第二章 光のアイドル 1.変わった関係
「っへぇーいッ! 俺が大富豪! さて、貧民は誰かな? うん? やっぱ全くカードの減ってない友介君かなあ」
「うっせえぞ黙ってろクソ茶髪」
「もうちょい良いあだ名ないのッッ?」
「調子乗り」
「いやだからさ――――ッ!」
午後の授業をぼうーっとして過ごした友介は、一度としてノートを取らないまま一日を終えた。教師の言葉はおそらく耳に入っていたのだろうが、既に風化し時の彼方へと消え去ってしまっている。
そんな友介が帰宅後何をしているのかというと……
「あ、あぁあああ……か、川上君酷いよぉ……な、ななっ、なんでここで7渡しを……ぜ、ぜぜ、全然いらないか、かかっ、カードだ……」
「まあ仕方がないと諦めてくれ。俺も風代の作ったゲロジュースは飲みたくない」
「ちょっ、誰がゲロジュースよ! これは青汁よッ!」
「いや、川上、それはちげえよ。あれはゲロジュースでも青汁でもねえ。カルラの血だ」
「私の血は赤色だッッッ! アンタ私をなんだと思ってたのよッ!」
「ああー……サキュバス? お前胸デカくてエロいもんな。わー、ちょームラムラするー」
「人おちょくんのもいい加減にしろやテメエッ!」
蜜希と千矢のやり取りを皮切りに始まった友介とカルラの喧嘩に、他の三人はまたかと嘆息した。
学校が終わり帰路に着いた友介とカルラは、その道すがら蜜希と草次、千矢を呼んで、河合家で大富豪というトランプゲームをすることになった。
配られた手札をルールに則ってゼロにしたものが勝ちというシンプル極まりないゲームだ。当然最後まで残った者が敗北で、敗者には風代カルラお手製の青汁を飲むという罰ゲームが課せられている。
「つぅーか次は俺だな。ほい」
友介は8のトランプを場に出して、一度場を切った。
大富豪では3が最も弱く、そこから数字が大きくなっていくにつれてカードの強さも比例するように強くなる。例外は1と2で、この二つは絵札よりも強い。補足するまでもないだろうが、1と2では2のカードの方が上だ。最強のカードはジョーカーであり、あとは細かなローカルルールが追加されていく。
現在五人が採用しているルールは弱いカードから順に、『スペードの3によるジョーカー破り』『5飛ばし』『7渡し』『8切り』『11(イレブン)バック』『革命』の六つだ。
「そんじゃ俺は、13で」
「あ、ちょっといきなり大き過ぎよ!」
「黙ってろ。お前なに? カードの数字も小さいのか? 胸と一緒だな」
「お前今すぐ表に出ろッッ! 今日こそ決着を付けてやる!」
などと喚き散らしながら、赤髪の少女は1を出した。
「こいつ……」
「ふっ、ふん……ここで勝負を決めようったってそうはいかっ、……いかないんだから!」
なぜか噛みながら友介を挑発するカルラ。その態度だけでこの場の全員が悟った。
(こいつ、俺を上がらせないためだけに一番強いカード出しやがったな)
現在友介の手持ちは三枚。千矢が二枚で蜜希が五枚。カルラは――七枚だ。
大富豪の終盤戦だというのに、一人だけ枚数が多く、かつ最強のカードであるはずの1のカードすら使うべきでない場面で使ってしまった少女に、友介が憐みの目を向けた。
「な、なによ……なによなによ、何なのよ!」
「いや、別に?」
「それより他はパス? 次私出すわよ」
その声に、未だゲームから抜けていない千矢と蜜希が首を縦に振る。次いでカルラは友介へしたり顔を向けようとして、
「あ、いや俺出すわ。ほい、2だ」
「え」
「パスだよな? もうジョーカー二枚出たし。んじゃあ次は8。流れて5で上がり。5飛ばしでカルラは一回休みな」
意地の悪い笑みを浮かべる友介。それを、カルラは怨念すらこもった瞳で睨み返した。
「ビリなら自分で飲めよ」
「アンタほんといつか殺してやる……ッ!」
カルラの呪詛の言葉も、友介は適当に聞き流した。
本日も五人は平和であった。
☆ ☆ ☆
つい先日まで、夜の渋谷には多くの若者の声がこだましていた。やれどこで飲むだの、どこのホテルに行くだの、誰とヤッただの、どこの店の嬢はいいだの……種々様々な言葉が飛び交っていた。
しかし今は、その面影もありはしない。
無人と言うほどではないが、明らかに異常という他ない静けさ。いっそ不気味ですらある。
故に。
常ならば雑踏に紛れるであろうその少年は、ひどく目立っていた。
