Story.13【旅立ち】
「ヨウ。薬草採取が終わったら今日はもう休みな」
「え?」
翌朝。
いつもの様に薬草採取に出かけようとする所を引き留められ、そう告げられた。
アングも不思議そうに首を傾げるが、師匠はそれ以上何も言う事なく、部屋の奥に下がった。
「師匠、昨日から様子がおかしんだけど何か知ってる?」
「いいえ。何も…」
俺とアングは不思議に思いつつ、早朝の薬草採取に向かった。
「ローザ殿はどこか不調なのでしょうか?」
「師匠に限って体調不良って事は無いと思うけどなぁ? でも心配だから、今日は早めに採取を終わらせて即効帰ろう」
「はっ」
俺とアングは駆け足で森の奥へ進む。
その様子を師匠は自室の窓から覗き見ていた。
「―――さて」
師匠は自室から出て行き、キッチンへ。
床のはめ込み式の板を一枚取り、その下からある物を取り出した。
「………」
ソレを抱きかかえ、師匠は俺達の帰りを待った。
そして―――
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「ヨウ。アタシがお前さんに教えてやる事はもう無い。明日の朝、此処から出て行きな」
「え」
薬草採取から帰って来た直後に投げつけられた師匠の発言に、俺は言葉を失った。
そして同時に、昨晩不安に感じた師匠の様子の原因も察した。
その場でただ呆然と立ち尽くす俺に、師匠は苛立つ様に告げた。
「何度も言わないよ。朝までに支度を終わらせな」
「師匠……―――」
色々言いたい事はあった。
けれど、それ等を口に出す事を、俺は無意識の内で止めてしまった。
師匠に返答する言葉が、一つしか思いつかない。
「―――……分かりました」
「よろしい」
「マスター!」
師匠は淡白にそれだけ返した。
俺の了解に不満があるアングが一匹だけ、その場で慌てふためく。
「ローザ殿! いくら何でも急過ぎでは!?」
「アング」
俺達に背を向けて外へ出て行く師匠にアングは反論したが、俺はそれを制した。
「しかし、マスター…」
「良いんだ」
こういう日が来ることは、分かっていた事だ。
昨日の師匠の様子も、免許皆伝の決意しての挙動だろう。
それにしても、唐突にも程がある言うか、なかなかに横暴と言うか…
―――全く。実に師匠らしい…。
「アング、お前はどうしたい? お母さんの墓も此処にあるし、まだ離れたくないんじゃないか?」
「……いいえ」
アングが首を横に振った。
「無論。アングもマスターにお供させて頂きます」
「良いのか? お母さんとは暫く会えなくなるぞ?」
「銀狼族の雄は一人前になった時、単身で旅をする習性があります。母上もマスターと共に旅立つ事を祝福してくれるでしょう…」
「アング…」
「それに、マスターとの約束もございます。アングはマスターの家族ですので!」
「……そうか。ありがとう」
俺はアングの頭を沢山撫でた。
口調の割に尻尾が下がってるけど、そこは見なかったことにしてやろう……アングの気持ちを無駄にしたくない。
俺はアングと共に、出立の準備を始める為に自室へ戻った。
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只でさえ物が少ない部屋の中、準備に半日もかかりはしなかった。
「アング。ちょっと外の散歩しようか?」
「御意」
気晴らしに俺とアングは町中を散歩した。
「………」
その様子を窓から眺めていた師匠。
近場の椅子に腰を下ろし、深い溜息を吐いて項垂れた。
「……呆れたねぇ。アタシらしくもない…」
師匠は妙に苛立つ頭に手を添えて、椅子の上で時間が過ぎるのを待った。
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見慣れた町並み、仕事に勤しむ町民達。
夜通し飲み明かしてたのが嘘のような活気溢れた光景だ。
「あ! ヨウくーん!」
俺の姿を見つけた町民達が、俺とアングに手を振ってくれる。
一人が俺の名前を叫べば、家の中からわざわざ顔の出して手を振ってくれる者も居た。
「あぁ、そうか…」
―――そういう事だったんだ。
昨晩の宴は、町民から俺への送別会も兼ねてたんだ。
きっと、師匠が事前に知らせ回ってたんだろう。
いつも大量の乳製品等をくれる牛飼いの娘も、今日は遠くの方で控えている。
遠くから腕が外れそうな程に手を振って―――笑顔で泣いている。
―――結局一度も夜のお誘いに乗ってあげられなかったな…。
まぁ、申し訳ないけど、何年経っても乗らなかったと思うけど…。
「何か、たった二年だけだったのに随分馴染んでたよな」
「皆、余所者だったマスターやアングに親切にして下さいましたね」
「こんなに早く出て行く事になるなら、ちゃんと恩返し考えておくんだったな」
「マスターは十分な恩を返されていますよ。だからこそ、昨晩の宴が盛大に催されたのでは?」
「……そうだと良いな」
俺はアングと共に、町中を、ゆっくり、ゆっくりと歩いた。
