Story.45【束の間】
「ヨウ様、お出かけですか?」
サクラが俺達の部屋に顔を覗かせた。
朝日がまだ顔を覗かせていないが、空全体は薄水色染まっていた時間だ。
子供達の飢えを少しでも凌がせる為に、俺とアングは早朝から森の奥へ行こうと準備をしていた途中だった。
「おはよう、サクラ。ちょっと見回りついでに朝飯の調達をな?」
「先程作戦会議を切り上げたばかりですよ? 少しお休みになられた方が…」
「大丈夫さ。子供達も昨日分けてあげた分だけじゃ全然足りないだろ。何より俺が腹減ったし、序でにね」
「ヨウ様……ありがとうございます!」
「サクラは何で起きてるんだ? 皆まだ寝てるんだろ?」
「えっと、少し、寝付けなくて……」
「そうか…」
薄手のブランケットを肩に羽織るサクラが申し訳なさそうに言った。
無理もない。
昨日色々と起きたから頭もまだ整理しきれてない事だらけだろう。
「この里は良いな。最初は絶望に打ちひしがれてたのに、グウェンが頭領になって大蜘蛛討伐の話になったら率先してサポートしてくれてた。人望が無きゃ出来ないな」
「正直、生き残った大人達の中には……未だに元頭領だったお父様の方を支持する声もあります。それでも兄様は、頭領になるずっと前から里の皆の事を一番に思って行動する方でした。皆の為になるのであれば、多少の無茶を通してでも実行してました。その所為で、よくお父様に叱られてましたが…」
「何か容易に想像出来るな」
そんなアイツだから、皆も協力を惜しまない訳だ。
元頭領を支持しているという連中も、大蜘蛛討伐作戦事態に口を挟んでくる様子も無かった。
少なからず、期待は寄せているのだろう。
「頭領になった後は、責任感の所為か保守的に回る様になってしまって、皆も不安になってしまい―――あ! 勿論、兄様に失望したとかでなく! 全ての責任をご自分で背負おうとするので、心配と言うか……」
「分かってるよ」
妹をデルフィノームに嫁がせなくて良かったと口に出していた時のアイツの表情はスッキリしていた。
きっとあの表情がグウェンの素顔なんだろうな。
「ありがとう、サクラ。今の話で余計に協力意欲が湧いたよ」
「そ、そうですか? 良かったです」
サクラが嬉しそうに笑った。
「大蜘蛛討伐は必ず成功させる。だから今はゆっくり休むと良いよ。食材が集まったら調理の方をお願いできるか?」
「はい! お任せ下さい!」
「じゃあちょっと行って来る」
「いってらっしゃいませ」
サクラが花の咲くような笑顔で、俺達を見送ってくれた。
「いっぱい食材取って帰らないとな」
「アングの鼻にお任せ有れ!」
アングの先導で、俺達は果物や野兎を狙って食材集めに出かけた。
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時は遡り、苛立ちを露わにしたデルフィノームが黒角の里の中で、グウェン達への制裁の指揮を執っていた。
「拷問部隊を招集しろ!! 鬼人族の血を穢す弱小共を……この俺様に盾突く愚かさを、その身に苦痛と恐怖を刻ませた上で最後の息の根を止めるぞ!!」
その怒号を受け、黒い角を生やした同族達の動きが慌ただしくなる。
デルフィノームを怒らせれば、そのとばっちりを自分達が受けかねないからだ。
酒の入った瓢箪の中身を豪快に飲み干したデルフィノームが、空の瓢箪を地面に叩き付けて怒り心頭に発していた。
「白角共めが……忌々しい! 奴らを庇ったあの小童も見つけ次第、同様に八つ裂きにしてやる……!」
怒りの籠った魔力に圧され、女や子供の鬼人族達が物陰に隠れる。
大人の鬼人族達はこれ以上怒らせまいと、急々と出撃準備を整えて行く。
「………」
―――しかしあの小童……あの女と同様か、或いはそれ以上の魔力を有していたな? 侮れない相手かもしれん。油断は出来んが、しかし奴一人に勢力を費やすのも……。
苛立ちを募らせつつも、悶々とヨウに対する対策を練るデルフィノーム。
そんな時、身に覚えのない何者かの魔力を感知して、視線を上げると―――
「お困りの様ですね? 鬼人族の猛者様」
「!! 何者だ!?」
突如、目の前に幻影の如く出現した人物に、デルフィノームは警戒心を剥き出して魔力を高めた。
相手はそれに対し、何の構えを取る事も無く、余裕の面持ちでデルフィノームに対面した。
褐色の肌に艶やかな黒髪を靡かせ、上品なタイトドレスを着こなす―――“堕耳長族”。
「お初にお眼にかかりますわ。私の名はアジェッサと申します。北方国家を治められる魔王様に使える……しがない雇われで御座いますわ」
妖艶で見目麗しいアジェッサを前に、デルフィノームは怪訝そうに眉を顰める。
「魔王アザミの……? そんな奴がこの俺に何の用だ? 今は貴様に構っている暇などない―――今すぐに去らねば殺す」
「あらまぁ? そんなに警戒なさらないで下さいまし。私は貴方様に助力したく馳せ参じた次第ですわ」
「助力だと…?」
「はい」
アジェッサが流れる動きでデルフィノームとの距離を詰め、か細い指を厚い胸板に添えた。
「ッ―――!」
―――身体が……動かない……?
