ニャンニャンビーチ
ーあなたは神様がいると信じるだろうか?
突然こんなことを訪ねるときっと宗教家か何かと思われても仕方がない。だが、私はある一定の神を深く信仰はしていない。でも神は確実にいるとしか考えられないような世界を生きている。
あれは私がバリ島に二ヶ月滞在していたときのことだ。一緒に来ていた女の子と一日遊ぶことになった。その日の遊びのテーマは最高のビーチを見つける。バリ島というのはそこら中にビーチが存在する。その中でも最高のビーチを二人で探す。これが大人の遊びというものだ。
バイクの後ろに彼女を乗せて、バリ島の気持ちの良すぎる風を浴びながらホテルをあとにした。走る道など決めていない。方角だけを決めて、あとはゆく道をテキトーに二人で選択していく。自然に逆らわず選択していけば最高なビーチは案外簡単に見つかるものだ。ビーチを見つけるまでに二人でいろんなことを話した。バリ島の話とか、日本の忙しさとか、ゆとりのある人生の話とか、そんなに普段はしないような話だったと思う。
案外簡単に見つかると思っていたビーチだが、その日はなぜか選択した道をゆくと行き止まりに捕まる。
こんなことはあまりないのになあ。もう少しでサンセットタイムになるから、クタ地域周辺の彼女が知らないビーチに行こうかな。私はこんなことを思っていた。
彼女は酷く喉が渇いているようだったので、我々はひとまずワルン(日本でいうところの食堂)を探すことにした。でも都合よくそんなものはない。この通りにもないよなあ。ちょっと大きな通りに出るか。
「あれ? さっき通り過ぎたのワルンじゃない?」 彼女が口を開いた。じゃあ戻ってみるよ、と言ってバイクをUターンさせた。
彼女の言った通り、そこにはワルンがあった。お世辞にも綺麗とは言えないワルンで、テーブルと料理にはハエが数匹止まっていた。
私は彼女を見つめ、本当にここでいいか? というような視線を送る。彼女は頷く。飲み物を一杯飲むだけなのだからさほど気にすることでもないと言いたげな表情だったが、彼女の口は閉じたままだった。
彼女はアボカドのフレッシュジュースを頼み、私はバナナのフレッシュジュースを頼んだ。まず彼女のジュースが来てそれから数分して私の頼んだジュースがテーブルに乗せられた。見た目は酷いものだった。バナナのフレッシュジュースにはなぜかアボカドのものと思われる黄緑の物体が混ざっていた。
彼女が美味しいよ。と言いながら私に微笑みを向ける。その表情には嘘はなく真実しか映っていなかった。私もジュースに口をつけると驚くことに、美味しかった。こんなに美味しいジュースは生まれて初めて飲んだ。
我々が水分を補給してバイクに向かおうとしたとき、タイミングよくお店のおばちゃんがいた。私は英語で、「ここはどこ? そこの大きな通りの名前を教えて」と訊ねてみた。
実はいつの間にか我々は迷ってしまっていたからだ。外国でインターネットは繋がらないのでケータイのマップを確認することもできない。かといって私は地図というものをどうも持ちたがらない性格だ。だからこうしていつも迷うとそこらにいる人に道の名前やホテルまでの帰り方を聞いたりする習慣が自然とついていた。
「ニャンニャンビーチ」
おばちゃんは向こうの小さな砂利道を指差し微笑を浮かべながらそう一言答えた。
正直、私は意味がわからなかった。だからもう一度同じことを訊いた。
でもおばちゃんは、やはり先ほどと同じ動作と同じ表情を浮かべながら同じ言葉を口にした。『ニャンニャンビーチ』
我々ははそのおばちゃんに、ありがとうと言ってバイクに乗り込み迷うことなくその小さな砂利道に向かった。迷うという選択は自然に二人とも浮かんでこなかった。
砂利道が15分ほど続いた。引き返してしまおうかと思ったときだった。我々の前に崖が見えてきた。仕方なくバイクをその砂利道に停車させて降りることにした。我々がその崖から見下ろすとそこには、文字通り最高のビーチが広がっていた。少し歩いたところには石でできた階段があり、ビーチまで続いていた。
こうして我々はニャンニャンビーチに導かれるような形で辿り着いた。二人で砂浜に腰を下ろしサンセットを堪能する。そうすると、誰もいない二人だけの世界に来てしまったような錯覚にとらわれる。
そんな錯覚にとらわれるていると、誰もいなかったはずの海の浅瀬に人影が現れた。その人影は140センチくらいで小太りの男で首を左に少しだけ曲げて頭を小刻みに震わせていた。でも、不気味な感じを二人は一切抱かなかった。そしてその人影の顔が見えると二人は安心にも似た奇妙な感覚を心に抱いていた。
