Story.43【少女の懇願】
赤髪の鬼人族―――グウェンは、俺達に事の発端を語り始めた。
「一月前の事だ……俺達“白角”の鬼人族の集落が、突如現れた新種の魔物によって壊滅された」
「新種の魔物?」
「人を丸呑みしてしまえそうな程のデカい蜘蛛の姿をした化物だ」
「蜘蛛?」
蜘蛛の姿をした魔物は何匹か知っているが、単体で集落一つを潰せるような化物がいるなんて聞いた事が無い。
「………」
それにしても、突如現れた化物に生まれ育った場所を壊されるなんて、とんでもない悲劇だな。
「……お気の毒に……」
考えた末、かけてやれる言葉はこれしかなかった。
グウェンは消え入りそうな声で「ありがとう」と呟いた。
「だが……仕方ない事だ。この森で弱小魔族が生きて行くという事は、三魔将を含む数多ある魔族達から上手く隠れながら暮らしていくか、三魔将の軍門に下って護ってもらうかの二択しかない。俺達、白角は前者だった。同族に三魔将の一人であるデルフィノームは居たが、奴の軍門に下る気は無かった」
「成程ね」
―――まぁ、あんな奴の傘下に入るのも安心なんか出来ないもんな。
俺は大いに心中お察しした。
「しかし、大蜘蛛の襲撃を受けて我が里は壊滅……生き残ったのは、年寄と子供も含めて十数人だけだ。当時の頭領だった親父も、そこで命を絶った」
「じゃあ、今の頭領は……」
グウェンの紅玉色の瞳が揺れ動く。
「あぁ。特に世襲制だったし、他の仲間達には荷が重すぎる。遅かれ早かれって事だ……」
「俺達……前頭領の庇護下に居た"白角"の皆も、グウェンが次期頭領なら何の不満も無かった。ただ、あまりにも急だった故に、同胞の中には受け入れに時間がかかっている者もいる……」
グウェンに付け加えるようにして、ローソゥが口を開いた。
里の壊滅に加え、まだ若い頭領候補に生涯を任せる事への不安。
あの傲慢野郎の軍門へ下る思想を持ってしまうのは仕方の無い事かもな。
「お前達以外の仲間は?」
「今は壊滅した集落の修繕に尽くしてくれている。とは言え女子供に加えて老体ばかりで、あまり進捗は良くないがな……」
「ならお前達はどうして此処に? その子の服装なんか、花嫁衣装っぽく見えなくもないんだけど?」
「こ、これは、その……」
サクラが言い難そうに言葉尻を濁した。
代わりに応えたのは、兄のグウェンだ。
しかも何だか恨めしそうな表情だ。
「その通りさ。コイツは今日、デルフィノームとの婚礼の儀を行う予定だったんだ」
「こ、婚礼!?」
「何とッ!」
しかもあのデルフィノームと!?
俺とアングは驚きを隠せなかった。
「俺は頭領として、弱体化した白角の生き残った同胞を護る責任がある。三魔将の軍門に下る選択に……最早、躊躇は無かった。だがその条件として黒角側が提示してきたのは、妹の輿入れだ」
「つまり……政略結婚?」
自分で言って何だか悍ましくなった。
魔族界隈でもそう言った事があるんだな。
「サクラは白角の生まれにしては珍しく高い魔力を有している。魔力の高い者を配下に置くというだけで、そういう奴等を周りは“強者”と捉える。そうして更に強者の軍配に下る者も増えるという流れが出来上がる……」
グウェンはソレを口にする度、声を荒げた。
「要はアイツ等が欲しているのは、サクラの膨大な魔力だけって事だ…!!」
「あ、兄様……その様な事は……」
「違うものか! 現に逃げ出したお前を殺そうとした! 従う気の無い者は例え妻になる相手だろうが消し去るのがデルフィノームのやり方だ! そんな奴に大事な妹を差し出さねばならない己の無力さが心底憎い―――!!!」
グウェンは一段と声を荒げ、力任せに地を殴りつけた。
途端に辺り一帯の地面が轟々と音を立てて揺れ動く。
その揺れに思わず俺とアングは身構えて周囲を警戒した。
「あ」
揺れが治まると、グウェンが気まずそうな目で俺達を見つめ、わざとらしく咳払いをした。
「す、すまん…つい…」
「すげぇ馬鹿力……地震かと思った」
「俺には筋力強化のスキルがあるんだが……どうも制御が苦手でな……」
「そうみたいだな」
