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2.始まりの手紙

 いつも通り朝早くからアパートを出たが、思っていたより日が昇るのが早い事に織は驚いた。差し込む日差しが肌をあぶり始めていた。ジトッとした汗が噴きださないためにもいつもよりも早足で目的地に急いだ。

 信号が青に変わると直進して目の前にある建物の引き戸をガラリと開けた。建物には『居酒屋 おぼろ』と書かれた看板を掲げている。


 「おはようございま~す」

 「あ、おはよう八重河くん」


 織が店内に入ると一人の女性が床の清掃をしていた。まだ開店時間前で机やカウンター席の上に椅子が挙げられていた。


 「今日は暑かったんじゃない? 水でも飲む?」

 「いや、いいですよ。それより朧さん、清掃俺がやります」

 「そう? じゃあよろしくね」


 朧と呼ばれた女性は織に掃除道具を手渡し厨房の方へ向かった。

 ―――月詠 朧(つくよみ おぼろ)。この居酒屋を一人で経営する女主人だ。背が高く、抜群のプロポーション。真珠のような麗しい肌に艶のある髪は腰より長く、後ろで一本結びをしている。そして妖艶で整ったルックス。誰もが憧れる美女だ。彼女は少年院を出て、行く当てもなく迷走していた織をアルバイトとして雇ったのだ。織にとっては闇のなかで光る一筋の光だった。


 「今日は金曜日だから忙しくなるわね」

 「また酔っぱらったオヤジの愚痴を聞いたり、大学生からナンパされたりされますね」


 織は苦笑いを浮かべながら箒と塵取で床の砂やほこりをかき集めた。朧は厨房で食器の整理整頓をしていた。


 「楽しそうでいいじゃない。それに、こんなオバサンでもナンパや合コンのお誘いしてくれるんだから、決して嫌な気分じゃないのよ」

 「何言ってるんですか、朧さんにオバサンの四文字なんか当てはまらないですよ」

 「もうすぐアラサーよ」

 「歳よりハートっすよ―――あ、掃除終わりました」

 「ありがとう。じゃあ割り箸を補充しておいて、あと醤油もね。あ、それとキヨヒメに餌あげて。」

 「了解です」


 織は各机を廻って割り箸を追加し、醤油が入った小さな筒に醤油を補充した。一通りやり終えると厨房の奥にある客間に上がった。入ってすぐ左の棚の上に透明なケースがあり、その中には一匹の蛇がいた。シロマダラと言う蛇で数や目撃証言が非常に少ない事から幻のヘビと言われている。キヨヒメとはこの蛇の名前だ。

 長い体のほとんどは土に敷いてある枯葉で隠れていて、辛うじて頭部が見えていた。


 「おーいキヨヒメ、飯だぞ」


 織は棚の下に置いてある虫かごを取り出して中に手を突っ込み、指先に柔らかく湿った感触をつかむとそのまま引っ張り上げた。指先にはジタバタをと手足を動かしている活きのいい雨蛙がいた。その蛙をキヨヒメが入ったケースに入れると、大人しかったキヨヒメが舌を出して動き出した。獲物の臭いを感じ取りゆっくりと枯葉の間から這い出てきた。蛙が出口を求めてケースの壁にぴょんと張り付くと、キヨヒメは目にも留まらぬ速さで喰らい付いた。


 「••••••あんな美人が爬虫類好きだなんて、ギャップが激しすぎるよ。俺は好きだからいいけど」


 キヨヒメが蛙を足からゆっくりと呑み込んでいく様を暫く見届けると厨房の方へ戻った。


 「今日も美味そうに喰ってましたよ」

 「それはよかった」


 織と朧の他愛のない会話が続きながら、店の準備を進めていた。

 十七時を過ぎれば客が入り始め、二十時には店の中は慌ただしくなる。酒やつまみを囲んで大声で笑う人や、カウンター席で黙々と食べ続ける人、朧にずっと話しかけてちっとも注文しない者もいた。


 「すみません、生ビール二つ」

 「はーい!! ただいま」

 「追加注文いいか?」

 「はい、少々お待ちください!! 朧さん二番に生二本入りまーす!!」

 「はいよ~」


 織はメモを取っては皿やグラスを配り、店内をせわしなく動き回った。朧はカウンター席の客と会話しながら包丁を素早く上下させ、フライパンを揺らした。

 客も大分減っていき、残るは仕事終わりのサラリーマン数人がカウンター席で顔を赤くして朧と雑談していた。美味な料理だけでなく、朧の妖艶な微笑みが中年男性たちの酒をより加速させていた。織は朧と同じ厨房へ入り、主に皿洗いや片付けに勤しんでいた。


