志願
ただただ薄暗いです。
リスカ表現ありますご注意ください。
問題あったら消します。
僕には、どうしようも出来なかったのです。
暗い、カーテンを閉め切った部屋の中。何の変哲もない椅子に座り、今日も同じ行動をする。
何年も前にこの部屋にやってきた、シルバーのデスク。棚が異様に多いこのデスクの内の、一か所を開ける。バラバラと敷き詰められた大量のカッターナイフ。その中から、一番最近使ったものを取り出す。……鉄分が付着しまくったそれは、ところどころ錆びついて来ている。……今回で、寿命だろう。
嗚呼、ならば明日は新品の物が使えるということだ。別にカッターナイフは何百本とあるのだから、使いきりで捨ててしまっても構わない。だが、そこはどうも日本人。勿体ない、と思ってしまう精神が、ギリギリまでカッターナイフを使いこむ、という行動をさせている。……その方が、新品を使う時の喜びは増すけれど。
よく着ているパーカーの、左手の袖を捲る。手首に巻きついた包帯を取って、ゴミ箱に投げる。……そろそろ中身を捨てに行かないと。次に母親がいない日はいつだったっけ。カレンダーなんて大層なものは持ち合わせちゃいないから、そんなことイチイチ覚えていないや。
タオルも準備した。新しい包帯も持ってきた。うん、準備は完璧。
カッターナイフの刃を、左手首にあてる。もう幾度となく繰り返された行為のため、僕の左手は汚い茶色で塗れている。
僕は、特に何も思わずに、真新しい傷跡の上から、カッターナイフを引いた。
……ろくに栄養分もないであろう赤い液体が、タラタラと腕を伝って流れだす。ダランと下げた手は、そのまま床に染みを作るための導線となる。いつも同じ場所に手が下がるので、床の一点だけが、集中して茶色くなっていた。
タオル、用意したけど面倒くさいや。放っておこう。どうせすぐに瘡蓋になってしまうんだ。ガリガリと、古い瘡蓋を剥がす。まだ下に新しい皮膚は出来ていなかったようで、再び赤が湧き出す。……嗚呼、しんどい。苦しくはないけれど、怠い。
フラリ、立ち上がりベットに身を投げる。
意識が黒に染まる前に、見えたものは何もなかった。
特に何かが気に食わなかった訳ではない。学校生活もそれなりに送っていたし、少ないけれど友達もいた。成績も運動も、むしろ人より出来た方だった。その辺で青春を謳歌している同年代と同様、幸せな生活を送っていたと言える。……尤も、日付を数えることを放棄した僕が、今一体幾つなのかも分からないので、同年代が学生かどうかは怪しいが。僕がこの暗い部屋に引きこもってから、何年たったのか。まず、引きこもり始めた時に何歳だったか覚えていない。学生時代に引きこもり始めたのは確かだけど。まぁそんなことはどうでもいい。
ある日、僕はふと見たネット販売の宣伝に、心奪われた。
大量の、カッターナイフ。その、安売り。何でこんなものに目を奪われたのかはよく分からないが、その時の僕には宝の山のように見えたのだ。
当初からネット販売にはお世話になっていたので、買い込むのは簡単だった。親も、何を買ったのかなんて気にはしなかったし、そもそも僕自身に興味なぞなかっただろう。頻繁に問題行動を起こしていた弟ならまだしも、平凡を極めたような僕が買ったものなんて、いちいち気にも留めない。留める必要もない。
二日後にやってきた大量のカッターナイフは、その日のうちに段ボールから取り出され、デスクの引き出しの中にしまわれた。別に段ボールのまま置いておいてもよかったけど、部屋に大量に段ボールがあったら不自然に思われそうだったから。……デスクにたくさん収納があってよかった。過去の自分よ、よくぞこれを選んだ。過去の自分に拍手を送ったところで意味などないが。
最初に切ったのは、手首ではなかった。流石にちょっと恐怖心もあったし。手首側ではなく、手の甲よりもちょっと上の方。
……アムカって、言うんだっけ?まぁ、そんな感じのやつ。
出血量がそれほどでもないから、致死に値するものではない。ただ、痛いだけ。
最初はそりゃあ、すごく痛かった。けれど、同時にすごく満たされた気がした。当初はまだ色のあった肌から滲み出る、赤。すごく綺麗なものに思えて。そこから先は――まぁ言わなくても分かるだろう。
『癖』に、なってしまったんだ。こんな後ろめたい行動が。
まだアムカで済んでいた内は、学校にも行っていた。誰にも見られないように、腕を隠しながら。今思えば、よくバレなかったな、と思う。それほどまでに、僕に興味のある人がいなかったということなのか。
ある日。特に何か変わったことが起きたわけではない。けど、何となく。思ってしまったのだ。
「腕じゃなくて、手首を切ったら、一体どんなに美しいのだろうか」
と。