今のでデルフィノームに居場所がバレてないか不安だけど……魔力探知に反応が無いから大丈夫そうだ。
「まぁでも、逃げ出したのは正解なんじゃないか? とてもじゃないけど、あの大鬼が聖人君子だとは思えないし、その横暴っぷりは俺も目にしたからね」
「俺達だって相手がデルフィノームじゃなかったら、こんなふざけた要求は呑まなかったさ!」
「それもそうか」
「あ、あの…」
サクラがグウェンの背中から顔を覗かせた。
「この様な厄介事に巻き込んでしまい、本当に申し訳ありませんでした!」
「それはもう良いよ。俺も自分から首突っ込んだようなもんだからな」
俺はヘラッと笑みを浮かべてサクラに言ってやった。
サクラはそれでも申し訳無さそうに目を伏せていたが、少しして服の裾をぎゅっと握り締めて、口を開いた。
「私は、兄様や里の皆の為なら、幾らだってこの身を捧げる覚悟がありました。しかし、私との婚礼だけでは飽き足らず、あの御方は里の者に過度な労働を強いて、碌な食事もさせず、休む暇さえ与えなかった……」
苦悶の表情でサクラが言葉を絞り出す。
薄らと瞳に涙を溜めている姿から、その心内はマグマの様に煮えたぎる怒りの感情で満ちていると分かる。
「―――私は、奴隷の様に里の皆を扱うデルフィノーム様の横暴さに、我慢出来ませんでした…!」
「それで逃げ出したと?」
「はい…」
―――賢明な判断……とは言い難いな。
「気持ちは分かるけど、真っ先に自分の命が狙われるのは明白だ。危険な行為だぞ」
「えぇ。私が身勝手に動いたばかりに、貴方様や兄様達まで……本当に申し訳なく……」
「だからそれはもう良いって。デルフィノームの横暴な行いが全ての元凶だろ?」
成り行きとは言え、俺もデルフィノームに少なからず喧嘩を売った。
俺も個人でアイツに狙われるだけの事をしてしまったのだから、お相子だ。
サクラは俺の言葉を受けて、それ以上の卑下は口にしなかった。
だが―――
「―――……では、身勝手に次ぐ身勝手な願いを口にする事を、お許し願いたく」
「はい?」
急に空気感が変わった。
恐怖……ではない様だが、震えの混じる声のサクラは、紅玉色の瞳を俺に向けた。
その表情は至って真剣そのもの。
俺の中の警笛音がそこそこデカい音を立てて鳴り始めたのが分かる。
面倒事が起きる予兆だ。
コレが俺のスキルなのか不明だが、高確率で予想は的中する。
案の定。
サクラ、そしてグウェンとローソゥ。
三人の鬼人族が、俺とアングに向かって深々と頭を下げて来た。
「お、おい?何してんの?」
そして―――
「旅の御方。何卒、私達に御力をお貸し頂けませんでしょうか!」
「…………」
―――はいッ! 悪い予感が見事的中しました! オメデトウゴザイマス!!!
とは言え、このままコイツらを放ったらかして俺だけ逃げるってのも気分が悪いのは確かだ。
「えー、力を貸すってのは、この件が落ち着くまでの護衛とかか? まぁ、それぐらいなら別に構わないけど…?」
「いいえ。デルフィノーム様の脅威に怯え、隠れて生き続ける事を里の者達に強要する事など出来ません。デルフィノーム様の脅威を退け、皆が再び安住の地で暮らす為には、我々の里を滅ぼした魔獣―――あの大蜘蛛を倒す他ありません!」
サクラは地に膝を着いたまま、俺との距離を詰めて来た。
美少女の顔は至近距離で見つめられると、良い意味で心臓に悪い。
「貴方様は、強力な魔術の使い手だとお見受けしました! どうか大蜘蛛討伐にご協力頂けませんでしょうか!」
「お、大蜘蛛討伐?」
「あぁ。大蜘蛛さえ討伐できれば、俺達はデルフィノームと関りを持つ必要がなくなる。新しい拠点を見つけて、其処で里を再興させて行けば良い。何なら大蜘蛛退治の最中にサクラが死んだって事にしてしまえば、デルフィノームも必要以上の追撃をしなくなるだろう」
「えーっと、つまり。里を壊滅させた元凶の大蜘蛛をグウェン達が自分達の手で倒したとあれば、デルフィノームの傘下に就く必要が無いだけの力があると証明が出来る訳だし……確かに最善の手かもしれないな」