白い髪と緑色の瞳。美麗な顔立ち――ただ、その美貌はどこか獣のような苛烈さを持っていた。おそらくだが、獣のように凶悪な目つきが原因であろう。そして何より、白磁の如き顔の右頬に入れられた刺青が、彼を堅気のものではないことを如実に示していた。
纏う服は……黒いシャツと紺のネクタイ、そして上下が黒で統一されたスーツであった。
「おいこらクソガキ」
そんな異質極まる少年へ、数人のガラの悪そうな男が絡んでいた。既にいい季節だというのにタンクトップの服を着た厳めしい顔つきの少年は、目元を不快げに歪めて白貌の少年を睨みつける。
それを、白い少年はどこか気だるげに受け止めている。
「……すんません、気ィ付けます」
「あァッッ? 気を付けますだぁ? お前が謝って、俺の服は綺麗になんのかよ。こいつぁよ、カノジョからプレゼントしてもらったんだよ。それをアイスでぐちゃぐちゃに汚されちゃァこっちの立つ瀬がねえんだよ!」
口泡を飛ばし威嚇する男に、少年は観察の目を向ける。
「いいか? つってもまぁ? テメエも堅気じゃねえみてえだし、言いたいことがあんなら男らしく拳で見せてみろよ。なぁお前らッ!」
男が背後にいる連れに声を投げると、それまで投げられていた野次が一層強まった。
それは男の強さが手に入れた仲間なのか。あるいは彼の人柄故のものなのか。
ともかく――。
「――クハっ」
男の背後にいる者達が彼を慕っていることを確信した瞬間、少年の頬に凄惨な喜悦の相が浮かび上がった。
「あァ」
喰い応えのない羽虫であると確信しているというのに、少年は名を尋ねずにはいられなかった。
――こいつらを、屈服させたい。
力の話ではない。力はあくまで手段だ。
つまり――白貌の少年は、自らの圧倒的な力でもって、目の前の強い精神を持った男たちを跪かせようと考えたのだ。
「いいぜ。ただし」
そして。
やりたいことが決まってしまえば、その衝動は止められなかった。
「もういっそ、ここでやっちまおォや」
呵々大笑。
夜の街で、たった一人の少年と、十五人のならず者がぶつかった。
拳が骨を砕く音が響き渡る。
勝敗は、五分もせぬ内に付いた。
☆ ☆ ☆
大富豪が終わり、カルラが自らの手で錬成したモンスタードリンクを飲み干すと、五人の少年少女はダイニングのテーブルを囲って座っていた。
「待て。遅くなったが一つだけ言わせろ」
重苦しい雰囲気の中最初に声を上げたのは、この家に居候している友介であった。
「なんでお前ら俺ん家いるの」
「別にどうでも良いでしょ、そんなこと」
「まあそう気にすんなって!」
「そ、そそそ、そうだよ……。……そうなの、かなぁ……?」
「痣波、自信を持っていいぞ。今の状況は特段おかしいことはない」
友介のもっともな意見に誰一人として真面目に応えようとはしなかった。
友介もため息をつくだけに留めそれ以上の追及はよした。……帰宅してリビングに入ると、草次と千矢と蜜希が勝手にゲームをしていたことも不問としよう。
「じゃあもう良いわ。どうせ家に入ったのもまともな方法じゃねえんだろ」
再度疲れたように息を吐き――、少年は真剣な面持ちで話を切りだした。
「そんじゃ――情報共有と行くか」
瞬間、先ほどまで弛緩していた部屋の空気が緊張の色を帯びた。その言葉は冷気となって、穏やかだった部屋の雰囲気を張り詰めた者にしてしまう。
空気の変化を感じ取った友介は、自らもまた緊張を緩めぬまま言葉を続けた。
「まずは俺の見たものからだ」
「つ、つつ、土御門、家……」
「そうだ」
蜜希の怯え切った言葉に、友介が同意を返した。
「土御門家――その神童。天才の殺人鬼……土御門狩真だ」
「あの狂人が科学圏に入り込んでいたのか……」
「ああ。川上、お前は魔術師だったな。あのクソ野郎について何か知ってることはあるか?」
「いや、ないな。土御門狩真というよりも、土御門家自体の情報が存在しないのだ」
「いや、でもさすがにそれは大げさっしょ!」
千矢の言葉に苦言を呈したのは、常ならばお調子者の草次であった。とはいえ今は、場を弁えて馬鹿をするそぶりも見せず、軽い調子で言葉を並べていく。
「実在する組織なんだから、何らかのダミーの情報やら、もしくは尾ひれがついてたりなんていうこともあるかもだけど、存在しないってことは……」
「いや。本当に存在しない」
