Story.41【逃げる鬼と追う鬼】
某日。
ヨウとアングがニ年間育った町に、一通の手紙が届いた。
町医者兼相談役、ローザ宛に送られたヨウからの手紙だ。
ローザは手紙と水筒を手にして、アングの母親である魔樹の許へやって来た。
「町を出てまだ一ヶ月も経ってないってのに、もう文なんか送ってきて……」
いつもの調子を崩す事なく、封筒の口を切るローザ。
「………前の世界の名残かね?」
―――随分と変わった書き出しだ。どことなく東方国家の文脈に似ている。
アングの母親である大樹に背を預け、苦いお茶を啜りながらヨウの書いた手紙に目を通す。
―――拝啓。
新緑の候、師匠におかれましては、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
さて。貴女の許を離れ、早くも約一ヶ月の月日が流れましたが、その間に俺はアングと共に蜥蜴人族の冒険者を傍若無人の貴族と手練れの狩人から助け、王都の冒険者達と仲良くなりました。
師匠の熱烈な支持者らしく、彼の祖父も師匠と同期の冒険者との事です。
それに、師匠から餞別に頂いた剣を打った鍛冶職人の小人族にも会う事が出来ました。
世界は広いようで、案外狭いものですね。
この出会いは俺にとって、きっと有意義のある結果をもたらせてくれる事でしょう。
ただの近況報告になってしまいましたが、師匠に手紙を書く事が俺の一番の楽しみなので、どうか今後とも受け取ってほしいです。
まだまだ未熟な身の上ですが、これからも相棒アングと共に精進していく所存です。
どうか、我々の旅の無事をお祈り下さい。
季節の変わり目ですので、皆様もご自愛ください。
敬具―――
「………何が無事をお祈り下さいだよ。元気そうじゃないかい」
ヨウの書いた文章の最後には、アングの手形も押されていた。
この時のローザの表情は、ヨウ達との別れ際と同じくらいに“母親”らしい笑顔だった。
「けど、油断するんじゃないよ。お前さんを狙う輩は……きっと今後増え続ける」
―――死なないお前さんを最も苦しめる方法は……案外、沢山あるもんだ。
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師匠に文を送って数日後。
王都でリアト達に別れを告げて、南方国家の大森林の中を歩き続けていた最中。
俺の頭上に突如出現した“跳躍者”の黒い穴。
その穴から降って来たのは、華やかな装飾が施された白い花嫁衣裳を纏った桜色の髪の美少女。
美少女の額には、その可憐さに不思議な魅力を感じさせる二本の白い小さな角が生えている。
それだけで、彼女の種族が簡単に判明出来る。
「君……“鬼人族”か?」
―――いや。女性の鬼人族族なら“鬼女”か。
どっちにしろ種族は同じ鬼人族族だ。
「あ、あの……」
俺と向かい合って地面にしゃがみ込む美少女は、見られたらマズイとでも言いたげに額の角を隠した。
他種族に……主に人族に正体を知られるとマズいのかもしれない。
この近くには冒険者組合もある事だし、討伐されないか不安なのかもしれない。
一先ず俺は少女を膝上から降ろしてやった。
先に立ち上がり、鬼の少女に手を伸ばした。
「大丈夫? 怪我しなかった?」
「え……は、はい……」
少女はおずおずと俺の手を握り返し、服に付いた土埃を払いながら立ち上がった。
「それにしても“跳躍者”なんて中位魔術が使えるとは、大した術師だな」
「あ、ありがとうござ―――あっ! ご、ごめんなさい! お怪我はありませんか?」
鬼の少女は俺の体を見回しながら怪我がないか確認した。
まぁ、怪我をした所で一瞬で治るんだけどね。
「俺は怪我してないよ。それより、どうかしたのか? 着地点を失敗するほど慌ててたみたいだけど?」
「そ、それは……」
言い難そうに語尾を濁す少女。
「これは深入りしたら面倒臭そうな訳有りだな…」と察した。
「まぁ、言い難いなら無理に言わなくても良いよ。目的地の場所まで送ろうか?」
どうせ暇だし。
皆迄言わなかったが、少女は「い、いいえ! 滅相もありません!」と首を盛大に振った。
そりゃあ見ず知らずの男にそんな事言われても不審に思うだけだもんな。
それにしても綺麗な身形だ。
花嫁衣裳を思わせる白を基準とした服装が桜色の髪とよくマッチしている。
俺がじぃーっと見つめているのが気になったのか、少女は首を傾げて俺の顔を覗き込んできた。
「あ、あの…?」
「ん。あ、ゴメン! じっと見つめちゃって!」
「い、いえ、お気になさらず……―――」
「なに?」
今度は少女が俺の事をじぃーっと見つめて来た。
吸い込まれてしまいそうな程綺麗な深紅の瞳に、性欲が無い俺も流石にドギマギしてしまった。
暫くの間、大人しく少女に観察されていると、不意に少女の薄い唇が開いた。
「あの? 以前、何処かで―――」
少女が俺の顔を見つめながら何かを問おうとしていた。
しかし同時に、俺達の進んでいた大森林の奥から魔力の塊が物凄いスピードで近づいて来るのを感知した。
「失礼!」
「きゃっ!」
鬼の少女の腕を引き、向かって来る魔力の塊に対して防御態勢を取る。
「“砂漠ノ壁”!」
地面から乾いた砂が盛り上がり、俺達を覆い守る壁に変形した。
数える間も無い程の一瞬に、砂の壁に高電圧の電撃が直撃した。
分厚い砂の壁を焼け焦がせる程の一撃。
衝撃と共に、壁全体に青白い電流が流れる。
「ッ―――“雷”の魔術か…!」
「はっ!」
俺の後ろに隠れる少女が、何かに怯える様にか細い声を上げる。
俺の上着を握るか細い手が、震えているのが分かった。
―――この子が慌てて逃げている原因は、コイツで間違いない様だな。
攻撃が止み、砂の壁も崩れ落ちると、目の前には複数人の角の生やした“鬼人族”の集団が辺りを取り囲んでいた。
―――おいおい。参ったなぁ……明らかに全員が手練れの魔術使いじゃないか?
