Story.08【アングレカム】
「ヨウ。起きて早々だが、今後のお前さんの身の振り方について話しておくよ」
「は、はい!」
すっかり日が高い位置に昇った頃、俺は先に起きた子犬に顔中を舐められて目が覚めた。
部屋の中にいつの間にか新しい服が置かれていて、俺はそれに着替えた。
子犬を抱えて、物音がするキッチンに向かうと、ローザさんがポットでお茶を沸かしていた。
俺の分のお茶も入れてくれたみたいで、湯飲みを二つ持ったローザさんに促されてテーブルの椅子に腰を下ろした。
「先ずはお前さんの今後の身の危険性に関してだ。半人半魔だから命の危険に関しては何の心配もする必要は無い」
―――命の危険性を気にしなくて良いなら大抵の事は心配ないのでは?
等と敢えて口には出さない。
ローザさんだって同じ事を思っているのは聞くまでもないからだ。
「気を付けなきゃいけないのは、他の種族がお前さんの奪い合いを始めかねないって事だ」
「俺の奪い合い?」
―――何だそのハーレムみたいな状況。絶対にハーレムにならないのは明白だけど……
「無限と言ってもいい魔力量に不老不死の身体。もし一つの勢力でも、その手中に収める事が出来れば、一気にこの世界の力の調和が崩れかねない」
「でもローザさん? 俺、当然の如く誰の勧誘も聞く気ありませんよ?」
「相手だってお前の意志を聞く気は無いだろうよ」
無慈悲。
だけど俺……強いては半人半魔の力を欲する奴なんて、悪用目的に利用したがってる奴以外の何者でもないだろう。
「なら、俺が今後しなきゃならない事は、どの勢力の勧誘も受けず、ましてやそういう連中に関わらない様に、出来るだけ逃げ隠れていろって事ですか?」
「究極を言えばそういう事だ。けど、お前さんの存在は近々世界中に知れ渡る。逃げ場は無くなっていくだろうね」
「そんなぁ…」
俺は落胆した。
話を聞く限りでは、何だか命を狙われるより過酷な人生を送る事になりそうだと感じた。
「とは言え、アタシも鬼じゃない。お前さんが何処かの土地に根を下ろしたい時は好きにするが良いさ。ただし安住出来る保証は限りなくゼロだけどね」
それはつまり……
「その場合、俺よりも周りの誰かにも被害が出るからですか?」
「そう言う事だ。他人に甘いお前さんにはソッチの方がキツいんじゃないか?」
「………」
確かに。
折角、異世界に転移出来たっていうのに、俺の行先に自由は無い。
―――これは、元の世界のベッド上生活とどっちが苦だろうか……
などと落ち込んでいると、ローザさんは救いの手を差し伸べてくれた。
救いの手と言うより、打開策の提案かな。
「故に。お前さんがやるべき手段はたった一つだ」
「それは、一体?」
俺は唯一の救いの道となりそうなローザさんの提案に耳を傾けた。
「力と知識を身に着ける事。そして、魔術のコントロールを完璧に習得する事。元より兼ね備えているその膨大な魔力量を駆使して、どんな相手にも屈しないだけの力を身に着けろ―――それが、お前さんがこの世界で“ヨウ・クロキ”として、強いては半人半魔として生き抜く術だ!」
「俺が、俺として……“半人半魔”として……」
―――この世界で生き抜く為…!
自覚の無いこの強大過ぎる存在が、今の俺には一体どれだけの騒動を巻き起こす元凶になりうるか、知る由も無かった。
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その後すぐに、診察があるからと言ってローザさんは出かけた。
俺は部屋に戻って、ベッドの上で風を浴びながら頭の中を整理し始めた。
「まぁ、力と知識を身に着けるっていうのは、お前との約束だし、異論は無いけど…」
―――まさか俺に……異世界でモテ期が到来するとは…!
冗談交じりだが、内心は少々ビクついている。
―――俺はこの子犬と一緒に、平和に暮らしたいだけなのに。
俺は子犬を抱きかかえた。
なになに?と言わんばかりに尻尾を振る子犬の可愛らしさに、思わず口が緩む。
「そうだ。お前に名前を付けないとな?」
「クゥ?」
母親に付けられた名前があったかもしれないけど、子犬から教えてもらう事が出来ないし、せめて良い名前を付けてやろうと思った。
「どんなのが良いかな? 変に奇をてらう様な名前付けるのも可哀そうだしな…」
―――やっぱり、この世界観に合う名前にしてやろう。それでいて、何かしら意味をちゃんと持つ名前を……
俺はふと、前世の記憶を辿った。
花に囲まれた我が家の風景。
実家は小さな花屋で、母は花言葉に詳しかった。
小学生の頃、夏休みの宿題で『草花の花言葉』という自由研究を提出したら、同級生に「女子かよ」って馬鹿にされたっけ…?