「――っ」
その断言に、草次だけでなくその場の全員が息を呑んだ。
「本当に、存在しないんだよ。厳密には五年ほど前から。噂すら途絶えた」
「それって、何が……」
「いや――」
草次が何か言おうとしたところで、友介が口を挟んだ。
「問題はそこじゃねえ。土御門家の情報が隠匿されてるどうこうはどうでも良いんだよ。問題は……」
「奴が、楽園教会の刺客と全くの同時期に渋谷入りしていたこと。そして、同日に騒ぎを起こしたことね」
「そうだ」
自らの言葉を引き継いだカルラに同意を示し、彼はさらに話を続ける。
「土御門狩真、そしてライアン・イェソド・ジブリルフォード……無関係に見える両者にどういう関係があるのか。二人に関係はなくとも、奴らが何を狙って暴れたのか」
「……っ」
友介が告げると、一瞬――ほんの一瞬、隣のカルラの表情が痛ましげに歪んだ。が、すぐに元の澄ましたものへと戻る。友介は不審に思いながらも、あえてそれを追求しなかった。
「なあ、聞かせてくれ。草加、痣波、川上……ジブリルフォードの狙いは何だったんだ」
「そ、そそ、それが……」
「良いよ蜜希ちゃん、俺から言う」
「う、うん……ありがと」
無理をして発言しようとする蜜希を制し、草次が口を開いた。
「奴の目的は、その……何かを伝えようとするみたいだった」
「伝えるだ?」
「うん。何だろうね……俺から見ると、少し、その……」
「あ、ああ、あっ、焦ってた、よね」
「うん」
「焦る……寿命のことか? いや、でも……」
思案する友介。だがどれだけ考えても事件の全体像が掴めない。既にジブリルフォードの人となりは聞いているが、逆に言ってしまえば、分かっている情報はその程度。彼の死に際のことしか知らず、その根幹にある彼の『過去』は蜜希ですら調べ上げることは叶わなかった。
「それともう一つ気になることがあるわ」
「ああー! あの魔術師の女の子たちだよね」
「魔術師の女……まさか、あの時街には三人の魔術師がいたってのかよ」
「いや、正確には四人だよ。俺達が行く前からずっと戦ってくれてた魔女っ子の女の子と――」
「なッ――――」
「最後の最後にピンチを救ってくれた褐色っ子だ!」
魔女の姿の魔術師と、褐色の肌の魔術師――それらを聞いて、友介の眉がぴくりと小さく動いた。
カルラと草次の言葉に耳を傾けながら、少年の中である可能性が膨らんでいく。
「なあ、おい――」
否、それは確信と呼べるもの。
「名前を、教えてくれ」
だから少年は、聞かずにはいられなかった。
「そいつらの、名前を」
質問は意志など関係なく口をついて出ていた。
「お前らを救ってくれたっていう奴らの名前を」
鬼気迫る――あるいは切羽詰まったかのような友介の剣幕に訝りながらも、カルラはその名を口にした。
「褐色の女は知らないわ。私はその時いなかったから」
安堵友介にとって最も大切な少女の名を。
「魔女の方は、空夜唯可って言ったかしら」
「――――ッ!」
その瞬間、少年の頭の中からその場にいる四人の姿が純白の向こう側へ消えた。
思い出す。
魔女の少女と駆け抜けた地獄のような一日を。
最悪の敵に立ち向かったあの日を。
たった一日の思い出。
たった一度の共闘。
それがどれだけ少年にとって大切なものか。
重ねた日常など無いのかもしれない。
互いに互いを知ることの出来た部分など皆無なのかもしれない。
だけど覚えている。
無音の世界の中、たった二人で取り合った右手と左手。その温もりを。
惨劇を目の前にしてなお、少女は少年を守るために泥をかぶった。
逃げ惑った。少女の温もりだけを手のひらに感じて逃げ続けた。
そして――少女の過去を知った。彼女の罪を知った。唯可が友介に押し付けた理不尽を知った。
それでも。
それでも少年は好きになった。
あの地獄の只中で信じられたのは彼女だけだったから。
「――クソ……っ」
大切な情景の一つ一つを思い出した友介は、形容できない怒りに駆られその場を後にしていた。
背後から放たれるカルラの静止も耳に入らず、少年は走り続けた。
走って。
走って。
走って。
いつしか彼は、人ひとりいない夜の公園に、たった一人で佇んでいた。
「――――クソが……」
先ほど吐いた言葉を繰り返す。
「クソがァアッッ!」
戦っていた。空夜唯可は戦っていた。
神話級魔術師などという破格の存在と、少女は一人で戦ったのだ。
