Story.15【手負いの蜥蜴】
洞窟内に、外の雨音が微かに響いていた。
「さて。コイツはどうしたもんかな?」
「マスターよ。一先ずは拘束して様子を伺うべきでは?」
「そうだな」
奇襲を仕掛けて来たドラゴンの末裔魔族―――“蜥蜴人族”
俺達を襲って来た蜥蜴人族を返り討ちにしてすぐ、その体に結構な数の生傷があった事を確認した。
「この近くで魔族同士の抗争でもあったのか?」
「もしそうでしたら、町の方が危険では?」
「それはそうだけど、ここに来るまでに森が騒がしかった様子は無いしな…」
「では、この者に事情を聞くしかありませんな」
「だな」
俺は“治癒”を使って、一先ずコイツを助けてやる事にした。
もし師匠達の住む町に争い事が起きる様なら阻止しなければならない。
一番深手だった腹の傷も一瞬の内に完治して、蜥蜴人族の呼吸も落ち着きを取り戻した。
蜥蜴人族を横向きに寝かせ、後ろ手に風呂敷を縛っていた紐を使って拘束した。
「これで良し。素直に話してくれると良いけど」
「尚も噛み付くようでしたら、このアングにお任せを!」
「噛むなよ。良いな?」
「は、はい…」
アングに念を押し、俺達はようやく荷物を下ろした。
洞窟の奥で小さな焚火を起こして温まる。
濡れた衣服と銀毛を乾かし、地面に腰を下ろして一休みする事にした。
「雨、激しくなってきたな」
「はい。今日はもう此処で夜を明かすしかなさそうですな…」
「はぁ~。早速、先行き不安になって来たなぁ」
そう言って苦笑いを浮かべる俺に、アングは「ホントに?」とでも言いた気に目を細めた。
「マスターは多少の問題など、問題とも思われていないのでは?」
「楽観的と言いたいのか?」
「いいえ。寛大な心構えに感心しております!」
アングが誇らし気な表情で鼻を鳴らしたのが分かった。
俺を「マスター」と呼ぶだけあって、俺を高評価する内容には自分に関係なくても嬉しそうにしてくれる。
あんなに小さかった子犬がこんなに大きくなっても、やっぱり可愛くて仕方ないな、うん。
俺はアングの頭をぐりぐり撫で回した。
尻尾を振りまくって土埃を巻き上げた。
それだけは止めてぇ。
「……ん……」
暖を取っていた俺とアングの傍で眠っていた蜥蜴人族がか細い声を漏らして、身捩った。
「マスター!」
「分かってる。攻撃されるまで何もするな」
「御意。しかし…」
アングは警戒心むき出しで蜥蜴人族に向き合った。
徐々に目を開いて行く。
そして、赤紫色の瞳が姿を現した。
「ん―――こ、こは…?」
「よぉ。起きたか?」
「はっ…!」
俺が顔を覗き込むと、蜥蜴人族は冷や水を浴びせ掛けられたみたい跳ね起き、後方に飛び退いた。
アングに輪をかけた様な警戒っぷりだ。
「おいおい。急に動かない方が良いぞ?」
「何を…―――ッ!?」
急に立ち上がろうとした蜥蜴人族は、両手を縛られている事に気付くのが遅れ、バランスを崩して地面に倒れた。
「あぁ。言わんこっちゃない」
「こ、これは……一体何が……?」
「悪いな。念のために拘束させてもらった。傷も回復させたばかりだし、無理しない方が良いぞ」
「傷の…回復…?」
蜥蜴人は思い出したのか、寝転んだ状態のまま傷があったはずの腹部を確認した。
「傷が…塞がっている?」
「因みに武器は全部没収済みだ。それでも俺達を攻撃するつもりなら、今度こそ息の根止めさせてもらう」
「………」
嘘だ。
出来るだけ殺生はしたくはない。
けれど一度は襲われかけた以上、相手に対して多少の恫喝を与えても良いだろう。
蜥蜴人族は二対一(正確には一人と一匹対一人)の状況を冷静に不利だと判断したのか、目を伏せて俯いた。
「……いや。どうやら、俺は刃を向ける相手を誤っていたようだ。申し訳なかった。傷の手当までしてもらい、寧ろ礼を言わせてもらいたい…」
「あ、そう?」
―――あれ? 意外に素直だな?
