story.02【終焉ノ洞窟】
三十分も経たない内に、老婆は風呂敷を抱えて帰って来た。
風呂敷の中には、少し草臥れた白色の半袖のシャツ、紺色のズボン、黒色の靴、赤茶色のカーディガン等が入っていた。
「ほれ。とっとと着替えといで。サイズは大丈夫なはずだよ」
「はい。ありがとうございます」
老婆から部屋を借りて着替えた。色合いは暗い物ばかりだったが、患者服よりずっと暖かくて安心した。
見た目が可笑しくないか確かめようと、部屋に置かれた鏡台の鏡を覗き込んで―――絶句した。
―――え……誰……?
鏡越しに見る自分の顔は、自分の顔ではなかった。
正確に言えば、基盤は俺の顔なのだが、自分でも凝視する事を躊躇う程の美形が鏡に映っている。
そして何と言うか……実に中性的な顔立ちだ。
元の俺の顔も幼さゆえに男らしくはなかったが、ここまで整っていたわけでもない。
「何これ……第二の人生を祝した神様からのプレゼント?」
もしくはご機嫌取りか?
さっき「恨むぞ」って言っちゃったもんなぁ……
「今日からこの顔で生きて行くのか……色んな所で恨み買わなきゃ良いけど……」
俺は微かな悪寒を感じつつ、渋々自分の第二の容姿を受け入れた。
脱いだ泥だらけの患者服を拾い、軽く畳んだ。
「……お世話になりました」
元の世界に返す事は出来なかったが、俺の最期まで付き合ってくれた患者服を大事に抱えた。
―――お婆さんは捨てろって言ってたけど、名残惜しいし、洗って取っておこう。
何かに使う当てもないが、前世での数少ない思い出の品だからな……
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「着替え終わりました」
「ん。問題無いみたいだね」
「はい。丁度いいです」
「酒場の店主の息子の御下がりだよ。他にも見繕ってお前にくれてやるそうだから、今度礼を言っとくんだよ」
「何から何まで、本当にありがとうございます」
俺は老婆に頭を深く下げてお礼を言った。
当の老婆はと言うと、椅子に腰かけて苦そうなお茶を啜っていた。
「いいから座りな。そろそろお前の話を聞かせてもらおうじゃないか」
「話が早くて助かります」
早く厄介払いがしたいのか、老婆の話の進行が早い。
だが俺の話を聞く気はちゃんとあるらしい。
苦そうなお茶をポットから空の湯飲みに注ぎ、俺の目の前に差し出した。
「いただきます」
「まずは、お前さんの名前を聞かしてもらおうか?」
「黒木葉です」
「クロキ・ヨウ?変わったファミリーネームだね?」
「あ、違います」
どうやら外国式で姓と名は逆にしないといけないらしい。
―――この辺はヨーロッパだな。厳密には違うけど。
「えっと、クロキがファミリーネームです。だから、ヨウ・クロキですね」
「ヨウが名前か。覚えやすい。アタシはローザだ。婆さん呼ばわりしなきゃ、好きに呼んで構わないよ」
「あ、じゃあ……ローザ、さん」
「ふん。呼びにくそうだね」
お婆さ……ローザさんは鼻で笑ったが、病院暮らしで滅多に外国人の名前を呼ばなかった俺には難易度が中級程度に高い。
俺の名前が古風な日本人っぽい名前じゃなくて良かった。
看護師の花岡さんには覚えやすいし呼びやすい名前だね、と好評だった。
何て事はさておいて、ローザさんは話を続ける。
「ヨウ。お前が森の奥……“終焉ノ洞窟”から来たってのは事実かい?」
「キング…バース?」
「光る鉱石があちこちから顔出してた洞窟だよ」
「あぁ!ありました」
俺が最初にここが異世界だと疑うきっかけになった物だ。
俺がその“終焉ノ洞窟”からやって来た事実に、ローザさんは眼光を鋭く光らせた。
その目を直視出来なくて、誤魔化すように俺はお茶を口にした……超苦い。
苦いお茶に顔を顰める俺を他所に、ローザさんは淡々と話しを進める。
「“終焉ノ洞窟”とは、魔族が死んだ際、稀に長い時間をかけてその洞窟内の“転生ノ檀上”に前世の魂ごと肉体を転移され、膨大な魔力を有した魔王となり得る素質を秘めた存在として転生する事がある……実に希少価値の高い聖域なんだよ。まぁ聖域と言っても、アタシ等人間には厄介な領域だがね」
「ト、トランス?魔王として転生される場所?」
俺はローザさんの言葉に思考が遅れないように必死に聞く耳を立てていたが、既に頭の中はキャパオーバーだ。理解が追い付かない事は直ぐに質問して解決していこう。
「質問です」
「どうぞ?」
「えっと、先ずは……キング・バース?魔王が生まれちゃうような場所って簡単に言いますけど、聞く限りじゃ相当物騒な場所じゃないですか。何で放置してるんですか?」
俺はこの世界に転生して間が無いから人間と魔族の共存関係がどの程度なのか知らない。
だけど、大体は種族の違いでいざこざとか起きる物だろ?
