第二章 光のアイドル 2.夜空
結局草次の提案通り、友介含めた五人は駅前のカラオケまでやって来ていた。
「はい、五人です。これ会員証っす。あ、どうも。おっけーです!」
ここの常連らしい草次に手続きを任せ、友介は一人窓の外を眺めていた。都会の人口の光によってかき消されている星々の光を眺めようと目を凝らすも難しい。
「――――」
しかし友介は、無駄と分かりつつも星を見ようと目を凝らすことをやめなかった。
なぜなら、この夜空だけは、距離も立場も関係なく、この大地を覆ってくれているはずだから。たとえ離れた場所で異なることをしていようと、星が瞬く夜空だけは同じはずだから。
それはきっと、分かたれ引き裂かれた友介と唯可を繋ぐ架け橋なのだと思えた。
渡ることも辿ることも出来ぬ橋だが、この夜空の先は彼女に繋がっている。
空とは、きっとそういうものだと、友介はどこか浮遊したような気持ちのまま考えていた。
「何たそがれてるのよ、気持ち悪い。詩人にでもなるの?」
「うるせえな、ほっとけよ」
「泣いてたくせによく言うわ」
「黙れ死ね」
「はいはい」
夜空を眺め思考に耽る友介に声を掛けるカルラに、友介が悪口で返すも、カルラは特に取り合わない。常ならば罵倒の一つや二つでも返すところなのだが、それが照れ隠しであると分かっているため適当に流すにとどめる。
赤髪の少女は少年の隣に立ち、同じように空を見上げる。
そうしながら、ぽつりとこんなことを漏らした。
「ねえ、あの星が死んだ人たちなら、どうする?」
唐突な質問だった。それも友介の感傷を壊すような類のもの。しかし友介は、特に嫌な顔もせずありのままの思いを告げた。
「どうもしねえよ。ただ……」
「ただ……?」
「そうだな……誰かが望まない形で星になるようなことは、一つでも多く減らしてえな」
「そ……相変わらずね」
「黙ってろ。面倒せえけど、俺はそういう人間らしいし仕方ねえよ。つーかお前はどうなんだよ」
「私? そうね。私は……」
その時彼女の瞳に映っていたものは何だったのだろう。
過去か未来か――いずれにせよ、この時彼女は、『今』に対して何一つ思いを馳せてはいなかった。
「私は――何も、できない……」
それはきっと、風代カルラの核だった。
赤い少女の根底に、この時触れていた。
諦観と絶望と赫怒の滲んだような悲しげな瞳が何を映し、どこを見据え、いつへ向けられているのか、少年には知るべくもない。
そうして、気付く。
今このようにして時間を共にし、同じ困難に立ち向かいながらも、彼ら五人は真実何一つ、互いに己を見せていないということに。
歩んできた過去も、進もうとしている未来も。
同じ時を刻む今でさえも、五人はその実、異なる場所、異なる人を想っている。
だが、それでいい。友介含め、この五人は互いに互いを利用し合う中であり、仲間という名の道具なのだから。
――かつてはそう思っていた。
――それで良いと断じていた。
しかし。
カルラに救われて、彼の中で何かが変わった。
冷たく氷のような心に、もう一度温かな熱が生まれた。
(ああ……それはちょっと、寂しいな)
「おーい! 行けた行けた! こっちの部屋だぜ。行こうぜっ!」
だが、どこかの馬鹿はそんな少年の優しい変化にも気付かず、常の如くマイペースに行動し、他の四人に呆れられていた。
蜜希と千矢が彼に続く。その背をしばしの間見つめると、ついと隣のカルラを盗み見た。
「ん? なによじろじろ見て。言っておくけど私の体に触ろうものなら即座に八つ裂きにするわよ」
「あほか。触る体を選ぶ権利くらい俺にもあるだろうが」
「ぶっ殺すぞ」
「好きにしろ」
既にその顔に、憂いじみた暗いものは見えなかった。
ただただ気の強い少女がそこにいた。
☆ ☆ ☆
貸し渡された部屋はあまり広いとは言えないものであった。扉のすぐ隣にモニターが置かれており、部屋の中央よりわずかに奥に少し大きめのテーブルが鎮座している。それを凹の字で囲むような配置で、固めのソファが壁に取り付けられていた。
「っしゃー歌うぞーっ!」
部屋に入りソファの一番奥の席に度狩と座るなり草次が元気の良い声を上げた。そんな少し興奮気味の彼を、蜜希が柔らかい笑顔で見守っている。