払い除けようと腕に力を込めたのに、指一本も動かせなかった。
その様子を愉しそうに見るアジェッサ。
銅像の様に動きを止めたデルフィノームの首に両腕を回し、頭を抱擁する。
「風のお噂で……豪傑な貴方様に恥をかかせた不届き者のお話を耳にしまして……」
「な、何を……―――」
アジェッサがデルフィノームの耳元に囁き掛ける。
声と共に、甘美な香りで脳を支配されていくデルフィノーム。
「是非……私も一緒に遊ばせて下さいまし……」
気付いた時には遅く、デルフィノームの脳は霧に包まれ、アジェッサの“幻術”に呑まれて行った……―――
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時は再び戻る。
短時間だが睡眠をとった白角の鬼人族達が続々と目を覚まし始める。
大欠伸をしながら仮設した寝食小屋から出て来るグウェン。
その視線に、せっせと朝食の仕度をしているサクラの姿が映る。
「おはよう、サクラ。朝から元気だな?」
「あ、おはようございます兄様。もうすぐヨウ様が食材を取って戻られると思うので、準備を始めてました」
「ヨウが? そう言えばまだ見てねぇな?」
「先程、アング君と一緒に出掛けられました。本当に、何から何まで頼りにしてしまって……ちょっと申し訳ないです」
「まぁ、アイツは多分そういう性分なんだよ。言える立場じゃないが、全然面倒に思って無さそうだったしな」
「本当に言える立場じゃありませんよ。昨晩の作戦会議の内容……もしかしたら、大怪我をさせてしまうかもしれないのに……」
サクラが心配そうに俯く。
グウェンがその小さな肩を軽く叩き、安心させようと笑顔を向ける。
「お前が昨日言ったように―――ヨウが魔王と同等の魔力を有する御方ってのが本当なら、俺達はヨウを信じて作戦を決行すればいい。情けない話だが、それが一番の策だ」
「兄様も、とても頑張っていらっしゃいますよ。私達、里の者は皆、兄様に感謝しています」
「ありがとうな。お前にも色々と無茶をさせた―――これからは俺達の力で里を復興していくぞ!」
「はい!」
「俺も協力する」
グウェンとサクラの会話に、いつの間にかその場に居たローソゥが加わった。
「ビックリした!! お前ぇ…気配絶って近づくなって何回言えばわかるんだ!?」
「ん……すまん」
「もう、ローソゥったら」
三人の鬼人族が顔を合わせて和気藹々《わきあいあい》と談笑する。
しかし、束の間の楽し気な空気を凍てつかせる報せが、グウェン達の耳に届く事になる。
「うわぁあああああ!!! 助けてくれぇえ!!!」
突如、里中に響き渡る悲鳴。
「なっ! 何だ!?」
「今の声は……里の門の方ですか……?」
「行くぞ!」
三人は異常を察知し、叫び声がした門の近くへ出向く。
門前に悠然と立ち尽くす人影。
「ま……まさか……」
グウェンが絶望の混じった声音を発する。
白角のもう一つの脅威―――デルフィノームが、白角の鬼人族の子供の首を鷲掴みにして、周囲に荒々しく魔力を垂れ流していた。
「デルフィノーム!?」
「そんな……まさか、ここまで私達を追って…!?」
「クソが!! わざわざ里まで追いかけて来たがって!!」
冷汗が頬を伝うグウェン達。
その視界に入るデルフィノームは、焦点の合っていない目をグウェン達に向ける。
「お…んなを……こ、わっぱを……出せ……」
見るからに様子が可笑しいデルフィノームだったが、徐々に子供の首を絞める手に力が入って行き、苦しそうに悶える光景に焦りを募らせる。
「その子を離せ!! 関係無い奴らまで危害を加えるな!!」
「出せ……女、と……小童……出せぇ……!」
「ッ―――! 話を聞きやがれぇ!!」
話が通じていない様子のデルフィノームに苛立ちを募らせるグウェン。
両掌から真紅の炎を燃え上がらせ、デルフィノームを牽制する。
その後ろで、サクラがデルフィノームの身体を取り巻く魔力の粒子を感じ取った。
「兄様……デルフィノーム様は、幻術にかけられているようです」
「幻術?」
サクラの魔力探知の魔技能で、デルフィノームの状態を察知したグウェンは、デルフィノームとその手の内に居る子供を交互に見やり、サクラに向く。
「サクラ。ヨウを連れて戻ってくれ。時間は稼ぐ…!」
「で、でも…!」
「お嬢。頼む…」
グウェンとローソゥがサクラの前に出る。
サクラは二人の心配をしつつ、意を決して後方へ下がった。
「すぐに戻ります! どうか辛抱を!」
二人にそう言い残し、サクラは“跳躍者”を発動させ、ヨウとアングを探しに出た。
「ヨウが戻るまで……全力で抑えつけるぞ!!」
「あぁ…!」
グウェンとローソゥが一斉にデルフィノームに飛び掛かる。
デルフィノームは二人に対し、無情な雷撃を撃ち放った―――