Story.03【生き残った後の後悔】
「それで?何で俺に毒なんか飲ませたんですか?」
当然の如く、俺はローザさんにその真意を問い質した。
しかしローザさんは特に悪びれる様子も無く、毒無しの苦いお茶を啜って、暢気に一息。
「お前さんが森から来た時点である程度不審に思うのは当然だろ。毒耐性を持つ人間ってのは、耐性獲得の修行で何年もかけて体に毒を慣らせる方法か、闇属性或いは聖属性の魔力保持者じゃないと対応出来ない。お前さん、毒慣らしの修行はしたかい?」
「いや、してませんけど?」
「なら考えられるのは、闇属性乃至、聖属性を保持してるから毒が効かなかったって事だ」
「闇属性か聖属性…」
「だがまぁ、聖属性ではないかもね。聖属性の魔力は習得は勿論、生まれながらに保持してる奴は珍しい。お前さんの場合は恐らく前者。体内に入った毒をより強い毒性の魔力によって効果を打ち消されたんだろうね」
「は、はぁ…」
まさに、毒を以て毒を制した、という事らしい。
それにしても、さっきから当然の様に出て来ている“魔力”という単語。
魔力…魔力か…
「全然実感ないですけど?」
「魔力ってのはこの世界で誰しもが持って生まれるモノだが、その力の一割も引き出せずに暮らしてる奴が殆どさ。一昔前までは強制的に魔力を一定量超えさせる為の軍事的な処置もされてたが、国王が代替わりしたお陰でその制度も改正されたんだよ」
「やっぱり、魔力が高い人は戦争とかに駆り出されてたんですか?」
「必然的にね。どうせ戦わされるならと、まだ軍より自由の効く冒険者組合に登録して冒険者に職する輩が一時は多かった。アタシもその一人さね」
「え?ローザさんって冒険者だったんですか?」
雰囲気でただのお婆さんではないとは思ってたけど、まさか戦う側の人間だったとは……
「もう引退したさ。30年前くらいにね」
「そうなんですね」
―――バリバリ現役で戦場を悠然と闊歩してそうな雰囲気だけど…
等と口には出さなかった。
ローザさんは言い終えた後、急に眉間の皺を深くして湯飲みを机の上に強く叩き付けた。
「そうだってのに!あの組合長ときたら、若いモンが育たんからってアタシに組合に戻って来いとしつこく勧誘してくる始末だ。気に入らんから階級板を返却してさっさと王都から出て行ってやったよ。暫くはアタシの事を血眼になって探してたらしいが、何時しか諦めたように新人冒険者の階級上げに精を出し始めたね。職務怠慢のツケが回ったんだろ。ハッ!愉快愉快!」
「は、はぁ…」
―――何か、前世で入院してた病院にも居たなぁ。今時の若者に対して愚痴ってる爺さん婆さんが…
こんな事本人の前で言ったら今度こそ殺されそうだから黙っておく。
そんな事より、俺が今聞くべき事は……
「俺が魔力持ちなのは、まぁ炎出したりしたし、ソコはもう疑いません。けど―――」
―――けど、やっぱり魔王ってのは…
「納得出来んだろうね」
「はい。無理です」
―――大体、魔王ってどこを基準に魔王と呼ばれるんだ?角生やしたり、黒い羽が生えてたら魔王っぽい気はするけど?
「まぁ一言に魔王と言っても色々あるさ。魔族が転生して成る魔王。新旧交代で先代魔王から指名を受けて昇格する魔王。奇跡的な確率で“人間”の中から誕生する魔王」
「じゃあ、俺は三つ目の人間から魔王になったケースって事ですか?」
「どうかねぇ?お前は“終焉ノ洞窟”で転生したんだろ。なら一番目の方がアタシは納得がいくよ」
「魔族が転生して魔王になるって方法ですか?」
―――でも俺、転生前は人間なんだけどな?
「まぁ今言った魔王誕生の術は歴代の研究結果の一端さね。他にも方法は有ると思うよ」
「そうなんですね?」
「あぁ。異世界の人間が“終焉ノ洞窟”の中で転生して魔王になった何て事例は聞いた事ないけどね」
「そう、ですか…」
なら俺は、まだ解明されてない魔王昇格の産物なのかもしれない。
それにしたって有難迷惑な話だ。
―――俺は普通の人間として普通に生活出来ればそれで良いのに……
益々、俺と言う存在が分からなくなってきた。
「……………ん?」
あれ?
今ローザさん、何で…?