思いついたら、即行動。普通なら褒められることだろうけれど。僕の場合は違う。誰でもいいから、止めるべきだった。けれど、そんな人は何処にもいない。僕自身も、止められない。
死にたいとか、そんな嘆きはない。少なくとも、この行動が始まったころには、なかったはずだ。……今は、どうかは分からないけれど。心の何処かで、そんな思いがあったから、手首を切る行為にまで発展してしまったのかもしれない。結論は知らない。分からない、解らない。
リスカになってから、僕は外に出なくなった。
夜な夜な血を流しているのだ。貧血で朝起きられるわけがない。元々体力があったわけではないから、尚更。閉め切ったカーテンが、最後に開かれたのはいつだったか。何年も見ていない太陽が、懐かしいとは思えども、見たいとは思わない。
(そんな僕が、果たして『普通だ』と言い張れるのか)
手を切って、ベットに入ったらいつの間にか朝でした、なんてことはしょっちゅうあること。特に驚きはしないまま、目に映った天井を眺める。
頭が、クラクラする。起きてすぐは、どうしても血が足りなくて、頭が働かない。昨日食べきっていなかったパンと、転がっていたオレンジジュースを口にいれ、ベッドから降りる。
昨日もやらかしたから、床やデスクが酷いことになっていた。
一日経った血液は、茶色く固まり取れにくい。……床はもう今更だから、取りあえずデスクをどうにかしようかな。タオル……濡らしてこないと。
用意しておいたタオルを手に、ドアをそっと開ける。幸いにも、誰もいないようだ。僕が立てる音以外の音は、何もしない。そそくさと一階に降り、洗面所でタオルを濡らす。そのついでに、ごみ箱に溜まっていたゴミも、台所の大きい袋に移し替えた。冷蔵庫から新しいジュースと、おそらく朝作っていったのであろう、母が置いて行ったおにぎりを片手に、部屋に戻る。
ジュースとおにぎりを汚れていないところに置き、デスクを掃除する。固まりまくってすごく取りにくかったが、何とかとることができた。もう使えなくなったタオルを空のごみ箱に放り投げ、包帯を巻く準備をする。
椅子に座り、自分の手首を見る。さっき水に濡れたからか、新しい傷がまた広がりかけていた。それを無視して、適当に消毒液をぶちまける。……浸みて痛い。ガーゼの上から包帯をぐるぐる巻いて、完成。慣れすぎた、いつもの行動。
リビングで時計を見かけたとき、丁度正午だった。あと六時間くらいは、誰も帰ってこないだろう。
さっき持って上がったジュースを開け、一気に飲む。口の中でシュワシュワ音を立てるということは、炭酸飲料を持ってきてしまったらしい。……ちゃんとよく見て持ってくればよかった。あんまり炭酸、好きじゃないんだよな。弟が好きでよく飲むからか、冷蔵庫にはいつも黒か透明の炭酸飲料が入っている。
……僕が炭酸飲料を飲まないのは、弟の分のジュースまで飲んでしまったら申し訳ない気がするから、というのもある。そんな気持ちが幼少期から存在した僕には、自然と炭酸飲料を避けるスキルが身についてしまった。親も、僕にはオレンジジュースやリンゴジュースを勧めてきたし。
ラップに包まれていたおにぎりを半分くらい食べ(運動しない僕に一個は多すぎる)、再びベットに横になる。何も見たくない、知りたくない。そんな思いから、引きこもりの情備品であろう漫画やパソコンはこの部屋には存在しない。あったところで、使わないだろう。余計なものは、要らない。カッターナイフさえあれば、後はどうでもいい。
そんな死にたがりの『癖』を持つ僕に、変化が訪れた。――否、訪れて、しまった。
朝。いつものように、昨日の片付けをしていた。昨日は普段より酷かったようで、デスクどころか、後ろのベッドの方にまで被害が及んでいた。あー派手にやらかしたー。そんな軽い気持ちで、僕は。
包帯も何もしていない左手を晒したまま、母のいる一階に降りてしまったのだ。
「何、したの……。××」
母親の驚愕した顔が脳裏に焼き付く。そりゃそうだ。何年かぶりに見た息子が、腕を切りまくっていたら、誰でも引くだろう。
「……」
僕は、何も答えられなかった。母に申し訳のない気持ちもあったし、僕自身、こんな行動が異常だということは厭というほど解っていたから。
母は、そのまま僕の腕を掴んで僕の部屋に入り込んだ。当然、母の目には昨日の状況が映り込むわけで。
「……酷い有様ね、××」
淡々と。呆れた声が、血の臭いの残る部屋に響く。厭な響き。
「腕……見せなさい。早く」
言われた通り、左手を晒す。昨日は普段より酷かったので、まだ傷が乾いていない。それを見た母は、顔を顰めた。
「……この部屋の様ね、貴方の腕は」
「……どうゆうこと?」
何年かぶりに出した僕の声は、掠れすぎていて自分の声じゃないみたいだった。音として認識されたかどうかも怪しい。……現に、目の前の母には、理解されなかったようだ。僕の疑問を、ため息だとでも思ったのだろう。僕の疑問に、答えをくれなかった。
