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6.方天戟

 やや脅迫の様な形になりながらも神楽坂の悲痛な心境を知り、妖退治に協力する事を決めた織。

 アルバイトの途中、天照の音楽プレイヤーを渡し損ねた織は学校の方へ戻った。

 「……」


 織は一度立ち止まり振り返った。そこには人も車も無く、鳥一匹いない。道路と歩道が真っ直ぐ伸び、風に吹かれた並木がざわめいているだけ。今そこにいるのは織だけだった。


 (こんなに、静かだったか?)


 あまりにも、人気がない。息を静めれば自分の鼓動も聞こえてくるぐらいだった。時刻は十八時を過ぎた頃。学校からさほど距離も離れていないから下校している学生をちらほら見かけても何ら不思議ではない。にも関わらず、居酒屋おぼろから数十分走った時には人通りが全くと言っていいほどなくなった。茜色の空が黒味を帯びてきているせいか、辺りは鈍重な雰囲気で、ゴーストタウンの中心部にいる様な錯覚を覚えた。

 町の空気に気味悪さを覚えた織は、逃げ出す様に走り出したがその足はすぐに止まった。


 油気のないバサついた長髪に、蝋燭にも見える真っ白な肌。青黒く浮かび上がっている血管がひび割れた大地の様にびっしりと手先や頬を覆っている。瞳は肉食獣の胃の中のような深い闇を映し、口角が僅かに上がって笑っている様にも見える。木の枝の様な華奢な体は女性を連想させた。

 死んでいる―――目の前で佇んでいるのが「人であるなら」一目でそう言える。だがソレから生命の面影は感じられなかった。

 さっきまで走って体中から出ていた汗がすうっと引いていき、肌寒さすら覚えた。織は「久しぶりに」感じた恐怖に引きつった笑みを浮かべた。


 「はは……何で俺って蚊とか、ユウレイにはモテるんだろうな」


 目の前のユウレイがゆっくりと歩み寄って来た。裸足でペタペタと地面を踏み、血糊の足跡を残していた。ふらついた歩みで決して速くはない。逃げ切れると思った織が踵を返して走りだそうとした途端、ソレの姿が霞んだ。そして首に途轍もない圧力が加わった。


 「がっ!!」


 気付けば織は細長い手で首を絞められていた。いきなり酸素の通り道を狭められパニックになった織は、首に絡みつく手を必死に剥そうとした。だが白くて血の気が全くない手はピクリとも動かない。


 ―――死ンデ


 ユウレイから聞こえてきた力のない擦れた声がより織の心の余裕と意識を奪っていった。織は一か八かで行動に出た。首を絞めてくる腕の肘関節に指を捻じ込み、腕を曲げさせた。体が少しばかり動けるようになった織は飛び上がり腕十字固めの要領で腕に巻き付くと、一気に体を捻じった。ユウレイは織の全体重に全身を持っていかれ投げ飛ばされた。受け身をすることなくベチャリと頭から地面に落ちた。織は咳き込み足りなくなった空気を必死に吸っては吐いていた。


 (助かった……あれが妖、か?)


 織は昼間の事を思い出した。神楽坂が言っていた「人に害を及ぼす妖がいる」と言う言葉、それが本当だという事が分かった。自分の怨霊でも半信半疑だったが、今回で確信に変わった。

 妖が呻きながらギシギシと四肢を動かし、ゆっくりと起き上がって来たのを見ると、織は一目散に走りだした。


 「冗談じゃねえぞ、霊のお世話になるのは一回で十分だ!!」


 さっき投げ技が効いたのはたまたま触れる事ができて、且つ人の形をしていたからだ。織には術者の適性があるとは言われたが、今の彼はただ呪われた人間で相手は妖。根本的に戦える相手ではなかった。

 どれぐらい走っただろう。何回十字路を曲がっただろう。もう覚えておらず数えるのも諦めた。とにかく走って走って走り続けた。ほんの数センチでも遠くへ、ほんの数秒でもあの姿を見たく無かった。

 織は偶然にも目についたマンションの陰に飛び込んだ。大きく呼吸して荒れる息を鎮めた。未だに続く町の不気味な静けさが織の心音を大きくしていた。織は唾を飲み込むと息を殺してそっと片目だけを覗かせた。

 薄暗い空間からは何も感じられなかった。足音も息遣いも、生き物の気配も無かった。物陰や木の枝の間まで目を配り、薄ら笑いを浮かべた妖の姿を探した。だがどれだけ視界を廻らそうともそのようなものは見当たらず、極限まで抑えた自分の呼吸だけが感じ取れただけだった。

 緊張が少し緩んだせいか織は再び身を陰に戻すと、空気が抜けていく風船の様にズルズルと腰を落とした。大きく息を吐くと手足を放り投げて背中から後頭部までを壁に預けた。


 「はあ……もう走んねえぞ」





 ―――死ンデヨ





 織は覚えのある鼓膜の振るわせ方に悪寒を感じた。いる。それも、ものすごく近くにいる。どこだ? どこにいる?