「何で、俺が異世界の人間だって……?」
「あぁその事かい。まぁ大体はアタシの勘さ。さっきまで着てた見慣れない服装。魔力や魔物を知らない所。“終焉ノ洞窟”の事を知らない所。どれもこの世界の人間なら有り得ないからね」
「それだけで、俺が異世界人だって…?」
「アタシの勘はよく当たるんだよ」
ローザさんは自身の発言に全くの疑いが無い様子だ。
真っ直ぐと俺を見据える葡萄酒色の瞳。
俺はその眼光に圧された……と言うより、曇り無い瞳を向けてくれるローザさんになら、素直に話していいと言う気持ちになる。
「あの、実は俺……元の世界で死んで、それで、気付いたらあの洞窟に……」
「ほう」
ローザさんは俺の発言に対し、更に眼光を鋭く光らせた。
「成程ね。お前さんは転生者なのかい」
「はい。多分、そう言われる類の者かと…」
「しかも前世の記憶を引き継いでいるとは、難儀な奴だね」
「で、です…よね…」
―――前世の記憶。それが綺麗さっぱり忘れたままで居られたなら、俺ももっと前向きに状況を飲み込めたかもしれないな…
「しかも、ローザさんの話通りなら、俺って人間じゃない存在……“魔族”に転生した可能性が高いって事ですよね?」
「種族まではハッキリしてないがね。だが、アタシはその線が濃厚と踏んでるよ」
「そう、ですか……」
何て事だ……
まさか二度目の人生は人間じゃない可能性すら出て来てしまった。
忘れかけていた不快な嘔吐感が再び込み上げる。
自分で自分の存在をこれ程気味悪く思う事もそうは経験出来ないだろう。まぁ前世では別の意味で嫌気がさしていたけどね。
等と気落ちする俺を他所に、ローザさんは話を続ける。
「それはそうと、魔王である可能性の高いお前さんをどうしたもんかと言う話だがね」
「え」
そうだ。
この人は引退してるとは言え、元は冒険者。
俺の様な魔族の疑いがある存在は排除してきた側の人間。
さっきは毒で危うく殺されかけたし、本当は俺を殺すつもりで俺を家に招いたのかもしれない。
―――嗚呼。俺の第二の人生も呆気なかったな……まさか、生後半日で終わりを迎えるなんて……
「ローザさん……俺、やっぱり排除されますか?」
「危険性があるなら、ね」
「…………そうですか」
―――神様。今度こそ俺を雑草に生まれ変わらせて下さい……
俺は抵抗せず、一思いに殺してもらおうと覚悟を決めた。
……が。
「なぁに青白い顔してんだい。アタシは殺しゃしないよ」
「痛っ」
呆れた様子でそう言いながら、ローザさんは俺の頭を叩いた。
地味に痛い一撃だ。
叩かれた箇所を擦りながら、俺はローザさんを見つめた。
「え?でも…」
「魔族の中にだって人間に利益を与える善良な奴は居る。そういう奴は寧ろ生かしておいた方が人間諸国が潤う。見た所お前さんは大して害が無さそうだし。アタシも不要な殺生は好まないんでね」
「よ、よかった…」
「けど、アタシ以外の奴はどうか分からないよ?」
「えぇ…」
淡い期待をあっさり覆される。
「アタシは人魔共存の世に不満がある訳じゃない。けど、不安を持つ輩は各国に必ず存在する。そいつらにアンタの素性を知られたら、今度こそ問答無用で切り捨てられるよ。例えば人尊魔卑主義国の東方国家とかね」
「えぇ…」
俺は決意した。東方国家には行かない絶対に。
「もしかしたら“終焉ノ洞窟”の調査目的で冒険者あたりにでも捕縛されて研究員に解剖やら人体実験やらの蛙代わりにされるかもしれないね」
「えぇ…」
何よ、その無慈悲な話。
俺は今後命狙われなきゃいけないの?
苦労と幸せがバランス良く調和した平凡な日常を送りたいだけなんですが?
「こんなんじゃ、さっき森で食い殺された方が良かったのかもしれないな……」
「食い殺される?あぁ、そう言えば炎の魔術を使ったって言ってたね?」
「あ、はい。一瞬の出来事だったから魔物の姿は見てないけど、四足歩行の狼みたいな影が見えました。無意識で出した炎に丸呑みにされてたんで、無事じゃないと思いますけど…」
「狼か。それは恐らく銀狼族だね」
「シルバーウルフ?」
ようやく俺を襲おうとした魔物の名が分かった。
「名の通り銀色の毛並みの狼だ。魔物と言うより、魔獣と呼ぶ生き物だね。その皮膚は見た目以上に強度があって、ただの武器じゃ毛一本も落とせない。装甲職人には人気の高い素材だ」
「そうなんですね?」
じゃあもしかして、俺の無意識の攻撃でも無傷の可能性がある?
