行間二 赤の足跡
己の罪を理解した瞬間、少女は『そこ』から逃げ出した。
万を超える間違いの果て、少女はようやく自らの足で道を決める。もはや進む先に地獄しか待っていずとも、これ以上他者の手によって罪を重ねさせられるなど御免だ。
逃げた。
少女の自らの意志による最初の行動は、逃走であった。
逃げなければ。
ここは駄目だ。ここは終わっている。
何もかもが腐っており、焼けて爛れて再起は不能。人間の成れの果てが、我が物顔で我こそ覇者なり跪けと――螺子の飛んだ狂人の巣窟。お前ら等しく塵だろう、我らが理想の礎となれ。
傲岸不遜どころではない。あまりに傲慢。人の本分を忘れ、理想理想と獣の如く吠え続ける。
付き合っていられなかった。
『ふざける、な……ッ!』
罪を償うにしろ、罰を受けるにしろ、ここは駄目だと本能が訴える。
逃げることこそ正解であり、それがどれほどの危険か承知していながらも、少女は走った。
追手は、なかった。
だからと言って安心などできるはずもない。
隠れる場所などないと知っている。奴らは覇者。世界を支配する邪王・偽神の集まり。故、その目は世界各地を監視している。
そんな時だった。
『やあ、鏖殺の騎士』
一人の女が彼女の前に姿を現した。如何なる魔法か、赤の少女の力をもってしてもその気配を察知することすら叶わなかった。
髪の長い、女だった。
『君を匿ってやろう』
何故この女が奴らのことを知っているのかなどどうでも良かった。
『罪を償う機会もやろう』
何故己の罪を知っているのか、聞いたところで意味はない。
『ただし一つ条件だ。僕の手足になれ』
兵隊となれ。私の夢を叶えるための走狗となれと――
――ああ、この女も奴らと同じか。
よって少女の心は冷めてしまう。
しかし――、
『別に人を殺せと言うわけではないさ。そう命令することはあっても、君に誰かを殺させはしない』
だって、と女は優しく微笑んで、
『君、人を殺せる心を持っていないだろう? ――怖いんだろう? ……人を刺し、斬り、傷つけるあの感覚が。怖くて怖くて、絶叫しそうなんだろう?』
そんな奴に人を殺せと命令したところで意味はない――と、女は至極真っ当な正論を口にした。
ああ、そうだ。
無理だ。
私にはもう、人を斬ることはできない。
肉を斬り、骨を断つあの悍ましい感触が脳と心を食い破るのだ。
少女の頭の中に、鏖殺の記憶はない。罪の自覚と共にその内容を脳と心が消し飛ばしたからだ。
しかし。
罪を犯した事実は覚えている。
人を壊した感触は残っている。
何よりも、体に染みついた血と屍の臭い。
それらが教えてくれるのだ。
もしも、いつかまた人を刺すようなことがあれば。
自我は消し飛び、『私』の終わりの時が来るだろうと。
束の間の人間は死に絶え、後に残る者は鏖殺の悪魔。
無限に死を振り撒く刃の化身が全てを滅ぼす。
搾り滓が如き少女は鞘。それが砕ければ、後に残るは血濡れた刃。
抜き身の刀が、愛しい何かを壊すだろう。
そんな確信が、あった。