あれほど魔術師に痛めつけられた少女が、また戦ったのだ。
怖かったに決まっている。
恐怖で逃げ出したかったに決まっている。
救いを求めていたはずだ。
けれど彼女が逃げ出すわけにはいかなかったから。
安堵友介は他の魔術師と戦わなければいけなかったから。
彼女は身を蝕む恐怖を自覚しながらも立ち向かったのだ。
結果的に勝てたのだから良かった。
でも、だけど――。
安堵友介は、絶対に空夜唯可の側にいてやるべきだった。
彼女を守って、理不尽を振りまく魔術師と戦わねばならなかった。
「ほんっとうに何なんだよ俺は……ッ!」
己の愚劣さに眩暈を覚える。
どこかの愚か者は、恋人が傷付き恐怖で身を竦ませている間にも、妹とクラスメイトを救って満足した表情をしていたのだ。
電柱に蹴りを入れ己への怒りを無理でも鎮めようとする。愚かで浅はかな自分を戒める。
それもすぐにやめ、彼は電柱に額を付けて目を閉じた。
「――――……」
どれほどの間そうしていたのだろうか、荒れていた心が落ち着いてきた頃、背後から声を掛けられた。
「何してんのよ」
振り返る必要はない。凛とした、子供っぽくも芯の通った声の主は風代カルラだ。
「アンタって意外とデリケートよね。図太いように見えて、すぐ折れそうなほど脆いっていうか」
「うるせえな。ほっとけよ」
「……ったく」
疎ましげに言葉を返す友介に、しかしカルラは嫌な顔一つせず、仕方がないとでも言いたげに片目を閉じて友介へと歩み寄った。
「この前も言ったわよね。アンタは私を頼れって」
「……あん時は、別だ」
「そうかもね」
でもね――とカルラは寂しそうに目を細めて、
「アンタ、泣いてるじゃない。そんな情けない姿見てたら、嫌でも気になるのよ」
「うる、せえよ……うるせえ、黙れよ……ッ」
嗚咽交じりの声を聞きながらも、彼女は友介を放っておこうとはしなかった。彼を一人にしてくれず、何があろうと側にいてやるという意地が友介に伝わる。
「それに――」
赤髪の少女はさらに言葉を続ける。
「私以外にも、アンタのことを気にかけてる奴はいんのよ」
「あ……?」
どういうことだ? ――そう問うより早く、こんな声が聞こえてきた。
「友介くーん! どこ行ってたんだよー。ったく、俺ら超心配したぜ? 球にいなくなるんだもんよ」
「そ、そそそ、そっ、そうだ、よ……何かちょっとくらい、お、教えて……教えてくれても、いい、でしょ……?」
「まだ話し合いの途中なんだ。あまり勝手な行動はしてくれるなよ」
カルラに続いて、草次、蜜希、千矢が追いかけてきていた。
「なん、でお前ら……」
「だから言ったっしょ? 友介くんが心配だったんだよ」
「……っ」
さも当然だろうとでも言いたげに語る草次に、友介が言葉を失っていると、それを楽しむかのような笑い声をカルラが発した。
「ふふっ、アンタ、友達いないでしょ」
「あん? 別に要らねえだろそんなもん」
「そうね。私も同感だわ。でもまあ――」
するとカルラは、友介に向けていた視線を、後ろに立つ三人へ向けると、まるで尊いものを見るかのように――あるいはどこか自分の手の届かないものを見つめるかのように、ほんの一瞬だけまぶたを薄くして、はっきりと笑った。
「こういう馴れ合いくらいは、楽しんでもいいんじゃない?」
「…………さあな」
「ああー! 友介君照れてるじゃん!」
「照れてねえわ。死ね」
「え、いや、辛辣!」
「ふふふ……楽しそう……」
草次が茶化し、友介がそれを辛辣に切り捨てる様を見て、蜜希が口元を綻ばせる。
「そんじゃ。今からカラオケ行きますかっ!」
「は?」
「アンタ何言ってんの?」
「いつも思うんだけど、二人とも俺に酷くないッ?」
「うるさいんだよ黙れよカス」
「存在が騒音よね」
「分かる」
「こんな時だけ息が合うのもやめてって!」
友介とカルラに罵詈雑言を投げられ草次が涙目で抗議するも、二人は取り合わない。
「で、でも……」
しかし、関係というものは変わるもので、今回に限っては思わぬ人物が助け舟を出した。
「あ、あああ、あっ、あの……わ、わたし、は……賛成、かな、って。…………だめ……?」
痣波蜜希である。
そして、小動物のような彼女にそんな風にお願いされてしまっては、さすがの友介とカルラといえど強く出られないのであった。