その疑問はすぐに覆された。
「ただ銀狼は炎属性の魔術に耐性が無い。お前さんの放った攻撃は致命傷になってるかもね」
「致命傷…」
じゃあ、もう生きてはいないかもしれないな。
そう考えると、少し罪悪感が募る。
「食われかけたとは言え、何だか可哀そうな事をしたな」
「ふん、甘い奴だね。銀狼族は今時期は繁殖期だ。お前さんは栄養と魔力の補填の為に襲われて、その銀狼族より強かったから命拾いした。銀狼族だって死ぬかもしれない覚悟をして狩りをしたんだ。そんな奴を可哀そうだなんて思うのは、それこそ死んだ奴に対する侮辱だよ」
「それは…」
「生き残った事に感謝しな。魔獣ってのは、生き残る為に死の覚悟を決めて挑む生物だ。その覚悟を無駄にすんじゃない」
「……はい」
―――死を覚悟して、生きようとする。ハッキリ言って矛盾が過ぎる。俺とは考え方が違う。
俺はやるせない気持ちを呑み込み、口を閉じた。
「―――あれ?」
そしてすぐに、口を開いた。
「繁殖期?」
「そう言ったろ。何だい急に?」
「………」
「小僧?」
ローザさんは顔を顰めて俺を見つめている。
急に、俺の中で何かがザワつく。
無意識に、口を片手で覆った。
「ローザさん。銀狼族が繁殖期って事は、俺を襲った奴にも……―――子供が居たんじゃ…?」
「…………」
自分で口にしながら、「居ない」と言ってほしいと頭の中で懇願した。
だが―――
「居る、だろうね」
「ッ―――」
心臓が凍った気がした。
「銀狼族の雄は種を残したら元居た群れから離れて、また別の銀狼の群れに異動して、そこでまた種を残して群れを離れるっていう特殊な習性がある。だから産む前までの狩りは雄がするけど、産んだ後の狩りをするのは雌だ。お前さんを襲った銀狼族は尾の先と手足の先が黒かったかい?」
「ち、ちゃんとは見れてませんけど……黒くは無かったと思います」
「なら、雌だ。出産が済んだ後、弱った体のまま狩りに出て運悪くお前さんに遭っちまったんだね」
「………」
―――産まれたばかりの子供が居る……そいつの母親を、俺が……
【 殺 シ タ 】
「!!」
頭の中で、俺の声が嗤った気がした。
気の所為だと自分に言い聞かせたくて、両手で頭を抱え、髪を強く握った。
頭皮が痛むが、それ以上に胸が痛い―――
ローザさんはそんな俺をただ見つめ、深い溜息を吐いた。
「―――長話し過ぎたね。空き部屋を貸してやる。今日はさっさと休みな」
「……ローザさん……俺……」
「さっさと寝て」
―――さっさと、忘れちまいな。
耳に届くローザさんの声は、不気味な程、優しく聞こえた…
・
・
・
いつの間にか、外は土砂降りの雨だった。
ローザさんに空き部屋と毛布を貸してもらい、部屋のベッドの上で身体を丸めて寝転んだ。
何とか無理矢理にでも寝付こうと試みていた。
……だが、一向に眠気が来ない。
「………」
正当防衛。
俺がした事は間違っていなかった。
―――なのにどうして?ずっと心臓が凍り付いてて、胸が痛い…!
アイツに子供が居なきゃ、ここまで苦しくなかったのか?
無責任な話だが、きっとそういう事だろう。
今頃、あの銀狼族の産まれたばかりの子供は何をしているだろう?
母が帰って来ないことを心配してるかも…
お腹を空かせて、死にかけてるかも…
もし母親の仇が俺だと知ったら、その事を生きる糧にして、我武者羅に生きようと頑張ってくれないだろうか…
「………ハ、ハハッ」
―――クソかよ。俺……
結局俺は、どの世界でも、誰の為にもなれない…
そういう存在なんだ。
魔王だとか、転生者だとか、生きる場所も種族も違ったって―――
―――俺は……俺のままなんだ……
これだけ苦しいのに涙も出ない。
身体を抱くようにして二の腕を掴む手に力が入る。
その時―――
「ッ―――熱っ!」
突然、掌で掴んでいた二の腕辺りが焼けるような熱さを感じて跳ね起きた。
「なっ…何…!?」
驚いて確かめる。
服の袖―――掌が当たっていた二の腕の辺りが焦げている。
「これって……」
思い当たる事があった。
俺は掌を見つめる。
焦げた匂いがする。
掌の皮膚が、熱された直後の硝子の様に赤く光っている。
―――間違いない……銀狼族を燃やした“炎”だ。
「そうだった……俺、魔術が使える様になってるんだ……」
両腕への痛みと共に、俺は冷静さを取り戻した。
「………」
此処は、元居た世界じゃない。
ベッドから起き上がれない身体じゃない。
動こうと思えば、今の俺なら幾らだって動ける。
不可能を可能にする事が出来る魔術がある―――!
「……ローザさん、物凄く怒りそうだけどな……」
熱がまだ少し残る掌で両頬を叩いた。
全身を包んでいた毛布を剥ぎ取り、窓を勢い良く開く―――