そして俺達の前に躍り出る一際大柄な体躯の“鬼人族”。
少女とは対照的な、真っ黒い三本角の大男が俺達の前に躍り出た。
「三本角の鬼人族って……」
―――まさか、こんな突拍子も無く出会ったしまうものか……―――“鬼人ノ族王”に…!
黒い角の鬼人ノ族王が俺の姿を眺め、眉間の皺を深くした。
「何だ貴様? 何故その女を庇う?」
開いた口から覗く牙が、まぁ恐ろしい事で……。
「開口一番から随分と物騒だな。と言うか、この子は同じ鬼人族族じゃないのか? 何故攻撃した?」
今の攻撃……確実に命を落とす程の魔力量だった。
目の前の鬼人ノ族王からは明白な殺意すらも感じられる。
「質問を質問で返すな小童が! 今は俺様がお前に問うているのだから答えろ」
そう言うと、威嚇のつもりなのか、怒りの籠った魔力をぶっ放し、その余波で付近の木々が騒めいた。
俺の背後に隠れる少女の身体が恐怖で跳ね上がった。
俺は少女を更に後ろへ下げた。
―――ムカつくけど、強いなコイツ。“魔力探知”を使わなくても相当な実力者だと分かる。
とは言え、こんな危ない奴にこの子を明け渡す気なんか更々無い。
「ならご希望に添おう。女の子が困ってた。その子は怯えている。放っておけない。殺されそうな攻撃を受けそうになったから助けた―――満足か?」
辺りに沈黙が流れる。
そして―――
「………あぁ。底知れぬ馬鹿なのだと、よく理解した」
蟀谷に青筋を浮かせる鬼人ノ族王が吐き捨てる様に言い放った。
「殺せ」
その言葉を受け、周りの鬼人族達が一斉に襲い掛かって来た。
「俺の質問にも答えろっての…!」
「きゃっ…!」
少女を抱きかかえ、四方八方から撃ち込まれる中級魔術の攻撃を回避する。
当たったらそれなりにヤバいが、当たらなければどうという事は無い。
「アング! 大丈夫か!」
「無論!」
この程度の攻撃なら、共に鬼教官―――もとい師匠の許で修業を積んだアングも容易に避けられている。
問題は、他の鬼人族達に攻撃させている間に、魔力を高めていってる鬼人ノ族王の方だ。
「ちょこまかと……しゃしゃり出た事を後悔させてやろう!」
鬼人族ノ王の体から蛇の様にうねり輝く雷が放電をし始める。
そう言う詠唱前から魔術の発動の予兆が目に見えてしまうタイプの術師の魔術は総じて規格外だ。
「マジで殺す気満々かよ…!」
「待って下さい! 私を…私を引き渡して下さい! このままでは貴方様まで…!」
「あ~…ゴメン…」
―――そんな事出来ないし、アレはもうそれを許してくれそうにない。
「死ね! 小童が!」
鬼人ノ族王が、先程以上の高電圧の雷の塊を出現させた。
「まさかアレ―――“雷神ノ槌”か!」
この世界の魔術階級の中でも上位の魔術だ。
―――しかもよりにもよって神級! ただの“防盾”じゃ、塞ぎ切れないぞ…!
俺が回避策を考えている最中、背後に隠れていた少女が俺の肩越しに大声を上げた。
「デルフィノーム様! この方達は傷付けないで下さい!!」
「もう遅い」
少女の懇願も虚しく、直径十メートルはありそうな巨大な“雷神ノ槌”が放たれる。
―――“魔力吸収”と“返戻発射”で返せるか? どの道辺りへの被害が尋常じゃない。この森林に住む生命体のバランスが崩れる……!
とは言え、彼女とアングを巻き込む訳にはいかない。
―――二人を逃がして、俺が単身で喰らうしかないか……!
「アング! 彼女を守れ!」
「マスター!!」
「い、いけません! 逃げて下さい!」
「大丈夫だ」
俺にとっては何の問題でもない“死”を覚悟し、俺は彼女を後方へ押し退けて“雷神ノ槌”へ直進した。
―――直撃を喰らって肉体が死んでも、再生まで三十秒って所だ。鬼人族ノ王が再度攻撃態勢を整えるまでには間に合う…!!
「死を覚悟したか……つくづく愚かな小童だ」
鬼人族ノ王―――デルフィノームは標準を俺に切り替えた。
俺とデルフィノームの一触即発の事態。
背後からアングと少女の声が遠くなって聴こえる。
―――上手く逃げろよアング!!
その時。
「止めろ! デルフィノーム!」
何処からともなく聞こえたその声に、俺もデルフィノームも動きを止めた。
茂みの奥が揺れる。
そこから姿を現したのは、少女を同じく白い角を生やした二人の鬼人族だった。
【ぷちっとひぎゃまお!】
黒角三本の鬼王―――『デルフィノーム』
名前由来―――デルフィニウム『傲慢』