュラムと開発目覚ましいウォーターフロントという立地から裕福な家の子弟が多く、男女共に小綺麗なオタクといった印象の学生が多かった。
また福島の高専も女子率は比較的高かったのだが、更に女子率が高くて女子7割に男子3割と全体的に華やかな印象を受ける。
その日の昼過ぎ、俺は駐車場においてあるアメリカ製の全長9m弱のメタリックなバス型のトレーラーへと向かう。
トレーラーのの中では俺の知る気配が動いているのを感じながらドアを開けると5年生で前部長の成瀬祐美がこちらを振り向いた。
このモーターホームは「海洋環境研究会」の部室になっている。
ここでも何故か男女比率はやはり7対3で、10人の部員の内、男子部員は俺を含め3人という構成だ。
そして何故、俺がこのサークルに入っているかというと、前部長であり我が校のマドンナである「成瀬祐美」が震災による避難民である俺を気遣って声を掛けたからという事になっている。
また祐美はGANTZ大阪編のヒロインの山咲杏が実際にいたらこんな感じだろうという快活な美人だ。
祐美よると俺の顔は東洋人の特徴を持たず、CNNの人気キャスターアンダーソンクーパーにかなり似ているらしい。また身長180センチ、75キロのバランスの良い体型と年不相応な低く渋い声との組み合わせも彼女ら肉食系女子達から見ると垂涎モノなのだそうだ。
祐美が香り立つコーヒーの入った大型の紙コップを横から差し出し出しながら、「ガイの横顔って凄くいいな。」と言う。
「それって僕に前を向くなという意味ですか?」
昨日と同じセリフを斉藤工ばりの渋いダンディボイスで答えると、「イヤイヤっ、凱の全部が好き。」と祐美はクスクス笑いながら緩くウェーブの掛かった前髪をかき上げながら顔を近づけて来る。
俺はコーヒーをテーブルに置いた。
やがて舌が絡まり、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。