Story.55【二つは、一つへ】
「―――これは、一体……?」
俺達は、荒れ気味の獣道を突き進み、黒角の里に辿り着いた。
だが―――
「里が……壊滅してる……?」
そこには、最早“里”なんて呼べる場所は、何処にも存在していなかった。
周囲を取り囲んでいたと思われる柵は大嵐にでもあったかのように薙倒され、住居や倉と思われる建物も全壊。
何より、思わず顔を歪めてしまう程の異臭が里の中に充満していた。
「ッ……酷ぇ匂いだ……」
「この匂い……まさか……」
「クゥウン…」
グウェン、ローソゥ、そして一番鼻が利くアングが堪らず鼻を抑える。
この匂い……まるで肉を焼いたような匂いだが、決して空腹に訴えて来るような匂いじゃない。
―――きっと焼けているのは……
考えただけでゾッとした。
出来るだけ、女子供を里の奥へ進まないようゼラ達に促す。
俺はグウェンとローソゥを連れて先頭を歩き、里の中を調査した。
「酷い有様だ……これが本当に黒角の里か?」
「あぁ。場所は間違いなく此処だ」
「だが……数は大分減ったようだ……」
暫しの間、俺達は周囲を警戒しつつ、里の中央まで歩みを進めた。
時々、崩れた建物の陰から此方を覗き見る視線を感じたが、襲ってくる様子は無い。
十中八九この里の鬼人族達だろう。
「でも生き残りが居るみたいだな」
「あぁ。確認出来ただけでも、周囲に居るのは弱々しい魔力の持ち主ばかりだ」
「それに……敵意も感じない」
それどころか、何かに怯えているようにすら見受けられる。
「―――あ。おい、あそこ…」
一際開けた里の中心の広場。
その真ん中に、デカい図体の大男が胡坐をかいて、静かに座り込んでいた。
「あれって……」
言わずもがな、この里の頭領―――デルフィノームだ。
しかし、あの“触れる者は皆傷付ける”とでも言いたげな荒々しさは、微塵も無い。
まるでデルフィノームの形をした大きな人形がそこに居るみたいだ。
「二人は下がっててくれ」
「ヨウ。気を付けろよ」
「あぁ」
俺はデルフィノームから離れた場所に二人を待機させ、そのデカい背中に向かって声をかけた。
「デルフィノーム」
「…………小童か」
長めに間を取って、ゆっくりと首を回すデルフィノーム。
死んだように光を失った横目で背後の俺の存在を確認すると、デルフィノームは擦れた低い声音でそれだけ吐き捨てた。
会話出来そうな状態ではなさそうだが、事情を知っておく必要はあると判断した。
「何があったんだ? 俺達が大蜘蛛相手にしてる間に、どうしてこんな事に?」
「―――………、だ」
「は?」
さっきよりも低い声音で、デルフィノームが唸る様に呟いた。
「あの女だ……俺の精神を乗っ取った……俺の里をぶっ壊して消えた……あのクソ女の仕業だ……!!」
「女?」
デルフィノームが握り拳を地面に叩き付けた。
「クソッ! クソがッ…!! これ程まで恨んでいると言うのに、あの女の顔が思い出せない…!! 確かに俺の目の前に姿を現したはずなのに…!!」
「思い出せない?」
恐らく、幻術と共に忘却の魔術もかけられていたのだろう。
怒りに震える大きな背中。
しかし、今は何だか……小さく見えた。
「白角の里から此処まで、お前の血と一緒に別の奴の血も落ちていたが……」
「………お前に拘束されている間に、同胞が瀕死の状態で里の危機を伝えに来た。拘束もソイツが解いた……」
「ソイツは?」
「………」
デルフィノームは何も言わない。
その反応だけで、これ以上追究する必要は無いと悟る。
「貴様等は何をしに来た…? 俺の息の根でも止めに来たか…?」
「ンな訳無いだろ―――正直言うと、お前の姿がなくなってた事が気掛かりで様子を見に来たんだが……まさか、こんな事に……」
「いい気味だろ? 散々お前等を揶揄しておきながら、今やお前等の里と同様に崩壊した。天罰が下ったと笑えばいい。たった一人の女の操り人形になり下がり、己の不在の間に居場所すらも失った………愚かな暴君である俺を……」
最早、その姿に恐れも威厳もありはしない。
あのデルフィノームが己を卑下する姿に、俺達はアレだけの事があったにも関わらず、同情すらし始めている。
「デル―――」
こんな状態のデルフィノームに何を言えば良いのか、俺には分からなかった。
それでも、コイツを笑う事や、見放す事は、違うと分かる。
俺は震えるデルフィノームの背に声をかけようとした。
その時―――
「笑いません!」
俺の背後、更にはグウェンとローソゥの背後から、凛とした強く言い放つ声が周囲に響いた。
振り返ると、そこに居たのは―――サクラだ。
未だ全快ではない所為か、今の大声一つでふら付いている。
「サクラ…」
「お嬢…!」
サクラに駆け寄って手を貸すローソゥ。
手を引かれながら、サクラは俺の隣にやって来た。