 「それにしても朧ちゃんはどっか嫁さんに行かないのかい?」

 「生憎相手がいないのよ」

 「ちくしょう!! 朧ちゃんの様な美人にもっと早く逢いたかったあ!! そうだったらぜってえ今の嫁とは結婚しなかったのによう」

 「本当にそうだぜ、俺の嫁なんか家に帰っても横になってテレビ見てるだけだからなあ!! お疲れ様の一言もありゃしねえ、朧ちゃんは違うぞ? 美人で飯は美味くて、楽しく会話してくれる」


 朧は男たちの愚痴や嘆きを面白おかしく聞いていた。


 「へい、スライストマトお待ち」

 「おお、ありがと坊主」

 「そろそろ帰らないと嫁さんに怒られるんじゃないの?」

 「やめろよ坊主、楽しく飲んでいるのに嫌な事思い出させないでくれ」


 どっと盛り上がる客席に織は安らぎを感じていた。織は賑やかな環境が少しでも長く続くよう、心の奥で祈っていた―――右手にある髑髏の痣から聞こえる悲鳴から気を逸らしたかったから。

 外はすっかりと陽が落ち、車や建物のライトがそこら中に灯っていた。閉店時間が過ぎ、机の整頓や残りの皿洗いをしていた時、朧が「あ、そうだ」と言って厨房の奥から出てきた。


 「八重河くんに手紙が届いてたの忘れてた」

 「手紙?」


 朧の白く細長い手の先に封筒があった。織は受け取ると天井の電気で中を透かして見た。中には折りたたまれた紙が入っている。封筒の端に『八重河 織 様』とだけ書いてある。


 「殺害予告だったり」

 「物騒な事言わないの」


 口を切り紙を取り出してパラパラと開いた。ざっと全体を見るとそれ程文章が綴られているわけでもなかった。横書きに書かれた文を左上から目を流していく。

 織が文を読み進めるにつれて表情が険しくなってなっていくことに朧が気付いた。

 「どうかしたの?」

 「朧さん。『県立香久山かぐやま高校』て知ってますか?」

 「ああ香久山高校ね、中高一貫の高校よ。結構ボンボンやお嬢さまが多いらしいわね。部活動も強いし••••••それがどうしたの?」

 「その高校から、『ウチに来てほしい』て••••••」


 朧はそっと手紙を受け取り、内容を読んだ。


 「『我が校は貴方を迎え入れる準備が整っております。もし入校をする際、以下の条件を承認して頂ければ一定の奨学金と過去の不問を保障いたします。


 一つ、特別な事情を除き無遅刻無欠席でいる

 一つ、何かしらの部活動に所属する

 一つ、事件や暴力など事案を起こさない


 今、我が校には貴方の体質(ちから)を必要としています。是非とも御入校の程よろしくお願いいたします』

 学校からのお誘いじゃない。良かったじゃないの、学校にも行けて奨学金ももらえるのよ」

 「••••••別にいいですよ、学校なんか」


 織の表情はより険しくなっていた。


 「どう考えても怪しすぎるでしょ。こんな安い条件で人殺しを学校に招くだけでなく奨学金だなんて」


 織は包帯で巻かれた右手を見つめた。


 (何より、体質て••••••この学校俺の怨霊の事知ってんのか?)


 織は右手の髑髏の痣は親に無理矢理掘られた刺青だと言ってごまかしてきたが、自身に宿っている怨霊の事は誰にも言っていない。この学校は知ってそうな口ぶりだった。

 朧は織の肩に手をやった。


 「色々あったのでしょうけど、まずは行ってみたら? アルバイトなんかどこにでもあるしどこでも行けるけど学校はそうもいかないからね。もし合わなかったら辞めればいいじゃない。その時は、またここで働いたらいいわ」

 「朧さん••••••」

 「学校は善人だけが通ってテストの点を取るだけの場所じゃないのよ。善人も罪人も色んなお友達と笑って泣いてケンカして恋をして••••••色んな人が色んな人と向き合う場所よ。きっと楽しいわ」


 織は僅かに視線が泳いだ。


 「でも、もし行ったらここに来る時間が遅くなるだろうし、金もかかるだろうし」


 朧は明るく笑い飛ばし肩を叩いた。


 「男の子でしょ? そんな小さな事は気にしない!! 困ったら私が助けてあげるから」


 朧はどんと胸を張る仕草を見せた。胸にある豊かな双丘が僅かに揺れた。


 「••••••本当に、いいんですか?」

 「私はここでずっと働くよりは、色んな友達と出かけに行ってほしいわ」


 織は肩の力がすっと抜けていくような感じがした。


 「••••••明日行ってみます」

 「いってらっしゃい」


 織は手紙を持って店を出た。この決意が運命を大きく揺るがすものだとは織は気付かなかった。

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