8.冗談で
偶然にも桜と通う学校が同じだった織。昼休み、どこの部活に入ろうかと悩んでいた時、桜からある部活に誘われた。
自己紹介の後は質問攻めと苦手な数学と現代社会の科目が待ち受けていて、必死にノートを取っているうちに昼休みに入っていた。
織は桜と一緒に食堂で食事をしていた。昼になると人がごった返しになり用意されたテーブルや椅子は瞬く間に生徒で埋め尽くされた。
「ねえシッキー、演舞同好会に来ない?」
桜は大盛りのカツ丼を頬張りながら織に提案を持ち掛けた。織は突然の提案とその内容に顔を顰めた。
「何だいきなり。えんぶどうこうかい?」
「うん。アタシとかヤマ先輩みたいな武道を心得ている人が集まって演舞をするの。文化祭とか運動会とかちょっとしたイベントとかで呼ばれて演舞を披露するのよ」
「ふうん。で、ヤマ先輩て誰?」
「え、知らない? 三年の山上 天照。左目に黒い眼帯をしている超絶美人」
織はあの日いきなり刀を抜いてきた美女を思い出していた。
(ああ、あのおっかね~ねえちゃんか)
「そもそもこの同好会、表向きでは演舞をしているけど裏ではアタシ達術者が集まって、妖の調査とか討伐に向けた準備とか色々しているのよ。顧問も神楽坂先生だから色々やり易いと思うわよ?」
桜はコップの水をグビグビと喉を鳴らして飲んだ。愛らしい容姿とは裏腹にやる事成すことが全て豪快だ。織は暫く宙をぼーっと眺めると再び桜に向き直った。
「―――入部するよ」
「あら、意外とあっさり決めるのね。もっと悩むかと思った」
「まあ、妖退治に協力すると言った以上、必然的にその同好会に行くことになるだろうしな。右腕の事も気になるし」
「じゃあ決まりね。ホームルームが終わったらアタシと一緒に来て。案内するから」
「わかった……ところでさ」
「ん?」
「さっきから他人の弁当の中身をちょこちょこ食うのやめろ。焼きそばに至っては全部桜の胃の中へ消えて行ったぞ」
「違うのよシッキー、焼きそばがアタシの口の中に吸い込まれていくのよ」
「お前が吸ってんだよ」
織はその後桜に半分近くを食いつぶされた弁当を平らげ、二人で教室に戻ろうとした時だった。織は何かを思い出したかのように「あっ」と声を出した。
「そういえばさ、山上 天照のクラスは何組?」
「ヤマ先輩? 四組だけど」
「わかった。先に戻っててくれ」
「どうしたの?」
「ちょいと野暮用」
そういうと織は階段と廊下の踊り場で桜と別れ、階段を早足で駆け上がった。三階まで登ると左右に伸びる廊下を見渡し、標識を確認した。「3-4」の文字を見つけるとその教室へ向かった。扉を開けるとクラスの学生数人から注目されたが構わず目的の人物を探した。
(ん? なんだあれ)
「なあ山上さん、今日の放課後カラオケでもいかない?」
「……」
「そうツンケンしないでさあ、俺達と遊ぼうぜ」
「邪魔」
黒い眼帯の美女―――天照が背の高い男子生徒三人に囲まれている。雰囲気や聞こえてきた会話の内容から放課後の付き合いのお誘いと言ったところらしい。天照は菓子パンを食べながらスマートフォンを操作していて男子生徒には見向きもしなかった。織は軽くため息を吐いた。
(うわあ、入りづれえなあ。『アレ』を渡したいだけなのによ。特にあの三人、『いかにも不良ですよ』みたいな雰囲気と見た目がいただけん)
三人とも身長と体格が大きく、織は特に天照の正面に立っているオールバックの男子生徒を警戒しつつ、彼らの間を半ば押し入る形で天照に歩み寄った。
「こんにちは山上さん。ちょいといいですか?」
「……なに?」
雰囲気は三人組と同じく氷のように冷たかったが目だけはこちらを向いてくれた。それだけでも織の心の中にはちょっとした安堵感があった。織はポケットの中を弄ると『アレ』を取り出した。
「 コレ、落としていたので届けに来ましたよ」
織は手に取ったものを差し出すと天照の目が大きく開いた。青い音楽プレイヤーだ。
「 なんであなたが持っているのよ?」
「 渡そうとした時に、先輩がいきなり切り掛かってきたんでしょ」
すると天照は当時の経緯を思い出したのか、頬を赤く染めた。荒々しく音楽プレイヤーを取り上げると顔を背けた。
「 ……あなたが変な右腕しているから悪いんでしょ」
「いやそれに関しちゃあ不可抗力ですよ。とにかく、ソレはお返ししたので僕はこれで」
織がその場を立ち去ろうとした時、後ろから肩を掴まれた。この時点で織は懸念していた事が起きてしまったため、小さく溜め息をついた。
(だからチンピラは嫌いなんだよ……)
「オイ、お前一年だよなぁ? 人が話している時に突き飛ばして割り込んで来て、何様だコラ」
「そうだったんですか? 山上先輩が無反応だったので、てっきり先輩の周りで大きな独り言を喋っているのかと思っていましたよ」
織は挑発してからやってしまったと後悔した。オールバックの生徒はこめかみに青筋を浮かべて織の肩を掴む手を震わせていた。するとごつんっと鈍い音が聞こえ頬骨辺りに痛みが滲み出てきた。思っていた以上に勢いが強く、近くの机に突っ伏した。口の中から錆鉄の味と香りが広がった。
織はちらりと教室の中を見渡した。大半の生徒は穏やかではない雰囲気に戸惑いを隠せず、少数は面白がって一定の距離を置きつつ、やじ馬となって注目していた。天照は大して驚く事も無く、かと言っても織や三人の生徒を止める素振りも見せずただ黙って見ていた。
「おい一年。あんまりナメたクチをきくなよコラ、殺すぞ」
「―――殺す?」
『殺すぞ』という言葉。チンピラやヤクザなど世間一般で言う『ガラの悪い奴ら』がよく口にする言葉だ。だがその言葉の大半は自分を大きく見せようと必死になっているだけで殺意は殆どない―――織以外は。
(殺すぞ、か……はは。かわいいなあ、お前らは『冗談で』そんな事が言えるんだからな)
「は……はっ」
「あぁ? なん―――」
オールバックの生徒が拳を叩き込むためにもう一度肩を掴もうとした時だった。突然全身の肌がむず痒くなるような気味悪い音が聞こえてくる。ぞっとするようなその冷ややかな音は背を向け机の上に突っ伏している織から発せられている。間違いなかった。
「お、お前……」
そして近くにいた三人の生徒は真っ先に感じ取った。足首からうなじに向かってゾワゾワと這い上がってくる、不気味な音を。
「ハハハハハハハハハ!!」
―――笑い声。そう理解した途端何とも言えない悪寒が全身を駆け巡った。
「お、おい!! いい加減に―――」
オールバックの生徒が織の肩を掴み今度こそ殴りかかろうとした時、ほんの一瞬だが鼻に強烈な衝撃と圧迫感が襲った。余りの衝撃と混乱により尻餅をついた。すると床にパタパタと何かが滴り落ちるような音が聞こえた。よく見るとそれは自分自身の鼻血だった。唇から鉄の味がどんどん入り込んでくる。
ふと気づいた時には視界が陰で薄暗くなり、斜め上から冷たく尖った氷柱のような気配があった。
「本当に人を殺すやつはな―――」
そこにいたのは見る者を凍えさせる、恐怖を孕んだ目を持つ―――八重河 織だった。