「……貴方は弟とは違って、聡明だと思っていたのだけれど。どうやら、私の思い違いだったようね。貴方を信用して放っておいたけれど、間違っていた。私は悲しいわ、××」
僕には、理解し難かった。目の前の母は、一体何を言い出そうというのか。悲劇のヒロインでも演じているような、中身のない空っぽの顔。――母は、こんなにも感情のない顔をする人だっただろうか。
「こんなに切り刻んで……。痕が残ってしまうことくらい、分かったでしょう?貴方がこんな愚かなことをするなんて、思ってもみなかった。……正直、失望したわ」
母の目に、僕は映っていなかった。ただ、軽蔑の眼差しが、そこにはあった。
「こんなことして、何が楽しいのか知らないけれど。こんな馬鹿なこと、もうしては駄目よ。今更遅いけれど。……ああ、それと。来週から、学校に行きなさい。こんなことに時間を使っていたなんて思っていなかったから、学校の方は放っておいたけど。もう必要ないわね。手続きは私がしておくわ」
機関銃のようにまくしたてると、母は満足げな顔をして部屋を出て行った。その顔はまるで、誰かを救ったヒーローの様な、清々しい顔だった。
――吐き気が、した。……気が付くと、包帯だらけのゴミ箱の中に、胃の中の物を全てぶちまけていた。独特の、酸っぱい匂いが充満する。
嗚呼、何で、何で。こんなにも虚しくて、哀しいのか。
僕ですら解らないことが、他人に理解されるわけがないと知っていたのに。慰めてもらいたかったわけでもないのに。どうしてこんなにも、涙が止まらないのだろう。
母に、軽蔑されたのだと。僕の頭は、理解できた。母は、僕を解らなかった。解ろうともしなかった。
……今すぐ、切りたかった。手も足も耳も目も、全部全部斬り落としてしまいたかった。けれどそんなことをしたことで、ただ嗤われるだけ。今までの僕以上に、愚かしいだけ。
「……こんなはずじゃあ、なかったんだけどなぁ」
掠れきった声は、僕だけにしか聴こえない。……それでいい。僕の声なんて、誰にも聴こえなくていい。もう、理解者なんて幻想を、無意識にでも求めてなるものか。
グシャ、リ。歪む、『癖』。
「ねぇ××君!放課後駅前のアイス屋さんに行かない?新作が出たんだって!」
制服の少女が、駆けてくる。
「へぇ、そうなんだ!うん、今日は何もないから、いいよ」
「やった!」
僕が了承すると、彼女は嬉しそうに笑った。
「あ、そうだ。来週誕生日だよね?よかったら、是非何か贈らせて欲しいな」
「え、いいの?ありがとう、嬉しい!」
彼女の反応に、笑みを返した。
――僕の『癖』は、変わった。左手の傷が増えることは、もうない。
駅前の、踏切の多い通りに着く。隣を歩く彼女は、先ほど僕が買ってあげたブレスレットを、大事そうにつけて歩いていた。幸せそうな顔。誰がどう見ても、円満なカップルにしか見えないだろう。事実、彼女と僕の関係は中々うまくいっている。
年齢相応の学年である、高校二年生に戻った僕には友達や先輩、大切な人――が、たくさんできた。
誰からも、愛されるような。引きこもって自傷をしていた人間とは、思えないような。そんな人間であるように。
セカイを、『設定』した。
「……ただいま、母さん」
「あら、お帰り、××」
玄関を開けて、リビングにいる母に帰ったことを告げる。きっと今の母の顔は、満足気に歪められていることだろう。見なくても分かる、吐き気のする顔。
――それで、いい。母は、何も知らなくていい。僕が、引きこもりから社会復帰したと、思っていればいい。立ち直ったと、可哀想な息子を救ったのだと、そう胸を張っていればいい。
散歩に行ってくる。そう言って僕は家を出る。すっかり暗くなった外は、とても過ごしやすかった。……もうすぐ、秋が来るのだろう。
やたら踏切の多い通学路。不良が屯すという裏通り。交通量の多い国道沿い。――何があっても可笑しくない可能性のある場所を、転々と歩くのが、僕の日課。
これが、僕の『癖』。
「出来るだけ生存確率の下がる場所を通る」
母は、僕の『癖』は治ったものだと思っているのだろう。だが、そんなことはない。――むしろ、悪化している。
「――誰かに殺されたいなんて、僕も大概愚か者だよね」
自分で自分を嗤いつつ、暗がりを進む。
自ら死を選ぶことを嗤うなら。他者的要因の死であれば、母も認めてくれるのでは。そんな浅はかな思考――他殺志願。
「……嗚呼、誰か早く僕を殺してくれないかなぁ」
病気でも交通事故でも殺人でも。僕を殺してくれるなら、何でもいい。自殺以外の、死に方なら何でも。
だから、どうか早く。
「誰もが認める他殺要因を、僕に頂戴?」
(自らがその身に刃を向けることだけが、本当に自殺志願なのか)
End




