9話 油断大敵を身を持って実感する
「お帰りなさい!」
バイトから帰った俺を出迎えてくれたのは、風呂上がりでいつも以上に良い匂いがする女の子だった。
髪を下ろしているから昼間とは雰囲気が変わっていて、思わず「家を間違えました!」と言って玄関扉を閉めそうになった。
口調からして氷奈だろうけど。
今の氷奈は淡いピンクと白のボーダーのルームウェアという格好。
よく似合っているのだが、短パンなのでドキッとする。
夜も更けているので、その格好で応対しない方がいいんじゃないかと思わず心配になったほどだ。
インターホンで俺だと確認したから開けたのだと分かっていても。
ちゃんと家の鍵は貰っているんだが、女子だけしかいない家に予告もなく入るという犯罪臭に耐えかねて呼び鈴を押した俺はヘタレではない。紳士である。
「ただいま、氷奈」
結局、双子のことは脳内での呼称そのままに呼び捨てすることになった。
スーパーでエコバッグに品物を入れている時に雪奈が、
『私も呼び捨てにするから、おっ、お互いそれでいいわね!』
と真っ赤な顔で言ってきたので、そうさせてもらうことにした。
ちなみに雪奈からはまだ呼んでもらっていない。
その日が来るのはいつになることやら。
それにしても「ただいま」って言うのも、変な感じがして慣れんな……。
むしろ「お邪魔します」と言いたくなる。
家の雰囲気も大きさも、前の家とは全然違うし、玄関からしてデカすぎだろ。何人招く気だ。
…………ま、まさかホームパーティとかしないよな?
よし、その時は滝に打たれてでも全力で風邪を引く! 根性でひく!
「凌ちゃん、氷奈の髪型変わってるのに、よく分かりましたね」
先走った決意を固めていると氷奈が驚いて目をパチクリする。
「ああ、うん。喋り方とかで」
雪奈はそんな笑顔で出迎えたりとかしてくれないだろう、とか思ったなんて口が裂けても言うまい。
「えへへ。そっかぁ」
失礼なことを考えている俺の横で、氷奈が嬉しそうにふにゃりと笑う。
うん、やっぱこの表情は雪奈にはない。絶対ない。
「凌ちゃん、先にお風呂に入ります?」
「いや、腹減ったから飯にするよ」
雪奈の姿が見えないから遠慮してそうしたわけじゃないのだ。
この家には各階に風呂があるので、雪奈が今入っていたとしてもバッタリ出会うなんてことにはならない。
夫婦は一階、俺は二階、双子は三階を使うことになっている。
洗濯機も一階と三階に一台ずつあり、双子とかぶることはない。
どうだこのラブコメを殺すような充実の設備!
実はこの仕様、直純さんが双子に対する予防線で設置したものらしかった。
曰く『お父さんの後のお風呂に入りたくないとか、お父さんの下着と一緒に洗わないでって言われたら、私は死ぬ……!』だそうだ。そんなんで死ぬなよ。
そう言わせない状況にする為の措置なんだそう。
俺の洗濯物が直純さんの下着と一緒に洗われる複雑な心境にも気付いてくれ。
よく知らんおっさんのパンツと一緒なんだぞ。複雑だろうが。
「なんかこの会話、新婚さんみたいですね」
「へ?」
「ご飯にする? お風呂にする? それとも……ってやつです」
照れながら何を言ってんだこの子は!?
最後を選んだら俺は確実に直純さんに抹殺される。いや雪奈が先で二度殺される。
「なーんて。じゃあ、レンジで温めておきますねー」
パタパタとキッチンへ消えていく氷奈。
温めるのは俺がバイトに行く前に作っておいたオムライス。
だから安心。なはずなのに、俺は動悸が止まらなかった。
* * *
うがいと手洗いとクールダウンを二階で済ませてダイニングへ降りると、さっきまで見なかった雪奈の姿もあった。
「……お、お帰り」
雪奈は氷奈と色違いのクリーム色のルームウェア姿で、ぎこちなく俺を迎える。やはり風呂に入っていたのか、ほんのり顔が赤い。
「ただいま」
それにしても二人とも髪を下ろすと見分けがつかないぐらいそっくりだな。
喋ると分かるけど、黙っていたら絶対分からんぞこれ。
「はい、温まりました!」
テーブルに着くのと同じぐらいのタイミングで、ネコの顔柄のミトンを手にはめた氷奈が、熱々のオムライスが乗った皿を目の前に置いてくれた。
当然ながら無事だ。さすがにレンチンでは炭になりようがないからな。
「スープも温まってますよー」
薄切り玉ねぎとベーコン、パセリが入った黄金色のスープが注がれたマグも隣に置いてくれて、湯気と同時にコンソメの良い香りがふわっと鼻をかすめた。
これも俺作。オムライスと並行して作っておいたものだ。
あとは朝食のサラダの残りも加えて夕食の完成。黒くない食卓最高……!
「ありがとう。ではいただき――あ、ケチャップ」
オムライスの表面は綺麗な玉子肌のまま。これでは美味しさも半減である。
「しょうがないわね。……ん」
冷蔵庫から牛乳を取り出していた雪奈が、ついでにこっちへ寄越してくれる。
受け取ろうとしたらなぜか氷奈に没収され、伸ばした手が行き場を失った。
「……えっと、氷奈?」
「ダメですよー、自分でかけちゃ。はい、雪ちゃん」
「は、はあ!? な、なんで私がしなくちゃいけないのよ!」
「んーと。仲直りの記念?」
どんな記念だ。
「い、いいよ別に。料理が冷めるしさ」
そういうの狙ってオムライスにしたんじゃねぇから。
「ちょっと。なんかその態度もムカつくわね」
ツンデレややこしいな!
椿ならきっと無言で豪快にバツ印を描いてくれるだろう。男らしいからアイツ。
司の方が絶対ハートマーク描くぞ。しかもおまじない付きで。食欲失くすわ。
「いいわよ、やってやろうじゃないの!」
雪奈は牛乳を一気に飲み干してグラスをやや乱暴にシンクに置くと、氷奈からケチャップをぶんどる。
その勢いだと中身を全部出し切りそうだ。やめろぉ!
「いや本当にいいから!」
「黙って見てなさいよ」
オムライスの皿も奪われてしまい、俺はもう大惨事を覚悟して目を瞑るしかない。
朝食といい、なんでメシの度に覚悟を決めなきゃならんのか……。
腑に落ちないまま瞼の裏の暗闇と過ごすこと数秒。
「ほら、出来たわよ」
雪奈の合図でおそるおそる目を開けると。
にゃーん。
「……ネコ?」
オムライスの表面には、氷奈が手にはめていたミトンのネコと同じ顔が描かれていた。
「めっちゃ上手ぇ!」
思わず素で漏れる感想。それ程クオリティが高い。
ラテアートならぬケチャアートだ!
「うちの社の人気キャラクターの一つよ。デザインしたの私なんだから」
「マジか。すげーな!」
「当然でしょ。家業はインテリア雑貨取扱いだもの」
当然だと言いながらも雪奈の態度はどう見ても得意気で、褒められた小さな子供みたいだ。
氷奈の言う通り「謝る時以外素直じゃない」と思い、ちょっと笑ってしまう。
しかしそんな微笑ましさは、氷奈の一言でフッ飛ばされた。
「なんか凌ちゃん、言葉遣い荒いですね……?」
……や、やっちまった!!