彼が我々二人の目の前まで来てしまうと、「マラン」(インドネシアでこんばんは)と笑顔で挨拶を交わしてきた。相変わらず首を少し曲げて頭を小刻みに震わせていた。
マラン。そう返すと彼は我々と話をした。自己紹介を済まし、彼の名前はコロだということがわかった。
話をしていくうちにコロは、ビーチの端の方にある小屋で一人で布の記事を編みいろんなものを作って生活している、バリの職人だということもわかった。コロは我々をその小屋に招き入れてグリーンティーを振る舞ってくれた。バリの飲み物のほとんどは日本人にとって甘すぎる。だからバリ人には糖尿病になる人が多いのか。とかそんなことを考えた。このグリーンティーも例にもれず、やはり砂糖がかなり入っているようで、我々には甘すぎた。しかし、味は悪くはなかった。
我々はいつの間にかその空間とコロが放つ安心感と温もりから眠ってしまっていた。
起きるとコロはカタカタとなにか作業をしているようだった。我々の身体には大きめの毛布がかけられていた。きっとコロが作ったものであろう。彼女は目を覚ますと大きなあくびをし、「そろそろ帰らないと。本当はもっとここにいたいんだけど」と言った。彼女は本当に残念そうな表情を浮かべていた。
私は立ち上がりテーブルや棚の上に並んだコロの手作りの毛布やサロンや帽子などに目を通した。どれも丁寧に作られていて手作りの温もりが漂った面白い品物ばかりだった。
気に入った三つを選びコロに値段を訊いて私はそれをリュックにしまった。三つで十万五万ルピア、日本円にして約千五百円ほどのものだったのでコロには倍の三十万ルピアを渡しておいた。
「じゃあ、またね」我々はコロにそう告げる。すると、コロはみるみるうちにとても悲しそうな表情になり彼のその瞳は涙がこぼれる寸前にまでなっていた。
「ぼくは君らが次来たときにはここにはいない。だからもう会えないんだよ」コロはとてつもなく悲しそうにそんなことを言っていた。
「なんで?」
私が訊いても答えようとしないので、「とにかくまたね」と言って小屋を後にした。コロは我々の姿が見えなくなるまで手をふり見送りをしてくれた。
私は数日後にとんでもないことに気づいてしまった。あの日神様と妖精に出逢っていたのだ。こんなことを人に話すから私は他人から変人とよく言われる。でも、人は変わっていなければ面白くない。普通というのが一番つまらない。そんなことすら思っている。だから変人は私にとってそれなりの褒め言葉にあたる。
まず、最初に自然が我々をあのお世辞にも綺麗とは言えないワルンに導いた。というかあれほど迷って行き止まりに捕まったのだから、我々はあの場所に自然に行くことが決まっていた。その自然に逆らわなかったからあのワルンにたどり着けた。
そして、そこで出逢ったあのおばちゃんはきっと神様あるいは神様が乗り移った人だったのだろう。場所を訊いただけで最高のビーチのヒントをくれたのだから。大半の人はそのヒントをきっと見逃してしまうだろう。だから、私の前には神様がよくこのような形で現れる。
神様が私にヒントを与えるのを楽しんでいるのだ。彼らは自分の遊びに付き合ってくれる人を常に探している。だから、ヒントを感じ取ってわかってくれる人間の元に現れる。きっとあのとき迷わず我々が砂利道に入っていったときには、心の中で大したもんだねー、よくこのヒント分かったねー。と思って文字通りニヤニヤしていたに違いない。
そして、ニャンニャンビーチにいたあのコロはきっとコロボックルか何かの妖精のはずだ。誰もいないビーチから現れた。それによく考えてみればコロはただ砂浜を歩っていたのではなく、海の方から砂浜に向かって歩いてきていたのだ。
決定的なのはあの安心感と温もり。人をあんなに安心させて温もりを与えられる人に私は会ったことがない。それに、彼は次に我々が行くときには居ないということを言っていた。私は出逢った時点で薄々だが、彼が妖精であることに気づいていた。それは頭で理解するのではなく直感的に感じる取るといった方が近いのかもしれない。
とは言っても、これは私の頭の中の仮説に過ぎない。でも、何が本当のことなのか。それは神様にしかわからない。
これは最近合ったことを物語にしたが、こんなことは私の周りでは日常的に起こっている。それだけで何百と映画が書けると言っても大げさではない。神様がきっと面白がって私の周りにヒントをたくさん用意してくれているのだろう。
さあ、もう一度訊ねよう。
ーあなたは神様がいると信じるだろうか?
人生は何が本当のことかわからない。
ならば自分が感じて考えてこうだと思ったことを本当のこととして扱った方がきっと面白くなる。