「大丈夫か? まだ無理するなよ?」
「…はい。ありがとうございます」
微笑みながらそう言うが、頬から伝い落ちる脂汗が不調の具合を現していた。
それでも、サクラはデルフィノームの背中をじっと見つめる。
デルフィノームも首だけを動かしてサクラを横目で見やる。
「………サクラ」
「デルフィノーム様。私は、笑いません。同胞の死の悲しみも、生まれ故郷が滅ぼされる悔しさも、身に染みて知ってますから」
サクラはデルフィノームを慈しむ様に、励ます様に、優しく微笑んだ。
「妹の言う通りだ。種族は違えど同じ鬼人族の民がここ数日で何人も死んだ。嗤う権利など無い。同族の死を悼み、無念を晴らしてやる事しか、俺達には出来ないんだ」
「グウェン…」
「黒角族の亡くなった皆様に、心からお祈りを……」
「………」
サクラとグウェンの言葉に、デルフィノームは何も言わない。
俺達に向けていた目を静かに閉じ、全身の力が抜けたみたいに首を項垂れた。
「グウェン…サクラ…」
俺はサクラ達の聖人君子の様な立ち振る舞いに感服した。
サクラのその凛々しさには、思わず師匠の姿が重なって見えた程だ。
俺から自然と笑みが零れる。
―――……さて。そろそろ次の行動へ移そうか。
俺はこの二種族の間に割って入れるような立場じゃないが、一連の事件に携わった第三者としての意見を述べる事ぐらいの手伝いは、出来るかもしれない。
「なぁ、デルフィノーム。グウェン達も。互いに遺恨は残るだろうけど、ここ等辺で仲直りしないか? 今回、白角の里を襲った大蜘蛛の件も、デルフィノームを操り、尚且つ黒角の里を襲ったっていう謎の女の件も、ここまで同じタイミングで起こってる以上、無関係だとは到底思えない。これ以上身内同士で争うのはお前らが真に敵対すべき相手の思う壺じゃないか?」
―――今までの事件……黒幕は同一人物の可能性が高いと俺は見ている。だとするなら、今後の事も考慮して、鬼人族達が一致団結して事に構えるべきだ。
「…………」
「…………」
長い沈黙が流れた。
やっぱり遺恨は残っているし、俺の様な余所者の意見は鵜呑みに出来ないかと諦めかけた時、グウェンが、きつく閉じていた口を開いた。
「それもそうだな。俺達の里を滅ぼしたのは、デルフィノームでも、黒角の連中でもない。それに、お前等とここまでいがみ合う結果に至ったのも、俺達が自分達だけの力で生き延びる事を早々に諦めて、強者の下に着く事を選んだ結果だ。まぁ結局は、お前の横暴さに辛抱堪らずに反旗を翻したけどな?」
グウェンが苦笑いを浮かべる。
本音も隠さず言える程に、今のグウェンにはデルフィノームへの恐れなど微塵も無いという事だろう。
そしてグウェンに続いて、サクラも……
「その節は、申し訳ありませんでした。私の無礼に対してお怒りになられている事は重々承知しております。未だ貴方様の怒りが収まらないと申されるのでしたら、命を絶つ事以外での謝罪をさせて頂きますので……どうか、他の者達へ怒りの矛先を向けないで下さい。お願いします」
等と言って、深々と頭を下げる。
離れて聞いていた白角の同志達はギョッとした顔でサクラの後ろ姿を見守った。
「………―――ふん」
今まで黙って聞いていたデルフィノームが、たっぷり間を取って、鼻で笑った。
「全く。今更、お前の仕出かした無礼など、俺の里を滅ぼしたクソ女の愚行に比べれば、何と言う事でもない。今の今まで、忘れていた程だ……」
「デルフィノーム様…?」
意外と思ったのか、サクラは少し驚いた表情を見せた。
「それにだ。何をしたのか知らんが、この短期間で魔力量が急激に上がっているそこの二人を前に、俺が白角の連中に手を出す事は、自殺行為と言っても良いだろう」
デルフィノームはそう言うと、横目でグウェンとローソゥに視線を送った。
無理もない。
今のグウェン達の魔力量は、デルフィノームと同等。
使い慣れて行けば、恐らくデルフィノームを超えるだけの“鬼人ノ王”になるだろう。
「そこの小生意気な小童の言う通り。貴様等への多少の遺恨は残る―――だが、それ以上に俺は今、この“三大将”たる俺に喧嘩を売ったあのクソ女への報復の事で、脳髄の奥まで満たされている……!!」
デルフィノームはそう言うと、胡坐をかいていた自分の膝をパンッと叩き、デカい図体を勢い良く立ち上がらせた。
そしてようやく体ごと此方に振り返ると、彼はここに居る皆が揃って仰天するような宣言をした。
「実に不本意ではあるが、我が里の復興が達成するまでの間!! 黒角と白角の二つの種族を、一つの鬼人族種族として、成立させる!! ―――尚この決定に対する異論は一切認めん!!」
デルフィノームの高らかな宣言によって、二つの鬼人族族は、“一つ”になる事を決意した―――




