Story.89【休戦】
―――まったく……だから“止めろ”と言ったのに……お前はとことん甘い奴だ……
漆黒の意識の中で、その“声”が反響する。
聞いた事のある“声”だが、これほど明瞭に聞こえたのは始めてだった。
―――さっさと目を覚ませ! オレの体で不精するな!
“声”はそれだけ言い残して闇の中へ消えて行った。
同時に漆黒の先に一筋の光が差し始め、俺の意識は覚醒した。
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「―――様! ヨウ様! お気を確かに…!」
「………」
目が覚めた時、目の前には上から覗き込む桜色の髪の少女―――サクラの姿があった。
紅玉色の瞳には涙を溜め、安心したように微笑んでいる。
「……どう…なった…?」
周囲は嘘の様に静寂に満ちている。
“死神ノ鎌”も居なくなっている。
どうやら俺の暴走は止まったようだ。
―――間に合ったのか…?
「……!」
身体を起こそうとするが、全身が鉛の様に重たい。
指一本も真面に動かせない状態だった。
「ッ……サクラ、アング、お前達も無事か…?」
「は、はいッ! 私もアングちゃんも、大丈夫です…!」
「そうか…」
―――良かった……二人とも無事だった……
「マスター」
俺に膝枕してくれているサクラの背後から顔を覗かせるアング。
耳と尻尾は垂れ下がり、その口元には俺の血痕がべったりと付いていた。
「アング…」
俺はアングに手を伸ばした。
アングは耳と尻尾が垂れ下がったまま、俺の許に近づいて来た。
その頭を優しく撫でる。
「ごめんな……嫌な役目を任せた……」
「いいえ。マスターが無事で良かったです」
アングは気持ち良さそうに俺に撫でられ続けた。
嫌な思いをさせてしまった……本当に申し訳ない……
「―――! ビオニアは…?」
俺は重たい身体を無理矢理起こした。
サクラも支えてくれたお陰で上半身が起き上がり、少し離れた場所で膝を着いて静止している。
「ビオニア…」
「気が付いたようだな」
「悪い。助かったよ」
「……礼には及ばん。助かったのは此方も同じだ」
身体の機能が戻りつつあるのか、ビオニアは四足を器用に使い分けて立ち上がった。
「どうやら、第三者の横槍が入ったようだな」
「あぁ…」
“堕耳長族”のアジェッサ―――直前まで警戒していたのに、まんまとしてやられた。
「ヨウ様…」
「マスター…」
「………」
俺の暴走は止まった。
だが、今の状況が非常に不味い事は明白だ。
失った左腕も復活しているが、“死神ノ鎌”発動時にほぼ全ての魔力を使った所為で殆ど残っていない。
加えて未だ鉛の様に重い身体。
―――今攻撃されても回避の術が……!
サクラももう限界だ。
アングも強力な“防盾”は作れない。
「同盟の盟主よ…」
内心焦りに焦ってる俺に向かい、ビオニアは黄金色の瞳で見つめる。
向かい討つ手立ては無いが、俺は重い身体を起こしてサクラを背に庇った。
いよいよ勝負に終止符を打つかと身構えたその時、ビオニアの口から発せられた言葉に俺は意表を突かれた。
「一時休戦とさせてもらう」
「―――は?」
我ながら素っ頓狂な声が出た。
意表を突かれたのは俺だけではなかったらしく、サクラやアングも唖然としていた。
「休戦って……いいのか?」
「あぁ。無礼な茶々入れもあった事だしな。此方の兵も大分疲弊してきている。お前の状態も考慮し、再戦には互いに体制を整える必要があると判断したが、お前がこのまま続行を望むならば……私も腹を括るが?」
「………」
これは……願ってもない提案だ。
罠である可能性も捨てきれないが、現状、ビオニアにはあの大技を放つだけの余力は無い。
万が一だが、此方が三人がかりで勝てる可能性も無い訳じゃない。
まぁその場合、絶対的に負傷者が出るのだが……
「どうする盟主殿?」
「………分かった。提案に乗る」
「決まりだ。我が兵達を引き揚げる」
そう言うと、ビオニアは“遠隔会話”を使用して自分の配下の兵士達に撤退の指示を出し始めた。
「サクラ、アング……俺達も退こう」
「はい」
「仰せのままに」
サクラの肩を借りて立ち上がり、俺もデルフィノーム、グウェン、アグーラムに撤退の指示を出した。
「…………」
ビオニアはその場から去る俺達の背を静かに見送った。
「―――……アレが“半人半魔”の力か……」
そう言うビオニアの視線は、大森林の奥へ向けられる。
「末恐ろしい存在だな……」
この時、俺は知りもしなかった。
俺が意識を飛ばす直前に、霧散しながらも発動してしまった“死神ノ鎌”の攻撃により、大森林の四分の一の生命体が消え失せた事を……
その攻撃がビオニアの会心の一撃―――“憤怒”を遥かに上回る威力だった事を……
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“遠隔会話”越しのデルフィノーム達は戦いの結末に驚愕しつつも、指示通り撤退を始めた。
「帰ったら非難殺到されるかな…」
「そんな事ありません。役立たずだった私が言える立場ではありませんが……」
