Story.73【叛逆の思惑】
翠玉色の瞳をした美女が憂いていた。
「どうして、こうも上手く行かないのでしょう……」
南方国家内の北部に位置する大森林。
その一角では、王国住民など知る由もしない前代未聞の同盟が締結されていた。
これを“二種族同盟”などと安直な仮名を付けられたが、そう呼ばれたのも束の間。
後にこの同盟が大森林最強の人馬族と対峙し、大森林内で小規模な戦争が起きるのだが、それはまた別の話。
時間を同盟締結時まで遡り、一人の堕耳長族のアジェッサに視点を変える。
アジェッサは、触れれば凍らされてしまいそうな程、冷たい瞳をしていた。
己の計画が思い通りにいかない事に苛立っているのだ。
アジェッサが監視をし続けている対象―――“半人半魔”のヨウ。
ヨウは、彼女の予想を大きく上回る程に甘かったのだ。
アジェッサがヨウに接触したのは二年前。
正確に言えば、その時ヨウは小鬼族から幼くまだ名を付けられていなかったアングとその母を身を挺して庇い、一度死に絶え、蘇生に至ったが意識を失っていたので、アジェッサの事は何も知らない。
直接話をしたのはヨウの師であるローザと、アングの二人(一人と一匹)だけ。
迎えに行くと宣告した二年後に、ローザがヨウを手放す事は予想が出来ていた。
そもそも元英雄級の冒険者だったローザ相手に戦いを挑む様な無謀さをアジェッサは持ち合わせていない。
だが予想しえなかった事もある。ローザが、自分の事をヨウに話していない事だった。
面倒だったのか、意図があったのか、それはローザのみぞ知る事だが、アジェッサにはその方が都合が良かった。
いずれは直接相まみえなければならない二人。
顔を知られていない方が優位に懐に入り込める自身が彼女にはあった。
その為に、自信が直接対面して操ったデルフィノームや、偽りの映像を用いて鬼人族に敵意を向けさせるように誘導したユリオスには己の正体を隠す事に徹した。
記憶から取り除き、魔力の波長も別の物に偽った。
それ等は並の魔術師には到底出来ない所業だが、ただでさえ魔術師の原初とも言い伝えられる種族のエルフ族のアジェッサにはどうという事は無かった。
そんな彼女は完璧主義者だった。
本来であればヨウを孤立させ、もし何処かしらに身を置くような事になっても、彼に関わった全ての人間或いは魔族を滅ぼせばいいと考えていた。
あくまで自分の手を汚さず、ヨウの手によって殺させる目的で……
「だと言うのに、あの御方ときたら懐柔しては配下に置いていって…」
―――とんだ魔族タラシですわね。
まさか、男嫌いで有名な女蛇族すらも虜にしてしまう程の魅力を兼ね備えているとは……
否、単に“妖麗”が単純だっただけかもしれない。
後者の方が可能性が高いですわね、と呆れ果てるアジェッサ。
ここまで来たら、残す三大将の座に君臨するビオニアを、デルフィノーム同様“躍ル傀儡”で操ろうかとも思ったが、冷静になり思い留まった。
―――他の御二方と違い、あの“将軍”は危険……お嬢さんと同じだけの実力があると考えるべきですものね……
何処からともなく現れたティーカップを華奢な指が上品に口元へ運ぶ。
「こうなっては、不本意ですが作戦を変える必要がありそうですわね」
苦笑いを浮かべ、アジェッサはティーカップの中身を飲み干した。
「では、作戦を次の段階―――βへ移行しましょう」
アジェッサは“黒箱”を出現させた。
中から傷だらけの女蛇族を引きずり出し、華奢な指で女蛇族の少女の顎を持ち上げる。
視線を合わせる少女は恨めしそうにアジェッサを睨みつける。
喉を痛めているのか、肩を上下に動かしてすフーッ、フーッ、と息苦しそうに呼吸する。
その姿はまるで傷を負った獣だ。
そんな事など物ともせず、アジェッサは冷たい声音で少女を嘲笑った。
「あらあら。まだそんな目が出来るのですか? 弱いくせに威勢だけは魔王様も顔負けですわね」
「お前、絶対に許さない…! 必ず、お前を絞め殺してやる…!!」
「そんな傷だらけの尾で? 無理はしない方がよろしいですわよ―――腹の中の子がどうなるか、考えて御覧なさい?」
「ッ―――」
その言葉に、女蛇族の少女は絶句した。
無精卵で出産する種族の代表的な魔族が女蛇族だ。
しかし、今の彼女は腹の中には、殻に収まっていない胎児が存在する。
少女は監禁される際、アジェッサに薬を飲まされていた。
出産するのに受精が必要な女性が持つ子宮を造る魔薬だ。
薬を服用され、アジェッサに唆された人間の山賊の暴行によって、少女は望まず妊娠した。
愛してもない男に孕まされ、腹の中の胎児すらも恨みを感じるのは必須。
しかし―――
「クソッ……クソォ……」
少女は悔しさで泣き崩れる。
女蛇族の同種族愛はどんな魔族より強い。
他の女蛇族が産んだ子供ですら、我が子の様に愛するのは当然の事だった。
いくら望まぬ妊娠を言えど、少女は自分の中でか弱く生きる我が子を恨むなど出来なかった。
「ふふ。貴女に似た可愛らしいお子さんだと良いですわね」
アジェッサが張り付けたような笑顔を向ける。
アジェッサには少女の心の内など容易に読み取れた。
「では、もう貴女のお役目も終わった事ですし、お仲間の所へ帰して差し上げますわ」
「な、何故! 急にそんな事を…!?」
「そんなに警戒しないで下さいまし。これ以上貴女を甚振る必要などありませんもの」
厚みのある唇を三日月型に作り、アジェッサは少女の目の前に手を添えた。
「ここまで協力して下さったご褒美に、貴女を嬲った男達は私が屠っておきます」
「待っ―――」
アジェッサの手から放たれる魔術によって、少女は意識を手放した。
同時に、アジェッサの姿と声と魔力を忘れさせられる。
「では、参りましょうかね」
“叛逆のアジェッサ”は少女を抱え、“空間転移”を発動させる。
行き先は勿論―――ヨウの居る、鬼人族の里へ。