第二章 光のアイドル 3.蕾
今年も一年ありがとうございました。
来年も何卒よろしくお願いいたします。
しかし翌日、ある問題が発覚した。
「え、退院は来週……?」
『そうそう。ていうか言ってたでしょー?』
「え、マジかよ。いつ言ってた? 今週の金曜って話じゃねえのかよ」
『それは友介の勘違い。私もあざねんも退院は来週よ』
「え、えー……じゃあこのチケットどうすんだよ」
『知るわけないでしょ! ったくもう、なんで友介は人の話を聞かないかなあ。そんなんだったらいつまで経っても彼女なんて――』
「あ、うるせえうるせえ。説教はまた今度な。とにかく、そんじゃ、お前はゆっくり休んどけ。チケットは俺が何とかするわ」
『あ、こら! まだ話は終わってな――』
杏里が説教を始めようとしたところで、友介は携帯電話の電源を切った。長話になると昼休みが終わり、昼食を取る時間が無くなってしまうためだ。
彼はスマホをポケットにしまい、手に持ったビニール袋の中から焼きそばパンを一つ取り出した。
「安堵も飽きないよねー。毎日毎日菓子パンばっかり」
「うるせえよ」
横合いから聞こえてくる声に、友介は面倒くさそうに返事を返した。
購買に行こうと教室を出る際、自分も行くと言って付いてきた四宮凛だった。
「さっきの電話は?」
「あん? 妹だ」
「シスコンなの」
「黙れ」
「シスコンなんだ」
「いい加減に、」
「クラスラインに流そー」
「シスコンかもしれねえな」
昼休み、もともと彼女はいつも通り、普段共に過ごしている二人のギャルと昼食を取ろうとしていた。しかし、何やら原因不明の寒気を覚えた彼女は、友達二人に断って友介と購買へ向かったのだ。
「ったく、俺は一人で良いって言ってんのによ」
「そんなわけにはいかないっつぅーの。だって……」
そして、彼女のその嫌な予感は当たっていた。ちらりと横目で盗み見た少女は赤い髪と金色の瞳を持つ人形のように愛らしい顔の少女だ。
風代カルラ――彼女は、凛の乙女センサーの警告通り、友介と共に廊下へ出るなり二人の前に現れたのだ。
「なによ」
凛の視線に気が付いたカルラが不機嫌そうに声を投げてくる。友介をして、初対面で人を殺しかねない視線と言わしめた眼光に、しかしただの少女である凛は屈しない。
「いや、別に」
友介を間に挟んで行われる二人の少女の睨み合いに、友介は辟易していた。
「いいからお前ら、俺を挟んで喧嘩すんのやめろよ。面倒くせえ」
「うっさい。黙ってなさい」
「そうそう。これはあたしとこの子の問題だし」
「だったらなおさらどっか行けよ」
友介の懇願も、二人の気の強い少女には聞き入れられない。
「そう言えば友介、アンタ結局チケットはどうすんのよ」
「あん? それは今迷ってんだよな。誰に売りつけようか考えてんだが、誰か買ってくれんのか?」
「まあ友介って友達いないから無理でしょうね」
「黙れカス」
友介とカルラが常の如く軽口を叩き合う。共に相手を傷つけるような言葉を投げ合いつつも、二人の間に不思議と険悪な雰囲気はなかった。
遠慮のない関係。壁がなく、共に信頼し合っているからこそのやり取り。少なくとも凛には、彼ら二人の関係がそのように見えていた。
そして彼女は、その二人の関係をあまり面白くなさそうに見る。――というよりも、端的に言って嫉妬していた。カルラと友介が名前で呼び合っているという現状もまた、彼女の心をかき乱す原因になっている。
もっとも、この名前の呼び捨てに関しては、カルラにも少し非があった。彼女は凛と友介の三人でいる際、常よりも彼を名前で呼ぶことが多くなるのだ。無意識下で、凛に己の優位性を示しているというわけだ。――それが、どう言った優位性なのか、己でも全く自覚せぬままに。
「あたしだって……」
「あん? 何ブツブツ言ってんだお前」
「う、うっさい。あんたにはかんけーないっしょ」
「ああそう……ならいいけど」
「うっ」
しかしそこでまた凛が沈んだ表情を浮かべた。何もないと言っておきながらこの態度。友介には何が何だかさっぱりだ。
そしてそれはカルラも同様なようで、先ほどまでの睨み合いなどなかったかのように、カルラは凛に声を掛けた。
「何よアンタ、気分が悪いなら保健室行った方がいいわよ。ストレスだって人を殺す要因になるんだから」
「殺すってお前物騒だな」
「だ、大丈夫だから。ありがと」
しかしそんなカルラの気遣いも、今の凛には打撃となる。女としてのプライドが、小さくも確実に削られていることが分かった。
「大丈夫、だから……」
どう見ても大丈夫ではない彼女の様子に、友介がはあと息を吐いた。
彼は鈍感だ。故に凛が悩んでいることが何か全く分からぬし、不器用な彼は彼女に元気を与えられるような気の利いた言葉も思いつかない。
だが。
「ったく、しゃーねえ。ほらよ」
「へ……?」
「あら」
それでも、一度救った少女だから、最後まで責任を持って世話をしてやりたいと考えていた。
友介は後ろのポケットに差していた財布から二枚のチケットを取り出すと、俯いて歩く凛の顔の前に差し出した。
「これ、知り合いから貰ったんだよ。気の良い奴でな、タダでくれたんだ。ほんとは妹と行くつもりだったんだが、まだ入院が続くらしくていけなくなったからな。やるよ」