しかも魔王の誕生する場所と言われたら、人間側からしてみればそんな場所があるってだけで不安では無いか?
むしろ不安に苛まれているのは俺の方だけど。
「……」
ローザさんはそれに対して、特に否定も肯定もしなかった。
強いて言うなら、俺の意見には当てはまる所も、外れている所もあるって感じだ。
「あの、ローザさん?」
「………まさかとは思っていたが、本当に知らないようだね」
「え?」
ローザさんは顔を顰めた。
手にした湯呑みを口に運び、お茶を啜った。
そして―――
「今現在、魔王は全部で六人存在している」
爆弾発言、投下。
「結構いる!?」
魔王って一つの世界に一人なんじゃないの?知らんけど!
「魔王が六人も…?」
「何だったら七人目も割と最近まで居たよ。そいつが“終焉ノ洞窟”から転生したのは約百年前だ。人間に害をなす危険思想の奴だったが、結局は冒険者が百人程度、英雄級冒険者二人、そして一国の王子が協力して討ち取られた程度の力しか持たない弱小魔王だったけどね」
「おぉ!冒険者!」
遂に“冒険者”の名前まで出て来た。
いよいよ王道なファンタジー感が出て来たぞ。
「でもそれだけの戦力が集まって討伐された魔王が弱小って……なら、本当にヤバい魔王ってどのくらい強いんですか?」
「そうだね。最早、数なんて当てに出来ない。生物は抵抗する事も出来ず屈するしかないくらいの強さかね?」
「えぇ…」
そんなヤバいのが、この世界に六人も居るの…?
「それなら尚の事、そんな厄介な洞窟を放置しっ放しにしてたら、この世界はもうとっくに魔王達に蹂躙されてるんじゃ…?」
「ほう?右も左も分かってなさそうな小僧だと思ってたが、少しは見る目がありそうだね」
思った事を口にしただけなんだけど、今の発言の一体何処に感心されたのか?
ローザさんは話を続けた。
「お前さんの言う通り。そんな天災級の魔王共が増え続ければ、無力な赤ん坊同然の人間や弱小魔族は既に滅ぼされている―――と、思うだろうね」
「じゃあ、何で…?」
「生物の……特に感情を有している生命の滅亡は魔王にとって不利益になるのさ。魔王ってのは大抵が負の感情、或いは信仰心を糧に力を増す。最近じゃ、後者の方が多いかね」
「信仰心が、魔王の糧になる?」
「自身を“神”の様な存在として君臨し、より多くの信仰心を持つ民を募り力を蓄える。人間側もまた、信仰すれば安寧秩序を約束される。滅亡なんてさせれば、それこそ魔王は自分の首を絞めるし、残虐的な支配で自害や謀反を起こされても同じ事。さっき言った滅ぼされた七人目の魔王が良い例だよ」
「信仰どころか嫌われるような事をやり過ぎちゃったんですね?」
「あぁ。故に力ある魔王である程、賢く他種族を支配してるんだよ。従えれば魔王の庇護下に加えられ、魔王より下級の魔族から命を狙われる危険性が圧倒的に減るからね」
「成程」
つまり、この世界の魔王は俺の概念にあるような傲慢で暴虐的な存在じゃなく、力の源となる生物の数を減らさせないよう、ある程の見返りを提供して上手く調和を保ってるって事か?