「いや。サクラには助けられたよ」
「……ありがとうございます」
礼を述べるサクラだが、その表情は浮かないままだ。
励ます言葉をかけてやりたいが、今の俺が掛けてやれる言葉は逆にサクラを傷付かせかねない。
「―――と、そうだ…!」
気まずい空気の中、俺は重要な事を思い出して急ぎ“遠隔会話”を繋げる。
「―――サン。今避難所か?」
《あぁ大将。どうかしたかい?》
サンには彼女の監視をしてもらっていた。
それなのに戦闘中も、俺が暴走を始めた時も、彼女に不審な動きがあったという連絡が無かった。
嫌な予感がする。
「今すぐアジェッサを捕縛して里まで連れ戻せ! 抵抗するなら多少乱暴にしても構わない! 急げ!」
《ッ…承知した!》
切羽詰まった俺の声に事の重大さを理解したサンは、早急にアジェッサの捕縛に向かった。
「ヨウ様? アジェッサさんに何か?」
「あぁ。彼女が俺の暴走の原因だ」
そして、ようやく確信した。
鬼人族に大蜘蛛を放ち、多くの犠牲者を出した元凶も。
オキリスを誘拐し嬲り、女蛇族に鬼人族を執拗に争わせた元凶も。
全ての災いの首魁はアジェッサだ。
「アジェッサを捕縛次第、処罰する。デルフィノームやユリオスに先走らない様言っとかないとな……」
「アジェッサさんが……私たちの里を……」
サクラの瞳に、仄かに怒りの色が宿る。
サクラとしても許す訳には行かない相手だ。
上手く捕縛したアジェッサをどう処罰するか……実害の規模が大きい以上、全員の総意は「死刑」だろう。
だが、彼女は“加虐の魔王”と繋がっている。
もし彼女に手を出す事で、北方国家が大森林を襲撃して来たら、確実に俺達が敗北する。
―――感情的になって死刑を急くのは、逆に自分の首を絞めるかもしれない……
全くもって面倒な相手に目を付けられたものだ……
《―――大将》
間も無くして、サンから連絡が入った。
「サンか。アジェッサは捕縛したか?」
《……申し訳ない》
サンからの報告は、ある意味予想していた通りのものだった。
《―――……既に、逃げられている》
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里に戻るまで、数十分程かかった。
俺達が戻って来ると、すぐにゼラ率いる医療部隊が駆け寄って来た。
帰る最中、ある程度回復していった俺を後回しにしてもらい、サクラとアングを医療部隊に任せ、遠目で俺達の帰還を待っていたデルフィノーム達の許に足を向ける。
「旦那様…!」
ユリオスは俺を心配してすぐに駆け寄ってくれた。
だが、他の連中の表情からは感情が読み取れない。
勝負の結果に対する不満か、それ以外の心境なのか……
何れにせよ、期待に応えられなかった事を申し訳なく思う俺には、これから彼らに投げかけられる言葉を受け止める義務があった。
「……悪い。期待を裏切った結果になった」
「―――……」
誰も何も言わない。
暫く痛い沈黙が続き、徐にデルフィノームが俺の前に歩み出た。
デルフィノームは無言のまま右手を上げる。
コイツの性格上一発殴ってくるくらいの覚悟をしたが、その大きな手は俺の肩を強く……けれど痛みの無い加減で叩いた。
「何を悄気ている。らしくもない」
「いや、だけど…」
「負けていない。休戦だ。それに言い出したのは向こうからだろ? だったら寧ろコッチが優勢じゃないか」
デルフィノームは鼻を鳴らしてさっさと会議所の中へ戻って行った。
「ヨウ」
「グウェン…」
今度はグウェンが俺に歩み寄って来た。
デルフィノームと違って表情は柔らかで微笑んでいた。
「あんま気にすんなよ。お前のお陰で俺等は北方連合なんて強敵に互角で挑めてんだ。鬼人族や女蛇族が単体で挑んだって、ここまでの成果は出なかっただろうぜ?」
「……そうか」
「そうさ」
グウェンは俺の背中を軽く叩き、励ましてくれた。
「ありがとう。けど、すまない。サクラに少し無茶をさせた」
「大事には至ってないんだろ? ついて行くって言い出したのは本人だ。それこそ気に病む必要は無い」
「ありがとう…」
「ささっ、旦那様! 一先ずは奥で休むのじゃ。疲労回復効果の茶葉で茶を入れてやろう」
ユリオスは相変わらずのマイペースだ。
まぁ、今はそのマイペースさに癒されるのだが……
「所で、さっきの凄まじい魔力と轟音は何だったんだ? お前の魔術だろ?」
「あぁ。俺達の方で何が起こったのか……色々と言わなきゃならない事がある。次の再戦までに、全員の耳に入れておきたい」
「分かった。一時間以内に会議所に幹部と部隊長を集合させる」
「頼む」
グウェンは何時もの調子で「おうっ」と返した。
その後ろをついて行くローソゥに至っては、元々表情が読み取れないから機嫌は伺えないが……気にしてはいない様だ。
「―――……ありがと」
―――そうだ。まだ負けてない。次の機会……その時に、必ずケリをつける。
「大丈夫だ。次こそ、きっと勝てる…!」
この時、俺は一つの可能性を見出していた。
それは、再戦する北方連合との―――新たな別の闘い方についてだ。