「えっと……これ、でも売るつもりだったんじゃ……」
「別にいいよ。もともと金払ってねえし、このまま行ける奴が見つからねえのも何か嫌だしな」
「はあ……ったく、アンタってほんとお人好しよね」
「うっせえ、黙ってろ」
友介の『タダで貰った』という嘘を聞いたカルラが、呆れつつも嬉しそうに声を掛けた。
「ほら貰っとけ。有名じゃねえけど結構いい歌声らしいぞ。俺は友達がいねえから行けねえけど、お前はいっぱいいるだろ」
凛は差し出された二枚のチケットを呆けたように見ていた。
やがてふっと笑うと、笑顔のまま友介を見る。
「春日井……春日井・ハノーバー・アリア……アリアちゃんじゃん。アンタの友達って結構いい趣味してんのね」
「なんだ、お前も知ってたのかよ。ならちょうどいい。行ってこいよ。友達でも彼氏でもいい。お前が何に悩んでんのか知らねえけどよ、そんな顔してたら余計な心配かけんぞ」
「なに? 心配してくれたの?」
「あん? 別にそんなんじゃねえよ。辛気臭い顔してる奴が隣にいてたら飯がまずくなるだろうが」
「ツンデレ」
「黙ってろ」
友介の軽口に、凛の顔がほころぶ。薄く頬を染め、胸の前でチケットを大事そうに抱えた。
その二人の様子を見たカルラも満足げな表情を浮かべていた。
凛とカルラはいがみ合うことが多いものの、その実、真に嫌っているわけではないのだ。そもそもからして、二人とも性根は優しい少女だ。
何よりもカルラは、友介の行動を嬉しく思っていた。誰かを思いやりつつも、照れてそれを隠そうとする様が、カルラにはどうしても微笑ましく、いつまでも見ていたいものに映る。
カルラはこれでもう心配事はないとばかりに凛から視線を外し前へ視線を向ける。途中、友介の横顔に視線を止まらせるも、気付かれぬ内にその目を閉じて視線を正した。
しかし、その穏やかな彼女の心も、凛が放った言葉により一瞬にして嵐の如く荒れ始めた。
「んじゃ、安堵。一緒に行こっ♪」
「はあッッ?」
「あ? 俺?」
「そっ」
「いや、まあ、別にいいけど」
「え、ちょっ、」
凪のような心の水面に、隕石が落とされたかのように波紋が広がった。もはや津波である。
「ちょ、ちょちょちょっ、ちょっと待ちなさい!」
チケットを渡す凛と、ばつが悪そうに頬を掻きながらそれを受け取ろうとする友介の間に、己でも何を感がているのかも分からぬままカルラが割って入った。
自らの行動の意味、その動機を欠片も理解しないまま、少女は衝動に任せて友介と凛の手首を掴んでいた。
「なんだよお前……」
「……ッ」
友介は胡乱げに息を吐き、対して凛は鋭い視線でカルラを観察した。込められた警戒の念は死闘を潜り抜けた友介やカルラですら察知することは叶わなかった。しかしそれも道理。そもそも凛とカルラでは、戦ってきた舞台が異なるのだから。
風代カルラは文字通り鉄火飛び交う『戦場』を渡り歩いてきた少女だ。しかし凛は異なる。彼女は恋愛という『戦場』で戦ってきた少女。見た目からも分かる通り彼女はギャルであり、男という勝利を手にするための戦いにおいては赤髪の少女よりも数段上の次元にいる。
故、常の凛ならばここでカルラの言葉を遮る何かしらの行動を取っていた。
しかし、
「えっと、いや、えっと……」
彼女は、何も言わず、カルラの言葉を待った。
「なによ、その……」
それは別に、彼女を取るに足らない女だと断じているからではない。
「……だから、……」
彼女に返しきれぬほどの恩があり、言葉では尽くせぬほどの感謝を感じているから。そして何より、四宮凛と言う少女が、態度ほどこの小さな少女を苦手に思っておらず――むしろ、彼女に好感を持っているからこそだった。
「……ごめん、何でもないわ」
けれど、カルラは何も言えなかった。衝動のまま動いて……結局は、悲しそうに口を閉ざしてしまう。
「なんだよそれ……ったく、よく分かんねえ奴だな」
「だから、ごめんって……」
「ああ、はいはい。つぅーからしくもなく謝ってんじゃねえよ」
「う、うるさいわね! 私だって謝ることぐらいあるわよ!」
「どうだか」
「こんの……ッ」
凛から見るに、カルラは『初心者』だ。彼女は自分が何を思い、何をしたいのか何も理解できていない。だから規定の路線を外れたような状況に陥れば先ほどのように言葉に詰まり、遠回しに気持ちを口にすることも出来ない。
とはいえ、凛はカルラの背中を押そうとも思っていないし、その力になってやろうという気持ちもなかった。好感は持っている。けれど、友介への想いを諦めようとは思っていない。彼女は、友介の一番になりたいのだ。
物騒な言い方をすれば、二人は敵同士。塩を送る気はない。
「そんじゃ四宮、今週の土曜で良いんだな?」
「うん。んじゃ、そんときはよろしくー!」
そう言って凛が今度こそ友介にチケットを渡した。
――ぁ……。
その光景を見て、なぜかカルラの胸の奥が疼いて痛くなる。
分からない、分からない。
仕方ないと言いつつもチケットを受け取る少年の横顔を見ただけで殴りつけたくなる衝動に駆られてしまう。
今はまだ小さな蕾は、咲き誇る時を待っている。




