Story.04【命を捧げる一矢】
部屋のドアがノックされる。
ドアの向こうで、ローザの声がかけられる。
「起きてるかい?腹減ってるだろ。これても食べて―――」
ローザはドアノブを捻って、部屋の中を覗いた。
「!!―――あの小僧…!」
ローザは夕食の乗った木製のトレーをその場に置き、慌てて土砂降りの雨の中へ飛び出した。
土砂降りの雨にも関わらず窓が開いていた部屋の中に、ヨウは居なかった―――
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森の中は、暖かな部屋の中と打って変わって凍てつきそうな程寒かった。
雨の所為で視界も悪ければ、足元もぬかるんで中々思う様に進めない。
―――けど大丈夫……全然疲れない。
今ようやく、自分の変化した肉体に感謝した。
―――どの位、時間が経っただろう…?
記憶を頼りに銀狼族と遭遇した場所まで戻り、銀狼族が逃げて行った方向へ自ら進んで行く。
幸いにも、銀狼族の体に纏わりついていた炎の飛び火で焦げた草木が、進んで行ったとされる道を標てくれていた。
「もうすぐだ……そろそろな気がする…!」
意味の無い事をしてるのかもしれない。
何か出来る事があるかは分からない。
してやれる事なんて何もないかもしれない。
もし母親が奇跡的に無事だったんなら、それに越したことはない。
けど、母親が俺の所為で死んでしまっていたら、俺は……
「子供に食い殺されても、文句は言えないな…」
―――どうせ一度は死んでるんだ。この世界には何の未練もない。死ぬのに躊躇なんてない…
俺は焦げた草花の道標に従い、どんどん森林の奥へ進む。
―――……!
俺が向かう先から物音が聴こえた。
甲高く弱々しい音の正体が、すぐに声だと分かった。
―――犬の、鳴き声だ……
「まさか…!」
俺は足を速めた。
草花が素肌に当たって細かな傷をつけていくが、全く気にならなかった。
徐々に視界が開けていく。
鳴き声の主も、もう目と鼻の先だ。
最後に視界を遮っていた草木の葉を払い除け、一際開けた場所に飛び込んだ。
「ッ―――!」
視界に入った光景は、俺にとって絶望的なものだった。
冷たい地面に横たわる大人サイズの大きな銀毛の狼。
その傍で毛を逆立てて吠える小さな小型犬サイズの、同じく銀毛の狼。
そして、小犬が吠える先には―――緑色の肌をした大柄の太った化物が恐ろしい形相で佇んでいた。
「キャン、キャン、キャン!」
「ガァアァアァアァアア!!!」
緑色の化物が、黄ばんだ牙が生えた口から涎を垂らして、子犬の威嚇を物ともせず、体重の乗った重い足取りで横たわる銀狼族に近付いて行く。
「やめ―――」
―――銀狼族を食う気だ…!!!
瞬時にそう感じ取った。
気付けば俺は泥水に足を取られながら、銀狼族と緑色の化物の間に割って入っている。
「やめろぉおおおお―――ッ」
俺の顔を緑色の化物が鷲掴みにした。
「ッ―――!!!」
耳の横で「ブチッ」と肉が千切れる音が聞こえる。
首筋に尖った物が数本突き刺さった感覚がある。
視界を赤い液体が覆う。
首に食いつかれた所為で、呼吸が出来ない。
全身の神経を可笑しくされる程の痛み。
―――痛い。痛い。痛い。
「グルゥウゥウゥウウ…」
「かっ、はっ、ごほっ」
けれど、まだ生きている。
痛みで朦朧とする意識の中だったが、全身で化物を抑え込んだお陰で銀狼族の子供に怪我は無いみたいだ。
―――良かった…無事だった…
未だに緑色の化物は俺の首筋に牙を立てている。
その内食らいついた肉を引き千切られそうだと考えると、肝が凍り付く。
恐怖心と裏腹に、俺の脳は一つの言葉を繰り返していた。
【 殺セ 殺セ 殺セ 殺セ 殺セ 殺セ 殺セ 】
またしても俺の声が脳裏に聴こえる。
嗤いながらコイツの死を俺に促してくる。
そして……そこ言葉に従う事に、俺自身も不思議と高揚感が高まった。
―――俺なんかが言える筋合いないけどなぁ……お前はこのまま生かしてちゃ駄目な奴だ…!!