「ね、草加君はどんなのを歌うの?」
「俺? 俺はねえ、何でも歌うよ!」
蜜希が投げた質問に、草次が楽しそうに答える。
「……」
「どうしたのよ、神妙な顔して」
そんな二人の様子を、友介が珍しいものでも見るかのように眺めていた。
カルラに問われても、友介はその答えを言語化することが出来ず、うんうんと唸っている。そこへ、千矢から助け舟が出た。
「なるほどな。痣波の奴、草加と話す時だけあまり言葉を噛まない。安堵が言いたいことはそう言うことだろう」
「ああ、そういうことだ」
「あ、確かに」
友介とカルラがそれぞれ異なる反応を返し、草次と楽しく話す蜜希へ少し興味深げな視線が送られた。
「蜜希ちゃんはどんなん歌うん?」
「私? 私は……うーん……カラオケ、初めてだから……」
「ああそうなんだ。じゃあ今日は一緒に楽しもう!」
「う、うん……っ!」
顔を赤くして笑顔を浮かべる蜜希。その端正な顔立ちが、どうしてか今までよりもより可愛らしく見えた。
「……いったい何があったのよ……どういう心境の変化?」
「さあな。あいつ、前まではもっとこう……ガチガチのコミュ障だったよな」
「特に驚くことでもないだろう? あの二人はもともと仲が良さそうだったじゃないか」
「だからって少し仲良くなり過ぎじゃない?」
「そうだよな。本当に意味が分からねえよ」
「あいつらは仮にも十代の男と女だぞ。少し長い時間共に過ごし、強敵と戦うにあたって共闘したとなれば、自然と距離も縮まるだろうし、その末に痣波が草加に特別な感情を抱こうとも不思議ではないと思うがな」
何一つ事態を呑み込めていない友介とカルラとは対照的に、千矢にはこの状況が理解に足るものだと考えているようであった。
千矢は蜜希や草次に聞こえないように少し声を落とし、それとなく二人に答えを教えてやる。これ以上話題が長引いて蜜希に迷惑が掛からないようにするためであった。この心境の変化は、少し前の彼ではありえないものだったのだが、彼はそのことに気が付いていない。
「はあ、特別な感情ね……なにそれ?」
「さあ?」
しかし友介とカルラにその感情の正体が分かっている様子はなかった。千矢がそれとなく与えたヒントも、脳筋には理解できなかったのだ。
「ま、仲良くなったってことでしょ? 別にいいんじゃない?」
「そうだな。取り立てて騒ぐことでもねえか。……おい草加、お前端の席な」
「こいつら、本気で言っているのか……?」
そんな二人の言葉を、千矢が信じられないとでも言いたげな表情で聞いていた。もっとも二人は千矢の呆れた表情に気付くそぶりもなかったが。
友介は千矢を放ってカルラと共にソファに向かう。草次を端に座らせて、友介はその隣に陣取った。そのさらに隣にカルラが座り、必然的に蜜希と草次の距離が離れてしまう。
「ぁ……」
「あ、草加。俺オレンジジュースで」
「私はメロンソーダよ。お願い」
「え、俺もしかしてドリンクバー係ッ? だからなの? だから俺を端に寄せたのッッ?」
「当たり前だろ? ほら、早く早く」
「あぁああああ……またこんな役目だぁあぁああ……」
蜜希が寂しげな声を上げるも、気付いてやれたのは千矢のみ。友介とカルラは草次にジュースを注がせに行かせると、電子目次本――デンモク――を操作して曲を選び始めた。既に草次の悲壮な声は誰も聞いていない。
草次の嘆きも適当に流されて、カラオケルームには普段通りのぬるい空気が満ちていく。
「まったく……」
千矢も、いつまでも立っているのも馬鹿らしいと考え、自らもソファに腰かける。――ただし、彼は友介の隣に腰を下ろした。
「あん? そこ草加が座ってなかったか?」
「いや、あちらの方が扉に近いのだし、俺がここに座った方がいいだろう」
あちら――つまり蜜希が腰かけている側を顎で示して説明する。
「ああ、なるほどな。一理あるわ」
「アンタって意外と優しいのね」
「……どうだかな。というか、お前、その優しいの意味何か間違っていないか?」
「何よ? あいつがドリンクバーまで歩く距離を少しでも減らしてあげようっていう魂胆なんじゃないの?」
「……そうだな、俺が馬鹿だった」