潔く自身の誤解だったと頭を下げた蜥蜴人族。
根は生真面目で良い奴なのかもしれない。
一応の警戒はしつつ、俺は蜥蜴人族の拘束を解いた。
「すまない」
蜥蜴人は律儀に礼を言った。
俺は「どういたしまして」と返して、水筒に入れていたお茶を蜥蜴人族に差し出した。
「飲むか? 薬学に精通してる人が勧めてくれたお茶だ。疲労回復とリラックス効果がある。コレ飲んで落ち着いたら話を聞かせてくれ」
「これは……有難い。昨晩から何も口にしていなかったから干乾びるかと思っていた所だ」
「なら遠慮なく飲め。ついでに俺達も軽く腹拵えしとくかな」
「そうですな。アングも小腹が空きました」
俺がバッグから軽食を漁っている間に、蜥蜴人族は受け取った水筒のお茶を大きな口で一気に飲んだ。
相当喉が渇いていたのだろう。
口の端から収まりきらなかったお茶が溢れて喉元を流れていくのもお構いなしに飲み切った。
「っはぁ…! 生き返った…!」
「それは良かった」
「それに美味い。初めて飲む茶葉の味だったが、気に入った」
「“青羽薬草”って名前の薬草だ。葉っぱが羽みたいだからそう呼ばれてる。他にも一般的に治癒草だとか回復草だとか呼ばれてるみたいだけど、その呼び名の薬草ってそこら中にあるみたいだから、正式名称で呼んだ方が知的な印象を得られるぞって、俺の師匠が言ってた」
「確かにそんな薬草は俺の故郷には無いな。博識な師を持っているのだな」
「まぁね。今日がその師匠からの卒業の日だ」
「そ、そんな大事な日に野暮な事をしてしまった……申し訳ない」
蜥蜴人族は深々と頭を下げた。
「もう良いって。勘違いだったんだろ?」
「だが…」
「耳長兎の干し肉食うか?」
「あ、あぁ…頂く」
蜥蜴人族は虫が鳴く腹の音を抑えて、俺の手から干し肉を受け取った。
「さて。それじゃあ、そろそろ話してくれないか? お前が此処に居た理由」
「それは…」
「あの傷と言い、俺達を奇襲した事と言い、魔族の抗争か?もしくは誰かに命でも狙われてるのか?」
「まぁ…後者と言っておく」
言い難そうに蜥蜴人族はそう言った。
「じゃあ今お前は追われる身って事か」
「あぁ」
「それで、マスターをその追跡者と勘違いして返り討ちにしてやろうと、この洞窟で息を潜めていたと?」
「………」
蜥蜴人族は気まずそうに項垂れた。
―――命狙われれば、そりゃあ形振り構わず身を守ろうとするだろうけどさ…
「せめて応急処置位しとけよな。危うく出血多量で死ぬ所だったぞ?」
「……血の匂いを追わせる必要があったのだ。俺を追う刺客に……」
「血の匂いを追わせる?」
「んん…」
蜥蜴人族は口を噤む。
「俺達の事を、命を狙おうとしてる追跡者と勘違いして襲ったって事は理解出来た。追われてる理由まで無理に問い質す気はないよ。腹裂かれた上に命狙われてる最中の奴にこれ以上ストレスは掛けるべきじゃないし」
「だ、だが俺は、勘違いだったとは言え無関係な者を襲い、剰え慈悲までかけてもらった。このまま事の発端を話さずいる事は、蜥蜴人族の血を穢す行為と同じだ…!」
「血を穢す…ねぇ…」
俺にはよく分かんない種族本能だな。
しかし、ここまでこの蜥蜴人族から何の敵意も悪意も感じられない所を見るに、この男は決して悪い魔物ではないのだろう。
「じゃあ、話を聞かせてもらおうか。お前が命を狙われている理由の全てをな」
「あぁ。事の発端は、二日前だ―――」
そう、静かに語り始めた蜥蜴人族の赤紫色の瞳に焚火の炎がゆらゆらと揺れながら映った。