俺は此処に来る前での間『自分が死ねば何もかも許される』と思ってた。
俺が死ねば、この無垢な子犬は母の仇を討ち、幸せになってくれると思っていた。
けど…
―――馬鹿だよな、俺。そんなのただの自己満足で、誰も救われてないのに……
俺は緑色の化物を見据えた。
―――こいつを…! この化物を殺せる力を…!
【 殺セ ソウダ! 殺セ殺セ 早ク! とっトと殺シてシマえぇえ!!! 】
頭の中の声も、妙に流暢になった。
俺がコイツを殺す事を、心から喜んでいる。
そんな感情が流れ込んで来る。
―――この声は……俺自身の心の声か?
「―――…ヨ…!ヨウ…!」
遠くから、俺の名を呼ぶ声が聴こえた気がした。
きっとローザさんだ。
これは酷く叱られそうだ。
まぁ、生きて帰れればだけど……
「グルゥウゥウゥウウッ!!」
「っ…、お、まえ…は…」
俺は感覚が殆ど無くなった右腕を上げた。
掌を緑色の化物の顔面に押し当て鷲掴み仕返して、有りっ丈の力で握り締めた。
顔の骨格が「バキバキッ」と嫌な音を立てて凹んだ感覚が指から微かに伝わる。
悶え苦しむ様な化物の呻き声。
それでも俺は力を緩めない。
―――絶対に離さない!!!
「ヴッ!ガァアアッ!」
「こ、ろす…ッ!」
瞬間。
頭の中で、見知らない文字が浮かび上がる。
見知らない文字を、俺は口に出して読み上げた。
「“炎ノ矢撃”」
そう唱えると、化物の顔を握り潰す掌が徐々に熱くなっていく。
銀狼族を攻撃した時と同じ感覚だ。
「グゥアアッ!! ガァアァアァアアッ!!」
化物が大口を開けて叫び声を上げる。
俺との距離を取ろうとしたが、そんな事させてやる訳ない。
俺が熱くなった掌を、化物の開いた大口の中に突っ込んでやった。
―――放て!!
頭の中でそう叫んだ。
同時に、掌の溜まった炎の塊―――炎の矢が放出され、瞬く間に化物の体内から燃やし尽くした。
目や口、鼻や耳からも炎が噴き出し、緑色の身体が黒く焦げていく。
―――燃え尽きろぉお…!!!
化物の苦しみ藻掻く声が、雨の日の森林に木霊した。
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何時しか化物の声は止み、森林には激しい雨音だけが鳴り響いた。
緑色の化物は、真っ黒焦げ。
所々から煙が立ち込めて、肉が焼けた咽返る程の異臭が辺り一面に広がった。
化物が息絶えたのを確認し、俺は背中から濡れた地面に倒れ込んだ。
「ヨウ…!!」
血相を変えたローザさんが俺の肩を抱き上げ、顔を覗き込む。
「馬鹿者が…!碌に魔力のコントロールも儘ならないクセして…!」
「……ロ…ザ…さ…」
「もう喋るんじゃない!町まで戻れば何とかしてやれる!それまで気をしっかり持つんだよ…!!」
「………」
―――……ごめんなさい、ローザさん………もう、何言ってるのか、聞こえてないんです……
俺の身体を支える様にして、ローザさんが俺を運ぼうとしてくれていたのは分かった。
霞む視界の中に、雨に濡れて輝く銀色の毛をした子犬の姿を捉えた。
小さな子犬が、横たわる母親の傍から俺の方を見ていた。
その小さな目に、親の仇である俺の姿は、どう映っているのだろう……
―――……ごめんな……
声が出せないから、口の動きだけで小犬と横たわる母狼に謝罪した。
結局、俺は逃げたかっただけだったんだ。
命を奪った責任を、背負って生きるのが怖くて―――
そして俺は、深い闇に中に―――意識を手放した。