 どこからか感じる視線を探し求めて、落ち着きの無い子供の様に周りを見渡した。ふと顔を上に向けた時、文字通りの目と鼻の先に、闇を孕んだ一対の眼球と口角が上がった口元があった。まるで蜥蜴の様に両手足で壁に張り付いていた。


 (―――動けない)


 織は動けなかった。見えない銅線で縛りつけられているかのようにピクリとも動かすことができなかった。獲物に這い寄る白蛇の如く、二本の腕がスルスルと織の喉元に巻き付いていく。織は恐怖から目を背ける事も出来ず、少しづつ首が閉まっていく閉鎖感を感じながら、近づいて来る死神の足音を聴く事しか出来なかった。


 「「下を向いて!!」」


 織は町の気配には不釣り合いな、気迫のある怒声に目を覚ました。まだ少し動かせる頭部を自分の下腹部を見るように下へ向けた。

 頭上に一迅の風が通り過ぎ、ばすっと鈍い音が鳴った。すると二本の白い腕がぼとりと地に落ち、首回りが軽くなった。


 「走って、早く!!」


 ややハスキーな声が聞こえると、腕をぐんと引っ張られ転びそうになるが体勢を持ち直して走った。茶色で長いポニーテールをした学生服が片手で織の手を引っ張り、もう片方の手で棒状の物を握っている。そして棒状の先端には日が暮れた街中でも、街灯の光一つで強く反射光を放つ刃が複数あった。


 (……方天戟(ほうてんげき)?)


 槍のような刃の両側に左右対称に「月牙」と呼ばれる三日月状の刃が付いている長槍の一種。

 それよりも織は前を走る長髪の学生の後ろ姿にどこか見覚えがあった。その記憶が頭の奥で顔を出そうとしているが霧がかかって思い出せない。


 「ねえ絆創膏の君!! あの妖が見えるの?」

 「え? あ、ああ。どうやら見えているっぽい」

 「りょーかい、とりあえずアレがまた襲ってきたら追っ払うから、しっかりアタシのケツについてきてね。絶対離れないでよ」


 織は女性の声も誰かと似ていて気になっていた。雰囲気も身に覚えがある。意を決すると恐る恐る声を掛けてみた。 


 「あの、名前―――」

 「止まって」


 女性が織に向かって手を伸ばして急停止した。織も急ブレーキを掛けてギリギリぶつからずに済ませた。


 「いるのか?」

 「ええ、大勢」


 織は今になって気が付いた。自分たち二人に向けられている多数の視線を。あちこちの地面や住宅街の壁から、卵から還る爬虫類の様に這い出て来る妖たちを。

 今朝見た夢と似ていた。女性がいる事、場所が町と言う二つの相違点があるだけで大勢の死にぞこない(死霊)に囲まれているところは同じだ。

 織はこの状況で「ふふふ」と笑った女性にどきりとした。


 「いらっしゃ~い。あなたたち絆創膏の人に用があるみたいだけど今夜はアタシが遊んであげる」


 危機的な状況下、女性の声にはひとかけらの不安も絶望も無かった。あるのはこの状況下を楽しむ様な高揚感だった。

 織の数歩前へ出ると目にも止まらぬ速さで戟を振り回し、ピタリと止めて構えた。


 「そっこーで終わらせてあげる」


 周囲から感じられる視線と殺気が一気に距離を詰めて来たのがわかった。迎え撃つかのように戟が唸りを上げて刃を乱舞させた。

 運悪く町の街灯の逆光でよく見えなかったが女性の顔には余裕が込められた笑顔があった。その笑顔にはなぜか見覚えがあった。


 (あいつ、何処かで……)


 女性が戟を振り回したまま走り出した。枝と枝との間をすり抜ける蛇のように妖とすれ違いざまに首や胸などを切り裂きまた別の妖に襲いかかる。切り裂かれた妖は黒に近い赤色を地にぶちまけると風に吹かれた砂漠の砂の様にサラサラと消えた。

 女性が一匹の妖の首を刎ねると手に札の様な紙切れを一枚取り出し織に向かって投げた。


 「避けて!!」


 織は考えるより体が先に動き、大きく横へ体を傾けた。すると札は、背後から織を捕まえようとした妖の頭部に張り付いた。織は傾けた体重を利用してその妖に大振りな回し蹴りを放った。妖は驚くほど軽く、勢い良く地面を転がった。


「『破』ッ!!」


 女性が印を結んで叫ぶと、張り付いた札が眩い光を放ち、爆裂の悲鳴を上げた。周囲にいた妖達は爆風に巻き込まれた。


「やるじゃん!! 格闘技でもしてたの?」

「色々とな!!」


 女性も戟も早すぎて妖たちがまったくついていけてない。一匹。また一匹と切り捨てられ、白い砂が宙を泳いだ。水の流れの様な無駄のない動きに織は下を巻いていた。


 再び静寂が訪れたのは刹那の事だった。気づいた時には辺りに白い砂粒が風に流されていた。

織は汗を拭う女性を見てこめかみに指を当てていた。

 ―――やっぱり見たことがある。

 近くも遠くもない身近な記憶、なぜか懐かしい記憶、自分が少年院へ行く前の懐かしい記憶。同い年の美人な幼馴染。さっきの笑顔にはその幼馴染の面影があった。多分他人の空似だろうと思う事は簡単だが、女性が振り返るとそう思う事は出来なかった。


 「大丈夫? あなた悪運が強いね」

 「―――あ」


 頭の中で可能性から確信に変わった。自分は幼馴染、蜂須賀 桜(はちすが さくら)と再会したのだと。

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