「コイツに付けてやるなら、やっぱ縁起の良い名前じゃないとな」
「ヘッヘッ!」
嬉しそうに尻尾を振る子犬。
整った感がまるでなく、まだ短い尻尾の先の毛の開き具合に、俺は実家で扱っていた“ある花”の姿を思い出した。
白く、星形に近い形で長細く花弁を開かせる、冬の花。
そして、夢の中にも出て来た花だ。
その花の名前は……確か……
「“アングレカム”」
「キャンッ!」
俺が口にしたその名に、子犬は尻尾をブンブン振って反応した。
―――本人も喜んでるし、コレしかないな!
「銀狼族の“アングレカム”だ。愛称は“アング”でどうだ?」
「キャン、キャオーン!」
高くてか細い遠吠えで「いいともー!」と答えてもらえた……気がする!
「じゃあ、アング。これからもよろしくな」
「キャンッ!」
命名、アングは上機嫌で部屋中を駆け回った。
外を見れば、もう日が傾いて空が赤黒く染まる時間になっていた。
新しく付けた名前を、明日にでも埋葬してもらった母親の銀狼族のお墓に報告しに行こう。
―――“アングレカム”…この花の意味も一緒に…
「ローザさん、そろそろ帰って来るかな?」
「クゥ…」
―――先ずは、ローザさんに報告しないとな。
俺は部屋の中をぴょんぴょん飛び跳ねるアングの姿を横目に、ローザさんの帰りを待った。
―――……あれ…? 何かまた…ねむく…
日が完全に落ちようとしていた頃、またも俺は急激な睡魔に誘われ、瞼を閉じてしまった。
―――疲れてんのかな……俺……寝すぎ、だろ…?
そんな事を思いつつ、静かに意識を手放した。
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―――……寒い。
窓を開けっ放しにしていた所為で、夜の風の冷たさに思わず目を覚ました。
いつの間にか肩まで温かな毛布が掛けられていて、部屋の中まで美味しそうな匂いが漂っていた
―――あぁ、ローザさん、帰って来たのかな?
目覚めてようやく意識がハッキリしてきた。
どうやら眠っていたのは少しの間だけだったらしいけど、その間にローザさんが帰ってきて、夕食の準備を始めているのだと直感した。
―――いい加減、俺も何か家事の手伝いをさせてもらわないと。
俺は身を起こして、ローザさんが居ると思われるキッチンへ向かおうと扉の方に視線を向けた。
「お目覚めですか!マスター!」
「………」
俺は目を疑った。
目を向けた先に、大人サイズの犬(?)がお座りして尻尾をブンブン振っている光景が見えたから。
しかも、喋った。
「あの、どちら様ですか?」
「キャンッ!?」
思わず敬語で犬に問うたら、あからさまにショックを受けたように耳と尻尾を垂れ下げた。
―――ん? 何かこの仕草……見た事あるぞ?
俺はショックを受けて項垂れる犬を凝視した。
手足と尾の先が黒く染まり、尻尾が花の様に広がったクセの強い形状をしている。
そう、俺はコイツを知っている。
だってさっき名前を付けてあげたから。
「……お前、アングか?」
「ハッ!その通りです!このアングの事、思い出して頂けましたか!マスター!」
「あぁ、ゴメン……って言うか、マスター?」
アングと思しきその狼は、今度は嬉しそうに尻尾を振って俺の傍に近付いてきた。
近くで見れば見る程、アングの母親の銀狼族の面影が強く出ていて、一瞬肝が冷えた。
―――そもそも何だ? 何でこんなに急成長してる? つか何で喋れるの?
「アング?お前の体、一体何が起きたんだ?」
「マスターが驚かれるのも仕方ない事です。このアングも、先程帰って来られたローザ殿に聞かされ、初めて状況を理解しましたので!」
「あ。ローザさん、やっぱ帰って来てたんだな?」
「はい!マスターが起きたら台所まで来るように伝えろと、伝令を受けております!」
「そうか。分かった。すぐ行くよ…」
「アングもお供します!」
「あ、うん。よろしく…」
―――……喋る狼……い、違和感が…てか、何でこんな事に?
困惑したまま、喋る上に大きくなったアングを連れてキッチンへ向かった。
【ぷちっとひぎゃまお!(という名の詳細紹介)】
忠実なヨウの相棒―――『アング(アングレカム)』
名前由来:アングレカム『いつまでもあなたと一緒』