―――あれ?それってつまり…
「それって、もう既にこの世界の幾らかは魔王の支配下って事ですか?」
六人も魔王が居るんだ。現在進行形でローザさんの言う通りの政治を行っている魔王も居るはず。
俺の疑問に、ローザさんは表情一つ変えず淡々と説明してくれる。
「世界ってのは広い。支配されていない国もまだある。まぁこの町を含む南方国家の『サウサード』も遠い昔は魔王の支配領域だったらしいがね」
「紆余曲折あって、今は支配から逃れていると…?」
複雑そうな歴史の中で、人間と魔族の生存争いは絶えなかったと見える。
「と言うか、お前さん。さっきから他人事みたいに聞いちゃいるがね」
「は、はい…!」
ローザさんに指摘され、思わず背筋が伸びる。
次の瞬間、ローザさんの口から発せられた言葉に驚愕する。
「今話した通り。“終焉ノ洞窟”は魔王が誕生する場所だ」
「はい」
「つまり、お前さんがそこで目を覚ましたって話が本当なら……」
「?」
「お前さんも魔王である可能性が非常に高いって事だよ」
「は―――」
俺、思考、停止。
「………」
「………」
「いやいや~!流石にそれは無いって~!」
「現実逃避か。当然さね。だけど時間の無駄だ。無意味な抵抗は止めて現実に戻っといで」
「………はい」
ローザさんに絶対零度の視線を向けられた。
でも現実を逃避したくもなるでしょ?
ここで目覚める前は貧弱代表の非力な人間だったのに、目が覚めたら人間を簡単に破滅させられるかもしれない力を持つ魔王に転生したかもしれないなんて…
「あの。何かの間違いだと思いますよ?」
「アタシもそう思ったよ。けどお前さんが魔力乃至、魔技能持ちなのは既に証明されてる」
「はい?」
―――俺が魔力か魔技能持ち?もしかして森で炎を出した所を誰かに見られてて告げ口されたか?
「そ、そりゃあ!確かに俺は手から炎を出す事が出来るみたいですけど!殆ど無意識だし!それ以上の力なんてこれっぽっちも―――」
「ん?何だい?お前さん炎系魔術が使えるのかい?」
「え?森で俺が炎を出したの知ってるんじゃ…?」
「知る訳ないだろ」
「じゃあ、何で?」
俺が不思議そうに首を傾げると、ローザさんは俺の湯飲みを手に取った。
「この茶。不味かっただろ?」
「え?あー正直、結構マズ…苦かったです」
「毒入れたからね」
「は―――」
二度目の思考、停止。
―――今、何つったこの婆さん…?
毒入れた?マジで?あの苦みって毒の苦み?毒盛茶?
あまりの爆弾発言に俺は怒りや恐怖を通り越して、純粋な疑問をローザさんに投げかけた。
「………俺を、殺そうとしたんですか?」
「致死量の毒は盛っちゃいないよ。飲んで間も無く腹と頭に激痛が走って、丸一日嘔吐し続けるだけの軽い物さ」
「軽くない!全然重い!つーか何してくれてんですか!?」
ここでようやく込み上げてきた恐怖と怒り任せに怒鳴る。
だが毒を盛った張本人は眉一つ動かさない。
いや厳密には俺の怒声を受けて眉間に皺が寄った。
「何だい結構デカい声出せるじゃないか。見た目通り弱っちそうな奴かと思ってたよ」
「話誤魔化さないでもらえますかっ!?何で俺に毒盛ったんですか!?」
俺は殺人未遂をされて動揺が隠せなかった。
ローザさんは特に悪びれる様子も無く、俺の毒入り茶入りの湯飲みを片付けた。
今度は別の湯飲みにいい香りのする紅茶を注いで俺の前に置いたのだが、当然警戒する。
「また毒入りですか?」
「そう思うなら飲まなくていいよ」
「………いただきます」
今度は茶葉をお湯で煮出す所からちゃんと監視していたから大丈夫だろう。
この茶葉自体が毒草でなければだけど…
今はとりあえず口に残る苦みを取り払いたい。
俺は紅茶が少し冷めるのを待って、一気に飲み干した。
「………」
悔しいが、とても美味しかった。