「もしくは、他の三魔将の軍門に下る手もあるが……」
「きっとデルフィノームと似たような条件を出してくるに違いないから、出来るだけ避けたいと?」
「そういう事だ」
「……成程」
確かにその方がグウェン達にとって一番の解決策になるか。
俺は顎に手を添えて考えた。
これは完全に種族間の問題……と言うか、この大森林で生きている魔族の定めだ。
余所者である俺が下手に手を出す事は、頼られたとしても、彼らの誇りに泥を塗ってしまう行為ではないだろうか……
「やはり……無理なお願い、ですよね……」
サクラが俺の返答を聞く前に、残念そうに表情を曇らせた。
美少女の悲痛な表情は心苦しいなぁ……。
「マスター?」
アングが俺の意志を問う。
再び思考する。
そもそも俺達は暫くの間、この大森林を拠点にして危険な魔獣を狩って生計を立てるつもりでいた。
成り行きとは言え、あんな厄介な相手に目を付けられっぱなしってのはしんどい。
「その大蜘蛛ってさ。バラしたパーツを売ったらそれなりの資金にはなるよな?」
「え」
サクラが伏せていた顔を上げた。
「討伐した大蜘蛛の使えそうな部位は俺が貰う。加えて、当面の俺とアングの拠点をお前達の里に置かせてもらう―――それが最低条件かな?」
「で、では…!」
俺の言葉に、サクラの曇りかかっていた表情が晴れる。
―――覚えたての“鳴龍幻舞”の実践も出来そうだし、未発見の大物魔獣を狩れたら暫く金銭に困らなくなる。野宿も凌げて一石二鳥だ。
「うん、手伝うよ。序でに、デルフィノームがまた絡んで来た時は、俺が真っ先にあの腹立つ顔面に一発入れさせてもらうのも条件ね」
「あ―――ありがとうございます!」
サクラが地べたに額が付く程頭を下げた。
グウェンとローソゥも安堵の笑みを零す。
「お礼は大蜘蛛を討伐出来た時にしてくれ。あと、俺の名前はヨウで、コッチは銀毛狼族のアングレカムだ」
「アングと呼ぶ事を許すぞ!」
「アハハ、よろしく」
「はい! よろしくお願いいたします! ヨウ様! アング君!」
「あぁ、よろし―――……“様”…?」
「はい! ヨウ様!」
これまた、リアトに次ぐ仰々しい敬称を付けられたもんだ。
「案ずるな! 此方におわすマスターに掛かれば、デカいだけの虫如きなど相手にもならん!」
「「「おぉ!」」」
主人の自慢を鼻高々にするアング。
サクラ達が感嘆の声を上げるが、当の俺が辱められてる事をそろそろアングに教えてやらないとダメだな。
そんな俺を他所に、サクラは頬を紅潮させて興奮気味に俺への称賛を口にする。
「やはりそうですよね! 感じられる魔力量が尋常ではないと分かっておりましたが、ヨウ様はそれ程までの術者様なのですね!」
「え?」
俺はサクラの言葉に内心で驚いた。
―――俺の隠してた魔力を感知した? この子も相当な魔力量だけど、術者としても侮れないかもしれない……
敵だったら気の抜けない相手だっただろうけど、幸い今は味方同士、頼りになる。
「そうと決まれば、早速その蜘蛛野郎を倒しに行くか?」
「あぁ!」
グウェンが意気揚々と立ち上がった―――のだが。
「と、言いたいんだが……」
「なに?」
打って変わって、申し訳なさそうに頭を掻いて視線を逸らした。
「居場所が分からないんだ。ヤツの実態は相当なデカさのはずなのに、一暴れしたら霧の様に消え去ってしまった。魔力探知をしても、居場所を突き止める事が出来ない」
―――霧の様に消え去った?
「何か手掛かりは無いのか?里で暴れられた時に足の一本でも、血液の一滴でも落としてないか…?」
「残念だが……―――いや待て。里の修繕作業が終わっていなければ、大蜘蛛の粘液が残ってるかもしれない」
「粘液?」
「濃度の高い酸性の粘液を纏わせた“魔糸”を放つのです。触れようものなら、肉が解けて崩壊します」
「うえーマジで?」
―――だけど、その粘液を解析出来れば、居所くらいは掴めそうだ。触れたら溶けちゃうらしいけど……
「里に案内してくれ。俺の魔術で見つけられるかもしれない」
「分かった」
グウェン達の案内で、俺とアングは“白角”の里へ向かった。