1.プロローグ
「お前は人を殺した。だから俺はお前の『父親』を辞める」
狭い部屋では低く小さい声もよく響いた。
小さな穴が幾つか空いた硝子を挟むように、二人の男が話をしていた。屈強そうな体格でスーツ姿をしている男と、その後ろですすり泣きしている女性が一人。そして硝子の奥にいるのは中背中肉で目が細い少年。彼らはほんの数秒前までは家族で、親子だった。
「••••••は? 何言ってんだよ父さ」
「『父さん』と呼ぶな!! もう俺たちは赤の他人なんだ!!」
スーツ姿の男は鬼の形相で声を荒げた。
「待ってくれよ!! 父さんは前に言っていたじゃねえか、悪には正義の力を振るえって。確かに俺はやり過ぎたかも知れねえけど、それは―――」
父と言われた男は少年の眉間めがけて拳銃を突き付けた。冷たく暗い穴が硝子にコツンとぶつかった。少年はそれを見て固まった。
「それは、なんだ? 仕方がないとでも言いたいのか、ならお前の額にトンネルを作っても仕方がないわけだ。お前も立派な『悪』だからな」
男は銃の撃鉄を寝かした。これで引き金を引くとすれば、あとは簡単だ。少年はその後の光景を想像したのか、冷たい汗を掻き、口が開いた。
男は懐に拳銃をしまい、席から立ち上がった。
「警察官の息子が大量殺人鬼など知られたら終わりだ。俺だけじゃ無い、母さ―――幸子もだ。仕事どころか表も歩けなくなる」
男は椅子を荒々しく退かし、部屋を出ようとした。
少年は胸の奥に亀裂が走っていくのがわかった。その亀裂から黒い靄が噴き出そうとしていて、それに飲み込まれそうな気がした。怖かった。目の前で大切にしていた最後のものが消えていき、自分一人がぽつんと残るのが恐ろしくて堪らなかった。
少年は目を潤ませて弱々しく言った。
「―――とうさんは、俺より仕事の方が大切なのか? 」
「当然だ。愛だけでは何も護れない••••••お前が良い例だ」
男は色が失せた目を一瞬だけ向けると、何も言わず部屋を後にした。亀裂はどんどん広がるばかりで靄が漏れ出してきた。少年は藁にも縋る気持ちで部屋に残っている女の方へ向いた。
「母さん、母さんは違うよな!? 絶縁なんてしないよな!?」
女は顔を俯きにしてずっとすすり泣きをしていて、返事をしなかった。すると部屋の扉の方へ歩き出した。少年は息を飲んだ。
「母さん待ってくれ!! 俺を••••••俺を一人にしないでくれ」
「••••••さよなら、織」
女はそういうと逃げ出すように部屋を飛び出した。
少年は糸が切れた人形の様に膝から崩れ落ちた。亀裂が端まで広がり、大きな破片から崩壊した。黒い靄が勢いよく噴き出し少年を包み込んだ。
「••••••そうか」
少年は目の前の光景を見て理解した。自分の置かれた状況を。辺り一面に広がる深い暗闇。何もなく何も見えない何も感じない。
「空っぽなんだ、俺」
時計の針は二十一時。すべてを失った少年―――八重河織が生まれた時だった。
織は生気が抜けた顔で宙を眺めた。
「いや、無い事も無いか。罪がある、汚名もある。それに」
織は右袖をまくり、前腕に巻いている包帯を解いた。その腕には髑髏の形をした痣があった。
「―――怨霊もいる」
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