住み慣れた町の光景を、しっかり目に焼き付ける為に―――
・
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翌朝。
支度を終えた俺とアングは、二年間過ごした自室を掃除して、部屋を後にした。
診療所の出口まで行くと、師匠がローブを羽織り、風呂敷に包んだ細長い何かを両手で抱えていた。
「墓参りしてから行くんだろ。アタシもそこまで見送ってやる」
「ありがとう、師匠」
俺達は特に会話をする事も無く、アングの母でもある大樹にやって来た。
ここ二年の間に更に立派な大樹の姿となった母の姿を確認すると、アングはその根元に駆け寄り、その幹に擦り寄った。
「母上。行って参ります」
本当は離れたくない程寂しいだろう。
それでも俺について来てくれると言ってくれた事に、感謝してもしきれない。
俺も大樹の幹に触れて、暫くの別れと、今までの感謝を告げた。
―――アングは俺が守るから。どうか見守ってて下さい…。
俺とアングは、名残惜しくも大樹から離れた。
少し離れた場所で俺達を見つめていた師匠の方へ振り返り、その近くに歩み寄る。
「挨拶は出来たか?」
「はい。この町で思い残した事は、もうありません」
「そうか」
師匠はずっと手にしていた風呂敷を、俺の前に差し出した。
「餞別だ。上手く使いな」
「これは?」
「アタシのお古さ」
俺は風呂敷ごとソレを縛っていた紐を解き、中身を確認した。
「これは―――“剣”?」
長さが丁度良く、細くて軽い。
全体の恰好からして女性用の武器なのかと思ったが、師匠からの餞別である以上、俺が喜ばない訳がない。
「コレ、すっごいカッコいい! 本当に貰って良いんですか?」
「アタシが現役時代に使ってた物だ。お前さんの手には中々馴染まないかもしれないが、上手く使いな」
「ありがとうございます! 大事にします!」
「あぁ。壊したら承知しないよ?」
「はい!」
俺は受け取った剣を腰に携えた。
心成しか、剣を渡してからの師匠の雰囲気が和らいだ気がした。
重い荷が下りたような、そんな表情をしている。
「さぁ。アタシからお前にしてやれる事は、これで本当に最後だ。早くお行き。餓鬼みたいに駄々こねて長居しようとするんじゃないよ」
「こんな時まで…。ホントに師匠は師匠だなぁ…」
「何を当たり前な事言ってんだい?」
師匠はいつもの様に鼻で笑って、俺の背中を強く押した。
「今後の事は二人で上手くやって行くんだよ。泣きながら帰って着たりしたら、その首何十回でもへし折ってやるからね!」
「ちょっと地味に嫌なんで止めてください…」
それで死ねないから余計に嫌だ。
絶対泣きながら帰らないと胸に固く誓い、俺は荷物を背負い直した。
「師匠―――今まで、本当にお世話になりました」
俺は深々と頭を下げた。
アングも俺の隣で、同じぐらい深く首を垂れる。
「あぁ」
淡白で短い。
けど実に師匠らしい返答だった。
「行ってきます」
「ローザ殿。どうかお元気で」
「………」
俺とアングは師匠に背を向けて、森の向こう側を目指して歩みを進めた。
師匠との距離が離れれば離れていく程、隣に並ぶアングが寂し気に耳を垂らして、チラチラと俺の方を覗き見ているのが分かった。
「………」
―――ごめんな、アング。今、俺はお前を安心させてやれるような笑顔が作れない。
覚悟を決めていたはずなのに、やるせない様な気持ちが腹の底から込み上げる。
誤魔化そうと、歩みを進める足が速くなる。
―――出来るなら、もっとこの町で……師匠と一緒に……
そんな思いが何度も過る。
しかし、師匠の意思も分からない訳ではない。
俺が自立する事を、この人は何よりも望んでいると、分かっているから…
―――さようなら、師匠……
心の中で別れを告げて、更に歩みを進める。
しかし―――
「ヨウ!」
突如、背後から名を呼ぶ声が聴こえた。
聴き慣れた声。
今、一番聴きたいと思っていた声。
俺は反射的に声がした方へ振り返った。
涙の溜まった視界の所為で、目に映る光景が歪んでいた。
だからきっと、アレは目の錯覚だろう。
歪んだ視界の先には、美しい銀色の毛並みをした狼の姿をした幻影と―――
「元気でやるんだよ…!」
師匠の―――“母親”らしい優しい笑顔があった。
「―――ッ!」
気付けば、俺は師匠に駆け寄って、その老いた細身を抱きしめていた。
涙が止まらない。
離れたくない寂しさが体中に広がって行く。
けどそれ以上に、俺の旅立ちを祝してくれるこの人の想いに応えたいという気持ちで、全身が温かくなる。
嗚咽で震える身体を、師匠の手が優しく撫でてくれる。
頭の片隅で、きっと二度とこんな風に甘やかしてくれる事はないな…、などと考える。
多分、次にこんな状況になったら、強烈な拳骨を食らいそうだ。
独り立ちして一端の大人になると思っていたのに、俺はまだまだ子供のままだ……
―――どうしようもない程に、この厳しくて優しい“母さん”の事が大好きなんだから。