――とはいえ、優しい、か。
カルラの評価に、千矢が言葉を濁した。
確かについこの間までの彼ならばこのように蜜希と草次に気を遣ってやるような行動はしなかっただろう。それだけに、彼はここ最近取っている己の行動に戸惑いを隠せないでいた。
ジブリルフォードの一件を経て、彼の中でも少しずつ何かが変わり始めたのだ。胸の内に秘めた決意に揺らぎはない。何を利用してでも彼女を救う。その念は依然猛り燃えている。
だが、少しずつではあるがその他の人間にも気を回すようになり始めた。草次や蜜希を、ただの他人として見られなくなり始めたのだ。その結果、彼らしからぬ行動を取るようになった。
「ただいまー」
すると、両手にジュースの入ったグラスを持った草次が戻ってきた。右手にメロンソーダ、左手にオレンジジュースを持っており、それらをそれぞれカルラと友介へ渡してやる。
それから己の席へ座ろうとしたのだが……
「俺、席までないの……?」
「いや、お前はあっちだ。いつでもジュースを汲みに行けるようにな」
「汲むって……俺は井戸に水を取りに行く子供じゃないんだけど!」
「カルラ、お前から歌えよ」
「嫌よ一番なんて。それに私だって初めてなんだから」
「まあお前友達いなさそうだもんな」
「アンタよりはいるわ」
「………………………………………………………………………………………………」
「く、草加君……元気、出して……?」
「うん、うん……ありがとう、蜜希ちゃん……ッ!」
「うん……えへへ……っ」
四人各々の会話を心情的に離れたとこから見ながら、千矢は密かに思う。
「案外、上手くいっているのかもしれんな」
「あん? なんか言ったか?」
「いや、何も」
千矢はこういう男を鈍感と言うのだなと、一つ学んで成長した。
☆ ☆ ☆
友介、カルラ、草次、蜜希、千矢の歌う曲の種類や好みは皆それぞれ異なっていた。
友介とカルラは一般的な若者に受けそうな曲。千矢は一昔前の曲で、蜜希はアニメソング。そして草次はここ最近話題になっているアイドルの歌であった。
「お前さ、可愛い曲を男の野太い声で歌われるこっちの身にもなれよ」
「いいでしょそんなん! ……ってああ、そうだ」
ちょうど草次が歌い終わったところで何かを思い出したかのように手を打ち、カバンに手を入れて二枚の紙を取り出した。
横向きに長い長方形の形をしたその紙は、どこかのアーティストのライブのチケットであろうか。
日付は今週の土曜日を示しており、場所もそう遠くない。
「なんだよこれ」
「これはねえ、アリアちゃんのチケットだよ!」
「誰だよアリアって」
「新人アイドルだよ! めっちゃ可愛い! つっても、まあ、まだまだ有名じゃないよね……。デビューして一年とかだし、一部のファンしか追いかけてないから……」
そう説明する草次の表情は少し寂しげなものであった。……余談だがこの時、蜜希は面白くなさそうに頬を膨らませていたのだが、彼女のその様子に気付いた者は一人としていなかった。
「でさ、今回彼女の初ライブで行きたかったんだけど、ちょっと用事が出来ちゃって……」
「それで誰か行かねえかって話か」
「そうそう。誰か行かない?」
「うーん、私はパスかな。特に興味もないし」
「俺も少し用事があるので難しい」
「わ、私も……」
カルラ、千矢、蜜希の三人がそれぞれの理由で断る。
「ああ、じゃあ俺が貰うわ」
「へ?」
そして意外なことに、そのチケットを受け取ったのは友介であった。
「どうしたん? 友介くんって一番そういうのに興味なさそうなのに」
「そうよね。こいつってアイドルとか見ても、『くだらねえ』とか言って斜に構えてそうなのに」
「お前ら何なんだよ」
草次とカルラの物言いに、友介が不満げに反論する。
「別に。もうそろそろ杏里が退院だからそのお祝いもかねて連れて行ってやりてえんだよ」
「なるほど!」
そのようなやり取りの後、友介がチケットを貰い受けることになった。二人分の料金を払い、チケットを財布に入れる。
「サンキュ。んじゃあ、もう良い時間だし出るか」
「そうね」
友介の呼びかけにカルラが同意を示し、五人は部屋を後にした。




